中国、この腐肉に群がるハイエナ(四)

 私はかつて、アメリカは超大国らしい振る舞いをしないのにまだ超大国のつもりでいて、行動と意識がずれていると書いたことがある(本誌平成二十六年五月号)。ウクライナの件でも、今度のAIIBの件でも、アメリカの失政が困難を招いている。最初ウクライナの反ロシアデモをアメリカが強力に支援したことがロシアの不安と不満を引き起こし、争乱になった。アメリカは資金と技術を中国に与え、長期にわたる元安政策を支え金満大国を作り上げておきながら、世界銀行やIMFやアジア開発銀行で力にふさわしい役割をこの国に与えなかった。アジアのインフラ開発の必要度が今や非常に高まっている時であるのにである。中国はうまくタイミングを掴んだといえる。諸国に広がるアメリカの高姿勢と不決断への不満をかき集めることに成功した。

 アメリカの失政というより、オバマの失敗である。シリアの開戦処理に彼が逡巡して、稚拙な残虐を誇示する「イスラム国」というテロ集団を引き出してしまい、制禦できずにいるのも、オバマの気質的無能に端を発している。加えて同盟国のヨーロッパ諸国の反アメリカ感情をまで呼び出してしまった。ロンドン・シティの新たな行動はわけても厄介である。

 超大国アメリカの衰弱とよくいわれる現象が背後にあるともみられるが、しかし別の目で見ると、そこには不気味な混沌、地球全体をいま揺さぶっている精神的無秩序の次第に大きくなる暗い広がりも感じられる。それはアメリカだけが原因ではない。経済のグローバル化、無制限に移動する資本、IT技術が可能にする巨大化した目に見えない金融の闇。国家を超える有効な機関が存在しない現代世界の無政府的状態は、中世末期の個人同士と同じように、国家と国家とが互いに対立し合い、相互に恐怖を感じ合う状態に近づいている。同盟を組んだり、毀したり、また新たに組んだり、そのうち大きなパワーとパワーが衝突することにもなるだろう。

 もともと近代とはイギリスの世紀のことであった。スペインが開いてイギリスが受け継ぎ、オランダ、フランスを圧倒して、アメリカに引き渡したのが近代史の大筋だ。そのイギリスの中核をなす王室は海賊と手を組んでいた。貧しい二流国家だったテューダー朝がスペインを破り、オランダに追い迫る過程で、カリブ海の奴隷貿易による利益が国運を決める役割において決定的だった。肝要な点はエリザベス女王が海賊の取引に最初から深く関与していたことだった。金銀満載の南米帰りの外国船を襲撃、掠奪してイギリス財政がささえられたので、女王はこの件でもつねに投資団の先頭に立って旗を振った。

 そういう時代だったといえばそれまでだが、第一次大戦まで地球を支配した英海軍による制海権なるものが、海賊の侠気と智謀と背徳に起源を発していたことはいくら強調してもし過ぎることはないだろう。

 追いつめられた野獣は何をするか分からない。私は、歴史はいま五百年前に戻りつつあるような気がしている。国家と国家が互いに恐怖を抱き始めている。地球上をほぼ隅なく劫略したのはイギリスだったことを忘れてはならない。そしてスパイと金融という得意分野はまた中国の得意分野でもあるのだ。

 一九九五年海部元首相が中国で江沢民主席と会ったときのことである。中国の核実験に日米ともに反対だと言ったら江沢民は、核兵器はアメリカが世界一だ。そういう国が反対だというのは「州の官吏は放火してもいいが、百姓は電灯もつけてはならないということか」とアメリカの言い分に食ってかかった。面白い喩え話ではある。海部氏は「それなら日本が電灯を点けても貴方は文句を言いませんね」とひとこと言い返せば見事なのに、彼にそんな度胸もないし、ユーモアもない。ひたすらへりくだって唯一の被爆国の悲願とか何とか言い「ぜひ中国は懐の深さを示してもらいたい」と言うばかりであった、と当時の新聞が伝えている。

 江沢民の心意気は私には分からぬではない。欧米に包囲され追い込まれた昔の日本の苦境を思い出させるからである。彼の意気盛んで己を恃む態度は、ワシントン会議から開戦までの日本に一脈通じているように思える。そして私は、中国はこのまま侭いけばいつかアメリカと正面衝突するな、とそのとき思った。 

 いまの世界には中心点がなく、ばら撒かれているいくつもの力点が揺れ動き、衝突し合っている。どの国も成算がなく、予測が立たなくなっている。

つづく
「正論」6月号より

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