「斬」の解説(三)

 江戸の元禄の頃から明治14年の廃刑まで、死罪における斬首の刑を執行した山田浅右衛門一族は、七代この仕事をつづけた。しかし斬首はこの一族の正式の仕事ではなく、二世吉時の代に〈徳川家御佩刀御試御用〉という役職、いいかえれば試刀家としての最高の地位に着いて、七代の間に富を築いた。

 試刀は徳川家にとってはなくてはならない重要な仕事でありながら、浅右衛門の一族は幕藩体制の内部に組みこまれることなく、終始一貫して「浪人」の地位でありつづけた。

 この不思議な地位についての著者の推理にはなかなか鋭利な観察が秘められている。斬首の仕事はもともと町奉行同心の業務であったが、山田家が彼らのいやがる仕事の代役をなし、その代わりに斬刑後の屍を試し切りに使用する自由と、生肝を抜き取り薬剤として売買する自由を、役得として思うままにしていたというのである。われわれの想像を絶した異様かつ凄絶な業務に、七代にわたり倫理とプライドを賭け、社会的屈辱に耐えながら携わってきた一族の孤独が、この小説の中心を流れている基礎低音である。

 まだ12歳の吉亮が、慶応元年(1865年)最初の斬首の刑を執行する日からこの小説は始まる。

 父親吉利が家職を伝えるために、まだほんの子供といってよい年齢の吉亮に、道場でねずみを斬る訓練をさせるところも印象的な描写である。そしてついに12歳の少年は、最初の日を迎え、儀式に従って堂々と罪人の首を落とす。失効後、吉利は屍体から生肝を抜き、二つ胴の試し切りをする。この一場の描写を最初に読む人には、心にある衝撃なしでは、読み通すことができないだろう。

 この小説のここの描写を読んだ福原麟太郎氏が「そのとき私は、こわいという感情を感じた。それ以外に何という言葉をもってその感情を言い表せば良いか知らない。私の用いる日本語の語彙(ごい)の中では、おそろしい、とも、悲しいとも全く違う、こわいである。(中略)私はそこでその小説を読むのをやめ、すこし神経の昂ぶりを感じながら、本を閉じた。とてもさきへ読み進む気にならなかった。」(『文藝春秋』昭和48・3)と語っているのは率直な感想として注目してよいと思う。

 こわい、あるいは嫌悪を感じる、そういう感想をもつ読者がいて少しも不思議ではないのだ。この小説はもっぱらそういう世界を描いているからである。異常な世界を正常な冷静さでもって、抑制のきいた重厚な文体でまじろぎもせずに叙述している。

 小説は吉亮の最初の刑執行の日から17年間、明治14年の最後の斬刑の日まで――この日をもって刑法史上に「斬」の刑罰はなくなるのであるが――を描いている。いうまでもなく幕藩体制の崩壊と近代国家としての日本の出発という動乱の一時代が小説の背景をなしている。したがって処刑される罪人たちも親殺しや夫殺しばかりではない。

 父吉利が処刑したものには吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎といった安静の大獄の志士たちがあり、維新後の吉亮の処刑者には、今度は逆の立場に立つ犯人たち、横井小楠、大村益次郎、岩倉具視を暗殺した犯人たち、国事犯としては雲井龍雄、そのほかには夜嵐お絹、高橋お伝らの名前がみられる。

 すなわち時代の大きな波のうねりを、この一族はもっぱら小伝馬町の囚獄から眺めていた。体制が変わっても彼らは変わらず、どんな体制下でもつねに同じ刑の執行者として振舞うという、幕末を扱った小説としては今までにない新しい視点を提供したといえる。

つづく

文春文庫 綱淵謙碇『斬』解説 昭和50年(1975年11月)より

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