「新しい歴史教科書をつくる会」の事務局長だった鈴木尚之さんが亡くなられてまだ日は浅いが、6月12日15:00~17:00にグランドヒル市ヶ谷で「偲ぶ会」が開かれた。私は必ず行くつもりでいたが、またしても13日原稿〆切りの直前で行かれないので、新事務局長に託して、次の文章を読んでいたゞいた。思えば親しくお付き合いして10年の歳月が流れた。ご冥福を祈る。
鈴木尚之さんを悼む 西尾幹二
本当は今日ここにお伺いしたかったのですが、余りに日が悪く、明13日に〆切り原稿があって、弁解にきこえるでしょうが、お許し下さい。昔なら夜寝ないで昼間の時間の遅れを取り戻せたのですが、今は体力がなくなりそれだけはもう出来ないのです。
鈴木さんはどうして逝ってしまったのか。あの円い元気な顔で、「つくる会」の象徴みたいな顔をして、今でもそこにいて笑っているような気がします。元気で、明るい方だけに、突然いなくなったことが、病気がちだった人の死とは違って人生の不条理をひとしお感じさせます。
一番さいごに電話で私がおはなしをしたのは退院されたと聞いて間もなくです。あの退院は何だったのでしょう。私が電話でお見舞いのことばを述べだして少しして、彼はそそくさと電話を切りたがったのです。変だなと思いました。いつものような明朗さは言葉にだけあって、態度にないのです。ずっと変だなと思いつづけていました。
そしてしばらく経って藤岡さんからご逝去の知らせを受けました。後で考えてみると、退院したと聞いてから私が電話をしたあのときには、もう鈴木さんは近づく死を覚悟されていたのでしょうね。「可哀そうだなァ」と今、そんな言葉しか思いつきません。生きている者が襲われる生物の不条理を感じるばかりです。
楽しい思い出はいつもカラオケでした。玄人(くろうと)はだしの名調子の鈴木さんに適う者はいませんでした。私の知らない歌が多く、私が「あれを歌ってよ」と彼に所望するのは石川さゆりの「天城越え」で、鈴木さんは「またあれですか」とあきれたような顔をして、それでもいやがらずに朗々と上手に歌ってくれたものでした。これからあの歌を耳にするたびにきっと私は鈴木さんの歌っている姿を思い出すことになるんでしょうね。
先日の「つくる会」の祝賀記念会の席上の私のあいさつで鈴木さんのことを少し話しました。同じテーマですが、もう一度今度は少し詳しくお伝えしておきます。
私の会長時代、野党のある代議士と私がファクスで論争しました。攻撃的なことを言ってきたので、私の名で鈴木さんが三往復ぐらいの論争をしました。私は結果だけを鈴木さんから知らされました。「いいのですか、私が勝手にやって」と鈴木さんが言うので、「どうぞそうして下さい」と私は全面的にお任せしました。鈴木さんは私の名で楽しそうにして反論を重ねていました。その相手となった野党の代議士というのは菅直人でした。
詳しいことは覚えていませんが、菅直人がインネンをつけてきた文句というのは、「西尾は教科書問題で政治的主張をしている。政治的主張をしたいのなら、自ら衆議院に立候補して議員になってからやれ」というようなことでした。鈴木さんが私の名でどう反論されたかは、今は思い出せません。私は任せていても安心なくらい鈴木さんは堂々と相手を言い負かしていたと思います。
なぜ菅直人がインネンをつけて来たかというと、「つくる会」の主張が世間に表向き受け入れられないようにみえても、マスコミに連日取り上げられ、大騒ぎになっていたことに対して、菅直人は危機感を覚えていたからだと思います。今から丁度10年前の夏の採択のときです。われわれの主張はマスコミからさんざん叩かれていましたが、今思うと世間から受け入れられ、歓迎されていたことの現われでした。あのときわれわれの主張ははげしい抵抗に合ったように思いましたが、じつは敵陣営にも脅威を与えていたのでした。それも強い脅威を。
そのときの敵のひとりが菅直人で、今では居坐り総理、ペテン師、ウソつき総理ですが、それでも彼らが天下を取っているのはわれわれが冬の時代にあるということで残念です。これから再び春が来てわれわれの主張が大きく表舞台で受け入れられるときが来ることを信じたいと思います。
鈴木さんがきっと喜んでくれる、そういう日が来ると信じます。鈴木さんどうか安らかにお休み下さい。みなさまと一緒にお祈りしたいと思います。
「つくる会」の国民の歴史は、独自の視点、独立した見識をもつ教科書として私は評価しています。
そもそも私は、西尾先生(と呼ばれてご当人は不愉快かも知れませんが)とは、政治的意見、歴史的観点も異なること多々あります。しかし先生の識見から目が離せないのは、そこに一個人としての独立した一流の世界観が披瀝されているからです。世にはともするとイデオロギーに毒されたステレオタイプ、時流迎合的な世界観があります。又、物事の核心本質
に迫れず、物事の外側を撫ぜてだけいるような二流の世界観もあります。
私は、異なる点を持ちながらも、ある点では畏敬を持って西尾氏の言説に耳を傾けている者です。否、耳を奪われている者です。民主主義とは”本来”独立した個人が支えるものです。菅代議士(当時)にも相手に対し独立した個人としての敬意を示しながら生産的な歴史論議を望むものです。