脱原発こそ国家永続の道 (一)

『WiLL』7月号より

目に浮かぶ業苦の光景 

 今でも毎日のようにテレビに映る被災地の情景、木材と瓦礫と泥土に埋まった車、家、船の信じられないシーンにも、最近は少しずつ慣れてきた。そして、ふと、このなかに欠けているものがあることに気がついた。肝心かなめのものが写し出されていない。遺体だ。
 
 一度だけ、中国の新聞に出た被災地の写真をネットで目にしたことがある。民家の階段に両手を開いてあお向けに倒れている男性の遺体だった。もう一枚は、瓦礫のなかに投げ出された泥土のついたままの昭和天皇のお写真だった。どちらも、日本ではめったに写し出されることのない映像である。
 
 私たちが見ていないものを、現地の人や救助隊の人は日々、目にしているのである。平凡で和やかなはずの日常が突然破れ、口が開いた裂け目は、現地ではおそらく、私たちとは違った形で人々を直撃しつづけてきたのであろう。
 
 避難地域のテレビ報道で、悲惨な牛舎のシーンを見た。乳牛が幾頭も倒れて死んでいる光景だった。そしてパッとカメラが回った。牛舎の柵から頭を思いきり出して秣のほうに首を延ばしてそのまま死んでいる七、八頭の牛がいた。仔牛もいた。秣の山が届かなくて、必死に首を延ばして息絶えたのだろう。鼻の先に餌はまだ山をなして残っている。しかし、柵で首が届かない。見てはいけないシーンをみたように思った。業苦の光景が目に浮かんだ。
 
 人間の屍体がいたるところにある社会で、動物への残酷は看過ごされる。震災の現場は、私たちの知らない日本でありつづけている。
 
 裂け目から覗き見えたある不気味なもの、無秩序といっても混沌といってもうまく言い得ていないある空っぽで暗いもの、そのうえに私たちの文明社会が辛うじて載っかっている。土台ともいえない土台──ちょうど今度の地震で地盤沈下を起こして建物が斜めに傾いた地域があったが、文明全体があれと同じようにとても脆弱で、頼りない土台のうえに載っている。ぐらついていて、明日倒壊してもおかしくはないと実感される。裂け目から奥が見えて、ぞっと寒気もする。

どんな事故も「想定外」

 地震と津波に原発事故が重なったのはじつに因果だが、いわば一体で、切り離すことはできない。国民全部の元気がなくなっているのは、東北の犠牲者への鎮魂の思いからだけでも、放射能の広がりへの恐れからだけでも、より大型の余震や東海・東南海地震の新たな発生へのおびえからだけでもない。それらのすべてがまじった、説明のできない不安がここそこに漂っている。

 これはなぜか存在の不安、生きていること自体の不安にも似ている。

 この国の住人は永い間、裂け目の奥を覗き見ることをしないできた。ロボット大国といわれた日本の原発事故で、すぐ使える役に立つロボットがなかった。強い放射能にも耐えられるロボットは開発されていなかった。核戦争を前提としたアメリカの軍事用ロボットが初めて役に立った。いいかえれば、日本の原子力発電所は事故を前提としない事故対策をしていたにすぎない。原発の事故の現場は、核戦争の最前線と同じだという認識が頭からなかった。

 地震と津波が「想定外」の規模であったことは、誰しも認めている。しかし、非常用電源が津波で流されない仕組みやシステムを作っておかなかったのは人間の不用意であり、あらかじめ八方から注意や警告を受けていたのに対応しなかったことが「人災」だといわれるのは当然なのではあるが、私はそもそも、日本の原子力発電所は最初からどんな事故も「想定」していなかったのではないかとむしろ考えている。放射能に耐えるロボットも、セシウム除去装置も、丈の高い注水ポンプも、すべて事故が起こる前から用意されていてしかるべきではなかったか。日本は技術大国ではなかったのか。

 東電は企業だから、経費のかかることはやりたがらない。それなら、原子力安全委員会や原子力安全・保安院はあらかじめ事故を「想定」するシミュレーションを試みていただろうか。私は、罪深いのはむしろ内閣府や経済産業省と一体をなしているこれら企業に対する監視体制であったと考えている。そもそも、経済産業省は原発推進の中心勢力であった。そこに、附属機関として原子力安全・保安院がくっついているという仕組み自体が間違いではないか。

戦争も「想定外」 

 ある人の講演を聴いて知ったが、今から一年前の新聞に、福島第一原発はこれからなお二十年は運転可能であり、健全に維持できると原子力安全・保安院からいわばお墨付きを与えられていたと報じられていた。原発というのは四十年、内部が中性子を浴びつづけると圧力容器がどうしても脆くなって危うくなるものだそうで、そのあたりを厳密に審査して承認したのだろうか。
 
 世界の原子炉は、平均二十二年で廃炉になるそうである。日本でも法律で定期安全評価義務が求められていて、三十年経つと、必ず再評価が法令で義務づけられているのは良いことだが、すでに四十年経っているあの福島第一原発をすべて合格、しかも、これからなお二十年は運転可能と承認していたというのだから、いったい原子力安全・保安院はどんな審査をして、これほどの評価を与えたのだろうか。現に、メルトダウンし圧力容器に穴があいているといわれているではないか。
 
 四十年を超えている原子炉は世界では稀なケースだそうである。言っておくが、電源の置かれた位置や予備発電装置も審査の対象だったはずである。
 
 考えてみると、日本の原子力発電にとっては津波の大きさだけではなく、すべての事故が「想定外」だったのである。事故は起こらないという大前提でことは進められていたに相違ない。そして、そのことは日本の根本問題につながっている。この平然たる呑気さは原発だけの話ではないからだ。原発にとって事故は「想定外」であったと同じように、そもそも自衛隊にとって戦争は「想定外」なのではないだろうか。
 
 この国の住人が何となくうそ寒い不安を覚えているのは、日本がこのままで大丈夫なのだろうかという意識に襲われるからである。外から何かがあったら、今度の原発ショック以上のことが起こりはしないかと国民は口にこそ出さぬが、漠然と感じているのである。
 
 原発にとって、事故は「想定」してはならないものでさえあった。さもなければ、官僚機構のど真ん中にある原子力安全・保安院のこれほどの間抜けぶりは考えられない。最悪を「想定」するところから物事をはじめる、という考えがまったく育っていない。企業人だけでなく、官僚も、学者も、政治家も、文明の永遠の存続を前提とし、その裂け目から、文明が破壊された廃墟をあらゆる想像力を駆使して覗き見るということをしていない。同じように、自衛隊にとって戦争は──本当はそれが目的で存立している組織であるのに──「想定」してはならないものとして観念されているのではないだろうか。

原発建設より憲法改正を 

 アメリカやフランスは核保有国である。アメリカや中国やロシアは国土が広い。フランスや北欧は地震がない。しかも、原発を引き入れるこれらの国々では戦争は「想定外」ではない。フランスはつい最近も、リビアを空爆した。日本では、拉致被害者を武力で取り戻すことができないことを当たり前のことのように受け入れてしまっている。こういう国では、ロボット技術がいくら発達しても軍事用のロボットをつくる意識が育たないのだ。そういう国では、原発技術をいくら高めても、事故はそもそも「想定外」のままなのである。いつまで経っても、事故に対する備えの意識は本格化しないだろう。
 
 原発事故は戦争の現場と同じである。憲法九条をいつまでも抱えこんでいるこの国が、原発に先に手を着けたのが間違いである。アメリカは完全装備の核部隊を持っている。日本の自衛隊にそういう部隊はあるのだろうか。福島の現場がいよいよ軽装備の普通の作業員の手に負えなくなったら、どういうことになるのだろうか。今回の件は、戦争を忘れていた日本に襲来した戦争にほかならない。
 私は、日本の原発は作るべきではなかったと言っているのではなく、憲法を改正するのが先で、順序を間違えていなかったかと言っているのである。

つづく

「脱原発こそ国家永続の道 (一)」への1件のフィードバック

  1. 憲法改正について一言。
    戦争を無視することによって、戦争を否定できたことにはなりません。
    戦争を直視し、戦争をも包摂する平和を創造することが出来てこそ、戦争を否定できたことになり、それこそが真の平和主義でもあるとも私は考えます。
    先生が度々言われる「最悪を想定する」とは、最善を創造するためでもあると思います。遂に善悪の彼岸で没してしまったニーチェから、数十年かけてやっと離れていく自分を感ずると言ったら、先生は嘲笑なさるでしょうか。

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