名古屋市長発言と日中歴史共同研究

 3月26日に発売される『WiLL』5月号に、私ほか三人の名の共同討議「虐殺を認めた『日中共同研究』徹底批判」が出ます。これは名古屋市長の南京発言を支援する内容です。

 昨年の今頃まで福地惇、福井雄三、柏原竜一、西尾幹二の「シリーズ現代史を見直す」が断続的に『WiLL』に連載されていました。東日本大震災が起こり、これが中断しました。
「日中歴史共同研究」徹底批判は四回を予定し、三回で途切れました。今回四回目を掲載いたします。

 掲載に際し、四回目の冒頭に私の次のような新しい発言が付加されました。名古屋市長発言を意識してあらためてこれを支持する目的の付言です。

 雑誌が出たら是非これにつづく「徹底批判」の内容をお読み下さい。

 名古屋の河村たかし市長が「南京事件はなかった」と率直に語ったことに対し、例によって左翼偏向した特定のマスコミと民主党藤村官房長官が待ったをかけました。

 「日中の大局を忘れるな」式の見え見えのことなかれ主義で、彼らが中国側にすり寄ったことはご存知のことと思います。その際、マスコミが錦の御旗に掲げたのは、北岡伸一氏が座長を務めた例の日中歴史共同研究です。

 「朝日新聞」は社説(二〇一二年三月八日)で、「南京大虐殺については、日中首脳の合意で作った日中歴史共同研究委員会で討議した。犠牲者数などで日中間で認識の違いはあるが、日本側が虐殺行為をしたことでは、委員会の議論でも一致している。」と早速にもあそこでなされた政治的取引きめいた決着を利用しています。

 「中日新聞(東京新聞)」も「河村市長発言、なぜ素直に撤回しない」と題した社説(二〇一二年二月二十八日)で、「南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。日中歴史共同研究の日本側論文も『集団的、個別的な虐殺事件が発生し』と明記する。」と共同研究を主張の根拠にしています。そして「市長は共同研究を『学者の個人的見解』と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、少しでも客観的に埋めようとの知恵であった」と、北岡氏らのあの見えすいた非学問的決着を唯一の拠り所としています。
 
 そもそも民族間の「歴史認識の溝」は埋まらないときには永久に埋まらないのであって――英米間にだって溝はあるんですよ――それを強引に埋めさせようとした当時の自民党首脳の取り返しのつかない政治判断の誤りであると同時に、乗せられて学問の真実追究を捨て、政治外交世界の一時の取引きの道を選んだ北岡伸一氏がそもそもおかしいとは、われわれ四人の当研究会でもさんざん論じてきました。

 なぜか常に中国側に立つ日本のマスメディアに、いつの日にか必ず日中歴史共同研究は政治的に悪用されることが起こり得るだろうと私は思っていましたら、河村市長発言でその通りになりました。私たちはこの日があるのを予知していました。
 
 それほどにも、日本を傷つける可能性のある日中歴史共同研究のテキストはほとんど誰も読んでいないのです。翻訳ともども部厚い二冊本になる本文テキストを手に取る機会に恵まれた者は今のところ恐らく非常に限られた少数者でしょう。私たち四人は、その機会を得て、これを読破し、すでに三回の討議をもって、中国側代表の型にはまった恐るべき無内容と、日本側学者たちの日本国民を裏切るこれまた型通りの妥協の数々を追及し、批判してきました。
 
 かくて「日中歴史共同研究徹底批判」は本誌で今回をもって四回目となり、これをもって完結篇といたします。今回は南京事件を取り上げていますが、それに先立つ他のテーマから入っていきます。

「名古屋市長発言と日中歴史共同研究」への3件のフィードバック

  1. 南京事件の議論というのは、「意味のある論争」と「オカルト的論争」をきっちりわけなくてはいけない段階に来ているとおもいます。「意味のある論争」というのは、おおまかにいえば、「数万人説」の秦郁彦氏あるいはそれに類似の説と「なかった説」の東中野修道氏あるいはそれに類似の説の対立であって、客観的証拠のほとんどが、この説のいずれかということが議論の土俵ということは決着がついていると思われます。

     ところが現在の中国政府とその追随者の主張というのは、当時の人口の南京市を遥かにうわまわる数十万人説を通説として展開し、中には、歴史学者の樺山紘一氏のように「百万人説」などというのまで登場しています。こういう説は荒唐無稽を通り越してオカルト的であって、たとえば「キリストは日本に来ていた」とか「モーゼは宇宙人だった」というようなレベルです。「モーゼは宇宙人だった」という人に「モーゼは宇宙人ではない」と反論するのはもちろん簡単ですが、いったい、「モーゼは宇宙人だった」という人と議論する人と議論の土俵が共有できるかという問題があるわけです。

     こういう言い方は文献学的なのか推理作家気取りなのかわかりませんが、私は議論の内容以上に、こうしたオカルト説が、どういうふうに発生したのかということが気になります。そうすると蒋介石という存在が一番重要といいますか、もっとも悪辣な存在であったということに行き着きます。南京事件とは彼の作為したフィクションだったのでしょう。誰でも知っている事実のレベルであっても、宋美齢をアメリカ議会で演説させて、南京事件を世界問題化させた最初の人間は蒋介石です。しかしそんなフィクションがなぜ命脈をもちつづけ、今なお否定しきれないかといえば、蒋介石神話みたいなものが、保守革新を問わない戦後日本全体にあるということではないかと思います。

     たとえば辻政信という人間がいます。ほぼ間違いなく日本軍史上最低の犯罪的存在の軍人ですが、こんな辻政信が終戦を迎えたタイで、イギリス軍の捜索の目をくぐりぬけ、蒋介石の手元に何年も匿われ、戦犯指定を逃れるという奇妙な事態がありました。やがて帰国して国会議員になる辻ですが、最近公開されたCIAの機密文書では、辻は蒋介石のスパイとして存在を保証されていたことが判明しています。自己利益のためには昨日までのもっとも憎らしい敵をも平気で部下にする蒋介石は、コミンテルンとも驚くような反日政策的な妥協を、巧みに不明な形で繰り返したに違いありません。

     こんな蒋介石について「日本の恩人」だとか「いい人」だとかという神話が、いまだにそこらの庶民的人間にも語られるのに出くわすことが多くて驚いてしまいます。こうした神話は、蒋介石が戦後、日本の分割統治と皇族の廃止に反対した懐の深い人物だったという説に依拠しているようです。しかしこれはもし事実だとしても、自分が今まで利用しているつもりだったソビエトが急に目の色を変えて中国の共産化に乗り出してきたという蒋介石の計算違いによる混乱と怒りによって生じたもので、さしたる偉業ではありません。むしろこういう蒋介石神話を、戦後の短期間のうちにつくりあげ、日本人に定着させた蒋介石と国民党のあまりの強かさに私は言葉を失います。

     王道と覇道という言葉があります。「東洋の王道と西洋の覇道」といったのは東京裁判の弁護団長の鵜沢聡明氏ですが、天邪鬼な私は、王道の方が遥かに怖いと思うことがあります。たとえば「ゆるす」という行為は王道的なものでしょうが、「ゆるす」ということによって相手を徳化すると同時に、「なかったこともあったことになる」からです。蒋介石が戦後の短期間でやったことはまさにそれでした。自分がでっちあげた南京事件を「ゆるし」て、日本の分割統治反対や皇室維持を主張した大人物だ、という神話をつくりあげたからです。

     その後の共産党政権はそれを受け売りし、そして共産党政権は単純な覇道政治ですから、「あった」「なかった」で大騒ぎしているわけです。それも頭にきますが、私は蒋介石の隠れた元凶ぶりに比べれば可愛いものだし、また「なかった」を反論論証できる分、現在の共産党政権の暴れぶりの方がまだしもよいとさえ思います。このように考えると「ゆるす」ということは、実に巧妙な復讐行為なのではないでしょうか。

     そしてさらに重要なことは、この南京事件でっちあげに関しての証拠や痕跡は、ほぼ間違いなく台湾にもっていかれており、その件について台湾政府が沈黙をしているということです。私は中国と台湾が抗争するならもちろん台湾に徹底的に味方すべきと思います。しかし南京事件その他の戦争中の歴史議論について、当時の中華民国政府の後継の台湾がいったい親日なのか反日なのか、大いに疑わしいと考えています。反日的国家と歴史観を共有できないのはもちろんですが、「親日」に見える国とも安易な歴史観の共有はできない。これが私の裏道からの一つの南京事件論です。日本人の蒋介石や台湾への「甘さ」もまたよくよく検討されなければならないということですね。

  2. 桜チャンネルの年末キャスター討論見ました。

    西尾先生のご指摘、大変ありがたいと思っております。

    日本国民の多くが思っていることです。

    あの両殿下が日本の象徴・・・

    今日も雅子様は医師と個室にこもる・・・・・

    ありえません!

  3. >シンプル様
    医師と個室にこもる・・・・なんてことはないのでは?

渡辺望 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です