『天皇と原爆』の刊行(五)

「週刊新潮」3月22日号より 匿名

 なぜ著者はここまで忌憚なくこの国の本質を鋭く衝くことができるのか。それは「我々は何か大きくすり替えられて暮らしている。頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることができなくなっている」という危機感があるからだ。

 本書を貫いているのは歴史を正しく見ることの重要性である。特に、現在の視点で過去の出来事を捉えることの危うさが説かれる。たとえば「侵略国家」「侵略戦争」という言葉は、戦後の日本人が自分の国を誹謗するための自虐的なもの。勝者である占領軍の歴史観でものごとのすべてを見ようとする姿勢は誤りだと著者は言う。

 またアメリカの西進政策の背後には「東洋開拓を競う英米対決」があったこと、自国の利己主義に基づく戦略は、昔も現在も変わらないことを明らかにしている。アメリカは、常に人類を裁く法廷を司りたがる「神の国」だとの指摘は多くの示唆に富む。(新潮社・1680円)

「『天皇と原爆』の刊行(五)」への4件のフィードバック

  1. 「頭の中に新しい観念をすり込まれて、そこから立ち上がることが出来なくなっている」という危機感。とあります。
    新しい観念とは例えば、新憲法の基本的人権の尊重、国民主権を指すならば、心配はいりません。

    私の場合、これらの観念は、認識によって単なる観念に止まらず、実体化され精神となり、さらには主体化されて行動に移らんとしています。
    憲法の盲目的平和主義を除けば、まさに私は新しい観念によって立ち上がることが出来なくなっているどころか、それによって立ち上がり新しい世界を創らんとしている訳であります。これは我が世代のマニフェストとも言えます。

    ただ、現在の私が立ち上がれずに低回気味であるのは、新しい観念の為ではなく、実体としての精神を主体化させる段階で大きく躓いて病を受けてしまったからです。イラク戦争の非常時により有無を言わせずに自らの精神を決死で蹴り出して、どうにか主体化に先鞭をつけたつもりですが。

    先生の言うならば大義の観念基盤の一つが、大東亜戦争時にあるならば、私のそれは日本国憲法にもあると言えます。

  2. 「アメリカは常に人類を裁く法廷を司りたがる「神の国」である。」
    確かに世界に覇権を敷いた帝国は、スペイン、ポルトガルに始まり、オランダ、イギリス、アメリカと続いてきた事は事実です。

    しかし、私が特筆したいことは、アメリカが他の派遣帝国と違い、国際連盟及び国際連合という国際合議機関を創設したことであります。
    国際連合は機能不全に陥っているという批判はいつでも聞かれ、事実その権限に限りが有ることも明らかですが、いざ重大な国際紛争が起こった場合、人類がその問題を解決せんとする中立的機関は、国際連合しかない事も動かしがたい事実です。
    国連はある意味、人類を裁く法廷でありましょう。しかし私はそこにシニシズムを超えて、肯定的意味を見出さんとする者であります。

    後世千年単位の歴史が語られる時、アメリカは人類を月に送った国であると共に、人類に国連を送った国であると記憶されると私は思っています。

  3. 山中さん、先輩に対し申し難い事ですが、そろそろ此の場から退場されたほうが良いのでは。西尾先生に対し、貴殿が如何に言葉を弄しても、先生の誠心、愛国心、肉親の情、己の本心から出る言葉又、其れに素直であろうと務める姿勢共に、貴方とは既に立ち居る場所が懸け離れています。’人生至る処青山在り’です。

  4. ピンバック: 投資一族のブログ

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