西尾幹二・青木直人『第二次尖閣戦争』の刊行(一)

 青木直人さんと私の対談本『第二次尖閣戦争』は今、店頭に出ています。青木さんは中国と日本の政財界の不透明な関係を永年取材して来た方で、正義心と愛国心が確かな方です。北朝鮮にも詳しく、この本は東アジア全域の彼の今後の予測も語られています。

 「まえがき」は私、「あとがき」は青木さんが書きました。「まえがき」をここに紹介します。

 2010年9月の中国船による尖閣襲撃事件を私たちは「尖閣戦争」という名で呼んで、同名の本新書を刊行しました。好評をいただき、おかげさまで版を重ねました。

 2012年9月に中国全土において反日暴動デモが起こり、そのあと中国公船の尖閣海域への侵入、威嚇、しつこい回遊、ならびに台湾船団の襲来と水の掛け合い等は、中国政府の激語を並べた挑発行為も含めて、「第二次尖閣戦争」と呼ぶにふさわしいと考えます。本書の標題はそのような意味で名づけられています。

 さりとて本書は、海上で起こった挑発と防衛のシーンを報告したものでも、メディアの一部にすでに出ている両国海軍の実力比較や実践のシミュレーションを描いたものでもありません。事件の背景、世界の政治、経済、外交のさまざまな現実の問題から尖閣のテーマに光を当て、考察を重ねた一書です。それはつまるところ中国論であり、アメリカ論に尽きるといっても過言ではないでしょう。目次をご覧の通り、現代において尖閣問題が、頂上をきわめた中国の没落への秒読みと、黄昏の帝国アメリカの踏ん張りと逃げ腰の姿勢のどちらにリアリティがあるかという問題にほぼきわまるといっても、決して言い過ぎではありません。

 冷戦が終わった二三年前から、日本の運命は中国とアメリカの谷間に置かれたことが分かっていました。いよいよ正念場を迎えているのです。われわれは両国の正体、その本音と詭弁、真実と偽装をしかと見つめて、道を踏み誤らぬようにしなければなりません。

 詳しくは本書全体をお読みいただけばよいのですが、一つだけ本書を仕上げた後で感じたことで、私個人が強調して訴えておきたいことがございます。第四章の末尾に私は次のように書きました。

 「第二次大戦のときもそうでしたが、中国の災いが日本にのみ『政治リスク』となって降りかかり、アメリカやヨーロッパ諸国は大陸で稼ぐだけ稼いで機を見てさっと逃げ出せばよく、日本だけが耐え忍ばねばならないのは、二十世紀前半とまったく同じ不運と悲劇であり得ることをよくわれわれは心し、今から万全の警戒措置をとっておかねばなりません」

 今回の大規模デモ暴動に見る、わからず屋の中国人と、半ば逃げ腰のアメリカ人の姿から、私が本書の読者に訴えたいのは、「先の大戦がなぜ起こったか体験的にわかったでしょう、現代を通じて歴史がわかったでしょう」ということです。「100年以上前から日本民族が東アジアでいかに誠実で孤独であったか、日本人の戦いが不利で切ない状況下での健気な苦闘であったかが今度わかったでしょう」ということです。

 そしてもうひとつ訴えたいのは、わが国は少しでも独立した軍事意志を確立することがまさに急務ですが、それには時間が、もうそんなにないということです。

 われわれ二人は数多くの切実な問題点を本書で訴えました。私は前書にひきつづき良きパートナーを得て、今この大切なチャンスに、時を移さずに貴重な提言を重ね、読者の皆さまに注意を喚起することが可能になったことを、喜びといたしております。

目 次

1章 正念場を迎えた日本の対中政策
2章 東アジアをめぐるアメリカの本音と思惑
3章 東アジアをじわじわと浸潤する中国
4章 やがて襲いくる中国社会の断末魔
5章 アメリカを頼らない自立の道とは

「西尾幹二・青木直人『第二次尖閣戦争』の刊行(一)」への6件のフィードバック

  1. 図体はデカイが国際情勢には無知な人間の集まる世界の片田舎(アメリカ)に住む私の手元に、先生と青木先生の「第二次尖閣戦争」はまだ届いておりません。したがって感想を書き込むことはできないのですが、宮崎正弘先生のメルマガで御新著への書評と今回公開なされた前書きを読んでたまらずコメントを書いております。

    第一次尖閣戦争当時、日本のマスコミは右往左往するアメリカの無様な対応(正体・詭弁)を報じておりませんでした。「第二次尖閣戦争」で論じられている政治・経済・外交はもちろん、軍事の現実も、日支両国の海軍の比較?戦争のシュミレーション?制空権?制海権?といった『大鑑巨砲主義』の発想が通じる時代はとっくの昔に終わっております。シナの軍事的脅威の変化とその本質を正面から論じる方は日本にはおられないのでしょうか?・・・唖然とするばかりです・・・軍事的に日本が今何をすべきかはこの脅威の変化を正確に把握することにかかっていると思います(注1)。
    <満州事変、未だ終結せず>と西尾先生がおっしゃる「尖閣戦争」を見て、米国在住の私が真っ先に思い出したのは<阿片戦争>であります。19世紀、シナが(ベンガル産阿片に比較して)低品質・低価格の阿片をメキシコ・アメリカ相手に輸出していたのはよく知られていることであります(注2)。国内の阿片乱用〔プラス銀流出〕と低品質阿片の輸出を禁止できない清国政府(注3)が、困り果てて、イギリスを悪者にしていきなり無法(暴力)行為を働いたのに対して、正当防衛をしたのがイギリス。それが『阿片戦争』の真相ではなかったでしょうか。フランクリン・デノボ・ルーズベルトの母方の祖父、ワレン・デノボをはじめとして、阿片貿易で巨富を得ていたアメリカが、この戦争を『アヘン戦争(Opium War)』と名づけてイギリスを悪者にしました(注4)。

    阿片戦争の『イギリス』が『日本』にすりかわる・・・ということを言いたいのではありません(十分ありえますが)。日本人のシナ・アメリカ観と現実のシナ・アメリカとの大いなる乖離は深刻な問題だということを言いたいのであります。西尾先生と青木先生の対談は、〔前著がそうであったように〕この日本の置かれた『現実』を〔具体的なデータをもとに〕正面から指摘しておられると思います。

    この阿片戦争の真相は、オーストラリアのタスマニア大学名誉教授のHarry Gelber 氏がHarvard大学で The ‘Opium War’ that Wasn’tというタイトルの講演を行い、いくつか著作を発表されていますが、私は、同教授に対するアメリカ人の激しい反発を大変興味深く見ておりました。黒船と阿片戦争の昔から、日系人排斥と大東亜戦争の時代を経て現在に至るまで、アメリカの本質は全く変わっていないと思います。何故日本人はアメリカという異文明に目を覚まし独立への道を歩もうとはしないのでしょうか?

    帝国陸軍士官学校・シベリア抑留・満州引き上げの家系に生まれた私は、曽祖父・祖父〔母〕からシナ人とは何か?ロシア人とは何か?骨の髄にしみこむほど叩き込まれて育ちました。今米国で見るシナ人、その本質は(曽)祖父母から聞いたシナ人と比較して全く変わらないと毎日思いながら暮らしております。西尾先生は『白アリ』という言葉でシナ人の本質を表現なさいましたが、私には現代日本人にその意味が通じるかな?と心配で(すら)あります・・・2日前まで国民党軍に手を振っていたのに、今日は八路軍〔パーロ〕を大歓迎する『白アリ』たちが日本人に何をしたのか散々聞かされておりますので・・・。今回のご新著、多くの方に読んでほしい・・・まだ読んでないお前にそんなことをいう資格はない、愚か者!と叱られるのは覚悟のうえで・・・と思っております。

    (注1) 私は、ここに引用する方(まんぐーす様)のように日米同盟を信頼などしておりませんが、
    『脅威の変化』は同氏のこのサイト http://crusade.blog.so-net.ne.jp/2012-10-08 に簡単にまとめられていると思います。同氏のブログ『東京の郊外より・・・』http://holyland.blog.so-net.ne.jp/ も引用しておきます。
    (注2) 困り果てたアメリカは、1909年、メキシコと中国を誘い、阿片輸入禁止法を施行。1914年には、ハリソン法を施行して、阿片などの麻薬の国内における製造・販売・摂取を全面的に禁止。これこそまさに、シナ・メキシコ・アメリカの阿片三角貿易の動かしがたい証拠であります。
    (注3) アヘン戦争当時、国内での阿片の医用目的以外の使用を禁止していたのは、日本とタイだけ。
    (注4) 軍事評論家・別宮暖郎氏のウェッブサイトに阿片戦争の真相の解説がありますので引用します。http://ww1.m78.com/sinojapanesewar/sinojapanese%20war.html

  2. すみません。大鑑巨砲主義は『大艦』巨砲主義の間違い。アメリカが、この戦争を『アヘン戦争(Opium War)』と名づけて・・・はアメリカが、この戦争を『アヘン戦争(The Opium War)』と名づけて・・・の間違いでした。

  3. 宮崎正弘氏の書評

    そうだったのか。中国人の行動様式は白アリなのか
      土台を食い尽くし他人の家を壊して知らん顔の自己愛主義

      ♪
    西尾幹二、青木直人『第二次尖閣戦争』(祥伝社新書)
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     或る会合の帰り、西尾さんからいただいた本書を、翌朝、羽田発熊本行きの全日空機機内で拡げた。飛行時間一時間30分ほど。睡魔が吹き飛んで一気に読み終えると機体は熊本空港に着陸した。
    まさに時宜を得た内容に溢れ、面白く、且つ有益だった。
    議論は多岐にわたり、もちろん尖閣問題のことが俎上にのっているが、西尾氏が大きく取り上げているのは満州問題である。
     つまり日中の対立は満州事変の延長にあるという歴史認識を前提にして論議が展開されている。
    石原莞爾と同期生だった長野朗は、戦前に多くのシナ研究の書物を著し、いずれもベストセラーになった。
     長野朗は或る著作のなかで「満州事変前の漢民族の満州侵略」をいうチャプターを設け、現在の東北三省(旧満州)は、もとより漢族の土地ではなく、「漢民族が侵略した土地」という歴史の真実を問うた。
     日本がでていく以前「清朝の時代に大勢は決していた」のであり、「蒙古人、朝鮮人、ロシア人、日本人が入ってくる前に、漢民族は白アリが建物の土台を食い尽くすように満州の台地に入り込んで、住み着いて、支配階級であった満州人を圧迫し、事実上そこを左右していた」
     シナ人は「生存するためには何でもする生命力を持っていて、利己的で、愛国心のかけらもないのだけれども、漢人として不思議な集合意思を持っていた。いまの中国人と同じです」(西尾)。
    すなわち「不思議な集合意思」とは「白アリ軍団のようなわけのわからぬ集合意思」だ、と西尾氏は本質を抉る。
    「膨張し拡大する白アリ軍団の進出には、理屈も何もないので、いわば盲目の意思があるのみである。満州事変は終わっていない」
    と続けるのである。
     評者(宮?)もかねてから主張してきたように、中国には「戦略がない」。あるのは、個人の、あるいは企業連合の、あるいは陸軍の、海軍の、総参謀本部の、それぞれの戦略らしきものがあるが、国家としての整合された国家意思がない。
    だから軍人タカ派は「尖閣を上陸して乗っ取れ」と獅子吼し、或る政治グループは「小日本など問題にするか」と唱え、太子党の大半は「日本から絞るだけ絞って儲ければ良い」と嘯く。
     レアアースが金になると言えば群がり、風力発電に補助金がつくといえば群がり、皆が反日だと言えば便乗して強盗、略奪をはたらく。まさに白アリ軍団であり、いやイナゴの大群であり、その瞬発的破壊力を前にしてはなす術もないのが、現実である。
     共産党ですら群衆の蜂起、暴動には対応しきれず、自らが白アリであるにもかかわらず、他の白アリ軍団の通過を待つという具合なのだ。
     尖閣戦争の論議はシナ人の本質を抉るところへ発展し、西尾氏の対談相手の青木氏は、その具体的データをずらりと本書でも開陳している。
              

  4. 西尾幹二先生 他のサイトが見つかりませんでしたので、ここで質問させていただきました。先生が訳された「ショーペンハウアー 意志と表象としての世界I」中公クラッシクス、p.105 第43節中のショーペンハウアーの発言に誤りがあるように思われます。「イデアとその現象である個物との双方は、[…]、プラトンがこの二つと並べてさらに質料Materieをわずかにこの両者と異なる第三者として持ち出した『ティマイオス』のは、」とありますが、プラトンが第三のものとしてこの著書の中で論じているのは、「コーラ」であり、それはmatrice(子宮、刻印する地の台)などと喩えられています。『プラトン全集12』、岩波書店、p.74. プラトンは又、「あるもの(イデア)」「場(コーラ)」「生成」とが、三者三様に、宇宙の生成する以前にもすでに存在していたのです。(同書、p.85)と言っており、「質料」は「生成」による現象「個物」である、と読めます。ショーペンハウアーがmatiriceとmaterieを読み違えているなどということはあり得ないでしょうか。

  5. 当方、ほぼ30年前にお茶の水で週一回、夕方から西尾先生の講義を受けた者です。以来先生の著作を全てではないにしろ、読ませていただいております。「第二次尖閣戦争」も先ごろ日本に出張した際に購入し、むさぼるように読ませていただき、今後の展開はさておき、現状に対する正しい認識を世にご提示いただいたことに溜飲を下げる思いでした。書中、一点だけ引っかかったのは、青木先生が「戦犯」という言葉を、日本のマスコミが誤用し続けるのと同様に「敗戦責任者」の意味でお使いになっていると読み取れる部分が、本書終わり近くにあることでした。GHQによる焚書同様、日本人の深層心理に持続低音の様に影響を与え続けているこの「戦犯」という単語の誤用は、日本人が誇りを持つことを阻害する仕掛けの一つであると認識しております。再版時には訂正されることを希望してやみません。

  6.  ご無沙汰いたしております。ただいま海外におりますので『第二次尖閣戦争』をいまだに落掌することはかなわないのですが、天長節に帰国後、すぐさま拝読し、こちらで得た新知見もあわせて報告したいと思っております。また先日長野朗に関する当地の研究書も入手しましたので、その批判も別に申し述べる所存です。こちらでは川に氷が張り始めましたが、何卒ご健康にはご留意なされて下さい。またお目にかかれるのを心待ちにしております。
                    霧の都・天津にて

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