「アメリカ観の新しい展開」(六)

 「アメリカ型正義で歴史が非人間的に」(西尾)
「戦争ではなく『警察行動』」(福井)

福井  『天皇と原爆』五十三ページですが、「私は先にアメリカは膨張国家だと言いました。しかしその膨張の仕方はロシアともイギリスとも中国とも異なります。アメリカは先ほど言った通り本当は膨張する必要がないのに、建国の理念、宗教的に自らを『正義』の民とするイデオロギーのために膨張せざるを得なくなっているのではないかとの疑念に襲われることがあります。いちばん厄介な膨張国家です」と書かれています。これは、先ほど紹介したトゥーヴェソンの『救済する国家』の内容と一致しています。アメリカが世界を救済するという宗教的信条が、アメリカの対外政策の背景に一貫してあるということです。

西尾 正義を売りものにする。

福井 そうです。リンカーンは南北戦争時、そう考えていた。逆に、だからこそ残虐になれる。大変立派なことをしていると信じているので、手段を選ばない。

西尾 南北戦争のリンカーンの正義の理念が、その後の世界の戦争の形態を残酷にしました。第一次世界大戦が終わったときに、「戦争犯罪」「戦争責任」という概念が初めて出てきて、ドイツ皇帝だったヴィルヘルム二世の訴追が言われ、彼はオランダに亡命せざるを得なかった。

 それでもアメリカは、何百人ものドイツ人を戦争責任者として摘発して裁判をすると言い出した。イギリスもフランスも大喜びで同調しましたが、ドイツは拒否します。それでもしつこく米英仏が言うので疑似裁判をしたけれども、結局、ドイツは証拠なしということですべて拒否します。これは筋の通った態度でした。  当時のドイツは、戦争はお互いの正義のぶつかり合いで、力の勝った者が領土を取ったり、賠償金を取ったりすることで解決しているのであって、道義的な正義の観念を持ち出すのは間違いだと言って拒否しました。まことに立派だった。

 ところが、それが、その後も繰り返される。アメリカは第二次大戦に参戦する前の一九四一年八月には、早くもそういう計画を立てている。大西洋憲章です。今度の戦争では二度目の戦争犯罪国ドイツを徹底的に法の名の下に、普遍的な人類の名において裁くと約束する。それが終戦後のニュルンベルク裁判として実現するわけですが、日本は関係ないのに側杖を食って東京裁判をやられた。そして正義と悪の対立関係を持ち込まれて裁かれ、それが日本悪玉史観として今もなお日本を縛っている。敗北者を法の名の下に裁くという発想は、リンカーンから始まっているんですよ。リンカーンの時代には、敗軍の将、敗れた南軍の南部連合国大統領デーヴィスに足かせをつけて、残酷な見せしめまでした。

福井 戦争ではなくて、「警察行動」だったんですね。お巡りさんと犯罪者。  

西尾 その発想はどこから来たのか、ということです。

福井 「自分たちが正しい」という宗教的信念に基づいているということを、『救済する国家』は半世紀近くも前に言っているわけです。決して西尾先生の極論ではありません。

西尾 その「犯罪者」に対する処罰は、どんどん、残酷になっています。大統領デーヴィスが足かせをつけられ、ヒトラーに対しては、そこにいるのが分かっている壕を爆撃せずに自決するのを待った。まだそれは、相手を認めているということでしょう。

 ところが、イラク戦争では、隠れていたフセインを穴の中から引きずり出す模様をテレビで流し、罵声を浴びせながら絞首刑にした。それもテレビで公開された。相手のトップに対する処遇は、だんだん非人間的になってくるんです。カダフィ大佐にいたっては、見つかった現場で射殺された。少年が撃ったということになっているけれども、歴史がアメリカ型の正義の名の下で非常に非人間的になってきていると感じますね。

『正論』12月号より 了

(プロフィール)  西尾幹二氏 昭和10(1935)年、東京生まれ。東京大学文学部独文学科卒業。文学博士。ニーチェ、ショーペンハウアーを研究。第10回正論大賞受賞。著書に『歴史を裁く愚かさ』(PHP研究所)、『国民の歴史』(扶桑社)、『日本をここまで壊したのは誰か』(草思社)、『GHQ焚書図書開封1~7』(徳間書店)。『西尾幹二全集』を国書刊行会より刊行中(第5回「ニーチェ」まで配本)。11月初旬に『第二次尖閣戦争』(祥伝社、共著)を発売予定。

 福井義高氏 昭和37年(1962年)京都生まれ。東京大学法学部卒業。カーネギー・メロン大学Ph・D。日本国有鉄道、東日本旅客鉄道株式会社、東北大学大学院経済学研究科助教授を経て、平成20年より青山学院大学大学院国際マネジメント研究科教授。専門は会計制度・情報の経済分析。著書に『鉄道は生き残れるか』『会計測定の再評価』(中央経済社)『中国がうまくいくはずがない30の理由』(徳間書店)、訳書にウィリアム・トリプレット著『悪の連結』(扶桑社)。

「「アメリカ観の新しい展開」(六)」への1件のフィードバック

  1. アメリカは余りにも若い。でもその国と誼を通じて行かないと日本は立ち行かないと考えます。

山本道明 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です