『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』(その二)

目 次

序に代えて ほら吹き男爵の死

Ⅰ 1989年
世界史の急転回と日本

Ⅱ 1789年
フランス革命観の訂正
侃侃諤諤、フランスの「自由」
勝利した「自由」こそ最大の悲劇

Ⅲ 共産主義の終焉
共産主義とは何だったのか
歴史の失敗と思想の失敗――東大五月祭での廣松渉氏との公開討論
ゴルバチョフが鄧小平になる日
ロシア革命、この大いなる無駄の罪と罰
ソ連消滅 ! 動きだす世界再編成と日本
動き出す世界再編成と日本
日本よ、孤立を恐れるな
フランス革命から天安門広場の流血へ
対中国外交をめぐる私の発言
天安門事件の直後に――日本の慎重外交に利あり
いまは天皇訪中の時期ではない
1970年代に見え始めていたイデオロギーの黄昏
小国はつねに正義か――小田実の論理破綻
不惑考――私が四十歳の頃

Ⅳ「再統一」に向かうドイツ人の不安な足踏み
1989年12月における私の見通し
ドイツ統一は今や時の勢い
消えてなくなるはずのない東独人の東独愛国主義
統一ドイツの十字架
旧共産圏の人々のGefühlsstau(感情のとどこおり)
ギュンター・グラスと大江健三郎の錯覚

Ⅴ 自由の悲劇
第一章 自由の衝撃
第二章 自由の混沌(カオス)
第三章 自由の教義(ドグマ)
第四章 自由の砂漠
第五章 自由の悲劇

Ⅵ 自らを省みて
政治家の顔
試される日本
日本人のなけなしの自我合意社会日本の落し穴
欧米の傲慢は外交を考える前提である
アングロサクソンの後始末をしている地球
ポール・ケネディ『大陸の興亡』を読む
空漠たる青年たち――「左翼のニーチェ主義化」(アラン・ブルーム)
教養の無力を知った時代

Ⅶ 難民時代と労働力
当節言論人の「自己」不在――猪口邦子氏と大沼保昭氏と
日本を米国型「多民族国家」にするな――石川好君、皮膚感覚で語る勿れ
人手不足は健全経済の証拠
外国人単純労働者受け入れは国を滅ぼす
受け入れ是非に米国の干渉を許すな――「ニューズウィーク」批判
外国人技能実習と指紋押捺全廃の問題点
元シンガポール大使に苦言を呈する

Ⅷ「労働鎖国」のすすめ(1989年)
第一章 労働者受け入れはヒューマニズムにならない
第二章 世界は「鎖国」に向かっている
第三章 知識人の「国際化コンプレックス」の愚かさ
第四章 日本は二十五億のアジアに呑み込まれる恐れがある
第五章  労働鎖国」で日本を守れ
あとがき
私の最後の警告――文庫版まえがき(1992年)

Ⅸ 新稿四篇
自民党「移民1〇〇〇万人」受け入れ案のイデオロギー(2008年)
外国人地方参政権 世界全図――中でもオランダとドイツの惨状(2010年)
中国人に対する「労働鎖国」のすすめ(2013年)
トークライブ「日本を移民国家にしていいのか」における私の発言(2014年)

追補
孤軍奮闘の人              長谷川三千子
『「労働鎖国」のすすめ』について       西部 邁 

後記

「『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』(その二)」への1件のフィードバック

  1. 山形 明郷著『邪馬台国論争・終結宣言』

    18)西尾 幹二著『国民の歴史』(扶桑社)と 山形史観

       平成11年10月30日、産経新聞ニュースサービス発行、扶桑社発売、
      「新しい歴史教科書をつくる会」編、西尾 幹二著『国民の歴史』が、
    発売後三ヶ月の間に70万部を突破する売れ行きで大ブレイク致しました。

       その、「7章 魏志倭人伝は歴史資料に値しない」は次のように書き
      始められています。

      【 『魏志倭人伝』は日本の内情に関する唯一最古の文字文献として、
        敗戦後の日本古代史研究に猛威をふるってきた。この書が示す邪馬台
        国の女王卑弥呼の三世紀前半における実在を前提として、大和朝廷の
        位置や年代が左右されてきたからである。
         私には不思議でならない。
         尊重されてきた理由は唯一最古の文字文献だからだが、まったく同
        じ理由から、私はこの文書は歴史資料としての価値がほとんどないと
        信じている。その所以を説明するのが本項の主題である。…………… 】

       
       この『国民の歴史』の第7章が、従来の「魏志倭人伝」二千文字一辺倒
      の我が国・歴史学界やマニアの人たちに与える衝撃は、確かに今までにな
      い画期的なものであると評価することが出来ると思います。
    しかしながら、残念なことに、それ程大きな変革へのダメージやエネル
    ギーを、この章に期待することは出来ません。

       何故ならば、

         1)この書は、「通史」としての日本史批判・宣戦布告書であり、
         2)その第7章は、
           言はば頑迷固陋な我が国・歴史学界に大きな風穴を空けるべく、
           従来の「魏志倭人伝」のみに依存し、そこから出発・発想して
           いる我が国のお粗末極まりない「古代史・研究方法」を糾弾し、
         3)「魏志倭人伝」の信憑性の低さの理由を〈説明〉することに、

      その第一の任務があると思えるからです。

       しかし、この「魏志倭人伝からの訣別」という提言は、
      本来、《論証の結果として導き出されるもの》であり、
      結論の導き出される論証以前に掲げ、説明されるべきはずのものではあり
      ません。

       『邪馬台国論争・終結宣言』の著者・山形 明郷氏の様に、

        1.古代東アジア史を、その第一ページの「古代朝鮮」の所在地確認
          から徹底的に「定説」を検証し直し、
        2.それに続く、誤っている古代東アジア史の、その実像を正確に描
          き変え、
        3.その結果の結論として、
          古代東アジアの史実・実像に比較し、日本古伝と称される「魏志
          倭人伝」の存立根拠が全くの皆無であり、
        4.しかもこの「魏志倭人伝」が史実究明に対し、いかに妄誕(もう
          たん=デタラメ)を生じさせる元凶そのものであるのか、

      という、独自の三十年近い研究テーマの論証を根拠とすることによって、
      はじめて、「魏志倭人伝からの訣別」を主張することが出来るのではない
      でしようか?

    又、西尾 幹二氏は、平成10年6月7日のシンポジウムにて、次のよう
      にも発言しております。

      【   邪馬台国論争があります。私はあまり巻こまれたくないと思って
         いるんですけれども、簡単にいえば、こう思っています。邪馬台国
         は間違いなく九州だと思います。そして卑弥呼の邪馬台国よりも、
         百年か二百年前に邪馬台国の原型があって、恐らく吉野ヶ里遺跡の
         あたりか、あるいはかなり離れたところに将来、巨大な遺跡が発掘
         されるのではないかと思っています。それは推測ですけれども、と
         にかく大もとをなす国が邪馬台国の前にあって、それが何度にもわ
         たって東へ移ったのではないかと思います。
          それのなかの一派が神武東征の物語だと思います。したがって卑
         弥呼はすでに出来上がっていた王権の留守部隊だというのが私の大
         体の推理であります。ただ、そこに至るための論証はまだできてお
         りません。実証的な研究も私はまだ積み重ねておりませんので、今
         日はこの程度の私の推理に留めさせていただくことにいたします。 】

       更に、『文芸春秋』 ’00・2月号の〔『国民の歴史』大論争〕という鼎
    談にて、
    【 ………日本に来たらしい使者は北九州の玄関口より中へ入ってい
         ない。邪馬台国を訪れてもいない。………         】と、
      中国の使者が北九州の玄関口まで来た、と認めています。

       以上、二つの引用内容は、従来の「定説」の域を一歩も超えるものでは
      なく、その上、歴史資料に値しないとしているはずの『魏志倭人伝』を、
      根拠として少なからず敷衍しているものであり、明らかに、論理の根本的
      な大きな矛盾を犯しているのではないでしょうか?

      三百年を超える難問に敢然と意欲的に取り組み、その結果として、固定
      化してしまっている「定説」をその根底から全面否定し、前人未踏、三百
      年間初の明快な解答を、強烈に提示する「山形史観」の現段階までに、未
      だ『国民の歴史』の歴史観は到達していないのだと言えましょう。

       この古代東アジア史・日本史上の妄誕を衝き、更に、これを潰滅させる
      「山形史観」には、東アジア・日本の「古代史学再構築」へ向けての厖大
    な量のエネルギーが秘められています。

    しかしながら、この厖大な量のエネルギーを有しているにもかかわらず、
      《新羅の韓半島統一(7世紀)以前の「倭国」が即イコール「日本」では
      100%あり得ない、従って、「邪馬台国」の所在地を「日本列島」内と
    することはナンセンスである 》という、
      一般の常識的日本人にとってかなりショッキングな「山形史観」の結論を、
      すんなりと受け入れ、その信憑性の高さを確信することが出来る日本の知
      識人の数は、
      冷静に判断して、未だ未だ、人口百万人に一人以下の著しく低い存在確率
      でしか望むことが出来ず、日本全体でプロの学者も含め、せいぜい、僅か
      百人に満たない程度でしかないと思われます。

       この理解者数の確率の低さは、「山形史観」の信憑性の低さを示してい
      るものではありません。

       理解すべき研究者の、ほんの一部の人たちが、今、『国民の歴史』も主
      張している「魏志倭人伝からの訣別」段階にやっと進みかけ始めたステッ
      プ上の、〔混乱の真っ只中〕に在り、
      三百年来刷り込まれてしまっている「魏志倭人伝」の呪縛から未だ完全に
      覚醒することが出来ずに、進むべき的確な方向を見失っている状態にあり
      ます。
     故に、更にその上の次元である「山形史観」を理解する最終段階にまで
      到達するには、研究者自身の方に未だ未だいささか時間がかかるというこ
      とです。

       以上のことは、次の事実を冷静に踏まえ考えてみれば、どなたにでも納
      得して戴けるものと思えます。

       中国と日本との文化交流は、7世紀、日本の遣隋使派遣に始まります。
      この遣隋使始まって以来、日本人の著した「歴史書」で、
        
        ・ 中国大使館の公式ルートにのり、
        ・ しかも中国・北京大学から、
        ・ 「超歴史大国」の本場・中国の「歴史学者」に、
          翻訳して読ませたい。
        ・ 更に、
          著作等身 ― 著者の身長と同じ高さに積み上げた“金塊と同等の
    輝かしい価値”を有する論証です。

      と論評・評価された著作が一冊でも現実に存在したであろうか?

    その逆は無数に存在するであろうが、恐らく「日本人の書いた歴史書」
    では空前絶後であろう。

    この 山形 明郷 著『邪馬台国論争・終結宣言』は、日本国民にとって、
      1400年間に一冊の、自分たちの、まさに「歴史的」歴史書である。
       

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