『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』その(三)

西尾先生の指示により、長い文章ですが、切らずに掲示します。(管理人)

坦々塾会員 浅野正美

全集第十一巻自由の悲劇の感想

 先生の全集も前回の配本で半分が刊行されて、今回の第十一巻「自由の悲劇」で折り返しを向かえることになった。どの一冊も原稿用紙二千枚になんなんとする大冊である。

 本巻では、89年に起きた世界史上に特筆される政変劇、特にそのことを象徴する出来事の名をとって単に「ベルリンの壁の崩壊」といわれることもある共産主義の終焉と、人間にとって「自由」とは何かを突き詰めた考察、そして「労働移民」の問題を取り上げた論文が並んでいる。私は届いた本の目次を改めて見て、大きく三つのテーマを扱った巻だと考えて読み進めていったのだが、途中からその認識は過っているのではないかと疑うようになった。つまり、この三つは相互に関連し、因果が結びついた問題ではないかと考えるようになったのだ。89年の事件に驚愕し、思考を強制させられた人は多いと思う。当時の私は二十代があと数十日で終わるという、若くて未熟な年代に属していたが、あの日の衝撃は未だに忘れることができない。あの夜、だれとどこでお酒を飲んでいたかということまで、はっきりと覚えている。NHKのニュースでインタビューされた西独に住む老婆が、「絶対に起こらないと思っていたことが現実になった。もうこの先私の人生で何が起きようと、決して驚くことはないだろう」と語っていた言葉も強烈な印象として残っている。先生も同じ趣旨のことを後書きで書いている。

 指揮者のL・バーンスタインは確かドレスデンだったと思うが、ベートーヴェンの第九交響曲を指揮し、第四楽章歓喜の歌では歌詞の「フロイデ(歓喜)」を「フライハイト(自由)」と言い換えて演奏した。あの当時は、自由の勝利を称え、世界全体がそのことを無邪気に祝福するお祭り騒ぎに浮かれていたような印象がある。

 少し私事をお話させていただくことを許していただきたい。「壁の崩壊」からかなり時間が経ってからだが、私はどうしても東欧の国々を見て歩きたいと思い、ウィーンに飛んで、ハンガリー・ルーマニア・チェコを駆け足で回った。その中でも特に行きたかったのがルーマニアだった。本書にも書かれているように、当時大統領だったチャウシェスクとその妻は、民衆の激しいデモと国軍による攻撃によって無惨な最後を遂げた。このときの様子は連日テレビで放映されていたので、今も記憶している人が多いのではないかと思う。ルーマニアの「反革命」暴動は、最初北部の街ティミショアラから始まり、この街でも銃撃戦によって市民の中から多くの犠牲者が出た。そして、私が訪れた時には、そのときの痕跡を示す弾痕一つ見当たらなかった。やがて騒擾は首都のブカレストに飛び火して一層拡大し、夥しい犠牲者を生んだ。ブカレスト郊外にある広大な英雄墓地には、この闘争で亡くなった人たちが埋葬されていた。すべてが個人墓だった。墓石には生年と没年が刻まれていた。いうまでもないが、どの墓の没年も1989年である。私は総てのお墓を巡り、それぞれの犠牲者が何歳で亡くなったのかと計算して回った。なぜか。日本の報道では、若い学生や労働者が自由を求めて立ち上がったと伝えられていたからだ。そこに私は「安保」の光栄を懐かむ懐古趣味というか、郷愁の念のようなものを感じ取っていた。

 実際にこの墓地に眠っていたのは、まさにありとあらゆる年代の人たちだった。そこには0歳の乳児から相当な高齢者までがいた。

 その夜、オペラ座で「椿姫」を見た。切符売り場の窓口では英語が通じなくて、切符を買うのに大変な難儀をした。そうだった、共産圏では一部のエリート以外英語教育を受けられなかったんだ、ということを思い出した。たまたま列に並んでいた中に英語を話す人がいて、助けてもらった。演奏はオーケストラも歌手もひどい水準だった。優秀な人ほど、その能力で自分を高く買ってくれる海外の歌劇場に転身したのだろと思った。こんなところで資本主義の論理を実感できたことが可笑しかった。それでも社会主義時代の遺風だろうか、入場料は信じられないくらい安く、劇場で飲んだグラスワインの方が高いほどだった。この旅では、時間の都合で発火点であるポーランドにも、壁があったベルリンにも行かれなかったが、自分の中ではこれで共産主義のお弔いが済んだという思いだった。それから何年か後、モスクワに行った。美しい街だと思った。サンクトペテルブルク(旧レニングラード)はもっと美しいと、現地の人から言われた。新宿の路上でドイツ人の若者が、ベルリンの壁の欠片を売っていたので買ったこともあった。本物の証拠にと、壁に登って叩き割っている写真がおまけでついて来た。このコンクリート片は今も書棚に飾ってある。

 長々と思い出話を書いてしまったが、私にとってもこのときの体験(壁の崩壊)がいかに衝撃的だったかということを分かっていただきたかったからだ。もうこの先、どんな事件が起ころうとも、それに触発されて外国に行くなどということは絶対にないと思う。

 まだ刊行されているのは1・2巻だけだが、「昭和天皇実録」を読んで改めて感じたことは、昭和天皇の御生涯には実に多くの戦争が起こったという単純なことだ。御幼少の砌であられた日露戦争に始まり、第一次世界大戦、満州事変、支那事変(日支事変)、大東亜戦争(第二次世界大戦)、そしてその帰結である東西冷戦。まさに戦争の御生涯といっていい。東西冷戦の時代、西側諸国は繁栄を極め、平和を謳歌していたが、第二次世界大戦終結によって新たに形作られたその世界秩序は、冷戦終結によって見事に崩壊した。昭和天皇はそれを最後まで見届けることなく崩御されたが、この1989年という符合には、偶然では済まされない意味があるように考えてしまう。それは「壁の崩壊」がフランス革命から200年後に起きたと本書で指摘されている符合とも重なり合うのではないかと思う。

 先生がこの巻のタイトルを「共産主義の終焉」でもなく、「労働鎖国のすすめ」でもなく、あえて「自由の悲劇」としたところに、私は先生が伝えようとした問題の本質をくみ取ろうとした。あるいはこれは私の誤読(誤解)かも知れないのだが。

 先生は本書で、「共産主義の終焉」によって、歴史の進歩主義や人類の歴史におけるフランス革命の必然性という論理展開が完全に破綻したことを丁寧に説明している。本文から引用するのが一番分かりやすいと思うので、これ以外にもいくつかの重要なテーマに絞ってできるだけ多く先生の言葉を引用しながら進めていきたい。

『だからこそ久しい間、ブルジョア資本主義社会が打ち倒されて、プロレタリア独裁の共産主義社会が到来することが、「歴史の必然の法則」と呼ばれて来たのである。そして、その法則に従って、過去の歴史が解釈されてきた。とりわけブルジョア資本主義社会に道を開いたフランス革命に代表される市民革命が、共産主義革命を準備する前段階として評価され、位置づけられて来たのだと思う。(略)そもそも歴史に必然など存在しない。未来の一切は原理的に人間の認識の外にある。未来を限定して考える必然論は、人間が歴史の自由な創造者でもあるという大切な側面を無視した、思考のいわば放棄である(257p) 』

『「歴史の必然の法則」のドグマとは、フランス革命はロシア革命の前史にすぎなかったのである!フランス革命は次に起こるべきロシア革命準備段階として位置づけられ、それによってようやく意義を獲得していたにすぎない。二十世紀にはこのような見方が支配的だった。しかし二十世紀も終わりに近づいて、ロシア革命の有効性が疑われだした。ソ連や東欧は自らの革命を否定した。地球上の他の諸地域において、フランス革命のような市民革命を超克するプロレタリアートのための次の革命はもう起こらない、ということになれば、二十世紀を通じてのフランス革命の意味づけも、根本的に修正させざるを得ないことになってくるであろう。(259P)』

『そもそも否定されたのは「歴史の必然」という考え方である。普遍的なモデルを先行させて考えるあらゆる予見論が誤りとして否定されたのだ。(260P)』

『フランス革命のもたらした「自由」は必ずしも普遍的価値ではなく、南ヨーロッパ・カトリック地帯に起こった風土的精神現象、ローカル現象という一面もあるのではないか。(260p)』

 もう一つ私が感心し驚いたのは、この時点(1989年)ですでに、現在世界のあちこちで起きている混乱と紛争を予言していることである。

『ヨーロッパ流の「近代的自由」の勝利であり、やがて地球の隅々まで「近代的自由」は普遍価値として拡がるであろう、と言う人が多いが、私にはそうは思えない。イスラム世界は堡塁を守り続けるだろう。中国も「近代的自由」とは必ずしも一致しない異質の世界として残るだろう。「近代的自由」の最も良き理解者は日本だが、それでも完全には一致しない。世界は多元体制としての姿を明らかにするだろう。(76P)』

『ソ連の最大の悩みは他民族問題だが、そのコンフリクトの凄まじさは、米ソ両超大国のイデオロギーの覇権争いが終わった後で、地球上で起こる争いの最たるものが何であるか、人種、言語、宗教のコンフリクトこそが二十一世紀の命運を左右するのではないか、という反省をわれわれに蘇らせた。(295p)』

『国際社会で「教義」を持つ文明同士の争いを前にしたとき、日本の特性は無力を露呈する。長所を長所としてどこまで守りきれるか。抽象性を欠く道徳は、自由へのラディカルな情熱を持たないがゆえに、他人の情熱も見えないがゆえに、対策を誤ることにもなりまねないであろう。(343p)』

 まさに二十一世紀の今、人種、言語、宗教のコンフリクト(衝突・対立)が世界の命運を左右する情況となっているではないか。私たちは今、この論文が書かれた時点ではなくて、四半世紀が過ぎた時点で読むことができたために、先生が怜悧に現実を見据えた末に辿り着いた先見性の正しさに改めて驚愕することになる。世の中に、未来を予測する人は多いが、その多くは耳目を集めるための言説が言いっ放しにされているだけであり、検証もされなければ、例え現実がそうならなかったとしても、言った本人も何一つ反省などしない。

 もう一つ、共産主義が完全に否定されたにも関わらず、わが国では相変わらず左翼的な言論が一向に衰えを見せないという奇観というよりも病理的な現象が衰えを見せない。のみならず、それが正義であり優しさであるという共同幻想すらある。

 大衆がその意思決定において判断の拠り所とするところといえば、

『現代の世相は新聞・テレビに動かされ、あるいは知識人、評論家、大学の教師、ジャーナリストに動かされ、これとは正反対の方向の自由ばかりを-私に言わせれば真の自由からの逃走を-しきりに声高に唱える時代を向かえている。(360p) 』

 それだからこそ、こうした立場にいる人の発言には社会的な責任が伴うべきだが、現実は果たしてどうであろうか。

『ドイツでも日本でも、政治主義者の不幸とは、骨の髄まで空想家でしかないのに、自分では現実化だと思っているところにある。(215P)』

『考えてみれば日本の戦後史もこの手の知識人の空しい言論の墓場であった。(略)進歩的な知識人たちは、未来を口にしながら、つねに過去しか視野の中に入れてこなかった。(221P)』

『彼らには学問上の知識はあるが、判断力はなく、知能は高いが、知性のない人たちなのだ。彼らの呪いのヴェールを破り、裸形の現実をありのままに見るようにならない限りこれからの日本も世界も浮かばれないだろう。(747P)』

 なぜ彼らは破綻した共産主義という悪夢にいつまでもすがりつくのか。

『日本のマスコミや知識人は、なぜCommunismを紛らわしくも「社会主義」と訳すのであろうか。そのわけはCommunism の体制とそれ以外の体制との間の深い、決定的な溝を直視したがらない曖昧で無自覚の国民性とCommunism の体制を心のどこかで救いたい、その最終的な敗北と失敗を認めたくないという深層心理と結びついたきわめて後ろ向きの退嬰的心情のなせる業と思われる。そして、スターリン一人に悪役を押しつけ、Communism に期待した自分の過去の不明から目を逸らし、自分の善意と正義心を泥沼に沈めたくないという自己欺瞞に外ならない。(245P)』

『マルクス主義が知的モードとなった二十世紀の初め頃から、人は素直に現実を見ようとしなくなった。民衆のエネルギーによる「下からの市民革命」を近代社会成立の前提条件と考え、各段階を乗り越えたうえでプロレタリア革命が最後の矛盾を克服していくという歴史の必然的発展段階説を信仰するようになった。(311p)』
『明治天皇制を、フランス革命以前のヨーロッパの絶対主義と規定したのは、1932年のコミンテルンから日本共産党に与えられた運動方針の一つであったようだ。日本の学会は、講座派理論と大塚史学に代表されるように、この運動方針に盲従した。なんというばかばかしい迷信が日本の学問を支配し、呪縛していたことであろう。(313p)』

 そんな彼らだが、自らの不明を恥じることもなく、深い精神的な煩悶に悩まされることもなく、実に平然と、いやあっけらかんとすらしている。

『自国をできればコミュニズム体制に近づけたほうが良いのだ、と漠然と思ってきた人々は、大学社会や文壇・論壇や新聞社・出版社に数知れないほど存在していたことを、私は決して忘れてはいない。私が疑問なのは、彼らがいまほとんど動揺もしていない事実である。二十世紀を悩ませてきたロシア革命の理念の、七十年余にしての破産を前にして、本来なら彼らは、東ドイツの人々と同じように放心状態に陥るか、羞ずかしくて人前にも顔を出せない心境になるべきはずのものであろう。(232P)』

 では、人間の複雑性に関して誰よりも鋭敏であるべき文学者はどうであろうか。先生はドイツのギュンター・グラスと大江健三郎の発言を引用しつつ、このように批判している。

『少なくとも「ベルリンの壁」の開放に関するかぎり、ソ連の政策の一大転換が、すべてを決定したのであって、民衆の力は相対的に小さい。グラスは「革命」などという言葉に浮かれているだけで、歴史の底流を動かす力学がまるで見えていない無知を暴露指している点では、日本の進歩的文化人と瓜二つである。(217P)』

『詩的なヴィジョンによって現実が変化するのではない。あくまでも現実的な要請が変化を生み出しているのだということに彼らはもっと留意しなければならない。(226P)』

『「自我の幻想性」と私が呼んだのは、世界中において自分の置かれた位置の認識ができていないことを指す。詩的なヴィジョンで政治に変化を期待する-そしてその無効性と自己欺瞞に永遠に気がつかない-グラス型の文学者は日本にも少なくない。(227P) 』

『文学者が自国の歴史を実際以上に暗黒化して、自分のみを美しい良心の徒に仕立てるという、いい子ぶっている動機が透けて見えるので、文学者らしからぬ、心理的複雑さの欠如というほかはない。(229P)』

 マルクス主義が生まれた背景とは何か。

『マルクス主義はもともとドイツ人がフランス革命よりもさらに徹底した、時代の先を行く革命を実行することで、フランス近代を追い抜こうとする底意を秘めた思想だという一面があるのである。(略)ユダヤ人のメシアニズムの系譜を引くマルクス主義には、千年王国を実現するための弱者の怨恨感情が流れている。遅れたもの、弱いものの暴力による一瞬にしての失地回復と永遠の至福の達成―マルクス主義のこのモチーフは、選民としてのユダヤ人の復讐感情(ルサンチマン)と無関係とは言いがたい。(161P)』

 そしてそれが目指していたものとは、本当に資本主義とはまったく正反対の概念であったのだろか。先生の認識はひたすら深い。

『東側の共産主義体制が自壊していくのを目の当たりに見ながら、両体制は政治制度的にはたしかに対立していたが、精神的には両者の間に本質的相違はなかったことを、あらためてここに確認する。なぜなら、どちらも物質の自由、産業や技術の向上発展への期待、地上の楽土建設への夢を求めてきた点では同じであって、ただそれにいたる手段や目的に相違が認められたにすぎない。(366p)』

 あの当時、共産主義の終焉は「自由の勝利」と讃えられた。ではその自由とは何か。果たしてそれは普遍のそして至上の価値なのか。

『フランス人にしても、ドイツ人にしても、「自由」のドグマによって現実には不自由に陥っている。しかしそれがヨーロッパ人の生きて行くために必要な掟であり、戒律であり、生の形式なのだと私は思う。(89P)』

『「自由」のドグマによって欧米が実際に陥った不自由とはいかなるものであろうか。
それでもなおアメリカは、自由競争のこの原則の旗を下ろすことはあるまい。なぜなら「自由」はこの場合、ただの理想でも、目標でもなく、いわば一個のドグマだからである。ドグマはここでは「独断」と訳されるべきではない。「教義」と訳されるべきである。一つの掟であり、定めであり、言ってみれば戒律である。どんなに不便でも、掟であれば従わないわけにはいかない。これなくしては、国家社会が成り立たず、ばらばらに解体してしまうようなもの、それがドグマだからである。(300p)』

 イスラム教徒の生徒が、戒律で定められているスカーフを着用して登校したことで大論争に発展したフランスでは、

『外から見ている限り、何ともはやばかばかしくも、みっともないコメディーに見えるが、当のフランス人自身は目の色を変えんばかりに切実な面持ちで、真剣である。自分で自分に課した「教義(ドグマ)」に縛られて、身動きできなくなっているからである。なにしろ、ドイツのように、教育の現場に宗教の表徴(しるし)を平気で持ち込むのは、ドイツの「後進性」の表れだと、フランス人は傲慢に解釈し、それが彼らの年来の自負心になっているから始末に負えない。その結果、自分たちの自由も、外国人の自由も、ともに制限せざるを得なくなっていることには気がついていない。(309p)』

『ドイツ人は、学問の選択の自由、研究の自由は、どんな大衆民主主義の時代になっても完璧な形で守らなければならない、という「教義(ドグマ)」に取り憑かれているようである。かりに医学を学びたいという学生がいたとしたら、彼を選抜試験によって門前で追い払うのは、「選択の自由」の原理原則に抵触すると考えるのである。(320p)』

 私たちの感覚ではもはやあっけにとられるばかりである。しかしこれが彼らのパラダイムなのだ。だから彼らにとって日本は永遠に異質の国である。

 

『日本の小学校の朝礼を見て軍国主義といい、日本の労働者を見て会社への封建主義的忠誠心に生きていると頭から決めつける、あのヨーロッパ版「日本叩き」は、ヨーロッパ社会が個人、自由、孤立、プライヴェートの諸価値を、今ではイデオロギーとしてしまったことのいわば裏返しであり、反証なのである。(286p)』

 先生は繰り返し、普遍などなくあるのはローカルな価値だけであると説く。そして、人間は本当に真の自由を欲しているのか、さらにそれに耐えうるのか問う。

『われわれ自由主義体制の人間は、余りにも広く開かれた「自由」の情況の中で、自分というものを維持していくワク組の喪失に悩んでいると言いかえてもよい。そのため、選択の自由は無限にあるのに、何をして良いかわからない。(略)この広い空間の中に自分を維持してくれるワク組が存在しないので、敢えて意図的に小さなワク組を自分の周りに作る。われわれの活動は多かれ少なかれ自閉症的にならざるを得ない。(254P)』

『妨げとなる障害を打破し、自由や平等の拡大を求めてきた結果、この方向をどこまで進めても、人間は自由にもならなければ、平等にもならないという事実にあらためて突き当たる。(340p)』

『何らかの自由の制限なしでは、自由の社会制度そのものも成り立っていかないことは、常識が教えている。しかし、世間が撒き散らしている「自由」の幻想の中では、常識はややもすると時代遅れにみえ、非常識が似非ヒューマニズムの仮面を被って大道を罷り通る。(361p)』

 そもそも、ヨーロッパが育んだ風土・思想・宗教とはいかなるものだったのだろうか。

『われわれは西洋的なヒューマニズムの発生の根源が、孤独と絶望と断念の思想に接していることを知らなければならない。孤独のないところには、人間相互の高度の理解というものも生まれないのである。したたかな自己象徴のせめぎ合う世界にしか、たくましい自己犠牲の宗教が生まれるはずもないだろう。(270p)』

 そして神の死によってもたらされた精神の荒廃とはいかなるものか。

『「もうひとつの縦の垂直の軸」に頼って、すなわち自分の心の内部に問いかけるだけで、横の相対的な関係軸を捨てても安心して生きていける生き方の「型」のようなものだけはまだ残っている。けれども、残っているのは型であり、形式であり、ポーズだけであって、「垂直の軸」の上方には本来は「神」があるはずなのに、じつは何もなくぽっかり空洞があいているに過ぎないのではないか。(略)内心の神に許されたと称して、果てしなく堕落することが起こり得てくる。(285p)』

 再び問う。人は自由な存在なのかと。何ものからも自由であるなどということが果たして可能であろうかと。

『人間は一個人であれ、一民族であれ、この地球上に自分の条件を背負って存在している。障害を持って生まれた個人もあれば、資源や気象条件に恵まれない領土に住む民族もある。そこまで敢えて言わなくても、個人の生涯は彼がこの世に生を享けたときに八割方決定されていると言ってもいい。民族の歴史にしても同様である。しかし、二割から三割くらいはその後の努力に任されている。(349p)』

『人の心は希望の方にばかりどうしても傾く。自由の幅を二割から三割に、三割から四割に少しでも拡大する方法にばかり意を注ぐ。周りの環境もそれをしきりに応援する。しまいに錯覚が生じる。そして、もともと七、八割は最初から制約され、条件づけられていたのだという自らの宿命は、次第に忘れられてしまうのである。(349p)』

そして先生はさらに恐ろしい現実を直視する。それは人間にとって最大の不自由とは何かという問題である。

『山の中腹を切り拓いて開墾はできても、山を動かすことはできない。この場合、どうしても動かない山とは何か。それは自分というものである。弱いものも強いものも、才能のないものも、女性も男性も、誰しも自分というものの限界の中に生きている。(350p)』

『人間にとってどうにも解決のできない困難な相手は、社会的・政治的な課題ではなく、自分という存在に外ならない。自分ほど困った、厄介な相手はこの世にない。(351p)』

『一番手に負えないのは自分という存在である。自由を妨げているのは自分であって、自分の外にある社会的障害ではない。何度でも言っておくが、そのような自分と闘うことから真の自由が始まる。障害と闘うことはなんら自由を意味しない。(352p)』

『百人のうち九十九人が、悪いのは自分ではなく、社会の制度や仕組みに問題があるのだと、自分の外に敵を見つけ、「自由」の不足を恒常的に意識するように教育されてきた現代では、そもそも「自由」であることそれ自体が人間の悲劇であり、何人もそう容易に「自由」であることに耐えられはしない、と深く認識させのは、聖書ではないが、駱駝が針の孔を通るよりむつかしい。(360p)』

そんな人類が到達した世界観を先生はこう述べる。

『われわれの体制にももちろん巨大な悪がある。しかし1989年に人類は、そもそも最善の体制は存在しないので、最悪の体制よりは次善の体制を選ぶ、ということでついに合意を得たのではないかと私は考えている。(234P)』

『1989年のゴルバチョフによる幕引きのドラマは「近代的自由」の導入が理想として後に立つ最大の地域がまだ残ってはいたが、今度の事件で消滅し、このあと「近代的自由」は、最終的に勝利するのではなく、標的を失って、新しい試練に直面するであろう、ということを意味するのである。(323p)』

『共産主義のような偽の自由のイデオロギーにも惑わされず、他のいかなる心地よい理想にも幻影を抱かず、時間的にも空間的にも何もない地平に、そうと承知して生のつづく限り現在を静かに、冷静に立ち尽くしているということ-この単純なことが人間には簡単にできないのである。(739P)』

論文の末尾はこう結ばれている。

『光はいま私自身をも包んでいる。なぜなら、私は自由だからである。しかし、光の先には何もなく、光さえもないことが私には見える。なぜなら、自由であるというだけでは、人間は自由になれない存在だからである。(367p)』

 非常に視覚的な、その映像が目に浮かぶような文章である。これは虚無だろうか。否、私はただ、「現実を直視せよ」ということではないかと理解した。
本書において先生は、複雑極まりない人間のことを知ろうと思ったら、少なくとも若いときに大文学と格闘せよと書いている。まったくその通りだと思う。歴史も未来も、それを描くのはただ人間の営みだけである。人間がその内面に抱える底なしの沼のような闇、その悪を受け容れなければ人間理解など到底叶わないだろう。世にはびこる偽善とお為ごかしからは、真実は何も見えてこない。悲しいかな、すべての人間が自分で思考し、自分で判断することができるほどに、大衆の知性レベルは高くない。先生も指摘しているように、多くの国民は、何の批判精神もなく、疑うことも知らずに、新聞やテレビを通して伝えられる意見や映像を通してただぼんやりと流されていく。

 大衆の混迷は国家の混迷に直結するが、その根本にあるのは、世論を形成する知識人問題であると先生は訴える。国家も個人も、いざとなったらエゴイストになる覚悟が求められるのだ。きれい事と人の善意をあてにするだけのお人好しで、相手もきっとそうであろうなどという甘えは世界では通用しない。
共産主義の七十年にわたる壮大な実験と失敗とは一体何であったのかという問題は、この二十五年間私の中で常に付きまとっている問題だった。特にそれがついに終焉を向かえた瞬間に、同時代人としてそこに立ち会えたということは非常に大きかったと思う。

 ロシアの作曲家、ショスタコービッチの交響曲11番は、1905年1月9日の日曜日に勃発した「血の日曜日事件」への鎮魂歌である。極めて乱暴ないい方をしてしまえば、このときの皇帝に対する不信が、十二年後のロシア革命への狼煙となったといってもいい。1905年は明治三十八年にあたり、日露戦争が終結した年でもある。日本は当時戦況を有利にするための後方攪乱として、ロシアの蜂起陣営を支援していた。だから、もう一度乱暴ないい方を許してもらえるならば、ロシア革命においてわが国は、その実効性はともかくとして、革命側を側面援助したということになるのである。

 フランス革命という母親から、正統な嫡子としてのロシア革命が生まれたというというおとぎ話を真に受けている人は、その前史としての明治天皇制国家を守るための裏工作というエピソードを、どのように読み説くのだろうか。これすらも歴史の必然であると強弁するのだろうか。共産主義が、ブラックマンデー(世界恐慌)という敵失と、右翼による全体主義からの防波堤役を期待されたという二つの外部要素によって、幸運にも生きながらえたという指摘も今回初めて知ったことだった。
東西冷戦終結に伴う当然の帰結として、世界はグローバリゼーションの嵐に巻き込まれた。まさにわが国における労働移民問題とは、遠く二十五年前の世界史を揺るがせた大事件に端を発しているといっていいだろう。冒頭で三つの大きなテーマはそれぞれが独立しているのではなく、お互いが因果関係にあるといったのはそういうことである。

 本巻を私は、本に付箋を張り付けながら読み、その個所をノートに書き写していった。そのノートには、今回引用しなかった文章もあるが、その大学ノート十数頁の書き写しは、自家製超エッセンシャル版として、今後何度も目を通して行きたいと思う。かつてドラッガーを同じようにして読んだ、若い日のことを思い出した。

「『西尾幹二全集 第十一巻自由の悲劇』その(三)」への7件のフィードバック

  1. このエントリーとは全く関係ないコメントを失礼いたします。

    チャンネル桜の古くからの視聴者で、先生が以前から皇室について大変ご懸念なさっている旨、拝聴しておりましたが、ただただ恐れ多いこととだけ思っておりました。

    しかし、最近ふとしたことから自ら調べはじめて驚愕し、先生がどんな深い思いによってご懸念なさっているかが大変よく理解できました。先生も討論などで忌憚ないご意見をされているようで「これだけは言ってはならない」と慎まれていたことが多々おありだったことと拝察申し上げます。

    お身体にご自愛なさって、どうかこれからも私共を啓蒙してくださいますように。

  2. 自分の運命を直視し、言葉やイデオロギーに惑わされず、生のつづく限り行動する、これが自由な存在になるということでしょうか。

  3. 浅野正美氏のすばらしい論文に、敬意を評します。
    特に後半の展開は、西尾論をもとに自論をもう一つ違う角度から語ろうとされている気遣いが、重々伝わる内容でした。

    様々な人間の内面の葛藤を、言い表そうとしてもそこには限界が暫定的に存在するという悲劇。
    それは人間が生きることの価値を問い質す根本につながる意味に関連し、なぜ人間は自由を渇望するかを、人間のレアな状態からのみただすのではなく、まさしく世界の状態に引きづられながら生きていかなければならない、人間の実態条件の中で思うことを、実直に訴えた作品が『自由の悲劇』ではないかと私は感じております。

    わかりやすく説明すれば、私は自由うという定義が難しいとされているわけですが、しかし、人間は自由という定義をとても身近に置こうとする本能があるのではないかと、常々思っています。
    言い切ってしまえば、自由がすべての発信の根源である。
    しかし人間の実態は、生まれてすぐに制限を課され、ことごとくに「自由」は制限されていく。

    自由の真意を語ることがなかなか難しい原因は、もしかすると自由というものが人間の成長とともに育てられていくものならば理解しやすいが、その実態は真逆で、どんどん制限されていくのがまさに本質で、「自由」の自由な幅を狭めていく人間の生き様を、歳と共に理解を深めていくことにおいては、世界の境界線は存在しないことを、西尾先生は本質的に語っていらっしゃいます。
    いや、語っているのではなく、行間にその文言を添えているというのが、正しい言い方かもしれません。

    私は西尾先生の作品なら、何回でもその行間と会話ができる心理を準備できております。この世のどんな作品でもそうなんでしょうが、行間と会話を交わすことができることは、とにかくすばらしいことを生み出すということ。
    作者の心理と読み手の心理が一体化する、その瞬間こそが、「読書」というものの価値の本質ではないかと思います。

    西尾先生は、それが一番可能性を秘めているもののなかに、学校教育で学ぶ歴史教科書も含まれていると信じ、「国民の歴史」という作品を書かれたのではないかと思います。
    このパイロット本が、新しい歴史教科書の冠に位置する限り、日本の歴史は今後もけして、迷いの扉に入り込むことは防げるだろうと、私は確信している立場です。

  4. ドラッカーも言ってましたね。自由とは責任であると。重荷である。楽しいものではない。しんどいものであると。

    ただ私が思うに、言いたいことも言えない抑圧された世界よりも、はるかに心地よいと思います。

  5. 自由と責任放縦と無責任は対をなしています。私はコミュニズムの原型はパリコンミューンにありそれは古代ギリシャのポリスが淵源でそのロシア革命でのスローガンがソビエトという労農兵の集合体の政治であったと思います。しかし、その制度が影も形もなかったのが旧ソ連でした。前衛等の一党独裁理論は単なるおためごかしでありレーニンは本当のマルクス主義者ではない単なる扇動家に過ぎない人物でした。当時の左翼(40年以上前)にソ連にはソビエト言うコンミューンが無いとの問いを発するとだれもこたえられなかった記憶があります。ましてマルクスは憎悪の思想家だったと思います。人類を幸福にする思想ではなかった。そもそもフランス革命も国歌ラマルセーユズの歌詞のごとく憎悪に裏打ちされた進歩もなければ秩序もない市民革命とは言うも愚かなできごとでした。オーグスト コントの見解に一部ずれますが。

  6. 参考にしてます。
    考え方は違うにしても、違う意味を確認するのも勉強です。

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