西欧の地球侵略と日本の鎖国(三)

 年表について私はもっと詳しいものを作っていますが、「年表をどう作るか」が歴史なのです。年表を見ては駄目なのです。当来の年表を見て自分で選んで作るものなのです。私は彼方此方から取って年表を作っているのですが、こんな小さな年表でも誰も言っていなかったことがちゃんと入っているのです。つまり「東南アジアと日本の歴史と、ロシアとアメリカの動きを総合的に入れた歴史年表」というのが日本の歴史家の頭の中に無いからこの地上にも存在しないのです。これは不完全ですが、そういう年表は自分で作るしかないのです。

【18世紀から19世紀頭】
1707年 ロシア、カムチャッカ領有
1716年 吉宗、八代将軍に
1719年 フランス、東インド会社創設、デフォー『ロビンソン・クルーソー』刊行
1722年 清朝、雍正帝即位。ロシア人、千島を探検する
1728年 ピョートル大帝の意を体したベーリング第一次探検隊、いわゆるベーリング海峡を確認する。ロシア人、ラッコの毛皮交易の重要性に初めて着目
1734年 ロシア、中央アジア遠征隊、キルギス征服
1735年 清朝、乾隆帝即位
1739年 元文の黒船、ロシア人シュパンベルクとウォルトン(ベーリング別動隊)千島を南下し、ふと立ち寄る風に日本本土に来航する。
1740年 バタヴィアでオランダ、1万人規模のジャワ島民虐殺
1741年 ベーリング、アメリカ大陸(アラスカ)を発見
1746年 フランス、マドラス島からイギリスを駆逐する
1749年 ジャワのマタラム国王、オランダに屈服し主権を失う
1757年 プラッシーの戦い、英仏本土での交戦(「七年戦争」)インドに波及
1762年 イギリス、マニラ占領
1763年 イギリスがカナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ、フロリダを獲得する(パリ条約)。フランスはカナダに続いてインドも失う
1765年 ワット蒸気機関を発明
1768年 ジェームズ・クック第一次世界周航出発
1770年 クック、ニュージーランドの3ケ所に英国旗を立て、オーストラリア東岸を英領と宣言。フランス東インド会社解散
1772年 田沼意次老中となる。クック第二次世界周航出発
1773年 英人ヘイスティングがインドを虐政により強制統治。イギリス東インド会社がインドでのアヘン専売権獲得。イエズス会解散
1774年 杉田玄白・前野良沢『解体新書』成る
1776年 クック第三次世界周航出発。ハワイに到達、アラスカ海岸を北上探索してベーリング海峡を抜ける試みに失敗してハワイに戻り、79年不慮の死をとげる。76年アメリカ独立宣言
1777年 オランダ、ジャワ全土征服完了
1783年 ロシア、コディアック島(アラスカ)を占拠、北太平洋活動拠点を固める
1784年 クック航海記刊行、世界中で読まれ、ラッ毛皮交易の拡大に火をつける
1785年 フランス、ラペルーズ探検隊、宗谷海峡を抜ける
1787年 松平定信寛政の改革
1789年 ヌートカ湾事件、フランス革命
1804年 ロシア使節レザノフ、長崎来航

 「1772年 田沼意次老中となる。」や「1787年 松平定信寛政の改革」をみれば日本がどれほど孤立して世界の動向から離れていたかお分かりになるかと思います。

 私がお話ししたいのは、この時代の世界の話です。日本人にとっての鎖国は自然に何もしないでいても安全だったという話をしましたが、もし日本列島がフィリピンの位置にあったらどうでしょう。もし日本列島がフィリピンの位置にあったら、海外勢力は東西南北あらゆる方向から自由に攻撃できたはずです。南の海、南太平洋は自由だったのです。だから私は「1762年 イギリス、マニラ占領」を入れたのです。しかし北の海、北太平洋というものは人類が全く近づくことが出来ない海域であったということは、日本が分からないだけではなく、マゼラン以降の海洋勢力、大航海時代の人達にとっても太平洋の北半分の部分は魔界、「未知の海」だったということです。私はその話に誰も気付かないのが不思議で仕方がないのですが、それが日本の鎖国の背景です。

 日本人は本当には海というものを知らなかった。越後にも海はあった。備前にも薩摩にも海はあった。至るところに海はあり、そして海辺で海を見ている平和な国民は確実に居たのですが、「海洋」という概念、すなわち「海は繋がっている「こっちの海も向こうの海もひと繋がり」という観念は江戸時代の中期まで何も無かったのです。つまり日本列島の地理的形態もはっきりとは認識されていなかった。勿論地理学を勉強している人もいなかった。いたとしても限られた知見を持った知識人でした。新井白石のような人はいろいろ勉強をしていましたが、それでも殆ど知りませんでした。調べようが無かったのです。すべての情報は西、すなわち唐天竺から来る。漢字、漢文で来る・・・。それが日本人の長い伝統でした。いちばん最初にやってきた地図がラテン語で書かれていたら、それは模様にしか見えず、屏風絵にしかなりませんでした。

 最初に「地球は丸い」ということを教えてくれたのは、シナのイエズス会宣教師マテオ・リッチの『坤與萬國全圖(こんよばんこくぜんず)』で、北京で1602年に出版されました。木版6刷で縦1.8メートル、横4メートルという大きな地図です。世界の姿を楕円形で表現していて、当時普通の地図の書き方です。我が国の事もけっこう書かれていて、諸国の国名と七道が挙げられていました。これが日本にも紹介されて、この地図に漢字、漢文で説明が書かれていたので、「亜細亜(アジア)」、「欧羅巴(ヨーロッパ)」或いは「赤道」、「南極」、「北極」などという地理的概念はこのマテオ・リッチの地図に描かれていた漢字解説を基として今日に至るまで使われているのです。

 新井白石が理解していた世界も殆どこの地図の中に閉じ込められていました。我が国も少しずつ世界の情勢に目覚めるのですが、海に関する観念、殊に太平洋についての距離感覚はまことに頼りないものでした。以下の文は長崎に住んでいて、海外図書の閲覧だけでなくオランダ人から直に情報を得て勉強していた西川如見という人の『日本水土考』における太平洋に関する観念です。

 「日本の東は冥海遠濶世界第一の処にして、地勢相絶す。故に図上には亜墨利加(アメリカ)洲を以て東に置くと雖も、地系還(めぐ)つて西方に接して、その水土陰悪偏気の国なり。地体渾円の理を按ずるときは、則ち当に亜墨利加を以て西極に属すべし。」
(訳:日本の東は世界一大きな海原が遥か遠くなみなみと水を湛え、人知の及ばぬ地勢である。だから地図の上ではアメリカはわが日本の東に位置するといえども、大地を西に廻って西の果ての地として理解するほうがよい。その地理風土は天災を奥に秘め、正常とはいえない国である。大地の形が理論上球体であるというのなら、アメリカは西の最果ての地と看做すべきである。)

 「太平洋は何か恐ろしく巨大で、アメリカの事はもうサッパリ分からない。お手上げだ」つまり、はなから降参しているのです。「日本人にとって文明は常に西方浄土からやってくる。それならば分り易い。西のほうにどんどん行こうではないか。訳の分からないアメリカの事は後回しにしよう。地球が丸いのなら西にどんどん行けばいい。いつかは出会うだろう。それまでアメリカの事は考えないようにしたい・・・」そう言っているわけです。

 これは1720年です。これがこの後100年くらい続くのです。勿論この間にいろいろ考えられ、発見もあり本もいろいろ出てきますが、限られた知識層がこうなのですから、日本人がどのような認識で世界を見ていたかはおよそ察せられます。ここで詳しくは話せませんが、新井白石もこの程度の認識が前提でした。白石は大変な儒学者で政治家でしたが、論文を書くのは人生の最後でした。儒学者でしたが、シナのことは書かずに日本の歴史の事だけ書いたのですね。活動期は1713年から25年です。その頃はまだアメリカの歴史は展開していません。ですからヨーロッパのことは詳しいのです。有名な『西洋紀聞』や『采覧異言(さいらんいげん)』などはヨーロッパの事を書いているのです。そうはいっても西から来る知識のほうが確かなので、漢語で入ってきた知識で書いているのです。東に位置しているアメリカについては、どうも訳が分かりません。アメリカについて書いてあることは中南米についてです。あの頃はカリブ海で砂糖を作って大騒ぎしていたので、西から情報が伝わっていったのでしょう。あとメキシコやブラジルについての記述があります。しかし北アメリカはまだ無かったので当然資料も無いのです。それが今日の話のメインテーマです。

つづく

「西欧の地球侵略と日本の鎖国(三)」への3件のフィードバック

  1. 「西欧の地球侵略と日本の鎖国」とても興味深く読ませていただきました。日本人の素朴さと素直さも、鎖国に一役買っているのだと思います。私の住む近くの海を眺めて見えるのは佐渡です。その向こうに広がる大陸はきっとあるんだけど実感としては乏しい。日本は国の言葉は話していて心地いいし、気候は穏やかで住みやすい、西洋は野蛮で気が引けるといった人情もあります。ならば開国に対して、腰が重いのも自然と言ったら自然です。けれど、こんな日本にいながら想像力を逞しくして「・・・誰か知る一片清輝の影(ひかり)嘗てマカオの白骨を照らして来るを」と詠った橋本佐内のような草莽の志士が抱いた切実さはきっと現代の私たちにも通じているのでしょう。まだまだ我々日本人はスタートラインに立ったばかりなのでしょうか?それとも、ここはゴール地点で果てしない鎖国が続くのでしょうか?

  2. >奥様

    過大なるご評価に恐縮いたします。
    黒ユリさんのレスポンスが、私のいたらないコメントに、最大限のものを与えてくれましたことに感謝します。

    昔、ロータリークラブの間で、交換留学生をホームステイさせようという動きがありまして、私がちょうど18歳の時にその活動がありました。
    こんな田舎でも金髪の男女が普通に生活するその場面は、なんだか違和感を通り越して、即座に私は彼らから何かを得たい気持ちに駆られました。

    たまたま伯父の家にホームステイした17歳の少年は、体格も大きく私の方が弟のような存在でした。名前はクレイグ・フラーと言います。
    のちに彼はネスレーに就職し、能力と語学力が会社で認められ、日本のネスレーにも配置されるんですが、途中雪印がポシャっちゃうときにネスレーが買収する動きがあり、その交渉で来日した際たまたま出会うことがあり、その詳細を聞くこともできました。
    結果ネスレーは雪印の買取を断念した様子で、そのやり取りで彼が言ったことは、雪印の社長の保身をどこまで引き上げるかが論争の本筋で、それ以上でもそれ以下でもない話なんだ・・・という説明でした。

    時代は日本が一番経済的に苦しんでいたころの話です。
    弱みを見せればいくらでもハゲタカは襲ってくるという例の、象徴的な実例です。

    私は彼(クレイグ)に「社長以外の話は出ないの」と聞いたら、「社長以外と話を進めても時間の無駄だ」と言うんです。どうしてかを聞くと「売るか売らないかの問題は多数では決着がつかない」と言ってました。

    このリアリティな話は、今まで私はオミットしてきましたが、この場面では大切なセンテンスかもしれないと考え公表することを決意しました。

    とにかく交渉の重大問題は社長の保身問題ばかりだったというんです。
    それ以外に話はあれど、決着はそこが肝心で、それ以外の交渉は比較的に楽だと言ってました。

    私はこれが良いとか悪いとかを問うつもりで書いてはいません。
    誰だって自分を高く評価したい心はありますから。
    問題は、買収に来る会社が本当に日本のことを理解しているかどうかです。
    結果的に「NO」と言った雪印を私は一応褒めてあげたいのですが、それ以後の話は知りませんので、色々なご判断は皆様にお預けします。

    ここで取り上げたいのは、つまり交渉のスタンスです。
    クレイグは言ってました。
    「買う気にさせろ」と。
    売る気があるのかないのかはっきりしろと。

    どうやらそこが一番イラついていたようです。
    ここでもたぶん「鎖国」はあったんじゃないですかね。
    私はクレイグには言いませんでしたが、日本人は保身が全てではないんだよと言いたかったのですが、そこまでの話には至りませんでした。

    しかし、その交渉の実績が認められたのか、かれは後にネスレーの子会社のキャットフードの専門の子会社の日本支社長となり、家族と数年日本に滞在しました。
    彼が日本にいる間、両親が初来日され、わざわざ私の田舎まで足を運んでくれました。
    息子が暮らした町をどうしてもこの目で見たいという要望があったからです。

    わたしはそれに立ち会いました。
    学生時代に豪州に旅して以来の再開に(おっと、新婚旅行でも会っていました・・・すみません)話が弾み、雪印の話など一切出ません。・・・当たり前ですが。
    初めて食べる日本の「田舎」の料理に、かなりためらっていました。
    すき焼きに出る生卵には目が点でしたよ。

    私はクレイグのお母さんが本当に大好きで、二次会に行く途中も下手な英語で会話したんですが、彼女は私をいつもこう評価してくれるんです。

    「あなた方が豪州に来た時、あなただけが挑戦していましたね。あのチャレンジはみごとでした。さらに驚いたのは、新婚旅行の時にチャレンジしたスカッシュでも、あなたは本当にスポーツの才能があると、べた褒めなんですが、私にとってはとにかく初めてのチャレンジです
    全てがほとんどそうなんです。
    でもなにかを感じてくれたんですかね、そうやって褒めてくれるんです。

    例えば新婚旅行の際も、飛行機のCAが少し英語を話せる私よりも、全く英語を話せない妻にアタックしてサービスを促すんです。
    私は妻に「下手でもいいから何か言ってごらん」というと「私本当に何もしゃべれないの」と言うのでその後CAに「ごめんかわいい女の子の代わりに私が応対します」と言ったら請けて居ました。
    ちなみにそのかわいい女の子は今も私のパートナーです・・・そんなことどうでもいいか・・・。

    その時のCAが要求する妻への態度を表現しますと、いやらしいくらいに妻の耳元や口元に顔を近づけるんですよ。

    そして「ハイ、レディー、あなたはいま何が欲しいですか」と聞くわけです。
    そんな質問の意味も答えも出せない私の愛する女房がいるというこの設定です。

    下手くそでも少しは話せる英語を携えた私の「サンキュウ、ソウマッチ」というありきたりの英語にいちころになった女房は、現在も現役で働いています。

    まったく世の中に関心を示さないこの女房に、いつかは私の価値観を示さないといけないなと思いながら投稿しているんですが、彼女こそは素晴らしき無関心の牙城の中にあり、はたしてその壁はいつ破ることが可能なのか、個人的な問題はその範囲であります。

  3. 続きです。

    友人のクレイグ・フラーが雪印の買収交渉をしていた際は、拠点がスイスでした。
    豪州人の彼がこの地を拠点とする場合、一番大切な言語は何かを尋ねたら、「フランス語」だと返ってきました。
    たまたまスイスでもフランスよりだったからかもしれません。私たちはついスイスと聞くとドイツ語が主流だと思い込んでいますが、実は意外や意外、ヨーロッパの西側先進国ではフランス語が話せないと、全くビジネスが成り立たないと彼は言ってました。

    当然イタリア語もスペイン語もまったく除外品だというんです。
    残されたものはじゃぁドイツ語だけなの・・・と聞くと、ドイツ語をいくら勉強しても、使える範囲が狭すぎると言うのです。
    クレイグの祖先は当然イギリスですから、その意味でフランス語が一番覚えたい外国語なのかもしれませんが、どうやら色々聞いてみると、そう単純な話ではないことが分かってきました。

    どう表現したらいいのでしょう、イギリス人の中には当然皇室と言うプライドと、白鴎主義はあるわけですが、もう一つそれを否定するニュアンスを構えることで、一種のグローバルなところを感じて居たい部分があるような、そんな気持ちを感じましたね。
    オーストラリアで生まれていても、彼ら(白人)は、もう一つ上のところで意識が高くて、その自意識を構えながらもグローバルは大切なもう一つの意識で、だからといっていきなりその尺度をラテン化することはタブーで、一種緩衝地帯みたいなところにフランスが存在し、しかもそこには芸術の華やかさも存在し、イギリス人にとってフランスは世界で唯一心を許せる場所のような存在なんでしょうか。

    よくわかりませんがそんなイメージで彼らの話を聞く場面が多いです。
    そんな彼らが一番嫌う国はと言うと、そこには個人差があるようです。
    私が「アメリカはどうなの・・・」と聞くと、彼の家族のほとんどが「アメリカなんかどうでもよい国です」と言うんですよ。

    こんな感じで聞かされた私としては、それをやっぱりある程度深刻に受け止めなければならない・・・というふうになりますよね。

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