憂国忌シンポジウム(七)

 私は今日ずっと最初からお話したことの中では、この国家のことを強く意識する時代、民族を強く意識する時代は国境観念が希薄になるということを一貫してお話したつもりであります。

 歴史は物語りだというのも、国境観念が希薄になるということに結果としてなるのではないかと私は思っているわけです。つまり、半分自分は世界の中の一つだと言う自覚が明確にないと、そうすると結局自己喪失に陥っているのではないか。それは、私が一番いいたいテーマでありまして、今現在、これから今、天皇の問題が本当に危くなっちゃっているのは何が原因かと言うと、本当は我々が無自覚に天皇ということを信奉していて、あまりそれを自覚的に意識してこなかったこともあると思います。

 これは、天皇が危うくなっているという、この今の時代は天皇の外にある原理と言うものを日本人が信じないということにあるんじゃないか。つまり、我々は、福田さんが最初におっしゃったことですが、我々は、二重性を持って生きなくてはならないと。天皇を否定するのではなくて、天皇と別に並存する何かの理想がなくちゃいけない。そういうものの理想を我々は過去において、中国の儒教に求め、また、ヨーロッパのキリスト教、近代文明に求めた、そういうことだったと思うんです。

 で、それがあったために、天皇を信ずる、あるいはまた日本の民族を信ずるということとバランスが取れていた。ところが外なるものの明確な理想像を失ってしまったために、軸が一つになってしまうと、今のような、天皇もどうでもよくしてしまうような、「有識者会議」とやらのやっているようなことが起こってくるのではないかと思う。

 つまり、日本文化の優位と言うことを言うのではなくて、歴史の独自性というのはあくまで、認めるんですけれども、この自分の優位と言うことだけを言っていると、相対の泥沼に入っちゃうよと、いうことが私のずっと考えてきている一つの問題であります。我々は、どうやって他者を認識できるか、その問題に直面しているのではないかと。それをちゃんとしていないから、今度は一番大切に思っていた、自分の神様を根底から失ってしまう。

 つまり、これは皇室典範有識者会議の人たちはまるでなんか、頭の中が真っ白な人たちですが、大真面目に議論している。あんな知性も位も高い人たちがなんで、こんな馬鹿なことしか考えていないのかというのが、本当の真の驚きなんです。その真の驚きはどこから来るかといいますと、私たちが本当に歴史を失っているということなんでしょうけれども、ただそれは、そう喘ぐことばかりではなくて、私たちが外に理想を失っていることに原因があるんじゃないか。

 私たちは、二重の理想をかかげて生きる、二重性をもって生きなければならないのではないかと思います。

「憂国忌シンポジウム(七)」への7件のフィードバック

  1. 皇室典範の改正論議は、男系の天皇家維持の方策の検討が不十分である。崩御皇位継承・宮家復活・摂政天皇などの再考である。
    現皇太子妃は雅子様・紀子様とも若いのだ今後、皇子が誕生しないとも限らない。その時、再度改正とはいかない。
    何よりも「皇室の人権」を考慮すべきである。皇族も人間である。人間としての幸せを持つ権利を持っておられるはずだ。
    天皇は、日本の伝統中の伝統である。実は現皇位継承者第1位の浩宮。第2位の秋篠宮の2人の妃の旧性に不思議を思う。
    12~3年前、いたずら書きし乍ら電話していて偶然気がついた。大和田雅子、川島紀子の名前をひらがなで書いて並べると、
                     お わ だ ま さ こ
                      × × × × ×
                     か わ し ま き こ
    これだけだが、皇位継承の第1・2位の立場の天皇家の長男と次男の嫁である。不思議な因縁を感じるのは自分だけだろうか。
    国民の歴史・文化・伝統などを正しい歴史観に基づき、正しく伝承することは国家の責任である。

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