財政規律の問題

 粕谷哲夫君は私の大学教養学部時代の同級生で、住友商事に永く勤め、同社の理事になった。海外経験も豊富で、「つくる会」には強い関心と共感をいだき、協力を惜しまなかった。「つくる会」賛同者の表に名を列ねてもいる。 

 粕谷哲夫 
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 財政規律の問題

 私は西尾幹二氏の旧友であり、種子島氏とも同じ同窓である。

 実は二年ぐらい前だったか、某団体の会長がその会の資金1千万円の不正使用があったのではないかという疑いが出たことがあった。私は西尾幹二氏に、当該団体のような問題が発生すると「つくる会」の運動に重大な事態を招きかねないので、老婆心ながらよく目配りするよう進言したことがあった。

 というのは 現在日本の抱える問題の重要な部分は、他人のカネを預かるものが、その善良なる管理者の義務を忘れて放漫に流れることによって生じたものであることを骨の髄まで認識していたからであった。

 目の前のカネがあり、それが自分のカネではなく他人のカネであれば、放漫な支出に流れるのは、おそらく人間の悲しい性である。巨額な財政累積赤字、銀行の不良債権問題、厚生労働省のナンセンスな施設群の建設とその処分などなど、すべて「他人のカネ」の放漫管理から発生した問題である。こういう危機管理の意識は私自身の職業的体験から醸成されたものである。

 この懸念について西尾幹二氏からは「自分も同じ認識を持っている。そういうことがないようにやかましく言っている」という趣旨の回答だった。 その後の会話から、氏が「つくる会」の資金管理について予想以上の厳しい認識を持っていることを知った。

 またこういうことがあった。前回の採択戦に備えて、「つくる会」は寄付を募った。彼からは1万円寄付の要請があり、こころよく同意した。彼自身は100万円の寄付をし、かつ理事たちにも相応の寄付を求めているという話であった。100万円が多いか少ないか、いろいろな判断はあろうが、小生はかなり大きいと感じたが、逆に氏のこの寄付行動は会の財政節度に対する厳しい認識を示す証として一安心したものである。

 と同時に理事たちは個人的な寄付をたとえ5万円でも10万円でも要請されれば、「西尾氏が会長であると寄付させられるからかなわない」という反発が生じるのではないか?と心配になった。しかし彼はその危惧をとっさに否定した。「理事はいろいろあっても、そういうことは分かっている」というニュアンスだったと記憶する。

 その募金活動は、結果的に目標を超える金額の募金を達成したと聞く。ところが西尾氏は、「募金金額の達成に理事たちは自己の集金力を過大評価している。浮かれてはならない。将来の会の財政見通しはけっして楽観できない。いっそうの財政節度が必要だ」とつけ加えるのを忘れなかった。

 また、「幸い『国民の歴史』の多額の印税が「つくる会」の財政に貢献したが、今後この種の臨時のヒット収入を見込むことは出来ないだろう」という悲観的な見通しを述べたと記憶する。

 コンピュータ問題はそのあとに出て来た問題である。私はコンピュータ・ソフトについても多少の心得はある。なぜ早く相談してくれなかったのかという気持ちは残るが、宮崎氏にこのコンピュータ問題で邪念はなかった、しかし理事一同無知であったというのが私の判断であり、その支出は「無知の代償」といえる。宮崎氏の事後の処理を伴う問題点は、遠藤氏の報告書に詳細にあるようだ。それを見れば分かるはずである。コンピュータ・ソフトの会社からの事後値引きもあったと聞く。

 しかし「無知の代償」を認識した西尾氏は、この件の責任は宮崎氏のみ負うのではなく、理事全員も応分の連帯責任を負うべきであると提議し、合計100万円の負担が合意されたと聞く。しかし宮崎更迭問題がこじれてこの話は沙汰止みなったそうである。

 宮崎氏はいい人ではあったが、教科書採択の状況は厳しさを増したこともあり、西尾氏の求める事務局長像がより厳しいものになってきたことも十分ありうると思う。この事務局長の戦略的機能の問題について、日録によれば宮崎氏更迭の考えは八木、藤岡、種子島の三氏の間に同意され共有されていた。この段階では一枚岩であったと私は理解した。

 企業であれば、そういうコンセンサスが幹部間にあれば合理的な意思決定がなされるであろう。

 その後コンセンサスは突然白紙に戻った。これを知ったときの西尾幹二氏の驚愕と当惑の電話は今でも耳に残っている。

 それ以降の展開はご存知のとおりである。

 誰がこの会を運営するにせよ、まず財務管理に対する根本的な意識の変革が会全体に浸透しない限り、会は資金的に行き詰るのではないかと危惧している。NHKは半強制的に視聴料を請求できるが、「つくる会」の運営資金は会員の寄進によるものである。「会員の爪に火点すなけなしの寄付」である。会員の心が離れれば、会は雲消霧散する。デフレを経て支出管理を徹底している昨今の企業の金銭感覚の厳しさをまねる必要があるのではないか。その感覚は西尾幹二氏が一番強かったのではないか? 

 昨夜来の情報によると、種子島氏、八木氏などの退任が決まったようである。

 新執行部におかれては、浄財の拠出者のことをつねに頭において、効率的な運営を図ってほしい。

 

 

新しい友人の到来(四)


伊藤悠可氏誌す

私はあまり心配していないのです。われわれが目撃している事実は「カタルシス」だということがだんだんわかってきたからです。「Katharsis」というのは内臓の中に溜まった悪いものを排泄させることを意味する言葉らしいのですが、易の火風鼎の卦がそれです。鼎は三本足の素焼きの祭祀具。中央下から火をくべて、上部の鍋の供物を煮るのだが、これを神聖なものとして供するには、一度逆さにして調理の残り物、残滓を除いてからでないといけない。
カタルシスだと悟れば、こびりついた煮物は除かれる。

「森鴎外か小説『渋江抽斎』に登場させた人物。『金風さん』と親しく呼んでいる人は長井金風のことだが、彼は『最新周易物語』でこんなことを書いている。

『――徳川の時、渡邊蒙庵とかいひし物があって、遠州のもので、真淵の末流を組んだものだが、日本書紀の注釈といふを書き、それが冷泉卿か、菊亭卿の手から上覧に入ったといふので、おおひに面目を施したつもりに思ってゐた。一年洛に上りその卿に謁することになった。本人の考へでは余程賞めに預かることと心得て行ったのだが、恭しく導かれて謁見を賜はつたまではよかりしも、卿は蒙庵を一目見て、その方賤しき匹夫の身を持って、国家の大典を注釈せんなど、神明に憚らざる不埒ものである、といつたのみで、御簾は既にきりきりっと捲き下された。蒙庵はぶるぶると振ひながら罷りくだつたといふ。』

金風はこの卿のわきまえのあるを讃え、もと国史というものは百姓を導くために書かれたものではなく、帝王の鑑として帝王のためにつきうられたのみである、と言っている。古事記の傳なり、初期の注なりと我れは顔に物して、小人匹夫が触れ得るものにあらず。あまりにおのれを知らざる天朝を憚らぬものどもで、田舎の神主あがりの国学者などというもののしたり顔して御事蹟を喋々するのが多い、と怒っている。

伊藤思う。いまどき、このようなことをいう知識人はいないし、またいたとしても巷間、誰もそれに服するものなどはあろうはずがないが、しかし、面白い話だと思って読んだ。天朝、国家の大典という言葉をかざして人を黙らせるのが痛快だという意味では勿論ない。身分の隔てがなくなった今、誰もが人倫国家を云々できるようになったが、本来、精神の貴族性をもたない人々が参加できるような運動ではないのであろう。百姓というのは精神性の「貴」と「清」とが無縁な人というふうに充当すれば、この長井金風の意とするところはちっともおかしくはない。

 つくる会FAX通信172、173号が発行されました。173号の前半に種子島、八木両氏の捨て台詞めいた弁明文の要約、後半に藤岡氏の公正めかした美しい演説文の要約がのっていますが、ここではそれらを取り払って、本日録に関係のある部分のみを掲示します。

(2)藤岡・福地両理事による反論

 両理事は、「つくる会の混乱の原因と責任に関する見解」という本文6ページと
 付属資料からなる文書を用意し、概要次のように述べ会長・副会長の辞任理由
 に反論しました。

〈我々両名は、2月理事会の翌日28日から3月28日理事会までの1ヶ月間、種子島
会長を支える会長補佐として会の再建に微力を尽くしてきた。3月28日の理事会で
は、副会長複数制が妥当であるとの我々の進言を無視し、会長はその任命権を行
使するとして八木氏のみを副会長に任命した。それでも理事会の宥和を重視し、
我々はその人事に同意し、二度と内紛を起こさないようにしようという精神で合
意した。このまま何事もなく推移すれば、7月に無事に八木会長が誕生したはずで
ある。

 ところが、この理事会直後から、会の宥和と団結の精神に反する不審な事態が
 続発した。
 
1.3月29日付け産経新聞は理事会の内容を歪曲し、理事会で議論すらしていない
ことまで報道された。理事の誰かが誤情報を流して書かせたのである。

2.3月末から4月初めにかけて、西尾元会長の自宅に一連の脅迫的な内容の怪文
書がファックスで次々と送られた。これについて西尾氏が自身のブログで発信す
る事態となった。

3.4月3日、渡辺記者は藤岡理事に面会を求め、藤岡理事に関する「平成13年 
日共離党」という情報を八木氏に見せられて信用してしまったが、ガセネタであ
ることがわかったと告白して謝罪した。6日には、謀略的怪文書を流しているのが
「八木、宮崎、新田」であると言明した。

 福地理事は、事態は深刻であり速やかに事の真相を糺す必要があると判断、4月
 7日に種子島会長に八木副会長から事情聴取する必要があると進言したが拒否さ
 れた。4月12日、西尾宅に送られた「西尾・藤岡往復私信」は八木氏の手にわた
 ったもの以外ではあり得ないことが判明した。同日、藤岡・福地の両理事は会
 長に対し、八木氏が3月理事会の精神に反する一連の謀略工作の中心にいる可
 能性が極めて高く、その証拠もあることを説明し八木氏の聴聞会の開催を改め
 て求めた。会長は、1.八木氏に確かめ、事実を認めれば解任し、自分も任命
 責任をとって会長を辞す、2.否認すれば八木聴聞会を開く、と表明した。翌
 日13日、種子島、八木、藤岡、福地、鈴木の5人の会合の場がもたれ、冒頭で会
 長は両名の辞任を表明した。従って、前日の1のケースであったことになる。
 こうして会を正常化しようとする我々の真摯な努力は水泡に帰した。

 この間、種子島会長は、「過去は問題にしない」と言い続けてきたが、一連の
 謀略による内紛の再燃は、宥和を確認した3月理事会の後に起こったことであり、
 現在の問題である、また、辞任の理由として、我々両理事が内紛を仕掛けたか
 のように語っているが、それは明らかな事実誤認に基づく責任転嫁である。〉

(3)討論の流れ

 田久保理事から、「藤岡理事は八木氏宅へのファックスにたった一言書き込ん
 だ言葉について八木氏の自宅に赴き、夫人に謝罪した。藤岡氏の党籍問題に関
 するデマ情報の流布は極めて重大な問題であり、八木氏はそれを他の理事など
 に公安調査庁の確かな情報であるとして吹聴したことについて藤岡氏に謝罪す
 べきである」との発言がありました。事実関係についても、参加者から具体的
 な補足情報の提供がありました。

 内田理事は、藤岡理事の言動が会の最大の障害であるとして、藤岡理事を解任
 すれば種子島会長は辞任を思い留まるのかと質問しました。それに対し、種子
 島会長は、それが筋だが健康に自信がない旨述べて会長を続けるつもりはない
 と発言しました。
 
(中略)
 
 議論は2時間半以上にわたって続きましたが、結局八木氏は謝罪せず、種子島・
 八木両氏は辞意を撤回するに至らず、辞任が確定しました。この両氏の辞任に
 続いて、新田・内田・勝岡・松浦の4理事も辞意を表明(松浦氏は欠席のため文
 書を提出)、会議場から退出しました。
                                (以上)

5/3 追記