『GHQ焚書図書開封4』の刊行(八)

 ゲストエッセイ 

小川 揚司:坦々塾会員

    「GHQ焚書図書開封4「国体」論と現代」を拝読して

 「GHQ焚書図書開封」シリーズの中でも「国体論」が取り上げられた第4巻を待望していた。そして、図らずもその恵贈に与り、胸を弾ませながら通読させていただき、猛暑の中で凛と冴え渡る麦酒を一気に飲み干したような爽快感に浸ることができた。しかし、底知れぬ格別の苦みも口中に残った。

 昭和45年の晩秋、三島由紀夫大人が市ヶ谷台で壮烈な自刃を遂げられた。その翌春、私は、防衛庁(当時)に入庁した。三島大人は、その檄文において「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である」と辞立されたが、以来、建軍の本義の根幹にある「国体論」は、私の終生の研究課題となった。しかし、防衛庁内局のシビリアンが「国体論」を、延いては、その根幹にある「天皇・皇室」そして「神道」を、自らの価値観の中心に置きその研究にのめり込むと云うようなことは、当時は甚だしくタブー視されるところであったので、私は、自分の立場は異端視されるであろうことを十二分に自覚しながら、密かに研究を続けていた。しかし、研修論文等によりその色は自ずと滲み出るもので、入庁15年目に陸上幕僚監部に二度目の転出をして以来、退官に至るまで、私は再び内局に戻ることはなかった。

 三島大人の散華以来四十年の歳月を経て、また、先頃は田母神航空幕僚長の解任事件の大反響もあり、一面において世論も随分と変わってきたように見えるが、それでも戦前・戦中の国民精神昂揚期の「国体論」を正面から取り上げ、非を非とするばかりでなく是は是として堂々と論ずると云うことは、敗戦以降、国民精神が虚脱から虚無に向かって淫々と流れてきた現在時点においては、大層勇気の要ることであり、況してや文壇の重鎮と云うお立場にあっての西尾先生のこの御壮挙にはあらためて瞠目したところである。

 西尾先生のこの御著作を先ず通読させていただき、実に爽快に感じたのは、そのような事由にもよるが、更なる理由は、西尾先生が数多の「国体論」の中から取り上げて論じられたこの六篇の「国体論」の選定と配列の素晴らしさ、その絶妙なバランスに感銘し深く共鳴したことによる。

 西尾先生は、戦後教育の洗礼を受けながらも真摯に歴史の真実にアプローチしようとする後学達を念頭に、当時の国体論の全体像がどのようなものであったかを的確に理解させるため、ここに六篇・六様の「国体論」を選定され、噛んで含めるように懇切に平易に解説され、その是非を論述して下さっている。拝読しながら、その愛情溢れる老婆心に涙を止めることができなかった。
そして、この六篇・六様の「国体論」それぞれに対する評価と、その配列の絶妙のバランスは、西尾先生の、近代知識人としての深い洞察力と強靱な思想批判力を具えられた高い視座からの「心棒」が厳存してのことである、と感嘆した。

 然は然りながら、未曾有の大戦と云う国家存亡の危機に直面し、国民精神が沸騰するまでに昂揚した当時においては、また別の至高の「心棒」が厳存し、それがバランスの中心点となり、この六篇を始めとする数多の「国体論」が、それぞれに処を得て百花繚乱と満開したものと思われる。そして、尋常な大多数の国民、即ち、吾々の父祖達は、そのような時代の空気の中で実に「意気」高く、凛として深呼吸しておられたものと憶念する。而して、そのバランスの中心点、即ち、至高の「心棒」とは、昭和天皇の信仰心(御敬神)に外ならなかったものと敬信する。

 昭和天皇の御敬神の篤さは、単なる建前ではなく、また、宮中祭祀は単なる形式儀礼に留まるものではなく、皇孫として皇祖皇宗を斎き祭り玉ふ御奉仕は敬虔なものであり、その御信仰は真実深いものであらせられたと、文献情報に限らず、漏れ承る。そして、普く国民はそれを真実として敬信したことにより、見識の高い辻善之助先生や白鳥庫吉先生の「国体論」に負けず劣らず、田中智学翁の熱狂的な「国体論」や杉本五郎中佐の絶対的な「国体論」も大いに光彩を放ち、数多の心酔者や共感者を現出させたものと認識する。  
繰り返しになるが、戦前・戦中の「国体論」の「心棒」は「昭和天皇の御敬神」に外ならず、その昂揚は、それに対する国民の感応、即ち「国民の敬信の念」に外ならなかったものと確信する。

 西尾先生は、この御著作の「あとがき」において、「戦争に立ち至ったときの日本の運命、国家の選択の正当さ、自己責任をもって世界を見ていたあの時代の「一等国民」の認識をもう一度蘇らせなければ、米中のはざまで立ち竦む現在のわが国の窮境を乗り切ることはできないだろう」と指摘され、また「戦前も戦後もひとつながりに、切れずに連続しているのである。戦前のものでも間違っているものは間違っている。戦後的なものでも良いものは良い。当然である。日本の歴史は連続して今日に至っているという認識に何度でも立ち還るべきであると私は考えている」と結んでおられる。
全くそのとおりである、と私も考える。しかし「あの時代の「一等国民」の認識をもう一度蘇らせる」ためには、そして「日本の歴史は連続して今日に至っているという認識に立ち還る」ためには、当時の「天皇の御敬神とそれに対する国民の敬信の念」を再び現代に蘇らせることができなければならないのではないだろうか、そして、それが果たして可能であろうか、と云う大きな難問に直面する。

 この秋の夜長、御著作を折に触れて拝読精読しながら、そのことを考えて続けてきた。
先ず「昭和天皇の御敬神」について、大御心を手前勝手に忖度することは誠に畏れ多いところであり、そこで、存在の次元の差こそあれ、神道思想の系譜と格調の高さにおいて相似すると拝察される山田孝雄先生の「国体論」即ち、御著作第2章の内容に沿って、また「国民の敬信の念」については、第7章以降を切り口として、西尾先生の御解説・批評をなぞりながら、所感の一端を記述させていただくこととする。

 西尾先生は、山田先生には「ふたつの顔」即ち「学問的、実証的な立場を堅持した顔」と「ある種国粋主義的な立場の顔」があると指摘された。私は、それは、真摯な学者としての姿と、敬虔な信仰者としての姿であると拝察する。

 私は、大学時代、ニーチェ研究の碩学である明治大学教授(当時)の小野浩先生に師事した。その小野先生は東北帝大でゲーテ研究の碩学である奥津彦重先生に師事されたが、その頃の東北帝大に山田先生もおいでになったと伺う。

 当時の東北帝大の学風は「広く世界的高処に立って西欧文化を総合的に摂取しつつ、日本を基盤として民族文化の根底を培い、学問研究において広大無辺の皇恩に応え奉るべし」と云うものであり、山田先生は、北陸の御出身の苦学力行の篤学で、そのような学風の中で至誠一途に研鑽を積まれた碩学であった、と承る。

 凡そ学者がその研究に際し、何らかの信仰を基礎として出発してはならないことは勿論であるが、自由公平な立場から冷静・周密に研究を進めた結果、正しいと結論した認識に基づいて敬虔な信仰を持つことは尊敬すべき姿であると考える。山田先生の神道に対する篤い信仰心は、その真摯な人生観の表象であり、更には、吾が国・吾が民族の危機に直面しての熱い愛国心を反映してのことでもあると拝察する。私が、山田先生を深く尊敬する所以である。

 そして、その山田先生の姿と重ね合わせ、近代人として高い見識をお具えになりながら、神事を御歴代相承され、皇孫として古代人そのままに宮中祭祀を敬虔に御奉仕し玉う昭和天皇の御姿を彷彿と思い浮かべるものである。

 次に、「中今」の解釈について、西尾先生は、先ずここにポイントがあると着目しておられる。私も全く同感である。ただ、私は「中今」は、神道の基底にある「ムスビ」の思想、即ち「生成発展しながら現象として結び出された「現実」を尊ぶ」と云う価値観を如実に表す言葉であり、「終末」や「抽象」に帰結するキリスト教やインド思想とは根本的に異なる吾が民族の独得の考え方である、と云うことが眼目であると認識する。

 また、西尾先生は「時間論」についても懇切丁寧に御解説下さっているが、私は、神道の基底には、そもそも「時」と云うものは「無い」と云う思想があると認識している。即ち「万事万物の変化推移が時といえば時なのであるが、それは相対的なものに過ぎず、絶対的な時と云うものがあって万事万物が変化推移するのではない」と云う考え方である。(神道には浦島太郎の昔話のような古伝・説話が数多あるが、山田先生は復古神道の思想の流れを汲まれる学者として、これら古伝・説話にはあまり重きを置かない嫌いがあるように拝察するが、この問題はまた別に論ずることとしたい。)

 さて、西尾先生の御解説の中で、ニーチェとハイデガーにおける「時間と生」の問題に関連し、私は、真っ先に、前述の小野先生が、昔日、ハイデガー先生をお訪ねになり、ヘルデルリーン詩の「帰郷」をめぐり、「帰郷」と云うことの本質と可能性について質問され真意を正された時のお話を思い起こした。そこで、小野先生は「帰郷とは、歴史の流れの現在的時点と考えられるところから「始原」へ向かって逆に遡るのではなく、それは不可能であり、歴史の最深層へ向かって直下にボーリングを降ろし、幽深な「場」に達し、清冽な源泉に汲むことではないか」、そして「源泉の直流と歴史の流れとは厳密に峻別されるべきではないか」と問われた。この問答の終始についての記述は省略するが、私は、民族のミュトス(古代伝承)へのアプローチと云うことについて、ここに重要な鍵があるのではないかと考える。

 そして、西尾先生は「国生み」の神話、即ち「日本は「作られた国」ではなく「生まれた国」である」と云うミュトスに、そして、そこに「吾が国の「真実」が秘められている」と云う山田先生の所信に対し、ここがポイントであり、正に「国生みの物語は日本の国家原論」であると指摘された。私も全く同感であり、それこそが「国体論」の原点であると確信する。

 而して、そこから「国体論」即ち「国家観」の基盤となる「民族の世界観・神観」が顕れてくるわけである。即ち、吾が国のように「神を親として生まれた国」と云う民族のミュトスを国家観の基盤においてきた国家・国民と、ユダヤ教をルーツとしキリスト教を基盤として「神との契約により作られた国」と云う信仰を持つ欧米に代表される諸国家・諸国民との、神観・世界観の根本的な相違が顕在化してくるわけである。

 そこから「神と人とは血のつながる親子の関係にあり、神を絶対的に信頼しひたすらに神恩を感応し、感謝の誠を捧げる」と云う信仰に生きてきた素朴な吾々日本国民と、「神との契約を破れば恐ろしい神の怒り触れることとなる、人は神を畏敬するにも狡猾でなければならぬ(タルムード)」とするユダヤ教の信仰、それをルーツとするキリスト教など一神教を信仰する老獪な諸国民とは、大は国際政治・国家間の交渉・術策から小は個々人の人生観・処世の姿勢に至るまで決定的な隔絶があることを、そして、西尾先生が指摘されるように、吾々日本国民が本質的に抱える強さと弱さがあることも、能く能く肝に銘じて対処して行かなければならないものと考える。
 
 そして、キリスト教や仏教が国境を超えて広まった普遍宗教であり、神道は国境を超えない特殊な宗教であると云う見解にも、根本的な異論がある。
それについて、少し長くなるが、国体論の名著の一つである田中晃先生の「日本哲学序説」(昭和17年9月初版)の序言の一節をここに引用する。
「日本国体の尊厳は、日本国家の特殊性が、既に世界の普遍性を媒介して成立した所にある。この意味に於いて、真に世界的の名を冠し得る国家があるとすれば、それはまさしく日本国家でなければならぬ。

 日本は何故に世界の普遍性を媒介していると云はれるのであるか。それは日本肇国の精神が、まさに神より生まれる所にあったからに外ならない。日本に於ては、神は生むもの、国は生まれたものであった。しかして生みの根源力たる神は、まさに万邦に通ずるであらう。この意味に於て、神より生まれない国はなかったのである。しかるに、神より生まれることを以て、如実に国家成立の原理としたものは、不可思議にも、日本の外にはなかったのである。生みの根源力は普遍的であり、生まれたものは特殊的である。生まれたものが生まれた所以を自覚し、その自覚によって普遍を媒介したる特殊となったのが、まさに日本的特殊であった。

 しかるに他の諸々の国家は、生まれたものでありながら、生まれたことの忘却によって、みづから神より離れて国家を第二義的存在とするか、或いは逆に、みづから神となることによって、特殊をもって普遍を奪はんとする。前者はキリスト教的国家観であり、後者は侵略的帝国主義の国家観である。日本の国体は、これらのものと全く原理を異にする。神は国を生むことによって国を肇めたまひ、国は神より生まれることによって神を現はす。それが神国である。神と国、普遍と特殊、その媒介の実相は、まさに「生む-生まれる」にあるのである。それは神より生まれたが故に、みづから神の地位を奪うのでもなく、しかも神より生まれたが故に、却って神意の実現となるのである。」一面において、非の打ち所が無いような卓論であると思われる。

 しかし、この万邦無比の国体を誇る吾が国が、神国日本が、大東亜戦争に完敗した、と云う厳然たる現実がある。

 西尾先生の「それが破れたがゆえに、こんどは自分たちがもっていた強さ、すなわち「日本は神国である」ということが逆に弱みになって、いまこの国を呪縛している」と云う御悲嘆は、私にとっても、この上なく痛恨なのである。

 昭和天皇の篤い御敬神、宮中祭祀の敬虔な御奉仕は、敗戦後、様々な苦難・障碍を半ば奇跡的に乗り越えられ、寸毫も変わることなく、今上天皇も御歴代同様にそれを相承され、宮中祭祀を御奉仕し玉うと、公開情報に限らず、漏れ承る。しかし「国民の敬信の念」はと云えば、御著作第7章以降の記述にも見られるように、純粋・素直であるが故に日本人としての信仰の原型を必死に守り通そうとする心情と、同時に純粋・素直である故に信仰を裏切られ、更には見事に洗脳されてしまい、必死に守ろうとする心情に抗う拗ねた情念の葛藤が底知れない混沌として、今なお数多の国民の心底にわだかまっているように思われてならず、戦後六十余年の歳月を経た現在においても、これを蘇らせることは決して容易ではない様相を呈していると認識する。

 しかし、天皇御歴代の宮中祭祀が、向後も形骸化し途絶してしまわない限り、国体は護持され得るものと敬信する。そして、西尾先生のこの御名著の刊行が、普く国民の敬信の念を蘇らせる長い旅程に画期的な道標を打ち立てられたものであることを確信し、先生に満腔の敬意を表し上げるものである。

以上
文章: 小川 揚司
             

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