坦々塾報告(第二十一回)報告

 小川揚司
坦々塾会員 37年間防衛省勤務・定年退職
                           

 第21回 坦々塾は、当初4月2日に予定されていたが、大震災から間もない国内情勢を慮って延期され、今般6月4日(土)に開催された。お正月の新年会以来半年ぶりの坦々塾であり、出席者は47人、新年会と同様、熱気溢れる盛会となった。

冒頭、西尾先生から、新たにご参加のお三方、沼尻裕兵さん(「Will」編集部員)、松木國俊さん(つくる会東京三多摩支部副支部長、「調布史の会」主宰)、平井康弘さん(スイスの世界的種苗会社の日本法人「シンジュンタ・ジャパン」執行役員)、加えて、坦々塾ブログから応募されオブザーバーとして参加された小泉健一さん(元海運会社経営)のご紹介があった。平均的年齢層がやや高くなっていた当塾に新たに壮齢の人士が加わり、更に新鮮で幅広い論議が盛り上がることが期待され、何とも嬉しいことである。

大震災、福島第一原発事故からほぼ三ヶ月となる今回の勉強会での最初の講師は櫻林美佐さんで、「大震災と自衛隊」と題する講義であった。

櫻林さんは、「大震災に派遣された十万人に及ぶ自衛官達の過酷な状況下での渾身の奮迅と被災者達の感謝の想い」について、現地での取材に即してその実情を具に語りながら、しかし「自衛隊は本来、災害派遣のために存在する組織ではなく、国防を担う組織なのである。然るに、政権も広範な国民もそれを理解せず、防衛予算を減らし続け、自衛隊の装備や人員を削ぎ続けて、それでも黙々と無理に無理を重ねて献身する自衛隊とその隊員達(現場で尽力する自衛官、駐屯地や基地で後方支援に任ずる事務官、技官達)に一応の感謝はしても、その根本的誤謬には一向に気が付かない、そのような無能な政権と無知な国民が抱える根本的な問題」について、数々の具体的実例を列挙しながら、切々と語りかけられた。

坦々塾の会員諸氏は、国防の問題に関してもそれぞれに一見識の持ち主ではあるが、櫻林さんが明らかにする吾が国の防衛態勢と自衛隊をめぐる奇怪なほどに歪んだ現実を、そのひとつひとつの衝撃の事実を、それほどのものであったかと満場固唾をのんで聴講した。
そして、櫻林さんは、極めて深刻な問題として「今日只今、吾が国の防衛生産基盤が崩壊の流れに入ってしまっていること、即ち、ここ十数年来、大幅な軍拡を続ける中国とは正反対に、吾が国は防衛予算をとめどなく低減させ続けており、そのために防衛装備に発注が減少し続け、その生産基盤の裾野を構成する数多の中小企業(町工場)が続々と倒産や撤退に追い込まれ、プライムの大企業ですら防衛部門からの撤退や縮小が目立っている。生産ラインとともに不可欠な技術と技術者も次々と消滅しており、このままでは確実に防衛生産基盤は崩壊すること」を訴えられた。筆者も曾て防衛省・自衛隊において、防衛装備の調達行政にも携わったことがあり、往事からの諸問題が益々深刻化していることを痛感し、憂慮を更に深めたところである。

曾て忠勇無双を誇った帝国陸海軍も「兵站の貧弱」がアキレス腱であったが、それでもなお巨大な陸軍・海軍工廠を保持していた。しかし、現在の自衛隊にはそれすらなく、「お国のために」と自ら立ち上がってくれたM重工、K重工をはじめとする防衛産業のみが頼みの綱なのである。櫻林さんは「防衛産業は「国の宝」であり、多くの防衛産業の人達は「儲かるか、儲からないか」と云う次元ではなく、「国を守れるか、守れないか」と云う視点で、日々、研究開発に努めている、と云うのが取材を通じて得た私の印象である」と断言し、これを守るべく懸命の論陣を張って下さっている。数多の防衛問題の専門家の中でも、現下の自衛隊の窮迫した実情を冷静に具体的に掌握し、生身の自衛隊と隊員達に肌を寄せるように温かく、本質的で建設的な施策を提言する論者は希有であり、日本人としての真心と抜群のセンスを兼備した櫻林さんのような論客の存在を心底頼もしくも嬉しくも思うものである。

講義の後、櫻林さんに「誰も語らなかった防衛産業」(並木書店)、「終わらないラブレター」(PHP)などのご著作があることも西尾先生から紹介された。 
また、「正論」7月号にも「自衛隊の被災地支援作戦で見られた国民の“宿題”」と題する卓論を寄せておられるので、併せてご紹介申し上げる。

次に、当塾の会員であり、東京電力(柏崎・刈羽)に勤務される傍ら、新潟大学でも教鞭をとられる小池広行さんに「福島第一原発の今後の行方」と題して講義いただく予定であったが、ご勤務の関係上、現時点では状況が許さないと云うことで、代わりに小池さんから寄せられたご勤務の近況についてのメッセージが、西尾先生から披露された。メッセージの内容は盛り沢山でそれぞれ興味深いものであったが、中でも小池さんと同期でもある福島第一原発の吉田所長との掛け合いは実に剛毅であり出色であった。他方、小池さんには新潟県内に避難された被災者の方々に東京電力を代表して対応するお役目もあり、精神的に憔悴されることも度々であるとのこと、会員の浅野さんから贈られた東郷神社の御守を胸に、試練に耐え抜いていただくことを、遙かにお祈り申し上げるものである。

メッセージが披露された後、西尾先生が「Will」6月号に寄せられた「原子力安全・保安院の「未必の故意」」、同じく7月号の「脱原発こそ国家永続の道」を踏まえ、西尾先生からお話しがあった。
西尾先生は「この二論文の眼目は、吾が国の国家のあり方に関わる根本問題についての指摘にある。どうも佐藤首相のころから日本はおかしくなり始めてのではないか」と問題提起され、具体的には、次の二点、6月号の「つねに最悪を考える」の節にも記述された「アメリカは、日本が国家漂流の状態になることがあり得るという可能性を想定に入れているからこそ、大部隊を派遣したのである。 … しかし、日本では政府も民間人もそこまで考えているだろうか。福島原発がコントロールできなくなるような最悪の事態、国家の方向舵喪失のあげくの果ての、政治だけでなく市民生活全般における恐怖のカオスの状態を念頭に置いているだろうか。 … アメリカの政治家にあって日本の政治家にないのは、あらゆる条件のなかの最悪の条件を起点にして未来の計画図を立てているか否かである。つねに最悪を考えるのは、軍事的知能と結びついている」と云う問題、また、7月号の「戦争も「想定外」」の節の「考えてみると、日本の原子力発電にとっては津波の大きさだけではなく、すべての事故が「想定外」だったのである。事故は起こらないという大前提でことは進められていたに相違ない。そして、そのことは日本の根本問題につながっている。この平然たる呑気さは原発だけの話ではないからだ。原発にとって事故は「想定外」であったと同じように、そもそも自衛隊にとって戦争は「想定外」なのではないだろうか。 … 原発にとって、事故は「想定」してはならないものでさえあった。 … 同じように、自衛隊にとって戦争は ― 本当はそれが目的で存立している組織であるのに ― 「想定」してはならないものとして観念されているのではないだろうか」と云う問題に言及された。

西尾先生のご炯眼によるこのご指摘は問題の核心を直指するものであり、就中、自衛隊に関するご洞察は、紛れもない事実であると承知する。
筆者は、昭和46年に防衛庁に入庁し、昭和四十年代後半から昭和五十年代にかけての十数年間、内局の防衛局と陸上幕僚監部の防衛部を往復するなどしながら勤務したが、その間に正にそのように防衛政策が根本的にねじ曲げられコペルニクス的に大転換させられるのをまのあたりにした。
即ち、当時の自民党政府は、保革伯仲の政治情勢の中で公明党に迎合し、骨幹防衛力整備の途中でしかない「三次防」末の防衛力を「上限」とすることを政治決定し、その「政治的妥当性」の理論構成を防衛官僚に命じて作文させ、「平和時の防衛力(脱脅威論)→ 基盤的防衛力構想 → 防衛計画の大綱」と云うを蜃気楼を幻出させたのである。

古今東西 自国に対する「脅威」を想定し、その脅威に対処し得る「所要防衛力」を整備するのが「軍事的合理性」に基づく防衛政策の基本であり常識である。
しかし、吾が国においては「軍事的合理性」に基づく「脅威」は「想定」してはならないものとされ、敢えて「脅威」を想定せず「所要防衛力」の算定を度外視した「防衛計画の大綱」が現在も神聖不可侵の国是とされているために、中国が膨大な軍拡を続けていても、吾が国(歴代政権)は脳天気に平然と防衛力を削減し続けているのである。これは元は自民党政権が犯した大罪に由来するが、現政権(市民感覚・主婦感覚でしかものが見えない民主党政権)にその是正を望んでも、木に縁りて魚を求むるが如く絶望的であることは論を俟たない。(吾が国の致命傷ともなり得るこの問題については、あらためて別の機会に詳しく論じたい。)

最後の講師は小浜逸郎先生で、「人はひとりで生きていけるか ― 大衆個人主義の時代― 」と題する講義であった。
小浜先生は、レジュメの項目として Ⅰ「個人化」と「大衆個人主義」 Ⅱ「私」「自分」とは何か  Ⅲ.現代政治の危険性  Ⅳ.新しい哲学と倫理学の必要 と云う内容で、実に明晰に論理を展開された。就中、第3項においては、①民主党政治がうまくいかない理由、②風潮としての民主主義と国家体制としての民主主義、③亡国の制度改革 について解説され、中間共同体の崩壊が全体主義への道を開くものであることを指摘し、それを促すものとして民主党政治の制度改革等を厳しく批判された。そして、第4項において、吾が国の歴史・伝統に合った倫理学の出現への熱い期待を語られた。また「心的人格の構造関係」について、フロイトのように図式化しながらもその問題点を指摘しながら、無意識の基底にある底なしで時間もない「エス」についてのお話も興味深く、小浜先生の哲学的で、大層明晰な講義から新鮮な刺激を与えられた聴衆は、筆者の他にも多かったものと思われる。
講義の後、小浜先生には、本日のご講義のタイトルと同じ「人はひとりで生きていけるか ― 大衆個人主義の時代― 」(PHP)、その他 画期的な教育論をはじめとする多数のご著作があることが西尾先生から紹介された。

以上、今回の坦々塾の勉強会も大層密度の濃い充実したものであった。
その後、例によって高論百出の熱気溢れる懇親会が盛会裡に開催され、西尾先生を囲んでカラオケを熱唱する恒例の二次会も壮年会員を中心に、今回は「軍歌の神様」である松木さんも加わって勇躍と夜の更けまで行われ、今回も賑やかに結びとなった。
末筆ながら、西尾先生の益々のご健勝とともに、大石事務局長をはじめ事務局幹事の方々のいつもながらのご尽力とご高配に深謝申し上げ、筆を擱くこととしたい。

平成23年6月18日

「坦々塾報告(第二十一回)報告」への3件のフィードバック

  1.  小川揚司さんの坦々塾の報告で、この三人の講師の方々のお話しが一つの流れになっていたことを思い出しながら読ませていただきました。

     小川さんが触れていなかったことで、私の印象に残ったことは、桜林先生のお話の中の「国防予算に『子ども手当て』が含まれている。」ということでした。

     アジアの某国は、年々防衛予算(軍事予算)を増加している、しかも公表されている金額以上の予算をつかっているという中で、我が国の税金が国を守るために充分に使われていないということを知り衝撃を受けました。

     坦々塾 大石

     

  2. 立派な社会的肩書きをお持ちになる坦々塾の集まりに、私のような非常勤のいわゆるワーキングプアーがコメントを寄せるのも憚られますが、
    一言申し上げたい。小川氏のプレスの効いた軍服を連想させるような、折り目の正しい文体には、軍人特有の小気味良い方正さを久々に感じました。
    論の核である、自衛隊のいわゆる脱脅威論には私も違和感を覚えました。
    脅威は脅の字と威の字から成ります。国家が他国に脅しを与えることは望まれませんが、いわゆる威張ることではなく威を持つことは必須です。威而不猛 威ありて猛からずとは国家にも十分当てはまります。人も国家も威なくしては、しばしばならず者の軽侮、侵害を受けるからであります。
    私は脱脅威論に対して態度は保留するとしても、脱国威論には反対です。
    (ここで脅威とは他国のものであるか自国のものであるかは瑣末論です。)

  3.  アジアの某国は、年々防衛予算(軍事予算)を増加している、しかも公表されている金額以上の予算をつかっているという中で、我が国の税金が国を守るために充分

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