『GHQ焚書図書開封 5』の刊行

GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日
(2011/07/30)
西尾幹二

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 7月31日に『GHQ焚書図書開封 5』(徳間書店、¥1800+税)が刊行されました。副題は「ハワイ、満州、支那の排日」で、表紙絵をご覧の通り、帯に「パールハーバー70周年!」と銘打たれています。今年の12月8日は真珠湾攻撃の70周年記念日に当たります。

 この件については「あとがき」をすでに掲示しました。

 今日は目次を紹介しておきます。

第1章 米国のハワイ侵略第一幕
第2章  立ちつくす日本 踏みにじる米国
第3章 ハワイ併合に対する日本の抗議
第4章 アメリカのハワイ・フィリピン侵略と満洲への野望
第5章 長與善郎『少年満洲讀本』その一
第6章 長與善郎『少年満洲讀本』その二
第7章 長與善郎『少年満洲讀本』その三
第8章 支那の排日の八つの原因
第9章 排日の担い手は英米系教会からロシア共産主義へ
第10章 支那の国民性と黄河決壊事件
第11章 現実家・長野朗が見た理想郷・満洲の矛盾

〔巻末付録〕標題に「満洲」と入った焚書図書一覧(作成・溝口郁夫)

 以上の通りです。

 日本人がなぜアメリカと戦争をするという判断の間違いを犯したかではなく、なぜアメリカは日本と戦争をするという無法に走ったのかと問うべきだ、というかねての私の主張はこの本でかなりはっきりするでしょう。

 敗戦の負の感情を返上し、正の意識を回復しましょう。日本が前向きになるのはすべてそこからです。

アマゾンのレビューより

By スワン – レビューをすべて見る

レビュー対象商品: GHQ焚書図書開封5 ハワイ、満州、支那の排日 (単行本)

本書は<逆転の発想>に立っている。
「日本はなぜアメリカと戦争したのか」ではなく、「アメリカはなぜ日本に牙をむいてきたのか」と問うているからだ。

取り上げられる<GHQ焚書図書>はつぎの三冊。
・吉森実行『ハワイを繞る日米関係史』(昭和18年)
・長与善郎『少年満洲読本』(昭和13年)
・長野朗『日本と支那の諸問題』(昭和4年)

最初の本では、アメリカがハワイを併合したのが1898年と知って少々驚いた。たった100年前の出来事なのだ!
18世紀に独立を果たして以来、西へ西へと領土を広げてきたアメリカは、メキシコとの戦争でカリフォルニア一帯を奪うと、今度は、太平洋上にあって戦略的に重要な位置を占めるハワイに目をつける。
そこで軍隊を上陸させると、女王を脅かし、強引に退位させ、ハワイを併呑してしまう。

米東海岸→米西海岸→ハワイ→フィリピン、という具合に領土を広げてきたアメリカが、そのつぎに目をつけたのは満州だ。
ところが、そこには日本が陣取っていた。
……といっても、日本は満州を不当に侵略したわけではない。
満州と日本の歴史、あるいは日本人移住者たちの姿は『少年満洲読本』に活写されていて、とても参考になる。

なかなか満州に進出できないアメリカは中国と手を組み、シナ大陸で<排日>の嵐を巻き起こす。
日本・中国・アメリカ間の諸問題に関しては、三番目の本で詳しく語られる。

以上のような流れを追いながら著者は、<西へ向かうアメリカ>と<その進路に立ちはだかっていた日本>という地政学的な構図をあぶりだし、日本に対するアメリカの<戦意>を見事に描き出す。

本書を通読して強く印象に残ったのは、つねに変わらないアメリカや中国の<体質>だ。

一例を挙げれば――日本軍の追撃を受けた蒋介石軍は、その進軍を阻むため、なんと黄河の堤防を爆破して大洪水を引き起こし、十万人以上の同胞を犠牲にしたのである。
先ごろの<中国版新幹線>の事故処理を見ても、中国人の体質は戦前の本に描かれた<暴虐>とまったく変わっていない。

アメリカも同様。
メキシコやスペインに戦争を吹っかけ、キューバ、米西海岸、ハワイ、フィリピン……をつぎつぎに奪い取ってきた<横暴>は、すべてに我意を押し通そうとするアメリカ外交のひな型となっている。

いまなお、そんなアメリカと中国と付き合わざるをえない日本はどうふるまうべきか?
本書には、それを<考えるヒント>がいろいろちりばめられている。

「『GHQ焚書図書開封 5』の刊行」への1件のフィードバック

  1. さて私事で恐縮ですが、西尾先生の全集を予約した手前、当方の経済購買能力を考慮すると、先生の全ての著作を買い切れることはできません。
    コメントも差し控えようと思いましたが、アマゾンのレビューを見て、日本はどうふるまうべきかに思わず思いを致しました。
    米国と中国の体質が横暴で暴虐である、といいます。いつの時代でもどこの国にも大きさに違いはあれ横暴暴虐分子は存在します。また同様にいつの時代でもどこの国にも大きさに違いはあれ理性良識を尊重する分子も存在すると私は観ています。
    横暴暴虐分子も国家のエネルギーの一部ですから、理性良識分子が武力を持って上手く横暴暴虐分子をコントロールしていくことを期待するのがまず最初でありましょう。
    勿論現実はそうとばかりは行かず、後者が前者を凌駕して対外政策を形成せんとする。そうしたならば、外国の横暴暴虐分子を制御するのは、われわれ外国の理性良識に基づいた武力と言うことに成りましょう。
    以上の様相展開は理性的なものと思われますが、いかんせん日本には横暴暴虐分子から我が身を守る権利は持っていても、懲らしめる権利は持っていない。よって、ならず者と居を隣にして何も行うことが出来ない不愉快な現実が出来する場合もある。
    横暴で暴虐な国家にいかに対するかに長くなってしまいましたが、専守防衛では決して不健全不愉快な状況の打破は出来ず、一日も早く「普通の軍隊」の必要性を感ずる者です。

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