宮崎正弘さんによる書評
これは現代日本の思想界の“事件”だ
西尾幹二全集、刊行開始! 特集号
西尾幹二『西尾幹二全集 5 光と断崖、最晩年のニーチェ』(国書刊行会)
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▲ニーチェの多岐にわたる全貌、知のダイナマイトが爆発
西尾幹二全集の第一回配本はニーチェ。単行本になおして五、六冊分を収録している。
まずは造本、装丁のみごとさにうたれ、じっと本棚において観ていた。二、三日のあいだ、ただ眺めていたのである。
これを読み徹すために、今後、いかなる読書時間を配分するか、毎日すこしずつ読んでいくしか方法がないだろうけれども、それをどう工夫するかという形而上学以前の思考に明け暮れる始末だった。
本棚のもう一つの棚には福田恒存全集(麗澤大学出版版)が鎮座ましまし、ともかく全巻がそろっているが、ようやく半分を読んだに過ぎない。福田さんの書き方は平明だから速読出来るが、それでもあの膨大な作品群をぜんぶ読むとなると、それはそれは大変な作業である。もうひとつ余計なことをつけくわえると私の本棚に三島全集はない。全作品をばらばらで持っており、文庫版にいたっては同じ本を3冊も四冊ももっているけれど。
村松剛は全作品もっているが、江藤淳は一冊しかない。小林秀雄と保田輿重郎もほぼ全作品をばらばらに持っている。
さて、わたし自身、西尾さんの良い読者とは言えない。
『ヨーロッパの個人主義』『ヨーロッパ像の転換』など学生時代に夢中になって読んだし、衝撃的デビュー作以後の西尾作品をほぼ全部読んだつもりでいたのは、じつに浅はかな錯覚で、というより思い違いだった。全集の作品一覧をみて、西尾さんはこれほど多作だったのかと感嘆したのだ。
▲これほどの多作家だったとは
西尾幹二全集の概要を見渡せば、冷戦終結以後の東欧のルポや『国民の歴史』『江戸のダイナミズム』などを鮮明に記憶するのに、初期の作品群と翻訳は『この人を見よ』いがいに読んでいないことに気がついて、やや茫然とする。
ただし新潮文庫にはいった西尾幹二訳の『この人を見よ』は三回か四回読んでいる。そうでありながらまだ咀嚼できない。
ニーチェは難しい。
ニーチェは日本で最も人気のある哲学者・思想家だが、これほど広く誤解されている、あるいは完全にまちがって人口に膾炙された思想家もいないだろう。またナチスの魁だとか、『権力への意思』は未完成だったが、その死後の真実も殆ど知られていない。トーマスマンが批判したニーチェ解釈が、まだ日本の読書界の一部に蔓延している。
そもそもニヒリズムを「虚無主義」と日本で翻訳されたところが誤解の出発ではなかったのか。キリストを否定した一点で毛嫌いされた読書家も多いらしいが、虚無だけの観点なら中里介山『大菩薩峠』という仏教の無を表した作品がある。
「ニヒリズム」とは何か。西尾さんは簡潔に言う。
「ニーチェは二千五百年に及ぶプラトン以来の形而上学の歴史が意味を失ったことともってニヒリズムとしている」(479p)。
▲三島由紀夫とニーチェ
さて小生にとってのニーチェとは、文学青年時代に濫読した思想家のワンノブゼムでしかなく、熱狂したこともなければ、すみずみまでを舐めるように全作品を読み通した体験もない。
そうはいうもののサルトルやラッセルなど途中で本を捨てた哲学者とは異なって、何となくニーチェに関心を抱いたのは、じつは三島由紀夫が触媒である。
三島が『豊饒の海』に取り組む前までに、もっとも影響を受けた思想家はニーチェである。断定的に聞こえるかもしれないが、三島の『宴のあと』『絹と明察』はまことにニーチェ的であり、『美しい星』の主人公達はディモーニッシュであり、三島がニーチェをよくよく読みこなしていたことは研究者のあいだにも知られる。そして三島が好んだ音楽はワグナーだった。
さすがに西尾さんは、この点に重々ふれて、次の文言を挿入されている。
「萩原朔太郎が表現と情緒において感性的影響を受けた孤独は漂泊者の姿、斎藤茂吉の作歌の隅々に反響している生命観のリズム、小林秀雄が歴史の客観的学問に懐疑を寄せた際の、美と生の模範としての概念拒否の姿勢、三島由紀夫が認識と行為の矛盾した軌跡に示したパトスの源泉としての意味」。
つまり三島とニーチェの結びつきは、「最初からなんとなく予感されるある内的緊密生」(529p)を保有している、と。
三島がニーチェを卒業し、神道から仏教思想へいたる過程が『奔馬』『暁の寺』である。
わたしはニーチェが仏教について次のように書いていたことを、西尾幹二全集を通して、じつは初めて知った。
ニーチェの仏教のとらえ方とは、
「仏教は、幾百年とつづいた哲学的運動の後に出現しているのだ。<神>という概念は、出現当時すでに、始末がついている」
「仏教は、もはや<罪に対する戦い>などを口にしない。その代わり、どこまでも現実というものを認めた上で、<苦悩に対する戦い>を言う。仏教はーーこの点でキリスト教からは深く区別されるのだがーー道徳概念の自己欺瞞をとうに脱却している」
そしてこうも言う。
「仏陀は、心を平静にする、あるいは晴れやかにする理念だけを要求する」
「仏教の前提をなすものは、きわめて温暖な風土と、風俗習慣に観られる大いなる柔和さ、暢びやかさといったものであって決してミリタリズムではない」
もっとも『この人を見よ』には次の記述があった。
「(ルサンチマンが御法度と知っていたのは仏教であり)、仏陀の『宗教』は、むしろ一種の衛生学と読んだ方が、キリスト教のようなあんな哀れむべきものとの混同を避けるためにもかえって良いのだが、この『宗教』はルサンチマンに打ち勝つことを持ってその功徳としていた。つまり、魂がルサンチマンによって左右されないようにすることーーこれが病気からの回復への第一歩なのである」(西尾訳)
▲ニーチェの翻訳は岩魂を鑿で彫り刻むような仕事
西尾氏のニーチェへの取り組みは全生涯かけての学問的要求と執念に満ちている。
その凄まじいまでの取り組み姿勢は留学中のドイツでイタリア人のニーチェ研究家に会い、膨大な文献、未整理の資料に圧倒され、また西ドイツのニーチェ研究がむしろ遅れていること、ワイマールのニーチェ蔵書が手つかずのまま残っていることなどを知る。
訳業にあたっては精読に精読を重ね、ドイツ留学時代にもあらゆる関連文献を探し、あるいは目処をつけ、幾多の資料を買い込み、マイクロフィルムにも特注し、私製の海賊版をつくり、そして書斎に寝かせて“熟成させる“歳月も必要だった。
西尾さんは翻訳の苦労に関してこういう。
「ニーチェの文章を翻訳するのは岩魂を鑿で彫り刻むように仕事である。一語一語が緊密に詰まって、内容が圧縮されているからである。しかも語と語のあいだに意味上の空隙があり、飛躍があり、従って訳語の選択にはきわめて大きな自由の幅が与えられている。訳者の解釈力がそのつど強力に問われる」
そしてできあがったニーチェ研究の集大成にはドイツにおける研究成果の検証、日本における高山樗牛からかれこれ百年になろうというニーチェ研究の来歴を総括されるという、あきれるほどの労力が濃縮されて第一回配本に集約されたのである。
一週間かけて、ようやく初回配本を(ドイツ語論文をのぞいて)読み終え、呑んだ珈琲のおいしかったこと!
全著作を収めた初の決定版全集!! 西尾幹二全集
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全22巻(年4冊刊行)
― ニーチェ研究で衝撃のデビューを果たし、日本のあり方を深く、多角的に洞察してきた「知の巨人」西尾幹二の集大成。
― ショーペンハウアーや福田恆存の解読も踏まえ、文学評論、教育論、日本の歴史、世界史観、さらにはヨーロッパ留学から病気体験を経て、自己の少年期までを語る自分史を通じ、自由とは何か、人生の価値とは何か、日本の根本問題とは何かを問うてきた思想家の、そのひたむきな軌跡を辿る。
第一回配本 第五巻(六〇九〇円(税込) 発売中
『光と断崖──最晩年のニーチェ』 ~発狂直前のニーチェ像を立体化し、未刊行の・西尾のニーチェ・を集成する
(全巻の内容)
西尾幹二全集 全二十二巻(巻数順に年四冊配本予定)
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第 一 巻 ヨーロッパの個人主義 平成二十四年一月刊行予定
第 二 巻 悲劇人の姿勢
第 三 巻 懐疑の精神
第 四 巻 ニーチェ
第 五 巻 光と断崖―最晩年のニーチェ(発売中)
第 六 巻 ショーペンハウアーの思想と人間像
第 七 巻 ソ連知識人との対話
第 八 巻 日本の教育 ドイツの教育
第 九 巻 文学評論
第 十 巻 ヨーロッパとの対決
第 十一 巻 自由の悲劇
第 十二 巻 日本の孤独
第 十三 巻 全体主義の呪い
第 十四 巻 人生の価値について
第 十五 巻 わたしの昭和史
第 十六 巻 歴史を裁く愚かさ
第 十七 巻 沈黙する歴史
第 十八 巻 決定版 国民の歴史
第 十九 巻 日本の根本問題
第 二十 巻 江戸のダイナミズム
第二十一巻 危機に立つ保守
第二十二巻 戦争史観の革新
内容見本ご希望の方は、下記へお問い合わせ下さい。
株式会社 国書刊行会
電話:03-5970-7421 Fax :03-5970-7427
Email:nakagawara@kokusho.co.jp
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<西尾幹二全集刊行 記念講演会>
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西尾幹二先生の全集刊行が開始されました。これを記念して氏の講演会が開催されます。ふるってご参集下さい。入場無料です。
記
とき 11月19日(土曜) 午後六時開場 六時半開演
ところ 池袋「豊島公会堂」http://www.toshima-mirai.jp/center/a_koukai/
演題 西尾幹二「ニーチェと学問」
入場 無料
主催 国書刊行会(http://www.kokusho.co.jp)
問合せ先03‐5970‐7421
光と断崖。まさにニーチェの白熱した光を好んで読む。ふと足元を見ると断崖だ。こんな所には長くは居られない。しかし私は白熱に目が”眩ん”で、危険な断崖に居付くしかなくなり、眩暈や恐怖が常態となった病者の様に自らを感ずる。彼やゴッホの様に完全な狂気に陥らないのは、私が断崖にあってももはや白熱に背を向けているからではないか。早く断崖から降りたいが
未だ六分目ほどの様だ。早く平常地へ戻る為にも、西尾全集のニーチェ巻はこれぐらいにして第二回配本を待とう。(だから言った通りだ。「先生を迂闊に呼ぶとぶっ壊される」と。)