講演会のチラシ

 11月19日の講演会「ニーチェと学問」は350~400人くらいの入りで、ひとまず盛会だった。講演内容の説明はここで簡単にはできないので、お許したまわりたい。

 当日会場で4枚のチラシが配られた。私の本の広告とつくる会の入会案内である。私の本は相次いで三冊出るので、チラシを見ていただきたい。文藝春秋、新潮社、徳間書店の順で並べる。さいごに、つくる会の広告もお見せする。

 三冊の本のうち新潮社のだけは来年1月刊行で、まだ出ていない。このチラシは編集者がペンで書いた手造りである。文言は気に入っているが、読みにくいので、打ち直して掲示する。

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天皇と原爆

強烈な選民思想で国を束ねる
「つくられた」国家と、
世界の諸文明伝播の終着点に
「生まれた」おおらかな清明心の国。

それはまったく異質な
二つの「神の国」の
激突だった――。

真珠湾での開戦から70年。

なぜ、あれほどアメリカは
日本を戦争へと
おびき出したかったのか?

あの日米戦争の淵源を
世界史の「宿命」の中に
長大なスケールでたどりきる、
精細かつ果敢な
複眼的歴史論考

平成24年1月下旬刊行 新潮社

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「講演会のチラシ」への1件のフィードバック

  1.  小夜嵐の中の豊島公会堂で、西尾先生の御全集刊行記念講演を拝聴いたしました。それに先立ち、御全集第1回の配本「光と断崖 最晩年のニーチェ」を拝読し、先生は、ニーチェそのものに成り切ってニーチェの真姿を吾々に説き聴かせて下さっている、その非凡な資質、透徹した直観力、強靱な思想批判力において、先生はニーチェと驚くほどに相似しておられるのではないか、吾々日本人にとってニーチェの思想がどのような意義を持っているのかと云うことを、これほど的確に、平易にお教えいただくことは、今後幾たびあろうか」と感慨を深くしたところでした。そして、ご講演を拝聴し、更にその感慨を深くいたしました。

     第一部において、先生の「天才的な直観こそが、既存の客観性を破壊して真実に迫る」と云うご指摘に、思わずハタと膝を打ちました。そして、根源的な実在とその現象的な表現を古事記の造化三神の例えによって語られ、また、存在と時間の洞察をハイデガーとともに道元の有時を用いて説いて下さる自由自在の展開に瞠目し、そのように広範にわたる学識を一つに融合させながら次元の高みへと導いて行かれる進展に感嘆しながら、あたかも名曲を聴くような想いで拝聴いたしておりました。
     
     そして、第二部が始まった時、この時間をもう少し第一部の方に配分していただくことはできなかったものか、との思いでしたが、最後の「ここで、この湖で、この岩のところで、ニーチェは永劫回帰を霊感したのです」と仰る先生の感動を込めたお言葉に、そう云うことであったのか、と私も忽ち感動し、、同時に、先生がこれほどまでににニーチェを深く敬愛しておられるのか、感動し、しっくりと臍落ちした想いでございました。

     ニーチェは、西欧世紀末を覆い尽くす沼気の中で、西尾先生は、吾が国の戦後レジームの濃密な沼気の中で、ともに孤高の思想家として時代を裁断され、その沼気を斬り祓おうとされ、先生は現にご奮迅、戦いを敢行し続けておられますが、ニーチェは戦いの最中で壮絶な戦死を遂げたところであると承知いたします。
     ニーチェは、近代知識人として、デォニュソス的存在の奥の実在を、即ち、古代のコスモスを必死で見据えようとしながら、しかしそれを把える術はなく、人間的考究の末に「永劫回帰」を霊感し「超人」を構想するも、それ自体がヒュブリスの所産ではなかったのではないでしょうか。デォニュソスなどの神々を祭った民族の祭祀は遠い昔に絶え果て、ニーチェの前には朧気な神話と遺跡(廃墟)しか残っていなかった、致し方のないところであったと感じられます。

     それに対し、吾が日本民族には、古代のミュトスが、天皇と云う姿で存在し、その宮中祭祀が命脈を保ち、厳存していると認識すれば、西尾先生が、ニーチェ二部作に続編(第三部)と仰せの「江戸のダイナミズム」においてアプローチされた「古代への架け橋」を通ることも可能ではないか、先生がその道を切り開いて下さるのではないか、と云う想いが止みません。

     そして、先生の近著「天皇と原爆」に対する編集者のフレーズに、またまた瞠目いたしました。「強烈な選民思想で国を束ねる「つくられた」国家と、世界諸文明伝播の終着点に「うまれた」おおらかな清明心の国 それはまったく異質な「二つの神」の国の激突だった――」と云うフレーズ、前者の「神」は、ニーチェが対決したかの時代の沼気の結晶そのものではないか、古代のコスモスを否定して現出したイデオロギーの神、ユダヤ教を淵源とする独善排他の唯一神ではないか、対する後者の「神」は、ニーチェが求め続けて辿り得なかった古代のコスモス、その同じコスモスから生まれ脈々と命脈を保ち続けてきた神、神道のおおらかな八百万の神々ではないか、そのような思いで、「天皇と原爆」のご刊行を心待ちにしております。

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