二つの『光と断崖』読後感(一)

 昨年末二人の知友から私の全集第五巻『光と断崖――最晩年のニーチェ』をめぐる読後感をいただいた。最初は一級建築士の大西恒男さんの感想で、京都在住の彼は震災後の復旧の仕事で茨城に長期間出張していて、そこで自由時間にニーチェと向かい合っていたらしい。二人目はいまヨーロッパ史に関する大著に取り組んでいるインテリジェンス研究家の柏原竜一さんである。お二人の論考をつづけて掲載する。

西尾幹二全集 第五巻 「光と断崖 最晩年のニーチェ」 を読了して

先生の著作で容易に手にすることの出来なかった文章群にふれ、楽しく・意味深く本書を読了いたしました。特に白水社のニーチェ全集を手にする機会を持たなかったので本書に収められた文章の多くをはじめて拝見いたしました。

光と断崖・・は晩年のニーチェの精神活動を知るのに分かりやすく。幻としての権力の意志・・はその成立顛末が詳しく述べられてあり、既存本 権力の意志 の小見出しは著者の意図しないニーチェの妹とガストの編集ということもわかりました。この人を見よ・・の翻訳は格調高く訳注も精緻を極めた内容になっていたのでこの訳注だけを単独に読み返しました。

ドイツにおける同時代人のニーチェ像・・は特に興味深く読みました。ニーチェをよく知るサロメの文章は心理的な意味が深く、(光のマントに包んで身を隠した者とはあの人自身にみごとにあてはまる。)などの表現は美しくまた正鵠を得ているようです。ヘッセの講演でツアラツストラを評した講演内容紹介もすばらしいと思いました。

研究余録 ギムナジウム教師としてのニーチェ・・はニーチェの人となりを知るのに好都合でした。若き大学教授ニーチェが教えるギリシャ語の授業風景が目に浮かびます。20人程度と規模が小さい古典語クラスの格調と厳しさ・真剣さなど教室の音さえ聞こえるようです。(すでにこの最初の時間で、われわれはある運命が大変な教師をわれわれのもとに送りとどけてくれたという印象をもっていた。1時間ごとにわれわれの尊敬と感激は高まっていった。)T.ジークフリート
以前、カルチャーセンターで西尾先生の講義を受講したとき我々受講生は上記に近いものを感じたと思っています。受講前と受講後では我々の気持ちの高ぶりが違っていたものでした。
ある受講生の女性は会社の上司に西尾先生の講義内容を話したあと、大学がこのようなものであるなら会社を辞めて進学したいと真剣に話をされていたことを思い出しました。

本全集第五巻の続きは西尾先生の翻訳された白水社イデー選書 「偶像の黄昏・アンチクリスト」にチャレンジしたいと思います。

大西恒男

 大西さん、どうもありがとう。その後の来信によると、彼はニーチェの『アンチクリスト、偶像の黄昏』(白水社イデー選書)も入手して、すでにお読みになったらしい。

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