第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(五)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

  真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 小林秀雄は歴史意識を問題にしたが、ついに、自ら歴史を叙述することはしなかった。出来なかった。俺はものをつくれないと言った。宣長教団をつくって、どうやったら、今の現代に宣長の復権を果たすことが出来るかとの行動をしなかった。それにもかかわらず、小林さんは「歴史は観照ではなく行為だ、歴史は自己認識である」と言った。その行為が、例えば骨董にのめり込むようなことになっていった。

 小林さんには古代への思慕があった。そして、現代人としての深刻な危機意識があった。その相克の中に立ち尽くすしかないという決心、自分の限界に対しても謙虚であった。自分も古代人と同じように生きて見せたいと思った。

 私は小林さんにブルックハルトの姿を見ます。ブルックハルトという歴史家は凄い人でした。ブルックハルトと対立するのはニーチェです。ブルックハルトとニーチェは二十五歳の年の差があったが、バーゼル大学で互いに尊敬しあい、年上のブルックハルトは類まれなニーチェの才能を認めていたが、危ういなあと思っていました。ニーチェの過激思想にはついて行けなかった。                
 歴史を真剣に理解するだけでなく、自分の行為の中に体現するということをブルックハルトは知りません。出来ませんでした。何故なら、これは歴史に対して冷静でなくなり、どうしても、宗教家になっていくからです。

 ニーチェは若い頃、大変危険な縁に立ちました。若い頃のニーチェは、単なる研究や学問だけでは満足出来ず、古代ギリシャのソクラテスのようなあの賢人達によるアカデミィを、親友ローデなどの若い友人たちをさそって十九世紀のドイツに甦らせようとしました。これは間違いなく一種のカルト教団です。しかし、その頃、普仏戦争が始まり挫折しました。ある意味それでニーチェは救われたかもしれません。彼は、この時危険な縁に立っていましたが、しかし、夢は捨てていなかった。次に彼はコジマを取り込み、ワーグナーを担いでカルトを作ろうとしました。しかし、ワーグナーは取り合いませんでした。

 そして、「本当に知ることは、行う事である」と言いながら、そこで、止まってしまった小林さんと、そうではなく、行動した三島さんの違いがここにあります。

 つまり、ブルックハルトとニーチェ、そして、小林秀雄と三島由紀夫、これはある意味で見事な対比になるかもしれません。
 
 小林さんの歴史はブルックハルトと同類で、小林さんは「歴史は観照ではない」と言いながら、観照にとどまっているところがあった。それに対して、観賞を打ち破って、行動に出る。危険極まりない、文学者が宗教家になるということ、それがどういうことかということが三島さんの問題ではないかと思います。

つづく

文章化担当:中村敏幸

「第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(五)」への2件のフィードバック

  1. 中村敏幸さんの思想感には、大変共感を覚える印象があります。
    その表現力には、思想的偏り方が無く、とてもバランス感覚に長けたお方だという印象があります。
    そういった要素があるからこそ、批判すべきところの要所がわきまえていらっしゃって、ご自身の思想感と歴代の思想家との距離感が、近すぎず遠からず・・・。

    私には心地よい言葉の連続でした。
    次なる論文にも興味津津です。

  2. >あきんどさん
    この内容は西尾先生の講演録を要約したものです。

    ですから、ここで書かれている「私」とは、西尾先生のことです。

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