第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(四)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

  真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館
 
 三島さんは真贋ということを、福田さんのように余り意識して、言わなかった。しかし、自己が行為と一緒でなければならないという意識を持っていた。福田さんと同じよう日本対西洋という意識を強く持っていた。その点、小林さんとは違っていた。しかし、小林さんの影響を非常に強く受けていたと私は思います。
 
 小林さんは、初めて「認識は行為である、歴史は観照ではない」と言った。大正文化主義の、例えば、和辻哲郎くらいまでは、認識は知識であり、歴史は教養であった。露伴まではそうです。

 小林秀雄はそのアンチテーゼでしたから、「私の人生観」の中で、「歴史は客観視ではない。自己である、本当に知ることは、行うことである」と言った。これは、お釈迦様が弟子に向かって、「お前は毒矢に当ってゐるのに、医者に毒矢の本質について解答を求める負傷者のようなものだ、自分は毒矢を抜く事を教へるだけである」と言ったことを引き合いに出して、「空の形而上学は不可能でだが、空の体験といふものは可能である」と述べた次に出て来る言葉です。

 三島さんにとっては、認識と行為の一致こそが目指す方向であった。

 三島さんのボディビル、乗馬、飛行機に乗ったりすること、こういう行う事と同じ行いと考えていたのではないか。これが私にとってずっと謎だった、今でもまだ謎ですが、三島さんにとって、小林さんの「本当に知ることは、行うことである」というのは、そういう一連の行動と同じことだったのかなあと云うことが私にとってずっと謎であった。
 
 その謎について、まだ解決はして居りませんが、大きく局面が開けたのはオウム真理教でした。十五年程前、オウム真理教の出来事に出会って、私は三島由紀夫のことをすごく考えました。
 
 盾の会はカルトであり、そして、三島さんは作家なんです。そして体なんです。体で表現しているのです。作家というのはそういう存在なんです。七十年代から現代に及ぶ色々な時代の病があった。彼は、色々な小説の中で時代の病を表現(先取り)している。

 果てしなく現実から遠く、それでいて果てしなく狂気から遠い。垂直の洞穴を掘るためにまっすぐ穴の中を落ちていく。そして、日常市民生活からかけ離れている。こういう構造の有り方に於いてオウム真理教と三島由紀夫は同じでした。

 勿論、三島さんには自己意識があり、日本の社会に対する強い倫理的な意識がありましたから、他を破壊すのではなく、自分を破壊するのですから、オウム事件と三島は方向は逆であったが、しかし、ラディカリズムでは一致していたと思います。
 
 オウムは宗教であり、その行動は犯罪であった。宗教が有る段階から犯罪になったのではありません。宗教が犯罪を犯すことはない。そんなことはありません。宗教はどんなに成熟していても、日常性とは正反対です。宗教はおどろおどろしいカルト性を抱えています。

 現代は、聖書や仏典の言葉が、本当に悩み苦しんでいる人の心に届かなくなっているのではないか。響かなくなっているのではないか。今日、沙漠のような状況に我々は生きているのではないか。聖書や仏典が、ただの教科書でしかなくなっているのではないか。

 まともな宗教なら、自分も仏陀やキリストのように生きたいと思わせるようになるのが当然です。すべての教団はカルトから出発しました。キリスト教も仏教も怪しげなカルトから出発した。

 そこで、宗教の真贋、本物とニセ物についてですが、先程の「俗物論」の真贋を思い出してください。小林さんの、焼き物の真贋に客観的な尺度がないように宗教の真贋にも客観的な尺度はない。どこかに本当の超越神がいて、その神様が優劣を判定してくれるのなら別ですが、困ったことに、宗教の優劣というのは、その神様同士が互いに争って、互いに否定しあっているのが実態で、宗教の争いほど過激なものはない。オウム真理教がサリンを作っても不思議はないのであって、それを防げなかった国家に問題があった。

つづく

文章化担当:中村敏幸

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