第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(六)

このシリーズは第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」での録音を起こし、要旨を文章化したものです。  

  真贋ということ ー 小林秀雄・福田恆存・三島由紀夫をめぐって ー

文章化担当:中村敏幸(つくる会・坦々塾会員)
                   平成二十四年五月二十六日 於 星陵会館

 三島由紀夫は、東大教授の三好行雄さんとの対談で「今、われわれは、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうという約束をするでしょう。戦争中は、来週の水曜日に帝国ホテルで会いましょうといったって、会えるか会えないか、空襲でもあればそれまでなんで、その日になってみなきゃ、わからない。それが、つまりぼくの文学の原質なのですけれども、今は、来週の水曜日、帝国ホテルで会えること、ほぼ確実ですね。そして文学は、僕の中では依然として、来週の水曜日、帝国ホテルで会えるかどうかわからないという一点に、基準がある。それがぼくの、小説を書く根本原理です」と言っている。

 現代に於いても、「文学の世界では会えないような状況を追及する。世界をつくる」ということが、彼が小説を書く根本原理だと言っています。
 
 終戦直前の東大の学生寮を舞台にした「若人よ甦れ」という作品があります。一人の女学生の恋愛物語であり、明日のない世界であるが、明日はどうなるか分からないような状態であっても恋愛はあった。しかし、戦争が終わると恋愛は消えて無くなってしまったと書いている。

 行動と認識の一致と言いますが、先程、私は行動と認識は一致しないんだと言いました。

 意識が自由であるということは俗物であるということ、つまり、ニセ物だということです。皆ニセ物で生きているということです。

 三島を本当に理解した人、三島が最後に許した人は一緒に死んだ森田必勝たった一人であった。一番否定されたのは村松剛であった。一番理解しているような顔をしていて、アナウンサーのような解説をやっていて、三島に拒否された。一番近い人が一番激しく否定された。彼には三島さんに何が起こったのか解らなかった。ニーチェも、彼が最後に許したのは、一緒に付いてきたあわれな音楽家ペーター・ガストたった一人であった。母親も妹も許さなかった。

 ラディカリストというのはそういう恐ろしいもので、三島もニーチェも恐ろしい世界なんです。結局、三島文学というものは最終的に其処へいってしまった。

 三島さんに、「わが友ヒットラー」という作品があります。「サド侯爵夫人」の方のサドは舞台に立たたないで、主人公は舞台に立たないで間接話法で表現されているが、「わが友ヒットラー」では、ヒットラーという悪魔が、舞台に堂々と登場し、薄気味悪いほど切迫した説得力がある。私はこの舞台を見ていないので上演したときの効果は分からないが、この作品化が表現した主題は、ドイツでは全く扱われなかった視点である。それは不可能であった。この作品が、凄絶にリアルな印象を与えるのは、三島自らヒットラーの狂気に取りつかれ、自ら狂気と化して書いているからです。自己の文学であり、認識と行動の一致であった。三島自身の政治参加と密接な関係があった。狂気を客体化することではなくて、自ら狂気と化することによって、狂気をぎりぎりのところで意識化しまし。そういう意味で盾の会は彼の文学のために必要であったのです。

 ホッホフートやペーター・ヴァイスなどのドイツの作家の試みたナチス批判は、たとえ、ノーベル賞をもらった人でも単なる批判であって文学になっていない。ヒットラ―を初めから狂人扱いして書いて居り、自分の心の中の狂気は全く書けていない。だから作品が事実に負けて文学になっていない。
 
 さて、小林さんと三島さんの違いはお分かり頂けたと思いますが。最後に、小林さんと福田さん、三島さんの違いを申し上げたいと思います。それは、西洋というものに対する意識の違いです。  

 ただ、日本精神の復活と言っても、日本的であろうとすればそれで良いと言う訳ではない。我々の日常生活は、生活文化は西洋化されてしまっています。

 三島さんは、福田さんも同じですか、西洋化を突き抜けて行かなければならない、徹底的に西洋化しなければならないと考えていた。

 小林さんは徹底的に対立するとは言わなかった。もう純粋な日本は失われているという危機感が強かった。

 作家は西洋化された長編小説を書かなけれはならないという恐怖観念が三島さんにはあったし、同様に福田さんにもあった。西洋化された、西洋のままに新劇を作らなければならないと考えた。日本の市民社会の中に演劇を見に行く層をつくろうとして「劇団雲」をつくった。しかし、そんなことは、一人の知識人の力で出来る訳がない。せつない、むなしい努力であった。

 西洋化を捨てて日本文化に向かうということではなく、柳田国男にしても、鈴大大拙にしてもそう言っているが、そうではなく、三島さんは純粋日本は敗北している、その宿命を見据えようと言っている。純粋日本は観念にすぎないと言っている。

 そうであるならば、西洋化を捨てて日本文化に向かうのではなく、西洋化を突き抜けて行かねばならない。徹底的に西洋を学んで西洋を乗り越えていかねば日本回復の道はないという逆説が生まれる。これは福田恆存も同じであった。それが、三島さんにとっては「豊穣の海」であり、福田さんにとっては「劇団雲」ということになる。

 同時に、三島さんは、「英霊の声」で昭和天皇を否定する。戦後、これ程ラディカルに天皇制を否定した人は他にいません。旧敵国に庇護された戦後日本の平和体制と現行の天皇制度が妥協している点が、三島さんは許せなかった。しかし、これは生き延びるためにはしかたがなかった。我々は戦後の運命を知っているためにそう思います。ですから、三島さんの要求は現実離れしているし、悲劇的にならざるを得なかった。  

 しかし、同じ思いは私も持っています。恐らく、皆さんも持っておられることでしょう。最近の皇室の様子を見ていると、やっぱりおかしいのではないか、やっぱりバイニング婦人は無かったのではないか。やっぱり、やっぱり、という思いは益々強くなるように思います。

了                    

文章化担当: つくる会・坦々塾会員 中村敏幸

「第三回「西尾幹二全集刊行記念講演会」 要旨(六)」への4件のフィードバック

  1.  西尾先生の講演を拝聴した者です。中村さんが纏めて下さった講演録を拝読して、改めてその内容を噛みしめています。
     先生がカルトの話題を出され(確かどんなカルト集団も「主人持ち」の、という表現をなさったと記憶しています)、ご自分も過去危うく「教祖」になりかけた、というような冗談を言って会場を沸かせておられたことが印象的でした。
     最近オウムの元信者菊池・高橋両容疑者が逮捕されて、二人ともまだ信仰心があるのではないか、などとテレビ・雑誌では報道されていますが、私にはバカバカしく感じられました。オウムが殺人事件を起こしてから教団を離れた者、また犯罪の中心にいた信者の中でも改心した者もいた中で、17年も逃げ続け、今だ牢屋の中に収まっている教祖を見て失望しない訳がない気がします。逃走し続けたのは殺人罪で捕まるのが怖いからだけじゃないか。
     ただ昔、旧上九一色村の確か村長さんがテレビインタビューで「オウムの連中はなんで麻原みたいな汚らしいオッサンについて行くんだろうね」と言うのを聞いてなる程と思ったことがあります。「アイドル」を求める者は何か一つでも魅力があればついて行くのだろうし、信者というものは本来そうしたものなのかもしれません。
     今回の講演会での「認識と行動そして信仰」の問題は長らく先生の思想を貫いている根幹の問題であろうし、加えて「西洋対日本」の問題は本来日本人全体が背負っている試練であるはずです。
     ところが先生が講演や著作で繰り返し主張されていること、「最近の若者はどんどん西洋から離れて行っている」というのは、「西洋化を突き抜ける」どころか、「観念としての日本」すら意識しない救いがたいただの「西洋化」が至る所我が国の危機を招いていることと繋がっている訳で、このことは心ある人なら皆認識している所だと思います。
     最近の大学では今回の講演会のような問題を話題にするのでしょうか。若者たちはこの講演を聞いてどう思うか聞いてみたいと思いました。
     先生が仰るように三島由紀夫が亡くなったことは大変な衝撃であったし、今でもそれは変わらない訳ですが、我々日本人が覚醒するために、三島氏あるいはそれに代わる人物がまだ何回死なねばならないのでしょうか。
     それともまだ他に何か方法があるのだろうか。
     西尾先生の精力的な仕事ぶりを頼りにしながら、次の著作を…と勝手な期待ばかりしている一読者にすぎませんが、そんな思いを抱いた次第です。
     ご都合で講演会には来られない方々には申し訳ないことですが、著作もさることながら、西尾先生の講演というのはユーモアもあって、中身が非常に濃く、それこそ日常を離れた清涼剤のような(陳腐な表現ですが)時間を過ごすことができたひと時でした。

     
     

  2. 西尾先生が極めて有益な講演をなさっていた事を、坦々塾中村氏の文章で知って、真に有り難く思いました。
    改めて自らの精神構造を、小林、福田、三島各氏のそれと相似において比較する事により、より明確に認識出来た観があります。
    行為が政治と繋がる事において、やはり三島氏に親近感を覚えました。福田氏の文章に何故かそれを覚えなかったのは、氏が文学者として権力意志を否定していたからと言う事も学びました。小林氏は政治以前のヴァレリー言うところのいわゆる精神を学んだ事で今でも私にとっては師であります。
    さて、三島氏の辞世の檄は私見では一字一句真実でありますが、幕末に尊皇攘夷派が過激視弾圧されたと同様に、未だその文の真価は陽の目を見ていないように思われます。
    否、仔細に検討すれば、氏は神風連や西南の役の西郷軍に同一性を見出しているのだから到達点は同一であったと観るべきでしょう。私見では問題は薩長の主勢力にあたる精神が戦後再現されていない事です。
    話がそれて長くなるので切ります。先生の講演で私の願望は、政治において精神を復興する事だと再認識しました。又それは、私においてともすれば未だ過激な形をとり、「国民の生活が第一」の政治にともすれば空疎感を感じ
    税金論議のいわゆる生活政治と遊離しないまでも乖離してしまう弊を自認せずにはいられません。
    日本政治に精神の闘技場を見出せず、中東政治の闘争に魅入られるのは、やはり”精神異常”でありましょうか。

  3. 講演「真贋ということ」の要旨を再現して下さいました中村敏幸さんにまず御礼を申し上げます。ありがとうございました。この講演も、また先立つ二つの講演(「ニーチェと学問」「個人主義と日本人の価値観」)も、音声記録はぜんぶ保存されていて、全体で相当の量になりますが、五回分くらいを整理して、著作化する予定でいます。来年の課題になるでしょう。また、「認識と行動そして信仰」の問題が私の思想を貫いている根幹の問題だ、と書いて下さった「黒ユリ」さんにも、きちんと勘所をつかんで下さっていて、ありがとうと申し上げたい。小林、福田、三島、そしてニーチェの問題はまさにこれでした。私の全集の次の巻『懐疑の精神』(第三巻)もこのテーマで一貫しています。本日(6月28日)ようやく校了となり、ほっと一息ついたところです。

  4. ある方からのコメントにより、講演録の内容が誰のものか分かりにくいとのことで、表示を「文責」から「文章化担当」に変え、西尾先生の講演録の要旨であることも合わせて明記しました。ご忠告有難うございました。なお、コメントの表示は一見自分の表示がすぐになされたように見えますが、管理画面での承認がなければ、他の方の目に触れることはありません。コメント欄に参加して下さる皆様、今後とも日録へのコメントをよろしくお願いいたします。

日録管理人 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です