拙著『天皇と原爆』について幾つもの書評を掲げてきたが、何回目かに気になる内容の投稿コメントがあった。Bruxellesさんからの二通である。
最初は『正論』の冨岡幸一郎さんの書評(2012.6.5)に対するコメントで次のように書かれている。
お邪魔します。
書評10番目にようやく触れられた、天皇とその責任論。平和主義者、軍閥の被害者論をいつまでも続けていては、歴史を否定するばかりで、いつまでたっても「国体」によって宗教戦争を戦い抜いた民族の偉大な叙事詩としてさえ、あの時代を称揚することができない。
巻末に付された帝国政府声明文の効力も霧散せざるを得ない。軍人集団をより好戦的・凶暴にするためのハッシッシに成り下がってしまう。
今後の展開のために用意された、相乗作用のある二つの伏線だと思う。西尾先生の頭の中には、伏線を活用するべき壮大な展開がすでに出来上がっている筈だ。
コメント by Bruxelles
巻末に付された帝國政府声明(昭和16.12.8)は大抵の記録集に載っていない。天皇の開戦詔勅は載っているが、政府声明の方はなぜか出てこない。拙著の巻末に入れておいたのはそのせいである。本の中の対応するページは100ページである。
それにしてもBruxellesさんの期待は大きくて、重いので、ウーン、何を考えておられるのかなと首をひねっていた。すると間もなく二度目のコメントが出た。今度は武田修志さんの私あての書簡(2012.6.15)のある引用に対するコメントで、次のように記されている。
お邪魔させていただきます。
その前の部分の引用に対しー目の覚めるような真実の言葉です。ーと書かれていますが、全く同感です。
実は私もこの本をblogで紹介する際、その部分を引用させていただき以下のような感想を加えました。
「これは論壇におけるアポロ11号の月面着陸に匹敵するほど画期的な論説で、定着するには時間がかかるかもしれませんが、東京裁判史観の拘束からの解放、自虐史観の粉砕、OSSの罠からの脱出、そのすべてに向けての67年目の漸くの大きな第一歩となると思います。」
ただ武田修志氏は「誰か翻訳してくれないでしょうか。」と書かれていますが、アメリカ人どころか、日本人の多くもこの本の斬新な視点による展開に関して、ほとんど理解できていないのではないかと、不安を感じます。
固定概念に対する変化を要求するからこそ、斬新なのであり、その分、抵抗も強く予測でき、理解されるにも時間がかかる、さまざまな反応を見てそう思います。すいすいすいと誰にでも理解される内容ならば、今まで待つことも無かったし、ほかの誰かもとっくに書いていたでしょう。誤読される不安も大きく、書くには結構勇気と決意のいる内容だったと私は思います。
コメント by Bruxelles
「アポロ11号の月面着陸に匹敵するほど感動的な論説」といわれると何とも面はやく、恥しいが、昨日今日考えたことではなく、私は若い頃からこんなことをしきりに考え、書いてきたように思う。
誤解のないように言っておくが、「戦争責任」なんてものは国際的には存在しないし、ナンセンスである。だから天皇は国際社会に対してはいかなる戦争責任も負っていないのは自明である。存在しないものには負いようがないからである。
けれども、国内的にはいつまでも、いつまでもこの語が日本国民につきまとって、天皇にまでまとわりついて、いかんともしがたい。左翼にだけでなく保守までがとらわれている。Bruxellesさんも対外的と国内的とをはっきり区別して論じておられるのは賢明である。
それはそうとして、Bruxellesさんの名をクリックするとTEL QUEL JAPON という有名なブログが画面に出てくる。このブログは日本の敗北的平和主義と戦後の歴史観をわれわれが克服するうえでこの上ない貴重な資料とデータと画像と論証と記録文献を次々と提供し、的確な論説を積み重ねてきている他に例のない稀有にして貴重なネット言論である。私は折にふれ参考にし、有難く思っている。
その方がコメントを寄せて下さり、ほとんどの日本人が私の提起した問題の切り口を理解できていないのではないかと不安を感じる、「抵抗も強く予想でき、理解されるにも時間がかかる」と思う、と言っておられることは少し私の胸にひびいた。成程そうかと思う。多分そうだろうとも思う。私のあの本もある程度は注目されたが、予想外に売れていない。
私は考えを変えるつもりはなく、益々ここでのテーマを深く追究していきたいと思うが、説得の仕方を少し変えなければいけないのかなあ、などとあれこれ思案している昨今である。
『月面着陸』は『過小』評価ではないでしょうか〔笑〕。 米国在住の私にとって、母国日本とは人類社会に(三つの)根源的な問いを投げかけ、戦い続けている唯一の誇り高き国であります。一つ目はシナに『日出ずる国から日没する国へ』の国書を突きつけたこと。二つ目は豊臣秀吉とスペインの戦い。3つ目が、覇権国家・英米と戦った先の大戦です。その結果、大英帝国は昭和十七年二月シンガポールにおいて陥落いたしました。アイルランド人が毎年二月にシンガポール陥落の祝杯をあげ、当の日本人が未だに英米崇拝から抜け出せないのはおかしいと思います。
聖徳太子と秀吉の朝鮮出兵を(広義の)『大東亜戦争』と呼んではいけないのでしょうか? アメリカを『第二のスペイン』と呼ぶことのどこが間違っているのでしょうか? ローマ・カトリックもピューリタンも同じキリスト教であります。
長谷川三千子埼玉大学名誉教授や五味健作東大数理科学科教授のお仕事ではありませんが『が』や『は』という助詞を持つ日本語は『我思う故に我あり』のヨーロッパ言語をは全く異なる世界認識・論理構成が可能なのであり、その明晰かつ客観的な世界認識の上に、個人〔の人格〕や社会や国家というものが成り立っております。日本文明が『一神教』という狂気やシナ文明から無縁な独立文明として存在している理由はそこにあるような気がします。
私にとって大東亜戦争は『大東亜の開放・共栄』をはるかに超えた普遍的な戦いであり、人類社会に日本が突きつけた『ペルシア人の手紙』であります。したがって、その『ペルシア人の手紙』、第一章・(天照大神)日本神話や第二章・『国学』に『国境がない』のは当たり前のような気がいたしますが、間違っているのでしょうか?
先の大戦はもともと共産ロシア・シナと戦う日本を背後からソ連と結んだ第二のスペインと日本が戦ったものであります。とすれば、親米保守と護憲左翼に牛耳られる現代日本こそ戦前日本の『敵』であるということになります。それが現代日本の矛盾の根源なのではないでしょうか? 第二のスペインが朝鮮戦争・ベトナム戦争・冷戦を戦わなければならなかったのは、日本が正しく、第二のスペインが間違っていた何よりの証拠であります。そして、現在の米中関係はまさしく、『大東亜戦争未だ終結せず』の認識を日本人に迫っていると思います。私は、西尾先生は人類社会にとっても、日本にとっても非常に根源的かつ普遍的な問題提起をなさっているのではないかと思いました。
『ヨーロッパ言語をは全く異なる』は『ヨーロッパ言語とは全く異なる』の間違い。
『先の大戦はもともと・・・・』以下は 『共産ロシア・シナと戦う日本を背後からソ連と結んだ第二のスペインが襲い、それと日本が戦ったものであります。』の間違いでした。すみません。
お邪魔します。
コメントへのコメント、そしてTel Quel Japonに対する身に余るお褒めの御言葉、昨日拝読し嬉しくて一日中舞い上がっていました。また「私は考えを変えるつもりはなく、益々ここでのテーマを深く追究していきたいと思う」というお言葉も嬉しく、本当に大きな希望をいただいた気がします。
どうしてあの部分が話題にならないのかと、書評10番目11番目の内容を密かに待ちわびていました。先に書きました不安は今もまだ払しょくできませんが、自虐史観の打破、過去の歴史の全肯定に向けて、スタートのピストルが鳴った、そのように感じています。先生の勇気を見習います。
色んな意味で本当に大変有難うございました。
ちょうど3年前、民社学同OB会で鈴木尚之先生にお会いし、西尾先生に渡すからと言われたので、帝国政府声明文のコピーと拙著”戦勝国は日本だった”を鈴木さんにお渡しした札幌の安濃です。
先生が声明文を著書で取り上げられたことに、大変感動しております。
今回、東條英機のネット神社を開闢しました。
社務所に拙著”有色人種を解放した大日本帝国”(400次詰め原稿560枚)をPDFフアイルとして貼り付けました。ぜひ参拝して下さい。無料でダウンロード出来ますので一読して下さればありがたいです。
この本の中で私は旧日本軍がアジア独立にどれほど強く関与していたかを知りたく、”日本軍アジア独立支援年表”を掲載しました。これを見ると、日本軍は三年と八ケ月のあいだに、六ヶ国を独立させています。家一軒建てるより速いペースで、国家を独立させているのです。声明文に書かれたとおり、大日本帝国のアジア解放意思は堅固成るものがあります。アジア解放は後付けではありません、先付けです。いかに東條英機神社のURLを貼り付けます。
http://www.tojohideki.com/
拙著「有色人種を解放した大日本帝国(大アジア解放戦争)」です。yahooボックスからダウンロードボタンを押して読んで下さい。自虐史観がいかにインチキであったかを教えてくれるはずです。 ダウンロードボタンを押して下さい。
http://t.co/pHhJDb2u