「アメリカ観の新しい展開」(三)

人種問題は日米開戦の要因か

西尾 今年、『日米開戦の人種的側面、アメリカの反省1944』(草思社、原題は「人種偏見、日系アメリカ人、アメリカの人種的不寛容のシンボル」)という翻訳本が出されました。カレイ・マックウィリアムスというアメリカ人が、一九四四年に出版した本です。訳者は、最近、アメリカに関する大著を書き続けている渡辺惣樹さんです。

 この本は、一九〇〇年にカリフォルニアと日本との間に戦争が始まり、それが拡大して国家間の戦争になった、人種偏見こそが日米開戦の根本的モチーフであるという主旨で書かれています。おもしろいのは、カリフォルニアにたくさん集まっていたアイルランド系の労働者、アイルランド系移民がイギリスを憎んでいたが故に、日英同盟は彼らには大きな衝撃となり、しかも日本がその同盟関係を利用して日露戦争に勝ったことから、抑えることのできない反日感情がわき起こったという分析の展開です。日英同盟とその後の歴史に対するこの感情は、私見ではオーストラリア人の反日感情の由来とそっくり同じですが、それがカリフォルニアにおける日系移民排斥の悲劇、さらには一九二四年の排日移民法につながったということを同書はつぶさに検証しています。

 当時の日系移民排斥の動きは、一九一〇年代、二〇年代に南部諸州がこぞってカリフォルニアを応援し、司法までが彼らに味方をしたために激しくなった経緯が詳述されています。さらに訳者の渡辺氏は、「まえがき」でこう書いています。「排日移民法は日本が関東大震災(一九二三年九月一日)の惨禍に喘いでいる最中に成立している。それでも日本の政治家は、外交的妥協を通じて軍縮の道を選んだのである。しかし軍部はロンドン軍縮会議の妥協(大型巡洋艦対米比率六割二厘、当初要求七割)が許せなかった。統帥権干犯問題を持ち出して軍部が強硬な姿勢に変容していくのはこの頃である。

 多くの史家が、この時代に日本が誤りを犯したと解釈する。あの暗い昭和の一時期を、あたかも日本という国が、その体内から発生した『遺伝性の癌』に冒された時代であるかのように分析する。統帥権干犯問題は大日本帝国憲法の欠陥に起因するとの分析は、筋のよい歴史解釈となる。しかし、マックウィリアムスが本書で描いている、カリフォルニア州における白人の反日本人の態度と、それに対する日本のリーダーや知識人、そして一般の人々の激しい反発のさまをバランスよく読み解いていけば、そうした史家が描き出す『悪性の癌』は本当に遺伝性だったのだろうかとの疑念が生じる。むしろ、白人種の激しい日本人差別という外部的刺激に起因した『ビールス性の癌』に冒されたのではないかと疑わせる」と。

 つまり、日本では、戦争の原因を国内だけでほじくり返す論争が言論界に蔓延っているけれども、そんな話ではないのではないかという異議を提示しているわけです。カリフォルニアで生起した排日の動きは、日本人にとってはいかんともしがたい話で、しかもカリフォルニアは石油産出「国」で日本のエネルギー資源の生命線を握っていた。

 渡辺氏は、さらにオックスフォード大学のヨルグ・フリードリッヒ博士の分析も紹介しています。日本が満洲事変を引き起こした究極の目標は、自給可能な経済ブロックを作り上げることにあったが、満洲を選んだのは失敗であった。なぜなら食糧や石炭、鉄鉱石などの資源は豊かだったが、石油はなかったからで、かえって当時の圧倒的な石油産出国であるアメリカへの依存度を高めてしまった。そして「日本の行動を容認するわけではないが」と但し書きをしながらも、「石油禁輸を受けた日本には、ボルネオやスマトラの石油を略取する方法しか残されていなかった」としています。

 いずれにしても、すでに戦争中の一九四四年にこういう研究をして著述した人がアメリカの中にいた、というのがおもしろいし、立派だと思います。それはアメリカの懐の広さだけれども、同時に非常に多様な人種がいる国だから、いろいろな考え方があるということですね。

福井 はい。ただ、当時のカリフォルニアでは現実に日系人がいて、現地の白人の労働者との対立は激しかったと思いますが、全般的には、日米戦争を主導した人たちは東部のインターナショナリストであって、「人種差別は良くない」と主張していた人たちなんですね。

西尾 ときのセオドア・ルーズベルト大統領はカリフォルニアの「バカ者」どもを抑えたがっていました。

福井 はい。当時、東部のエスタブリッシュメントの人たちは、じつはかなり反英でもありました。イギリス帝国主義の植民地支配は望ましくないと考えていた。人種的偏見が強いとは言えないと思います。

 アメリカの移民政策は、一九二四年の移民法の改正、いわゆる排日移民法でほぼ骨格が固まりましたが。第一次世界大戦でイギリスに騙されたのだから、アメリカはアメリカだけでいこうという孤立主義の流れが強くあって、むしろ連邦政府、東部エスタブリッシュメントは移民法改正を抑えにかかったんですが、議会が法案を通してしまった。

 ですから、むしろ移民法を通した人たちは、日本と戦争をしたいと思っていなかったのではないか。考えようによっては、日本人と中国人のような野蛮人同士で争っていようが、アメリカは関係ないという発想だってあり得るわけです。

 実は米西戦争のときもまったく同じ議論があって、戦争の結果、アメリカはフィリピンを領有しますが、「そんなことをすれば非文明人を抱えることになるからフィリピンなど要らない」という意見も有力だったのです。ですから、私は人種的偏見と日米戦争は、それほど強い因果関係はないのではないかと考えています。

『正論』12月号より  つづく

「「アメリカ観の新しい展開」(三)」への1件のフィードバック

  1. アイリッシュはジョセフケネデイが移民したときに白いニグロと言われていた。ポテト恐慌によりイングランド人地主の土地を去らなければならなかった。しかし地平線の向こうに行けばすべてが新しくなると思ってカリフォルニア国に来てみればすでに優秀な日本人がいて競争しなければならなかったのが排日移民法の成立につながった。アイリッシュの反英感情の根深さはに
    は驚きます。我々は同じようなものと彼らを見ていましたがこれは西洋事情の理解に盲点があった。彼らは米国で3千万人世界で5千万人ぐらいいるそうです。スペインの海上権力の駆逐は彼らの意思であり日英同盟への敵対感情があったとは!ハリウッドの映画人ジョンウェインやジョンフォードもアイリッシュです。映画という娯楽がプアホワイトに絶好のものだった。もちろん製作企画はユダヤ人でしたが。東アジアの制海権には宿命を感じます。しかし、当時巡洋艦の比率でもめたが、本来海外植民地をクルーズして砲艦外交と上陸部隊の訓練と眉目秀麗な若年士官と土地の名士令嬢たちとのダンスパーテイのために長い甲板が必要だった。これはバイキングもそうでした。むしろその比率に拘らずにいたほうが国内経済および戦力的には賢明
    だった。これは単なる私見ですが。

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