渡辺望氏による感想文
1月19日、市ヶ谷グランドヒルにておこなわれました西尾先生の全集記念講演会「第四巻 ニーチェ」を拝聴しました者の一人として、講演会の感想を記させていただきたいと思います。
西尾先生はニーチェに関して、実にたくさんの評論、翻訳の仕事を残してこられましたことは周知の通りで、西尾幹二とニーチェの両者のイメージは、戦後日本では水魚のように分かち難く結びついています。だからこそなのでしょうけれど、西尾先生がニーチェを演題にして語られると聞くと、西尾先生とニーチェのかかわりの個人的歴史の整理というものではないか、という先入観を私などはもってしまいがちです。もしかしたら新しい論点はそれほどないのではないか、という下手な先入観です。
しかしその先入観は(幸運にも)まったくの間違いでした。西尾先生が従来展開してこられたニーチェ解釈に、新しいニーチェ解釈が加わり、さらにそれら解釈の現代的意義が加わり、この三者が有機的に連関することで、豊饒かつ新奇な発見に満ちた内容が構成された講演でした。ただ惜しむらくは、三者の結びつきのスピーディーさが、壮大な文明論の入り口に入りかけていたところで講演時間が終えてしまったことでしょう。今回の講演は、完成体ではなく、「入り口」とでもいうべき新しいニーチェ論だったと思います。
たとえば、キリスト教の融通のなさ、対話性のなさということと、現代アメリカの宗教国家性を結びつけていることなどは、実は日本で指摘された方は他にはいないのではないかと感じられるお話でした。ニーチェが生涯格闘したヨーロッパ形而上学が、現代アメリカに再生している可能性を先生は指摘されました。ニーチェを読む精神と「アメリカという国の読み解き」の精神は21世紀に一致するものになってくるかもしれない。ニーチェで理論武装した「アメリカという国の読み解き」というようなものがこれからありうるのかもしれないという「入り口」です。
あるいは、秦郁彦や加藤陽子たち歴史学者が依拠している近代主義的歴史観=「歴史的事実は固有的であり、歴史観は普遍的である」というイデオロギーへの反論は、すでにニーチェにおいて完全になされており、秦や加藤が19世紀の歴史観に閉塞しているという先生の指摘も興味深いものでありました。先生が講演の中途で紹介されたように、ニーチェは仏教をはじめとする東洋的価値観をキリスト教世界に優位するものだと強調していました。
にもかかわらず、キリスト教世界を模範とした近代日本において、ニーチェが一番怒りの対象にしそうな近代主義的歴史学が依然として優位にたっているのは、実に皮肉な現象に他なりません。西尾先生は左翼史観だけでなく、皇国史観も近代主義の一派生と講演内で断じられましたが、ニーチェが現代日本にいても、おそらく同じふうに裁断したことでしょう。ここには、「ニーチェを表層からしか取り入れなかった近代日本」という、これまた大きな文明論の「入り口」がありそうです。
このようにいろいろな「入り口」の発見に出会うことのできた講演会だったわけですが、その発見のいろいろの中で、自分にとって特に新鮮に感じられた話の内容の一つ、提供していただいた「入り口」の一つに「ニーチェとユーモア」ということがありました。ニーチェにおけるユーモアという問題について、今までの私はほとんど無自覚でしたが、西尾先生の講演のおかげで、このことについて少なからず考えることができました。
今回の講演で、西尾先生はたくさんのニーチェの言葉の引用をされましたけれど、たとえばそんな先生の引用の一つに、カントを揶揄する目的でいった、「神はついに物自体になったのだ!」という言葉があり、私は思わず声を出して笑ってしまいました(先生も笑っていました)カントの批判哲学が本当は神とか永遠を否定しうる力をもっていたのに、カントはそれをあえてせずにキリスト教世界に反転して引き返し、そこに引きこもった、そういうある種の哲学喜劇をニーチェは言おうとしている。でも単に論理的に言うのではなくて、ユーモアをこめて書いているのです。ニーチェ自身もこのくだりを書きながら、おそらく笑っていたに違いない。
そこで感じたのですが、自分は哲学書を読んで「笑った」という経験はほとんどない人間です。ところが、ニーチェの哲学書を読んでいると、笑ってしまうことが多々ある。しかもいろんな笑いがある。哄笑、苦笑、微笑、ブラックユーモアなどなど、笑いの種類も豊かです。実はニーチェほど笑い・ユーモアに親しい哲学者は他にいないのではないか。ニーチェ自身も、そのことにきわめて自覚的で、笑い・ユーモアの意義を認めた文章もたいへんに多いのです。
「笑いと智恵とが結ばれるだろう。そしておそらくそのときは<悦ばしい知識>だけが存在することになるだろう」「ツァラトゥストラは予言する。ツァラトゥストラは笑って予言する。我慢できない者ではない。絶対者ではない。縦に横に飛ぶことが大好きな者なのだ」こうしたニーチェの言葉からすると、ニーチェの言うところの超人には、どうも笑いが不可欠なことがわかってくる。笑いやユーモアを定義した哲学者はベルクソンなどはじめたくさんいました。しかし自身の哲学の不可欠の要素として、笑いやユーモアを取り入れた哲学者は、ほとんど稀なのではないでしょうか。
西尾先生も、ニーチェ論『光と断崖』で、『この人を見よ』について、「・・・・この作品で私自身を特別な存在のように語る彼の尊大さが、自己諷刺やアイロニーとうまく手を取り合っていて、読者を爽快な深刻さに心地よく誘う効果を発揮している。ときにはそこに笑いの要素さえないではない」(『西尾幹二全集』第五巻所収)と、ニーチェ哲学のユーモアの存在について指摘しています。晩年の狂気やナチスの思想的利用などによってとかく暗いイメージの漂うニーチェですが、実は少しも暗いものではなく、ユーモアを好みそれを武器にし、好んだだけではなくて、それを生かすことのできるユーモアの天才でもあったのではないか、と思われます。
「ユーモアの天才」という視点で読む楽しみを与えてくれる哲学者がニーチェならば、「ユーモアの凡才」の典型ともいうべき哲学者は、まさにニーチェにユーモラスに批判されたカントでしょう。講演会で西尾先生は、「カントは結局、常識人なのだ」といわれましたが、この場合の「常識人」という言葉の意味は「常識に引きこもる人」という意味だと思われます。普遍的慣習その他の肯定的意味としての「常識」ではなく、世間的現実の妥協ラインとしての「常識」に従う人、ということです。ヴォルテールは「常識は、実はそれほど常識ではないのである」といい両者の常識を区別しましたが、カントの文章世界にはたしかに、時折露骨なほどの、世間的現実、すなわち当時のヨーロッパ世界との妥協をは
かろうとする彼の意図があると私には感じられる。たとえばニーチェには次のようなカント評があります。「カントは物自体を搾取したその罰として、定言命法に忍び込まれ、それを胸に抱きしめてまたもや神、霊魂、自由、さらには不死のもとへと、まるで自分の檻の中へと迷い帰る狐のように、迷い帰っていった。しかも、この檻を破ひらいたのが、ほかならぬ彼の力であり英知であったというのに!」ニーチェはカントによって、ヨーロッパ哲学におけるラディカルな懐疑論が始まっていることを卒直に認めている。にもかかわらず、カントは、再び、キリスト教世界の迷妄な「常識」の数々に、舞い戻ってしまったのです。
狐は狡猾な動物です。カントは自身の哲学の力をもって否定しえたはずの神や霊魂や不死といった概念のもとに、カントという狐は狡猾に舞い戻ってしまった。もしかしたら「迷い帰る」ことさえも、狐の演技かもしれません。このカント評は「神は物自体になったのだ!」という先生の講演会で紹介されたニーチェのカント評と同じ意味であり、同じくユーモアなのでしょう。
カントというと、数々のエピソードから、品行方正な人物をイメージするかもしれませんが、そういうイメージは必ずしも正しいものではありません。カントは哲学論以外に、膨大な数の社会批評めいた文章を残しており、それらを読むと相当に意地悪な人で、世間的常識を纏いながら実は、ニーチェにも増して人間観察と悪口の大好きな人だったことがわかります。しかしその表現はどれも直接的過ぎる。ユーモアや笑いという以前に、何か「余裕」というようなものがない。キリスト教社会の世間的常識からの視線を過剰に意識していたカントは、「悪口」とはいつでも反論可能なふうに論理的なものでなければならない、というような思い込みがあったのではないでしょうか。
たとえば女性について、(かなりの女性嫌いだったらしい)カントの悪口がこんなふうに炸裂します。「女性の場合には欲望は無限であり、ふしだらは増しても何物によっても抑制されない」「学問をしたがる女性は口髭をつけた方がいい」これが同じ女性への悪口でも、(やはりかなり女性嫌いだったらしい)ニーチェになるとこうです。「完全な女というものは、自分が愛するときは相手を八つ裂きにするものなのだ。私はそういう狂乱巫女たちを知っている。ああなんという危険な、忍び足で歩く、地下に住む猛獣!それでいて何とまあ好ましい」(『この人をみよ!』)この最後の「何とまあ好ましい!」はカントには決して書けないユーモアでしょう。両者の文章を比較してみて、哲学科でカントを専攻
する学生はいてもドイツ文学科でカントを専攻する学生がほとんどいないのはむべなるかな、と私には感じられます。カントがニーチェより劣っていたとか、文学的表現が哲学に必要だとかということでは全くありません。ただ私が考えるのは、本当に自由な観念を持たないと、ユーモアというものは生まれない、そして自己が属している文明なり宗教への批判的精神というものは生まれない、ことです。たとえば先生は講演会で、カントにはインドでのキリスト教宣教師の傲慢を紹介した文章があるといわれました。カントの博学は驚くべきもので、彼の平和論には江戸日本の鎖国政策や日本の宗教について触れているものさえあります。しかし彼の膨大な博学は、決して斬新な文明論を形成するには至らなかった。なぜかといえば彼は狡猾な狐のように、キリスト教社会の檻で再び生きることの代償として「自由でないこと」を
選んだから、です。自分のキリスト教文明を否定するような所為には、彼はあえて踏み出すことはできなかったのです。だからカントには笑いがない。ユダヤの格言だったと思いますが、「自分を笑うことのできるものは、他人から笑われない」という言葉を私は思い出します。ここにいたると、笑い・ユーモアというのは、自身や自身の文明を批判する自由ということと同義になるともいえましょう。
カントが狡猾に選択した不自由に比べ、ニーチェはヨーロッパ文明そのものを敵にまわすことで、実は完全といっていいほどの自由を手に入れた。彼の完全な自由は、一見するとおそろしい孤独を彼に与えてしまったようにも見えるけれども、しかし、彼の哲学書のいたるところにみられるユーモアをも可能にしたということができるのではないか、と思います。哲学論はともかくとして、文明論という面におけるカントとニーチェのスケールの差は、ユーモアの差、つまり自由の差なのではないでしょうか。
今回の先生の講演会を拝聴しまして、ニーチェという哲学者が、あらためてスケールの大きなテーマに生涯を賭けていたことを再認識しました。それは彼の人生を瓦解させたかもしれないし、21世紀に思想的根拠を与えるものだったかもしれません。しかしその巨大さの証しとして、彼の著作のいたるところにあふれているユーモア、笑いというものに注目してほしい、と私は思いました。先生はニーチェの講演会となりますと、幾度も幾度もニーチェの引用でお笑いになりますが、やはりニーチェのユーモアということの真髄を理解されているのではないかな、と私は想像しております。
文:渡辺望
カントの最大の貢献の一つは悟性の認識論にあります。そのカテゴリー論に数学的原則として量・質があり、その質の図式論で度(密度等)を論じています。ヘーゲルではこれが量の中に埋没します。スミス経済学(カント著の5年前)の最大主題は労働生産力の増進ですが、この理解がヘーゲル→マルクスの影響で量的増大とされました。しかしそこには労働高度化という意味の労働密度向上の論理が含まれているのに、黙殺されました。その理解にカントの上記カテゴリーを援用すれば、より正確なスミス理解が可能になります。「人的資本」が米国で提起されましたが、カントが言ったように危うい新語を使うべきでない。スミスが最大主題として使った概念で十分です。この新理解により、経済学の理論が抜本的に変わりうると思われます。その意味で、今まで、カントもスミスも生かしきれていません。
1.の訂正です。5行目 量的 → 物量的
ご指摘の「ユーモアや笑い」について、カントはその通りでしょう。アダム・スミスの場合、まともに議論されたことは無いが、内田義彦がエッセイで言及したことはあります。それも含めて見ると、スミス『修辞学・文学講義』でJ.スウィフト『ガリヴァー旅行記』の対照の妙、風刺のおかしさを論じています。そういう目でスミス著を見ると、『道徳感情論』『国富論』ともに対照の妙の面白さに満ちています。それらが単なる面白さにとどまらず、各々の主題に即して披瀝されます。
ニーチェの面白さに文明的意味があるとしても、それは懐疑論的なレベルに限られるでしょう。しかし懐疑論の先駆はデイヴィド・ヒューム『人間本性論』(1739-40)で、スミスとカントは各々別のジャンルからこの懐疑論を克服しようとして、代表作を残しました。その意味を考えたいと思います。
3.への補足です。カントは神をプラトンのイデアに由来する道徳的「理念」としてのみ論じていますから、「物自体」と見なしてはいません。それは、あくまでもニーチェが痛烈な皮肉を込めて言ったことで、また、西尾氏もそれを承知で引用したのでしょうが、念のため補足させていただきます。
その限りでは、スミスも同様に神を決して否定してはいません。そしてそのような抽象的な神観念が、既成のあらゆる呪術的な迷信の類を克服する上で、単なる合理主義(儒教等)や唯物論よりも、はるかに近代合理化の精神と組織を実現する起動力たりえたという、(ニーチェ後の)M.ヴェーバーの議論(1905年)に注目しています。今、われわれが生存している文明社会もそういう文明化の成果であると同時に、それを歪めているものは何かを直視すべきでしょう。
カントやニーチェ私は学生の時なぞり読みしただけでわかりません。仏教の慈悲がキリスト教の愛の反対の憎そしてユダヤ教の怒りよりも魂の救済を宗教に求めるなら高度の宗教ではないかと若輩の学生ながら感じました。カントの純粋理性批判の難解さは天野先生の本ではさっぱりわかりませんでした。ザインゾルレンを日常用語に使っている民族とは決定的な断絶を感じました。ましてプロシャの士官学校では教養の必読書に指定されていたと渡部 昇一先生の 著書にあった時の驚きは35歳ごろでしたが今でも忘れません。
私はカントの門外漢ですが、一例を上げさせていただきますと、丸山真男「幕末における視座の変革ー佐久間象山の場合ー」(全集15巻)の「視座」や文中の「概念装置」ーめがね・価値尺度・認識用具にも換言されるーの見方の中に、M.ヴェーバー経由でカントの認識論が活用されていると思われます。そうすると、社会科学の世界では、誰もがカントを知らなくても、暗黙のうちにカント的な認識方法と同様な観点に立脚していることになり、そういう形で合理化精神が浸透し、日常化していることになります。したがって、それは言われるほどどこか遠い無縁の哲学というものでなく、それの是非・良し悪しは別として、近代的な見方として、マスコミ、評論、市民生活等にも自然に受け入れられている見方なのではないでしょうか。