評論集が出しにくい時代なのに、つづけて何冊か出して下さるという版元があって、その編集をずっとしていて、今日ほぼ終った。題して『憂国のリアリズム』という。版元の名はビジネス社。七月初旬に店頭に出る予定だ。
全集第七巻『ソ連知識人との対話/ドイツ再発見の旅』もすでに出て、その内容報告もまだしていないのに、気になることが相次いで起こり、暇がない。
習近平が登場して、中国の強引さと鉄面皮ぶりは一段と倍化した観がある。尖閣は中国の「核心的利益」だって? 1953年の「人民日報」と58年の中国発行の地図に、尖閣は日本領だと中国政府自らが記していた事実が過日突きつけられたが、そんなことはいくら言っても蛙の面に水である。厚顔無恥もここまで堂々としていると毒気を抜かれる。
つまり、彼らは、俺さまが俺のものだと言っているのだから、テメエたちはつべこべ言うなとやくざのように開き直っているのである。先日のシンガポールの会議では、東南アジアの国々が怒った。中国が自分たちは対話の窓を開いているときれいごとを言ったからだ。海上侵略をしている国が対話を口にするのは、出席している欧米オブザーバーに聞かせるためなのだ。宣伝しつつ侵略する。昔から中国の体質はまったく変わっていない。孫文も蒋介石も、鄧小平も習近平もみんな同じだ。
尖閣紛争と中国の脅迫は、私たちに大東亜戦争の開戦前夜の感覚を思い出させた。日本人はすっかり忘れているが、戦前は世界中がみんなこういう無理難題を吹きかけて来た。その代表格はアメリカだった。
今日はその話は詳しくはしないが、日本はトータルとして受け身だった。アメリカ、イギリスはすでに有利な前提条件、金融、資源、武力、領土の広さの優越した立場をフル利用して、無理なごり押しを平然とくりかえしていた。日本はどんどん追い込まれた。それが戦前の世界である。
私はじつは深く恐れている。アメリカは今だって自国のことしか考えていない。2013年6月7日~8日のオバマ・習近平会談で、尖閣についてオバマ大統領がどういう空気の中でどういう口調で何を語ったかは明らかにされていない。アメリカは強権国家に和平のサインを送って何度も失敗している。朝鮮戦争で北朝鮮が、湾岸戦争でイラクが突如軍事攻撃をしかけてきたのは、アメリカの高官のうかつな線引きや素振りやもの言いのせいだった。アメリカが軍事的に何もしないとの誤ったサインを与えると、中国のような強権国家は本当に何をするか分らない。八時間にも及ぶ両首脳の対談で、尖閣についてオバマ大統領は日中の話し合いでの解決を求めたというが、話し合いなど出来ないところまで来ているのに何を言っているのだろう。アメリカの弱気、軍事的怯懦、今は何もしたくないということなかれ主義が読みとられると、習近平はこれは得たりとばかりほくそ笑んで、突如尖閣を襲撃する可能性はある。
オバマ大統領はいま国内の情報問題で行き詰まっている。軍事的知能に欠ける大統領だという説もある。アメリカの大統領の体質いかんで日本の運命が翻弄されるにがい経験をわれわれはつみ重ねている。日米安保は果して日本を守るためにあるのか、日本を束縛するためにあるのか、見きわめる必要がある。
『憂国のリアリズム』はこういう問題点について、さまざまな角度から追究している。七月に入ったら、目次をここに掲示する。
先生がおっしゃる「中国人の面の皮のあつさの変わらなさ」についてなのですが、私は日本人が中国人のそうしたやり方にふりまわされる最大のもとは、孫文への処し方の間違いだったと思うのです。日本人の大概は毛沢東批判には同意するし、いまだにかなりの異論を食らいますが蒋介石批判も可能といえます。しかし孫文は依然として親日派の聖人君子ということになっています。
これこそが実際はとんでもない間違いなんで、孫文はロベスピエールも顔負けの暗殺・処刑好きな人物(孫文は自前の暗殺部隊を保有していました)毛沢東も顔負けの乱生活を好む好色漢でした。しかしそうしたことよりも問題なのは、孫文は、革命のためにいろんな外国に「依存」してまわる人物だったということなんです。孫文はいろんな国を頼りまくって、けれど革命がぜんぜんうまくいかないから、とうとう最後はどこにも相手にされなくなって、ソ連に全面依存したところで生涯を終えました。別にどこの国でもよかったわけで、彼はその一つとして日本を一時的に頼りにしただけだったわけでしょう。その厚かましさ、ゴリ押しぶりを、なぜか日本人は歴史上、ずっと誤解してきていますね。
孫文が神戸でやった有名な大アジア主義の演説というのがありますが、あの演説を、西尾先生たちの研究をきちっと身につけたあとで読むと、孫文のいかがわしさに猛然と腹がたってきますね。あの演説は、全体的にみると日本人へのリップサービスが目立ちますけれど、しかしよく読むと「覇道から離れたはじめてのヨーロッパでの王道の国」としてソビエトを大絶賛している。孫文自身のためのリップサービス演説ということなんですね。
そして最後のしめくくり、「日本が覇道の番犬になるか王道の干城になるかはあなた次第」という言い方にいたっては、その後激化していく一方的な日本悪玉論のはしりだということができるでしょう。なんという厚かましさでしょうか。だいたい孫文の革命手法自体が、「ねじまがった覇道」なんではないでしょうか。この演説を進歩派文化人がありがたがるのはまだしも、右翼の少なからずが今でもバイブルみたいにとらえているのは、気違い沙汰のことではないかと思います。もっとも留意しなくてはいけないのは、この演説を真に受けることで、実は日本人の多くが西尾先生の言葉を拝借すれば、「追い詰められて」しまったのでしょう。
習近平が果たしてどのレベルの悪玉か、孫文のレベルの隠れた大悪党なのかどうか私にはわかりませんが、しかしこの訪米でかなりパワーアップしてきたのは事実でしょう。少なくともいえることは、中国に「期待」ということは日本人は二度とするべきではないということですね。支配者はかならず悪玉にならざるをえない。もしあの後、孫文が20年以上生きながらえたとしたら、毛沢東と蒋介石を兼ね備え、スターリンとも肩を並べる独裁者になったことは明らかです。どんな人物でも、あの国の支配者になる人間は、ある堕落の「枠」をはめられるということですね。
遅れて「自ら歴史を貶める日本人」を読みはじめましたが、最近の海外の論文まで引用されており西尾先生はじめ参加者の方々の情報量に感銘を受けました。あちこちの書店に置かれていますが、多くの日本人に読まれて日本人の歴史認識レベルが高まればよいですね。また日本の将来の世代にもむけて書かれているかのような意気込みも感じました。あまりに該博な知識にコメントなどするも到底おこがましいと思いましたが、若干素人としての感想を・・。西尾先生が冒頭の「はじめに」に書かれていることに日本人の歴史観の問題点が見事に凝縮されています。他国の悪意にふれず自国の悪のみをほじくりだす自閉症的な歴史観の問題、そして(多分そこから導かれるのでしょう)日清・日露は正当防衛とするが満州事変以降は過剰防衛で愚かな決断の連続とみる「司馬史観」の問題。
他国の悪意を見ないのは日本の悪意を際立たせせたいだけという日本の左翼系学者の嫌がらせであるのは明白です。学問的に見せかけていますが、一種の詐欺です。そんなくだらないエセ歴史学を後生大事に受け継いで歴史教育にまい進する教育者が全国にごまんといます。日本が第一次大戦に参加したのは「日本に領土的野心があったから」と断言する教師がいますが、生徒は当時の先進国で領土的野心を持ってない国がどれだけあったかなど頭のすみにも考えず、ただぼんやりと「日本は悪い国だったんだな」とコソ泥的な印象をもつだけで授業終わりです。これが悪質な洗脳といわずしてなんと言えばいいのでしょうか。日本人の名誉を一ミリでも切り取ってやろうとコソ泥的に日本の悪意だけ抜粋して世代継承してやろうという魂胆には怒りを毎度覚えます。西尾先生のご指摘の通り、何世代もかかる意識改革になるかもしれません。
アメリカは宗教国家という主題は大変暗くて重い主題だと思います。イラク戦争のときもブッシュの勇ましさは十字軍が時空をこえて現代にタイムワープしてきたような印象でしたが、米国で多数派をしめる福音派は大部分がブッシュを熱狂的に支持したといわれています。指導者に宗教的素養を多分に求める点において米国はイスラム諸国と似ています。
米国については、左翼と右翼の微妙な関係も他国にはありえないくらい特徴的です。日本にやってきたGHQは右翼の宗教的情熱と左翼の人工的ユートピア国家の理想が奇妙に混交していました。米国は海外に対しては右翼と左翼がお互いに、相手を巧妙に利用することを心得ている国です。(とはいえ国内の同性愛や中絶問題などでは年から年中、右と左で誹謗中傷しあっていますが)
漫画で他国の悪意をしっかりと認識させ、日本側の弁明も強烈に描ききって若者の盛大な支持を集めたのは小林よしのりの「戦争論」で、これが一種の日本人の覚醒とターニングポイントにつながったと思います。その後、ちょうどインターネットの普及期にあたり、ネット上では小林の戦争論をバックボーンとする側と、学校の歴史教科書的な歴史観をバックボーンとする側が庶民の草の根レベルで真っ向から大激突し喧々諤々の議論が発生しました。その際には個々の歴史的事実の認定(たとえば南京での幕府山事件に日本軍側の計画性がどのくらいあったか等)から壮大な文明論(トインビーや岡田英弘等)まで議論が繰り広げられました(どんな議論したかを99%忘れましたが・・)。なにはともあれ日本人どうしがとことん議論して納得すればよろしいかと思います。ただ素人は結局素人、研究をなりわいとしてない素人がたとえば1千ページにおよぶ「日中歴史共同研究」に目を通すなどよっぽど奇特な方しかありえない。また現実政治と歴史認識は分離できないというのも、考えてみれば当たり前のことですが(中国という特殊な独裁国家、全体国家に対して、日本が侵略した、侵略したと頭を下げつづけることがどういう意味をもつのかという点を考えればわかること)、このある意味誤解をまねきやすいような核心を最高度の表現で説得説明できるのはやはり西尾先生であると感じました。
海洋国家の日本は大陸に足を踏み入れないで再度鎖国をシナに対してすべきです。マルサスの人口論が適合しないで農村の次三男対策が不要になりエネルギーと資源を大陸に求めないで済む時代です。まして安価な労働力をシナに求めることはやめるきです。国際化という美名に惑わせられて大学の英語で授業など会社の会議を英語でするという愚挙をやめるべきです。いずれにしても7月の参議院選挙で日本の命運が決まるでしょう。
孫文を我々は持ち上げすぎでした。所詮国民党も共産党も同根ですから鉄面皮なシナ人にすぎません。
>渡辺望さま
孫文や蒋介石については、子供心に日本が守ったんだから、
きっと良い人なんだろう・・・・なんて思ったことがあります。
>仁王門さま
「自ら歴史を貶める人々」を読み始めてくださりありがとうございます。
歴史学者にこそ、読んで欲しいですね。
日本の歴史学界が変わらなければいけません。
小林よしのりさんのあの「戦争論」の功績は素晴らしいものでした。
やはり百聞は一見にしかずで、絵(漫画)で目に訴えたのは説得力がありました。若者にも手が届いたし・・・・。
>山本道明さま
英語コンプレックスが日本人にあるようですね。
私も小学生からの英語は無駄だとおもいます。
孫文については、どうしても誤解しがちです。
先生のご返事ありがとうございます。英数国漢の漢文にあたるのが英語だと思います。それによって国語力の向上がはかられ、知性が練磨されるのだと思います。しかし幼少時論語などの素読を取り入れれば自然のうちに倫理教育が行えるですが、これも敗戦後遺症ですね。受験レベルで言えば早慶上智から上のレベルをクリアーしていないと学問的知性において問題があるとおもいます。自分自身の体験から言います。残念ですがそのレベルに行っていません。もちろん例外の人たちもいます。あくまでも一般論ですが。誤解を恐れずに言います。話せると読めることとは別の次元のことです。中学校からでいいと思います。
>コメント by 山本道明 — 2013/7/16 火曜日 @ 11:00:54
>先生のご返事ありがとうございます。
コメントされているのは、管理人の長谷川さんでしょう。
>受験レベルで言えば早慶上智から上のレベルをクリアーしていないと
>学問的知性において問題があるとおもいます
何が言いたいのかよく分かりません。
「早慶上智」なる奇怪な語も小児的「大学受験病者」特有の
言い回しでしょうか。