『GHQ焚書図書開封』8の刊行ほか

 9月1日発売の『正論』10月号に連載の第四回目が出ます。既報のとおり、同誌に「戦争史観の転換」という題の連載を始めて、今回は第1章の第4節に当り、「アメリカ文明の鎖国性」と題した一文を掲げました。古代ギリシアの奴隷制に照らしてアメリカ近代史を考察した今までまだ誰も指摘していない比較歴史論の観点を打ち出したもので、これについてもコメントしていただけたらありがたい。

 8月末に『GHQ焚書図書開封』⑧が出ました。アマゾンの説明文は次の通りです。

(内容紹介) あのとき、日米戦争はもう始まっていた!
昭和18、19年という戦争がいちばん盛んな時期に書かれた「大東亜戦争調査会」叢書は、戦争を煽り立てることなく、当時の代表的知性がきわめて緻密かつ冷静に、「当時の日本人は世界をどう見ていたか」「アメリカとの戦争をどう考えていたか」分析している。そこでは、19世紀から始まる米英の覇権意志を洞察し、世界支配を目指すアメリカの戦後構想まで予見されていた。
――しかし、これらの本は戦後、GHQの命令で真っ先に没収された!

戦後、日本人の歴史観から消し去られた真実を掘り起こし、浮かび上がらせる、西尾幹二の好評シリーズ。

※「大東亜戦争調査会」とは、外交官の天羽英二や有田八郎、哲学者の高坂正顕、ジャーナリストの徳富蘇峰ら、当時を代表する知を集め、国家主義に走ることなく、冷徹に国際社会の中で日本が歩んできた道を見据えた本を刊行した。ペリー来航からワシントン会議まで、英米2大国の思惑と動向、日本の対応など、戦後の歴史書にない事実、視点を提示している。

徳間書店¥1800+税

GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書) GHQ焚書図書開封8: 日米百年戦争 ~ペリー来航からワシントン会議~ (一般書)
(2013/08/23)
西尾幹二

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「『GHQ焚書図書開封』8の刊行ほか」への8件のフィードバック

  1. プラトン『国家』、アリストテレスの倫理学等は、古代の古典として評価されてきた。それらが奴隷制を前提しているとしても、とくにそれを美化・正当化しているわけではない。われわれがそれらを読む場合、そういう制約があるから読むに値しないという意見もあるが、その制度と直接関係ない議論から学び採るという読み方もありうる。スミスの「適正」(プラトン)やカントの「カテゴリー」(アリストテレス)などもその一例だ。
    アメリカの奴隷制については、独立後それを始めたのでなく、西欧諸国の貿易商人(重商主義者)が元々導入してきたその制度を、独立後の「野心家的」指導者たちがさらに大規模に悪用したものだ。その頃から西欧諸国のほうは、スミスの重商主義批判の影響により奴隷貿易を止め始める。スミスが米国人を「野心家」と揶揄したのは、そういう懸念もあったからだろう。

  2. 私見によれば、古代の国家・政治論には経済論が欠けており、それは時代の制約でもあったが、経済論を補った政治論をはじめて本格的に展開したのがスミス『国富論』(1776)である。それを欠いた近代政治学(丸山真男等)には、古代のそれと同様の体系的限界がある。古代の倫理学には判断方法論が希薄であり、それを補った道徳哲学(倫理学)を説得的に展開したのがスミス『道徳感情論』(1759)である。この両著は名声を博した割には、日本を除きまともには継承されてこなかった。その事情の一端については、7月21日来の本欄に連続投稿してきたとおりだ。米国の抱える問題点はそこに象徴的に示されている。なぜなのか? それは米国の経済学者が中途半端に優秀だからだ。リカード=ミル父子連合のスミス殺し策略を見抜けず、それを優等生的に踏襲してしまった(シュンペーター等)。その錯誤の付けを負っていかざるをえない。その点、お国びいきでなく、日本には救いがある。

  3. ケインズ派を批判して台頭したフリードマン以来の米国経済学は、スミスの「見えざる手」に依拠しているではないか?という反論もありうる。だが、本来のスミスは価値論に基づいているから、例えば、バブル傾向への対応で両者は逆になる。その意味で、米国の自由放任派は、リカードによって理論的に殺された(換骨奪胎された)スミスを再評価している趣がある。しかしその傾向に対して、僅かなりともスミス見直しを提唱する論文が出始めている。これは必然の成り行きだが、学界という既得権集団の転換は容易でない。もしかすると、それは現代の産軍複合体という巨大既得権によって支えられているのかもしれない。日本でそれが弱いのは学問的には幸いだが、そういう形で歴史の主役は交代していくもののようだ。

  4. 私見によれば、スミスの「見えざる手」はミルの言葉を借用すると、「価値法則」に相当する。それは自然法則のような社会法則であって、それに抵抗しても如何ともしがたい。植民地拡大の時代には、各国競ってこの法則に逆らってきた。その結末が度重なる戦争で、それが終結してみると、その法則に則っていた。社会主義破綻にも、バブル破綻にも、同様なことが言える。産軍複合体が強力な米国や中国は何か仕出かすか、何もできないか、いずれにしてもソ連のようにその重荷に耐えかねて停滞せざるをえなくなる。こうして法則に屈していく。何かの利害関係がこの法則に抵抗する勢力だが、結局それは無駄な抵抗に過ぎない。大多数の経済学者も何らかの利害関係に取り込まれているから、この真実を受け入れられない。にもかかわらず、この真実は貫徹されていく。「見えざる手」はそういうことも含意している。

  5. スミスが古代政治論や倫理学を踏まえていた意味を考えてみよう。明治維新の頃に主著を出版したマルクスは、資本家を敵視したが、当時の植民地化を推進しつつあった産軍複合体を逸した。ロシア革命期のレーニンは産軍複合体をよく捉えたが、その革命権力論は中世初期のallodial制度そのものであった。両者とも経済をよく捉えたが、政治や倫理の複雑な人間模様の把握に関しては、素人同然であった。その意味で、彼らの世界観は著しい欠陥品だった。スミスの経済論は素朴だとしても、上記の複雑な人間模様の本格的把握を踏まえていた。先の素人同然は、他のほとんどすべての経済学者にも該当する。しかし従来の経済学界は、スミスを経済学の創始者としては崇め奉りながらも、その全体像としての卓見から逸れて、理論の素朴さを見下すように自らの卓越性を誇ってきた。しかもスミス理論を誤解してきたことについては、今もってまったく無自覚である。そういう人間のあり方が、スミスに言わせれば「傲慢」なのだが、それはソクラテスのテーマでもあった。

  6. お邪魔します
    この本は内容が広く深いので、今回は第3章のごく一部に限定します。
    (引用P.90):宗主国イギリスに対するインド人の感情、宗主国フランスに対するベトナム人の感情、あるいはひょっとするとシナ人のアメリカに対する感情、それは予想外に複雑で、否定の一色ではないというのです。(略)すなわち、かつての植民地帝国主義には憎しみもあり、虐げられた記憶があるけれど、同時に、すぐれた文化に征服されたという思い、他のアジアに対する優越的な思いもある。::これなどはものすごく斬新な視点だと思います。それはえげつない植民地経営だったようですが、それでも何か。この優越的な想いが、過去の歴史の肯定につながるのでしょうか?だとしたらどちらが先か?歴史を肯定しようとして、優越的な思いに気づくのか?
    そこから西尾先生はこう結論づけておられます。
    (引用P.90):そんなところへ日本軍が出かけて行って、文化的に何かしようとしても・・・・できなかったのは当然かもしれません。::当たり前のようで、こう書いた人をほかに知りません。大抵はどう書くかといえば「日本軍は、できなかった」ではなく「日本の優れた文化をあいつらには理解できなかった」と書く。これでは自尊心を満足させることができるかも知れませんが、追い詰められて思考の糸を自分でぷっつり切断して、論理の応酬から逃げているだけだと思います。あいつらが理解できなかった、ではなく、理解させる力が日本になかった。ここを真摯にくぐらないと、新しい展開に持ち込めないと思います。
    P90、から2箇所大切だと思った箇所を引用させていただきました。
    国家も人間と同じで善人だから好かれ、悪人だから嫌われる、というわけではなく、相手の価値体系の中の評価で、尊ばれたり嫌がられたりするのだと思います。

  7. お邪魔します。
    今日は最後の11章に限定して。
    ここで取り上げられている「米国の世界侵略」その第5章の第一節に「大西洋憲章の欺瞞」神川彦松、というのが見えます。この戦前の大西洋憲章が国連憲章に繋がっているというペイジ(証拠)を見つけました。
    http://untreaty.un.org/cod/avl/ha/cun/cun_photo.html

    西尾先生のこの本のこの章の最後の小見出しはこうですね。
    「ユナイテッド・ネーションズを国連と訳した外務省の愚」
    それで考えたのですが、国連と訳した時点で日本の外務省は国連の出先機関になってしまっているのかもしれない、そう考えると外務省の基本的体質、外務省の見解がスッキリと解明できるように思いました。

  8. お邪魔します
    今日は第6章第7章に関して。この二つの章は特に日本が米支にしてやられたことがわかるところで、特に驚くのは、「米支以外の国々は日本の山東問題に理解を示していた」の秘密が語られる部分ですね。中国の不正が暴かれるところですが、どうしたわけか日本史からさえ消されていますね。で日本人はだいたいここに触れられたくないところとなっています。本当はここを開示しなければいけないのに。
    今日Wilsonを調べていて、アメリカ人がこの辺の中国の嘘を暴露している文章を見つけました。
    http://www.h-net.org/reviews/showrev.php?id=7733
    これは本の書評ですが、簡単でわかりやすいと思うので。
    こちらは日本人の文章です。
    http://www.nids.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary027.pdf
    近衛文麿がパリ講和会議に出席していて、ここで「国民外交公開外交の時代将に来らむ、として、プロパガンダの重要ますますその度加ふべきは論を俟たず」と既にPROPAGANDAの重要性に気づいているところは、さすがだと思いました。パリ講和からプロパガンダが表面に出て公開外交を演出していく。

    前から思っているのですがパリ講和会議にはPROPAGANDAの最高実力者Ivy LeeとPROPAGANDAの生みの親Edward BernayがWilsonに同行しています。
    Wilson自体がたった2年間で即席に作られた傀儡政治家で、ご著書日米百年戦争の巻頭にある写真、VIVE WILSONのヨーロッパでの大人気ぶりも、プロ中のプロの大衆心理操作専門心理学者たちの功績だと思います。ここから外交は傀儡政治家plus大衆心理操作専門家の独壇場となる、但し姿を隠しているけれども。70~80年くらいまで続くように思います。

    今は、例えば南京や慰安婦もロビー活動に加えて、それを仕事として請け負う、広告代理店に姿を変えている。その広告代理店の手先がマスコミや映画会社などなど。マッカーシー旋風の時に真っ先にハリウッドテンという連中が追放されましたが、ハリウッドはコミンテルンのプロパガンダの巣だったんでしょうね。なんだかコミンテルンの話にそれてしまいましたが。話を戻しますとWilsonは非常に御し易い大統領だったのだと思います。
    聖職者の家庭に生まれ神をとことん信じて使命感に燃えて、但し典型的な学者(博士、プリストン大学の学長)で、政治や現実に疎かった。しかも西尾先生のおっしゃるように、自分にもアメリカにも神から与えられた世界啓蒙の使命があると強く信じていた、独善的な典型的なアメリカ人だったと思います。Wilsonを調べていて、パリ講和会議の山東問題に突き当たったので、最後はWilsonの話に戻ってしまいました。
    なんだかとりとめのない話で申し訳ありません。

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