村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第七回)

31)職業学校の制度もまた、民衆に近代的職業知識を普及することを目的に1920年頃成立した新時代への一種の改良政策であって、中世のギルドとは直接にはなんの関係もない。

32)「学歴財産」という考えはドイツの社会にはないし、社会がそういう奇妙な財産価値を認めていないのである。

33)高学教育が大衆化しているアメリカ社会と日本社会の流動性、均質性は「現代化」のしるし。(中略)それは進歩の証しというより、歴史の拘束力がヨーロッパより希薄であるからにすぎまい。

34)「学歴社会」……は、日本の社会の「封建的」性格の名残りにあるのではなく、むしろ逆に、封建制の遺産としての社会階層の一定の秩序がまだヨーロッパにはあるのに、日本では跡形もなく崩れ去ってしまったことの方に原因があろう。

35)かつての幼稚なヨーロッパ崇拝の頭がアメリカ崇拝の頭にすげかえられただけ(の日本:村山注)。

36)外国をもってしか自国を測れないのは近代日本人の歴史の宿命である。

出展:全集第一巻ヨーロッパ像の転換
31) P129下段より
32) P131下段より
33) P132下段P133上段より
34) P134上段より
35) P134上段より
36) P134下段より

「村山秀太郎の選んだ西尾幹二のアフォリズム集(第七回)」への7件のフィードバック

  1. 桜チャネルの「亡国への道か?「移民大量受入」と日本」は日本人必見でしたね。ユーチューブの閲覧数ではすでに2万を超えていました。大きな反響があったのでしょう。コメント数ものびています。
    全国放送でなぜこのような番組が放映されないか非常に残念でなりません。ヨーロッパの移民社会暗部はかなりネットで知れ渡るようになりましたが、シンガポールの実態は知らない日本人が多いでしょう。
    討論のなかで紹介されたシンガポールでは派遣会社が国営というのは、なるほど効率的だと思いました。突拍子もないですが、日本でも派遣会社を国営にするのは有りなのではないかと。派遣会社の顧問か会長?をやっている竹中平蔵は困るでしょうが。
    桜チャネルに提起すべきかもしれませんが、あえて疑問を書けば、このような討論をやる場合に3部のうち1部でも竹中平蔵氏をまねいて討論すればもっと影響力があるのになあと思います。とくに三橋氏と竹中氏との討論は見たいのですが、なんでやらないのでしょうか。どちらかが逃げているのでしょうか。(ここで書くべきことではないですが、ふと思いました)

  2. 桜チャンネル討論番組「亡国への道か?「移民大量受入」と日本」
    をみて危機感をもった。いろんな「運動」や政治家への働きかけなど
    色々あろうが、もはや手遅れではなかろうか。可能ならクーデターしか
    あるまい。しかしそれも不可能な気がする。残るはテロしかないのでは
    ないか。平成の桜田門外。回天の一撃。

  3. 35)は文中の表示が正しく、
    36)のご出展は134頁下段ですね。恐縮ですが補足させていただきます。

    わたしも、西尾先生の数多くのアフォリズム、金言に魅せられ続けている者のひとりです。

    全集2巻「悲劇人の姿勢」刊行からすこし前、長年探し続けていた昭和46年刊行の同名の単行本を感慨をもって読んだ時(数年前のことですが)、第1章の「アフォリズムの美学」に、最初に「私はアフォリズムを読むのは好きだが、書いた経験はまだ持っていない。ただアフォリズムを十分に読みとることの厄介さ、読解することの難しさといったことを考えると、これを書くことのある種の危険もわかるような気がする。」(全集2巻10頁上段)と述べられており、何だかとても意外な気がしました。しかし一方、どうにも説明しにくいのですが、爾後箴言を多産されてゆく先生の未来を何か暗示されているような気もしました。

    箴言集という文体で纏めあげられる迄には、長年の時間の積み重を要することでしょう。もともと「箴言集」のための箴言ではないのですから、前後の文面を端折ることから、時として本文の意図とは違った印象さえ与えてしまい誤読の恐れもある、という危険性も否めません。然様なことも「アフォリズムの美学」には論じられていたかと思います。

    それでも、先生の仰有る「危険性」を忘れてでも引用したくなる珠玉の箴言が西尾先生の文章には溢れています。「超然たる人生」は、先生ご自身が纏められましたが、今度は第三者であるどなたかが、先生のアフォリズム集を上梓されるものと心待ちしております。

    西尾先生の全集は、先生ご自身も強調されていますが、単行本未掲載の論文も含むご自身による再編集なので、今迄多くの単行本を拝読していても、全集のたかちでじっくり時間をかけて読む価値が大いに有ります。じつは、私の全集にも先生の「アフォリズム」に細長く切った付箋が無数に貼ってあります。相当な数なので、書き写しておきたいといつも思っております。

    そして、「36)外国をもってしか自国を測れないのは近代日本人の歴史の宿命である。」については、今以て有効なアフォリズムですが、「万世一系の皇統を肇国とする国体を大切に守護していた終戦までの日本人」は、その「からごころ」に染まり易い民族性および宿命を超克していたような気がします。また、アメリカ、GHQからそれを奪われ否定されている受難、今日の悲劇についてご教示され続けているのも西尾先生です。

    確かに日本人ほど「からごころ」(外国の文化)にたいして無警戒に身を委ねる民族も無いのでしょう。島国だからか、大国の文化に憬れ続けて海からやってくるものは盲目的に自分より正しく善いもので、七福神信仰などとも云われます。一方だからこそ、長い周期で大きな作用が興り今日があるのです。平安の菅原道真の遣唐使廃止の献言以降の国風文化や、江戸に萌芽する国学および水戸学の興隆など。余談乍、遣唐使廃止から丁度1千年後に日清戦争が起こっていたのですね。わたくし無学故に気付いて驚きました。もっと調べればもっと短い周期で何事かがあるのでしょう。しかし、これから未来のことなど誰も判らないのに、只徒に「運命だから・・・」と身を委ねた侭、来るべき周期に至るを待つ、などということは人間業として、あるいは民族として出来ないことでしょう。

    「江戸のダイナミズム」の主題のひとつであったかもしれません。一瞥したところ日本人は「外国をもってしか自国を測(れ)らない」宿命の裏で、絶えずそれに抗う力学がたとえ表に(歴史)に顕れなくとも鞏固に存在し続けているのだと思います。絶妙な均等、とでも申しましょうか。そして、それこそ絶対に絶やしてはいけないものと私も信じております。

    アフォリズムから激しく脱線した飛躍し過ぎのコメントで、たいへん失礼いたしました。

  4. 1)仁王門さんへ
     いつも大切な指摘、貴重なご意見を下さり、ありがとうございます。チャンネル桜の討論会に竹中平蔵氏を招いたらというアイデアですが、竹中さんがこのメディアに出てくるはずがありません。やってみなければもちろん分りませんが、まあ十中八九は無理でしょう。マスメディアのそういう構造は考えたことありませんか。

    2)神様さんへ
     手遅れではまだないと思っています。7月6日「正論」主催で移民反対の大シンポジウムをやりますし、チャンネル桜はデモも計画しているようです。

    3)阿由葉さんへ
     いつも熱い思いで全集を丁寧に読んで下さってありがとう。今までの私の単行本では得られないものが全集を読むことで得られる、と言っていただけて我が意を得た思いです。
     
     『超然たる人生』はPHPの某編集者が言葉を拾ってくれた箴言集で、私の選ではありません。

  5. > 高学教育が大衆化しているアメリカ社会と日本社会の流動性、均質性は
    > 「現代化」のしるし。(中略)それは進歩の証しというより、歴史の
    > 拘束力がヨーロッパより希薄であるからにすぎまい。

    「歴史の拘束力がヨーロッパより希薄であるからにすぎまい。」との断言ですが、その様な単純な決め付けには、いささか疑問を禁じ得ません。

     1.もともと、ヨーロッパ社会は階層性社会では。
     2.それに比べて、日本は古来より「階層性社会」ではありません。
       (天皇を精神的支柱として尊崇する共存共栄の社会です)
     3.更に、日本とヨーロッパの歴史的「 Length 」の違いについても
       言及する必要があると思います。

    むしろ、「歴史の拘束力がヨーロッパより濃厚であるからにすぎまい。」と言うべきではないのでしょうか?

  6. 移民問題についての討論、拝見しました。日本の国土、伝統、文化、教育、経済、治安すべてが移民によって総崩れになることが明確に分かりました。
    このようなことを安倍首相が言い出したことに、絶望を感じます。
    なぜ日本はいつもこうなのでしょう。不思議でなりません。
    西尾先生はじめ、チャンネル桜に出演されている方々の話を10分も聞けば、どんな人でも移民反対に確信が持てると思うのですが。
    小さなことでも自分のできることを実行しなければ、ご先祖にも子孫にも顔向け出来ないと思っています。

  7. 仁王門さんの「三橋氏と竹中氏との討論」「なんでやらないのでしようか」とのコメント、ずゐぶんユニークですね(西尾先生も驚かれたやうですが)。私なら「かういふ席に竹中氏を呼べれば、さぞおもしろかうに」と空想し、そして萬一竹中氏が出てゐるのを見つけた場合は、「やや!!」と驚愕し、「どんな手を使つて引つ張り出したのだらう。金を握らせたか。よほどの祕密でも掴んで突付けて嚇かしたのか」と邪推の限りを盡くしたことでせう。

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