知人からいただいた残暑見舞いの一文に「韓国からの情報戦に対する政府の反応の鈍さが気がかりです」とあり、目が釘づけになった。8月5日朝日朝刊の「慰安婦問題 どう伝えたか/読者の疑問に答えます」が出てから二週間たった日の出来事である。多くの日本国民は、外電の伝える韓国の変わらぬ居丈高や、米国務省のサキ報道官らの韓国寄り対日道徳的叱責から受ける不快感と、露呈した朝日の取り返しのつかぬ国家犯罪との落差のスケールの余りの大きさに、あれからじっとうずくまるようにして忍耐している。だが無力感に苛まれるばかりで動けない。ネットで怒りの声はたくさん読んだ。朝日記者の国会喚問と社長の謝罪会見はいうまでもない。河野洋平氏の自民党籍剥奪と叙勲取り消しの要望もあった。一連のパフォーマンスで国際社会に強制連行はなかったことを政府が率先して強く訴えてほしい、と念じているが、二週間たってもそういう動きは見えない。「政府の反応の鈍さが気がかりです」の先の一文はこの点に触れている正直な一般国民の不安の表明である。
二十年以上も前になるが、ドイツの二つの代表紙で日本軍による二十万人の少女の強制連行という記事を読んだときの居たたまれぬ恥辱感が甦る。ウソと知っていたからである。
中学校の歴史の全教科書に慰安婦の偽りのストーリーが載せられたのを知り、怒りを共にした者が集まって「新しい歴史教科書をつくる会」を起ち上げたのはそれから間もなくであった。慰安婦問題こそが歴史教科書問題に火を点けた着火剤だった。そしてここから「歴史認識」という聞き慣れぬ言葉が一般にも普通に使われるようになった。
インドに住むあるタイ人女性が挺身隊問題アジア連帯会議というところで、「日本軍さえたたけばいいのか。インドに来た英国兵はもっと悪いことをしたのに」と泣きながら訴える場面があったそうだ。すると、売春問題ととりくむ会という団体の事務局長の日本人女性が「黙りなさい。余計なことをいうな!」といきなり怒鳴ったという話がある記事で書かれていた(産経2014年5月25日)。ほんの少しでも日本軍の残虐行為に異議を唱えるとたちまち逆上するメンタリティ、これこそがほかでもない、「新しい歴史教科書をつくる会」の前に立ち塞がった高い壁、というより黒々とした深い沼のような心の闇だった。彼らの心情は理性では判断できない。正常な感覚では理解できない。つまりある病理学的(パトローギッシュ)なセンチメントの底の深さを目の前に、私たちメンバーはたじろいだ。
これは日本人に特有の心情で、ドイツでは起こり得ないことを示すいい例がある。私が『諸君!』(1993年11月号)に書いた「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領謝罪演説の欺瞞」の冒頭に紹介した次のエピソードである。
「過日、ベルリンの小さな集会で、日本人とドイツ人が戦争の話をした。ナチ犯罪が相変わらず大きなテーマだった。大学のドイツ語の先生をしているある日本人が、まるで自らの善意を示すかのように、日本にも捕虜収容所があり、南京虐殺などの犯罪があったと、日本人もドイツ人と同じようなひどいことをしたという反省の言葉を語った。すると、そのとき居合わせたあるユダヤ人が、最後に「アメリカにもイギリスにも日本にも収容所はあったが、一民族を根絶するために収容所を作って、それを冷酷かつ合理的に運営した国はドイツの他には例がない」と言ったら、その日本人は顔色なく、シュンとなってしまったそうである。人から伝え聞いた話だが、面白いので印象に残っている」
この場には勿論ドイツ人もいたはずである。ドイツ人はこんなものの言い方をされてもじつは平気なのである。感情には来ない。自分の世代のしたことではない、と思っているからだけではない。ウクライナでも、ルーマニアでも、ロシアでも、フランスでも、イタリアでも、スイスでもユダヤ人迫害はあった。虐殺もあった。ドイツのやったことは大規模だったが、他の国もみんな脛に傷を持つ身であって、とことん追及なんかできないことをドイツ人は暗黙のうちに知っているからである。ときどき政治的パフォーマンスで「反省」してみせるのは、ドイツが強くなり過ぎるのを周りの国々がこわがっているのだと承知していて、われわれは融和主義で行きますよと広告しているだけで、過去のことで心が震えてなんかいない。しゃあしゃあとしている。ヨーロッパ諸国もこれを了解している。お互いにユダヤ人迫害では歴史の共犯者だから、ドイツを必要以上に責める気はない。いわゆる「独仏和解」とはこういう共通心理の上に乗っている。
日本人にはどうしてもこれが分からない。このドライな割り切り方と政治環境の違いが分からない。旧日本軍を肯定するとたちまち逆上するかの事務局長の女性や、日本も戦争犯罪をしたとわざわざ外国人の前で善意の反省を吹聴したがった大学のドイツ語の先生の例は、まことに病理学的心理の典型例であって、これが私や私の仲間たちがぶつかった手に負えない壁だった。日本ではこれが大学やメディアや言論界や歴史学界や教育委員会等でいわばとぐろを巻いて伏在している。ほかでもない、これこそが朝日新聞の三十二年間の大虚報を可能にした、他の国では考えられないばかばかしい「心の闇」の正体である。私は名付けて朝日新聞的なるものと呼ぶ。
本当に子供っぽいのである。しかしこれは手強い。恐ろしい。日本人の愚劣さそのものだが、愚劣さは商売になるからである。朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか知っているだろう。集団的自衛権を批判するのは勿論いい。しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。朝日新聞は大誤報を告知したが、このあとも決して変わるまい。知能はあるが、知性のない手合いがこの新聞のお得意さまで、残念ながら後から後から量産される。「天声人語」は入試によく出る知性の結晶というコマーシャルを耳にするたびに、私は腹をかかえて笑う。
ドイツの戦争は日本とは違ってまことに能動的積極的な侵略戦争であった。が、ドイツ人は今まで侵略について謝罪もしていないし、反省もしない。ヨーロッパの歴史で各国みなやっていたことを謝る理由はないからである。六百万人とされるユダヤ人の虐殺、ホロコーストについてだけ謝る。それもドイツ民族がやったのではない、ナチ党という例外者がやったのだと言い募り、ドイツ人に「集団の罪」は認めない。罪はどこまでも「個人の心」の問題だと、宗教を持ち出して言い張る。だからドイツ国家に道徳的責任はない。ただし政治的責任があるので金は支払うというのである。これをしないと周辺国と貿易を出来なかったからである。
私は自己欺瞞を重ねざるを得なかったドイツ人の苦しい胸の内に戦後ずっと同情してきたが、ホロコーストの歴史を知らない日本が謝罪や反省に関してドイツ人に付き合う必要はないと思ってきた。しかしここが「朝日新聞的なるもの」に埋没した人が理解しないか、わざと誤解して踏み出す点で、かれらは南京虐殺を持ち出して、日本はドイツと同じホロコーストをしたと言いふらし、このもの言いが中国や韓国に次第に伝わり、両国に乗り移って今の騒ぎになっている。
南京虐殺の実在しないことは北村稔氏、東中野修道氏その他多くの方々の献身的作業で論じ尽くされ、敵性国家中国の対日攻撃手段の一つと今では見なされている。つまり南京を言い立てる者は中国のイヌである。そこまで分かってきているが、それでも沼のようなあの「心の闇」に閉ざされている多くの日本人はまだ目覚めない。
「どうして日本と日本人を貶めるストーリーが、巨大なメディアや政府中枢で温存され、発信されるのか。日本は一刻も早く、この病を完治しなければならない」と書いているのは英国人ジャーナリストのストークス氏である。「慰安婦問題だけではない。いわゆる『南京大虐殺』も、歴史の事実としては存在しなかった。それなのに、なぜ『南京大虐殺』という表現が刷り込みのように使われるのか。この表現を報道ではもう使うべきではない」(ZAKZAK8月14日)。
思えばまだ慰安婦も南京も話題ですらなかった1960年の安保騒動で、日本の立場を有利にする筈の条約改定の合理性には、いっさい目をつむり、安保改定は戦争への道と騒ぎ立てた筆頭は朝日新聞だった。反米の旗幟鮮明で、反米こそ朝日の平和主義の柱だった。それがアメリカへの甘えだということには気づかず、この会社はそのうちいつの間にか親米に傾き、アメリカの虎の威を借りて日本の国家としての主体性をなくそうとする潮流に今や夢中になって手を貸す方向に動いている。最近同紙に採用される言論人の所説をよく見てほしい。護憲左翼と親米保守が仲良く手を結んでいる曖昧さが特徴である。そこにはあの「心の闇」、世界がたとえ嵐でも駝鳥(だちょう)が砂の中に頭を突っ込んで動かないような盲目的敗北的平和主義、「何もしない」主義の未来喪失の姿を認めることができよう。そしてひたすら中国に媚びるのである。
GHQが戦後七千余点、数十万冊の日本の本を没収廃棄したことは知られていようが、出版元別にみて最も多く廃棄されたベストスリーは、朝日新聞社百四十点、講談社八十三点、毎日新聞社八十一点の順であった。いうまでもなく戦時体制にその出版物で最も迎合的に協力した筆頭三者である。そしてこの三社は周知の通り、戦後長いあいだ反日左翼のムードを代弁し、日本の侵略、アジアの攪乱を言い続けてきた歴史自虐の代表マスコミである。見事に逆転した心理構造には私は尽きせぬ興味を感じている。ここには間違いなくあの「心の闇」の秘密が潜んでいる。
岩波書店は日共系知識人に支配された出版社だから、そこの左傾化は純粋に戦後の現象である。朝日、毎日、講談社はそうではない。代表的戦時カラーから代表的戦後カラーにがらっとものの見事に衣替えした。戦前までの自分の姿を忘れたというより、さながら過去の自分を憎んでいるかのごとき情緒的反応である。GHQに「焚書」されたことと深層心理的に深い関係があると私は見ている。
戦争の敗北者は精神の深部を叩き壊されると、勝利者にすり寄り、へつらい、勝利者の神をわが神として崇めるようになるものだからである。今の朝日新聞は戦争に敗れて自分を喪った敗残者の最も背徳的な無節操を代弁しているように見える。
(月刊誌「正論」10月号より)
古い木版画には、ユダヤ人が穴に放り込まれて、焼き殺されているものがありますが、第二次世界大戦中にユダヤ人の身の上に起こったことは、、欧州において、過去から繰り返されてきたことが、再発生したことにほかなりません。ロシアなど、ナチス顔負けの方法でユダヤ人を虐殺してきた歴史がありますから、あの図々しいロシアですら、ユダヤ人のことでドイツを責めることは決してありません。
つまりナチスのユダヤ人の大量虐殺は、特殊な事例ではなかったということです。唯一の相違点は、殺害方法が機械化、効率化され、その犠牲者数が、桁違いになったことだけです。
過去にユダヤ人迫害の歴史を持ち、大戦中は、間接にナチスのユダヤ人虐殺に加担したドイツ以外の国々は、その負い目があり、下手にドイツを責めれば、責任追及が自分たちの方に飛び火をするのが明らかですから、「ユダヤ人のことについては、お互いに黙っていましょう」という非公式にして暗黙の合意事項が存在するわけですよ。
ドイツが、「悪いのは、ナチス。ドイツは、ナチスというゴロツキに支配された被害者であり、ユダヤ人虐殺は、そのゴロツキたちがやったことで、ドイツ及びドイツ人に罪はない」と居直ったとき、周辺国が非難するどころか、沈黙という形で同意したのは、周辺国も共犯者であると言葉を使わず白状したのに他なりません。
ナチスに責任を押し付けたドイツと同じように周辺国もナチスに責任を押し付けたのです。
しかし、あの時代は、間違いなくナチス=ドイツであり、ナチスとドイツが別物であるとするのは、自己欺瞞以外何物でもないでしょうが、冷戦下でドイツを西側陣営につけるために、ナチスドイツをナチスとドイツに分離する政策が行われ、渡りに船とばかりにドイツが、そうした方針に乗ったということでしょう。
そうした歴史的、政治的背景を無視して、あたかも「ドイツは反省しているし、周辺国も評価している。一方で日本は」を連発する日本人の「出羽の守様」や、日本の歴史の無知を自覚せず、ヒステリックに日本と日本人の無反省ぶりを非難することで道徳的優位に立とうとするドイツ人、そして自らの戦争の正義を絶対化、固定化を目論見、そのため日本と日本人を貶めることに血道をあげるアメリカを中心とした戦勝国。
完全に味方のいない状況で、自らの歴史を回復するには、日本民族自ら歴史を喪失したことを自覚するとこから始めなければならないでしょうが、如何にして自覚することができるか?浅学非才な自分には、皆目見当がつきません。
反日の根源
先日10/18のチャンネル桜の討論『朝日新聞を糺す』の後半でも、中山成彬議員(次世代の党、衆議院)が、なぜ反日日本人は自国を否定し貶める思考や行動をとるのか、その心情や信念が謎だと問いかけ、言わば反日の根源について討論されていた。
そこで俎上にあがった反日の根源としては、「日本を貶めることが正義だとの錯覚」、「戦勝国や権威に阿り善意の反省で自己称揚を図る心の闇」、「GHQ占領後遺症」、「中越戦争とソ連アフガン戦争後の左翼の反日路線への変換と全共闘世代の社会進出そして戦後利得死守根性」、「左傾大学・学会の跋扈と反日の再生産惰性」などに要約されると思う。 私も、以前から反日日本人の根源問題は重要に思い種々考えていたのでうなずくことも多かったが、これではとても納得のいく根源の絵解きにはならないようにも感じた。 いずれも外れではないが、正鵠を射ていないように思う。
私の考えでは、反日の根源の本丸は、グローバリズム(脚注1参照: 新自由主義と共産主義などを包含する無国境主義)の虚妄とナショナリズム(脚注2参照)の正当性が明確にされていないため、グローバリズムが称揚され易く、ナショナリズムが敵視され易いからだと思う。 さらにそれは、明解で先進的で理想的に見えるグローバリズムに対して、ナショナリズムはナチスなどの前科があり生得的で論理体系が明解にされていない欠点があるからだと思う。 「日本を貶めることが正義だとの錯覚」と見るのは、ナショナリストだからで、グローバリズムを信念としている者にとって錯覚ではない。
反日日本人といっても、様々なレベルの人がいるが、指導的中心的な本丸の反日日本人のそのような基本思想を徹底して粉砕しないと、反日日本人の一掃=日本を真に取り戻すことはできないと思う。
たしかに、所属大学の左傾雰囲気に合わせて自己保身から反日的論文を上梓するような迎合反日日本人もいるだろうが、私の経験では真面目で優しい多くの人物がグローバリズムの自由・平等・博愛的ヒューマニズムを心底信じ、日本批判を口にするのを見てきた。 理系の研究コミュニティに住む人々は、共通言語の数学・物理学・化学・・・そして英語によりすでに国境のない世界に住んでいるため、ナショナリズム的言動や障壁には嫌悪感を抱くことが多いように感じている。
そのようなかれらに、もし、日本が滅べば世界が救われ、日本が救われれば世界が滅ぶような情況に直面したらどっちを選ぶかを問うたら、彼らはそのヒューマニズムから躊躇なく日本の滅亡を選ぶと思われる。「健康のためなら死んでも良い」みたいな話と思う。その誤謬に気がつかない。
反日日本人のこのような信念・根源を知って、グローバリズムの虚妄論証とナショナリズムの理論化をしておかないと、日本を真に取り戻すことは困難だと思う。
(例えば、S.ハンチントンは、「社会科学研究からは貿易や通信が密であっても平和=共通の感情は生まれないとの結果がある。社会心理学の弁別化理論から、文明間の相互交流が増えると、人々はますます自分たちのアイデンティティと文明との関係を強く意識する。社会学の世界化理論も、貿易や通信などの緊密化による「グローバル化=世界の場の単一化」が進むと、文明、民族などの自意識が強まる。」として、グローバリズムの虚妄に言及している。 精緻に論理を深めると共に、一般向け簡易解説の広報が必要だと思う。)
ここで、反日について外国人も含めてもう少し分類整理してみたい。相手によっては対応を変えないといけないと思う。
(1)グローバリストの反日外国人
特攻隊の伝統とDNAのある依然団結心の強い日本のナショナリズムを大きな脅威として、日本的なものや、過去の日本の犯罪?をことさら攻撃してくる人々。 また、英米に多いと思われるが、軍事と英語と金融とメディアなどで一極的支配の経験があり、グローバリズム世界の覇者になることを当然としてそれを推進しナショナルなものを排除し、その弊害に鈍感な人々。 戦勝国史観の見直しは認めない。
ブログRera Pirkaの記事「反日の根源」によると、やや陰謀論めくが、千年単位で世界制覇を目論み、資本の力で既に世界を隠然と支配しつつあるディアラスポラのユダヤ人の戦略にとって、深く清いナショナリズムを秘めた日本は目の上のたん瘤で、あらゆる手段で日本を骨抜きにする戦略(=反日)との見立て。
(2)ナショナリストの反日外国人
中国や韓国に多いと思われるが、自国の一面的な狭い利益を考え、卑小な料簡で日本に対抗心を持ち、日本をあらゆる面で攻撃する人々。または、それに扇動された人々。 英米でも同様の人々は居ると思うが、真実話し合えばナショナリスト同志として理解しあえる可能性はあると思われる。ただし、戦勝国史観の見直しはたぶん認めないと思われる。
(3)心底グローバリストの反日日本人
それなりの信念研究を経て、ナショナリズムの暗黒面・弊害に絶望し、グローバリズムに人生をかけて反日活動をしている信念の人々。 その転向はほとんど困難だが、研究納得のうえ転向すれば強力なナショナリストになる可能性が高い? 大学の教員や官僚、弁護士、ジャーナリストなどに多く、社会的影響が大きい。
(4)なんとなくグローバリストの反日日本人
数百年後はいずれ世界政府ができて、日本は消えてゆくのかな~と漠然と感じている。 普通の戦後教育を日本で受けて、朝日新聞などを購読していれば自然となる状況で、最大多数派。 自民党議員にも多い。
(5)工作員または商売の反日日本人
思想的、政治的なものは無関心か何らかの理由(経済または脅迫)で、外国の諜報活動に協力している人々。 外国とは関係なく、上記(1)~(4)の人々からの依頼で、金銭などを対価に罪悪感なしに反日活動を行う人々。
脚注1 グローバリズム: http://rakuaki.blog.fc2.com/blog-entry-33.html 参照
グローバリズムの定義は様々ですが、グローバリストの究極の主張は以下の通りで、国民国家による国際社会を否定する世界政府主義であると思います。
「国民国家はナショナリズムを基礎としており、健全なナショナリズムといえどもいずれ暴走する。そのような国民国家群で構成される世界では、戦争と国内少数派迫害は防ぐことは不可能である。本来の人類は平等であり個々人は助け合うことができるはずであるが、それに反して国境を設け国家を至上とし、自国民の福祉のみを追求し他を排斥することは不道徳で、人間の本性に反し自国民の福祉すら達成できず全ての人類を不幸にする。国家の無いのが人間の自然な生き方であり、国境を無くしたワンワールドこそが人類の理想であり、その方向へ人類社会が向かうのが摂理である。
加えて、近年の通信情報処理と交通機関の進歩は世界を小さくしており、経済の相互依存も進展する一方で、これらの動きは加速している。したがって前世紀以前は国家が人間社会の適正統治単位であったかもしれないが、今世紀以降は、世界は狭くなりその世界が適正統治規模であり、真に民主的なワンワールドの世界政府の樹立は可能。この摂理に逆らうナショナリスト達は不道徳な犯罪者であり、結局ナチスだ。彼らから人類を守るために、彼らの息の根を止める必要がある。」
脚注2 ナショナリズム共存共栄国際主義:http://rakuaki.blog.fc2.com/blog-entry-28.html 参照
ナショナリズム共存共栄国際主義は、健全なナショナリズムによる国際社会建設の哲学といってもよいと思います。 それは、グローバリズムが共産主義のように人間の本性を理解していない思慮の足りない無邪気なユートピア思想であり、政治経済的・社会科学的にも成立し得ない全人類に悲惨な結果を招くものと認識します。
ナショナリズム共存共栄国際主義が目指す世界は、健全なナショナリズムに基づく漸進的な自由民主主義的(共和制、立憲君主制いずれかの)国民国家群の相互尊重の国際社会です。それは、人間の性善説性悪説の両方に目を配り、人間社会の適正統治単位が国民国家にあることを自覚し、伝統と文化と自制と法治を重んじ、国家の成員の着実な福祉と国家の繁栄を第一に目指し、その結果として人類全体の着実な福祉を目指すものです。そこでは、古くはアダムスミスが指摘したように市場の自由は生産物に止め、生産要素(労働、土地、資本)は国家の緩やかな適度の管理の下に置くことを基本とすべきです。すなわち国民経済を基本とします。
また、国連憲章が国民国家主権を認めそれを基本単位に調整しようとしていることから、現在の国際社会は結果的にナショナリズム共存共栄国際主義の上に成立しているといえ、現世界の基本統治原則といえます。 それは結局日本の八紘一宇の哲学と同じで、日本文明の普遍性を物語っていると思います。
花田紀凱氏との対談での西尾先生のお話は大変説得力がありましたが、あの内容は遠からず大阪知事?だった橋下氏が以前に外国人記者クラブで説明しようとした意図に近いものでしたが、「物は言いよう」というかうまく伝えなければ完全に逆効果になるという例ですね。まず気概というものが違っておりましたね。それと西尾先生の反論は確信と気概のなかにウィットというのが巧妙におりこまれており、こうでないと「はなっから悪意を持った」連中に取り囲まれた状態を突破するのは難しいと痛感しました。
ある人の概算だと「朝日新聞の慰安婦捏造がもたらした日本への損害」はお金に換算すると数兆円にのぼるとか(私は数兆円ではすまないと思ってますが)。朝日新聞のものすごいところはあれほどの慰安婦大騒動で日韓関係を完膚なきまでに破壊して滅茶苦茶にしたにもかかわらず、その自覚がまったくないところです。こういうメディアに日本がひっかきまわされてきたことは、ぞっとするほど恐ろしいことです。
これは私の確信ですが、日本人をあぜんとさせ憤慨させたという2005年に韓国で制定された親日法(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)は90年代に朝日新聞が驚くべき狂信的な慰安婦キャンペーンをやらなければまず確実にこのような法律は制定されるようなことはありえなかったと考えています。
90年代から朝日新聞を突撃隊とする反日勢力が何年も狂ったように反日工作をやりぬいた結果でなければ、あの尋常でない法律が制定されるような気運が韓国で高まることは、少しばかりは韓国社会の趨勢に関心をもってきた私の常識でいえば到底考えられないのです。
それと岩波書店で思い出しましたが、書籍を特定するISBN番号というのが国際的に使われていますが、その出版社番号の「0番」がなんと岩波書店であったという驚き。まあ歴史が古いだけかもしれませんが、0番なんて出版社であればどこの国でも国を代表するような出版社であるべきですが、あの戦後の発狂ぶりは尋常でありません。
そういえば岩波の顧問かなにかだった吉野源三郎という人の「君たちはどう生きるか」を保守系の誰かがボロクソにけなしていたので読んだことがありますが、内容には感銘を受けてなぜこのような格調高い本が罵倒されるのか(フランス賛美が鼻につくのかもしれませんが)不思議に思ったことがありますが、よくあとがきを読むと戦前に出版されたものでした。私は戦前の知識人の精神性の高さを象徴するような本と思いました。ただ吉野源三郎のあとがきを読んで、その日本への怨念の毒々しさがあふれでるさまを見て、民主主義ではなく、むしろ共産主義の知識人へもたらした陰険な害毒というのを感じました。
西尾先生は慰安婦問題を性奴隷強制連行でなく売春制度でもなく「女性の人権問題」にすりかえようとする日本人をさして、この人たちは「知能はあるが知恵がない」とおっしゃってました。
まったく同感ですが、私に言わせれば「知恵はないが悪知恵だけはある」です。さあ、彼らは慰安婦問題を日本だけの問題でなく世界の歴史全般の普遍的問題ととらえてくさいものにふたをしようとする世界の国家群とけんかを売る度胸がありましょうか?いえ絶対にありえないでしょう。日本をおとしめる道具に過ぎなかったことはもはや過去に確定済だからです。
日本をおとしめる道具に過ぎないものを普遍的な道徳的問題にすりかえようとすることこそ日本に救う反日左翼の常套手段であり、彼らの練りに練った悪だくみであり「悪知恵」そのものに過ぎない、ということを一人でも多くの日本人に伝えて今後二度とおぞましいトリックにひっかからないよう戒めとする必要があると思えてなりません。
だらだらとつけたして恐縮ですが、「西尾先生の反論は確信と気概のなかにウィットというのが巧妙におりこまれており」と記載しましたが。
この部分で慰安婦問題というようなデリケートな問題についてはこの「ウィット」の質も極めて重要な要素と思います。
以前に橋下氏は沖縄の米軍に対して「現地の慰安婦」の人たちが現在もがんばってくれているというような発言をしていましたが、あれはウィットのつもりで言ったのでしょうが最悪でした。
それに対して西尾先生は中東の米軍キャンプ地まで東南アジア人の女性がでかけて性を捧げている例をあげられていましたが、これは適切な例であると思います。彼女たちのなかに自分の意思に反して業者によってつれてこられた女性が一人といえどもいないという確証はあるか?
もしひとりでも意に反してつれてこられた慰安婦がいれば米軍は責任が100%ないとはいえないのではないか、というのは米軍がそこでキャンプをして慰安婦をとらなければそのようなかわいそうな慰安婦は性を捧げずにどこかのこじんまりしたお店で売り子をして稼いだかもしれないからです。
それと多くの日本人が現在考えていることですが、人権問題というのであれば朝日新聞の虚報にだまされて北朝鮮に行って収容所にいれられた朝鮮人や日本人の人権はどうなるのかということです。
まだまだあります。竹島周辺での韓国政府による大勢の日本人猟師の拉致事件です。人数が半端でありません。当然国際法に反する人権問題ではないですか。
北朝鮮への送りだしについては日本政府に責任あるというのは左翼の言い草ですが、だったら朝日新聞が飛びついてもよさそうです。
地上の楽園だと信じて行ったらとんでもないところだったというのは現在も証言する人々がいるからです。
ところが朝日新聞はぜったいにこういう人権問題に飛びつかない。朝日新聞の責任を問われるのを恐れているからです。適当に問題提起してさっさと距離を置いています。
でも冷静に慰安婦の信用できる証言と北朝鮮で地獄を見た人の証言を比較すると前者は貧困という悪というか不幸を垣間見るだけですが、後者こそ独裁的な共産主義社会という社会制度のもたらした悪をまざまざと感じます。
前者を糾弾するときは自分たちが安全圏で日本や日本政府を糾弾できて左翼はハッピーでしたが、後者は火の粉がふりかかるので適当に問題意識のあるそぶりをして結果黙殺しました。
だから左翼は犬畜生にも劣る連中と10年以上前に確信しました。
今回の西尾先生の文章を拝見していろいろな感情がわいてくるのをとめるおとはできません。ドイツ人はナチスドイツのホロコーストという巨大な悪により、他のそれより目立たない悪(戦地の強制売春など)を隠すこと、あるいは隠れることをのぞみました。それはドイツ人がドイツを愛しドイツを守ろうとしたからです。
でも日本は違います。慰安婦などの悪は「日本の侵略や虐殺」という巨悪に花を添えるためのオマケです。なにからなにまで「悪」をさぐりだして悪の事象をスクラップにして、とことん日本を言い逃れさせず追い詰めるためです。互いの悪によって悪を増幅させて日本人に永久の贖罪意識をうえつけるためです。
どうしてこんなことになったか。というとドイツでは愛国心のある人々が「歴史の反省」を担ったのに対して、日本ではとことん日本を憎み歴史を否定しようとする連中が「歴史の反省」を(頼まれもしないのに)買ってでてきたからです。しかも「学問」にみせかけてそれをやりとげました。
でもこれからの日本は大丈夫です。韓国のパククネ大統領は「日本を千年間怨む」と豪語しました。
日本の一定以下の世代は(1万歩ゆずってたとえいかなる歴史があろうとも、それ以前に)「千年間も怨む」あるいは「千年間も怨まれて当然だ」などというのはもはや「頭が狂って病んでいるレベル」だというのが、もう全面的に浸透しているので、脅迫には屈しない心理的態度ができあがっているからです。
「韓国の日本大使館前の慰安婦像がそれほど大事というなら、日本に屈辱感を味あわせた戦利品と記念物としてせいぜい大事にしろ。だが日本人は知っているぞ。ベトナム戦争での韓国軍残虐を告発しようとした韓国人が退役軍人に殺されそうになったことを。朝鮮戦争で韓国政府がなにをやったかを。韓国が建国時に何をやったかを。そして日本併合時代をわずかに評価しただけで90代老人が30代男に殴り殺されたことを。」
これが日本人のサイレントマジョリティです。
>岩波
76 名前: 名無しさん@12周年 投稿日: 2011/06/17(金)
僕は、朝日新聞、朝日ジャーナル、岩波世界等を読んで育ち、筑紫哲也の番組を見て天皇制は廃止しろと思い、左翼のテロに共感し、在日は強制連行された犠牲者で従軍慰安婦は日本軍に人さらいされたと信じていた人間だ。 村山が韓国で謝罪した時は自分の罪が少し軽くなった気がしたものだ 。まさに「良心的日本人」の典型だったわけだ。今年で50になる、大学で教えている、で今は、あんたらが言う「ネトウヨ」だ。「ネトウヨ」とは、在日朝鮮・韓国人とそのシンパの左翼の洗脳が解けた、普段は意識しない程度の愛国心を持つ、政治的には中道と言って良い日本人のことだ。40代50台の「良心的日本人」が次々と「ネトウヨ」に転向している、ネットの影響が大きい 。そして、逆の転向者は今まで見たことがない。学生たちの年代では、昔に比べて「良心的日本人」「在日に同情的な左翼」は極端に減っている。こんな変化で、鬱になり1年以上大学にでてこられなくなった在日韓国人の教員もいる。ある日気が付いたら、周りの人間たちが変ってしまっていたらそりゃ恐ろしいさ。この変化は加速する事はあっても、元に戻る事は絶対に無い、嘘がばれたが故の変化だからだ。この国でどう生きていくのか、親たちの世代にとらわれず、自分の頭でしっかり考えろ 、—
>在日が日本名で、日本政治を浸食元凶(千葉大学名誉教授清水馨八郎調査)
・ 鳩山由紀夫・・・実母韓国人。 本名不詳。実父威一郎が石橋安子との結婚前に韓国人に産ませた子
認知して長男として入籍
・ 小沢 一郎・・・・実父佐重喜。母は韓国済州島出身。済州島に墓
・ 菅 直人 ・・・・実母韓国人。韓国 済州島出身。 済州島に墓
・ 福島 瑞穂・・・本名趙春花 (北朝鮮系) 昭和61年2月15日に日本に帰化
・ 土井 たか子・・本名李高順 (北朝鮮系)33年10月26日に日本に帰化。
・ 連 舫 ・・・反日台湾人、昭和60年帰化
・ 池田 大作・・・本名孫田作、帰化人。反日思想家
・ 筑紫 哲也・・・本名朴三寿、朝日新聞記者。朝日TVニュースキャスター
・ 本多 勝一・・・本名崔泰英、朝日記者
・ 佐高 信 ・・・本名韓吉竜。
・ 永 六輔 ・・・本名不詳帰化人。反日評論家
http://akiyochan.at.webry.info/201006/article_6.html
6の投稿の在日説の人々ですが、デマが含まれています。
花田紀凱氏が土井たか子は本名が李高順だと雑誌に書いた後に
告訴されて「明らかな虚偽だ」と判定されて裁判負けたでしょう。
花田紀凱氏はこの経緯を詳しく記事に残して、ほかの日本人が
同様のデマにひっかからないように警笛をならす必要があると思います。
どういう連中がこういうデマを流しているか不明ですが、
おそらく頭のおかしい愉快犯か、劣化右翼のどちらかであると思います。
連続投稿で恐縮です。(とっくにご存知かもしれませんが)
朝日新聞が全面的な反撃にでたようです。
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朝日新聞が今夏、沖縄戦について「日本軍は住民を守らなかったと
語りつがれている」などとする中学・高校生向けの教材を作成して
学校に配布し、教育関係者から「偏向的な内容で子供たちに
誤解を与える」と批判の声が上がっていることが25日、分かった。
戦争の悲惨さを伝える一方、日本軍の残虐性を強調する記述が多く、
学習指導要領の趣旨を逸脱しているとの指摘もある。
朝日新聞はこの教材を38万部作成した・
「(集団自決について)わたしは石で、母親を殴りつけました。
兄とともに9歳の妹、6歳の弟を手にかけてしまったのです。
わたしたちは「皇民化教育」や日本軍によって『洗脳』されていました」」
http://www.sankei.com/life/news/141026/lif1410260009-n1.html
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あれこれ論点をばらまいて恐縮ですが、これほどのすさまじい反日の
起源はいったい何だったのでしょうか?
ネットで見る日本人の見解では、
1.GHQを象徴とする米国の策略
2.共産主義者を中核とする戦後左翼の洗脳
3.日本のメディアに入り込んでいる在日朝鮮人の陰謀
このうち、3番目は最近急速に増えてきましたが、あまり同意できません。
非常に危険な考え方と思っています。
1と2のどちらも正しい側面があると思います。
西尾先生が1を追及されることを応援しています。
ただ私は考えれば考えるほど「2」という要素の巨大さを感じます。
たとえば沖縄の米国の占領が終わったとき、沖縄県の人々は
どのような状態であったでしょうか?
沖縄の先生方などを中心に日本への復帰を願って復帰運動をやっていた人が
おおぜいいたそうです。
もし米国が鬼のような反日であったら、沖縄占領した後に徹底した
反日教育をやったはずです。
ところが米国占領が終わったときに沖縄は反日一色になってはいなかった。
つまりその後に沖縄の洗脳にとりかかった共産主義者を中核とする
反日左翼の影響力がいかに大きかったかというのを考えざるをえません。
その辺の変遷も専門家により徹底追及してほしいものです。
いまでも覚えていますが、かつて朝日新聞は南京大虐殺は捏造だと
いう日本人は精神異常者だという精神科医の論説をのせていました。
それも一度や二度でなかったと思います。
南京大虐殺をやった日本人でなく、捏造ではないかと反論する日本人を
精神異常者に仕立てようとしたのです。それも卑怯なことに自社の
見解としてではなく外部の自称専門家の声を使って。
ここまで日本のメディアがおちぶれたのはとことん退廃した左翼の
マインドがしみこんで、もう自らを擁護するためには手段を選ばない、
反論も受け付けず無視をする、ひたすら印象操作と洗脳に突進するという
世界各国どこにでも見られた共産主義者の末路を見る思いがしてなりません。
共産主義者は建設的なことはなにひとつできないですが(ベトナムの
ホーチミンなど毛色の違うケースもありますが)、
プロパガンダと強制的洗脳だけは芸術的才能をもっていました。
反抗者を洗脳するために精神病院を常用した共産主義国もありました。
だから何度再考しても、在日朝鮮人や沖縄の人々が反日であったとしても
それは共産主義者の仕掛けた壮絶な洗脳の成果であったと結論になります。
すごいのは日本の反日左翼は韓国や中国の徹底的な反日教育のアドバイザー
でもあったことです。
慰安婦騒動のときに反日左翼がものすごいのは、沖縄戦のひめゆり隊まで
日本軍慰安婦に見せかけようとしたことです。
この辺の悪事の詳細は上杉千年氏の著作などに詳しいです。
上杉千年氏は反日左翼があやしげな証言でひめゆり隊を慰安婦に
見せかけようとしたので、すぐにひめゆり隊の生き残りの人たちに
会いにいっていかに出鱈目ばデマであるか検証しようとしました。
そのときに反日左翼が使おうとしたトリックも細かく著書に記載されて
います。
上記の朝日新聞のトリックは、西尾先生のご指摘とぴったりと一致します。
「朝から晩までテレビのコメンテーターは何を喋りまくっているか
知っているだろう。集団的自衛権を批判するのは勿論いい。
しかし中国が軍事的威嚇をしているという前提を決して言わない。
日本政府が戦争の準備をしているとばかり言う。フェアーではない。
愚民は騙される。千年一日のごとくこの調子である。」
反日マスコミは多面的な事実のうち偏った一面のみ伝えて大衆を
洗脳しようとします。
上記の集団自決ですが、朝日新聞は決して当時の日本人が
敵国の軍人に犯されたり虐殺することから逃れるために
あえて自決を選んだという側面などを伝えようとしません。
事実の一面だけ伝えて特定のイデオロギーにむすびつけようとします。
捏造ではないけれどおそるべき歪曲です。
なぜ左翼がこのような逸話を好むかというとそれは
「生きて辱めを受けず」という武士道などの日本的伝統がこのような
おぞましい悲劇を生んだと連想させることができ、
遠慮なく日本人の精神性を侮蔑して変態扱いをすることができるからです。
多くの日本人がすでにこれらの悪質なトリックを見抜いていますが、
まだまだ大勢の日本人が洗脳にひっかかったままです。
とくに新聞とテレビしか見ない人間はだめですね。
マスコミが変わることは期待できない、だからマスコミを衰退させる
方向でがんばろうという日本人や動きを応援しています。
私は基本的には米国資本を警戒していますが、たとえばアマゾンは
出版状況を劇的に変えました。基本的に政治中立的でノンポリです。
それまで日本はどうだったでしょうか。
紀伊国屋などが出版業界の雄となり、思うがままに出版傾向を左右して
いました。
なぜ紀伊国屋などの推奨図書がいつも左翼傾向なのか不思議に思ったの
は20年くらい前。その後やっとからくりがわかりました。
大手の出版社は大学など教育機関をお得意さんにしていました。
だから大学関係者に嫌われたくない。得に多数の著書をもつ文科系の教員には。
そして大学関係者に気に入られるような思想傾向の人間が図書の選書を
やるようなカルチャーができあがっていく。
こうした左翼の既得権益を徹底的にひっぱがしていくことが重要です。
左翼知識人の本が売れない昨今では、左翼が生き残りのため反日マスコミ
でのイデオロギー拡散に望みをかけて反日メディアの擁護に走っていくでしょう。
それだけではありません。多くの聡明な日本人が計画していると
思いますが、教育機関としての大学を解体することです。いまやネットで
世界中の授業を視聴できます。
大学の左翼を延命させたのは左翼の思想や知識に価値があるわけではありません。
「左翼が軽蔑しきっていた資本主義にまみれた企業」が優秀な学生を
ほしがり、そしてそれら優秀な学生の勤勉さや記憶力、集中力をはかる
手段としての入学試験が有効であり、「学歴」がその証明となったからです。
企業が卒業証明書の紙くずに重きをおかなければ、誰が好き好んで
実用的技術も教えられず東大出身左翼がとぐろを巻いて待つような
平凡な大学に高額な学費を払っていくでしょうか。
私の考えるところ、「心の闇」は無謀な軍国主義への罪悪感であったと思われますし、それは当然の事とも思われます。しかし問題は、そのことがどうして一直線に朝日新聞流平和主義に行き着くのか。無謀な軍国主義の罪悪感への、最も真摯な反省は、軍事否定の盲目的平和主義ではなく、正義と秩序を基調とした平和の為の正統な軍事を建設運用する事であります。言葉の真の意味での「中庸」を得た軍事認識こそが世論に求められる所と思います。
南京の件にしろ、慰安婦の件にしろ伝聞証拠以外の証拠が存在しないものを、実際の資料に基づいて検討すると歴史修正主義になるのは不思議ですよね。
妄想に基づいての捏造が、当時の資料よりも優先するのは「私は非文明人です」と自己紹介してるも同然ですね。
後年国際問題になるなんて夢にも思ってない当時の人たちが「証拠隠滅した」という主張も聴いたことがありますが、問題がないものを隠滅する必要がどこにあるのでしょうね。
きっと自分たちがGHQにやられたから日本もやってるに違いないっていう妄想のたまものでしょう。
それにしても、周辺国と国内の少数民族すべてに脅威になってる中国なんてさっさと見捨てればいいのに、なんでいまだに援助なんてしてるんでしょうね。
国連も中国の人権侵害にだんまりなのがまた不思議ですね。