阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム「第二十四回」

(8-11)願望が自分の手に届き得るようになったときに、願望は苦痛の泉となる。ところが繁栄社会はいろいろな願望を万人に撒(ま)き散らしているようなものだから、苦痛を撒き散らしていることにもほぼ等しいのである。

(8-12)どうにもならない不運は人を苦しめないが、うまくやれば回避できたかもしれないという不運ほど、人に大いなる苦しみを与えるものはないとは、ストア派の賢人エピクテトスの言葉だが、現代でもまったくこういう言葉は生きているのである。世襲的身分の違いは人を苦しめないが、自分も参加し、うまくやれば手に入ったかもしれない経験を取り逃した不運は、人を苦しめる。能力本位主義(メリトクラシー)が階層的身分を解体してから以後に起こったすべての事件は、この古人の一語のうちに言い尽くされている。

(8-13)日本人が個人を個人として評価せず、個人の背後につねに属性を見ている―この根本が変わらない限り、学歴問題に部分修正はあっても、閉塞した日本人のある感情の行詰まりに、新しい風穴を開けることは難しいだろう。

(8-14)もし日本に西欧型の個人主義が十分に根づいていたとしたら、産業の効率は今のように高まらなかったかもしれないが、その代わり、知識は人格の一手段にすぎないとの自覚も十分に深められ、学力とか専門知識といった能力の評価が直ちに人間の評価につながるような息苦しい社会的傾向に悩まされずにすんだであろう。

(8-15)変わっていなくても勿論いい。日本は日本である。われわれの「近代」がヨーロッパを追い越す段階に達した今になって、日本はやはり日本だったということがはっきりして来たまでのことである。われわれは江戸時代以来の社会心理、人間関係、エートスを保存したまま、外装だけ近代技術の鎧(よろい)で武装して生きているのだ。それはそれでなんら不思議はない。

出展 全集第八巻 
「Ⅱ 日本の教育 ドイツの教育」
(8-11) P216 上段「第六章 進学競争の病理」より
(8-12) P216 上段「第六章 進学競争の病理」より
(8-13) P223 上段「第七章 日本の「学歴社会」は曲り角にあるか」より
(8-14)) P242 下段「第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観」より
(8-15) P258 下段から259頁上段「第八章 個人主義不在の風土と日本人の能力観」より

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  1. >(8-12)どうにもならない不運は人を苦しめないが、うまくやれば回避できたかもしれないという不運ほど、人に大いなる苦しみを与えるものはないとは、ストア派の賢人エピクテトスの言葉だが、現代でもまったくこういう言葉は生きているのである。世襲的身分の違いは人を苦しめないが、自分も参加し、うまくやれば手に入ったかもしれない経験を取り逃した不運は、人を苦しめる。能力本位主義(メリトクラシー)が階層的身分を解体してから以後に起こったすべての事件は、この古人の一語のうちに言い尽くされている。<

    あきんどである私の絶対条件と向き合ってきた私の半生。
    それはある種あきんど以外に私の才能は可能性がないと思いこまされてきた半生かもしれないと思った時期があった。
    しかしそれはおろかな思いだった。
    あきんどという実に貴重な人生の道筋を私に与えてくれた祖先への裏切りになるような感情が、もしかするとささいな感情のきっかけから、裏切りへの道を歩むきっかけになりかねない感情の噴出を、一度だけ表したことがある。
    それは父への反抗心だった。
    家庭内不和が子供の頃に多発し、私は高校生のあたりに将来の自分の人生の可能性を都会に委ねた。その下地になるものはすべて父親の当時の収入に頼る過程でありながら、心の中はその親の恩恵を裏切るがごとくかなり計画的に自分の理想を追ったということになる。
    実際私は自分の能力に関係なく、自分の人生を都会に求めた。
    それ自体が親に甘えているわけだが、当時は「反抗心」が骨子だったことは間違いない。

    都会に出て私は「自由」を得た。それは同時に自分という人間の小ささを思い知らされる瞬間でもあった。
    私が都会に住むようになっても、まだ温かったのは、姉と同居していたこと、そして親戚も多数都会にいたこと。
    特に親戚にはお世話になった。知らず知らずふるさとの温もりを、親戚に頼っていた記憶が、今蘇る。
    同居していた姉は、逆に私にとっては邪魔でしょうがなかった。できれば別居したかったが、姉と同居することが上京する条件だったため、しかたがなくそうしたまでだった。

    私は当時本当に「無垢」だった。でもそれほど周りから誘惑は受けなかった。それよりか都会で経験を重ねるうちに、自分のプライドが増していく感情に気づき始めた。
    それが「あきんど」精神だった。
    都会で出会うちょっとした商売の側面を、自分なりに批評していることに気づき始めた。

    結局自分はどこを切り刻んでも「あきんど」の倅なんだと、そのころから諦めるようになっていった。自分の価値観がそこにある以上、自分はこの世界から離れることは不可能だろうと諦めた瞬間でもあった。

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