ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった
(一)
「イスラム国」を名乗るテロ集団による日本人の犠牲が出て、国の政治が停止してしまったかのような狼狽が見られました。
アメリカ人やフランス人の殺害は対岸の火事でした。なぜ日本人が? という疑問と、やっぱり日本人も? というついに来たかの感情が相半ばしています。
今のこの時代にこんな原始的な脅迫殺人が起こるとは考えられない、と大抵の人は心の奥に底冷えする恐怖を感じたでしょう。時代の潮流が急速に変わりつつあるのかもしれません。
アメリカからは脅迫に屈するな、の声が日本政府に届いていました。アメリカ人ジャーナリストがオレンジ色の衣を着せられ脅迫されたときには、アメリカ国民は慌てず、いうなれば眉ひとつ動かさず、犠牲者を見殺しにしました。イギリスもそうでした。たしかにテロリストと取引きすると、事態はもっとひどくなります。福田赳夫元首相がダッカのハイジャック犯に金を払って妥協してから北朝鮮の拉致は激化しまた。それだけではありません。取引することはテロ集団を国家として認めることにもつながるのです。
それでもなぜ日本人が? の疑問は消えないでしょう。日本人は宗教のいかんであまり興奮しない国民です。イスラム教とキリスト教の2000年の対立が背景にあり、パリの新聞社襲撃テロを含めて何となくわれわれには地球の遠い西方の宗教戦争であり、日本人には関係ないと思う気持ちがありました。せっかく親日的なイスラム教徒とは対立関係になりたくないという心理もありました。「イスラム国」のテロリストは他のイスラム教徒とは違うとよく言われます。この事件でイスラム教やイスラム教徒に偏見を持ってはいけないとも言われています。それはその通りです。けれどもキリスト教徒に問題はないのでしょうか。
イスラム教とキリスト教の宗教戦争が根っこにあり、イギリス、フランスの20世紀初頭の中東政策への怨みが尾を引いているのは間違いないでしょう。中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょう。
4世紀のゲルマン民族大移動とローマ帝国の崩壊の後のユーラシア西方全体の歴史に、対立は深く関係しています。最初イスラム教徒が圧倒していました。キリスト教徒は11世紀より後に「十字軍」を遠征してまき返します。13世紀にヨーロッパにモンゴルが襲撃してきたときでも、キリスト教徒はモンゴルより憎んでいたのがイスラムでした。モンゴル軍と妥協してでもイスラムを撃ちました。イスラムの方が比較的寛容でした。地中海の東方の出口を抑えていたからで、レパントの海戦(1571年)でイスラムが敗れ、キリスト教徒はインド洋、太平洋を制圧し、形勢を逆転させました。その後はキリスト教文明優位のご承知の通りの歴史の展開です。
イスラムは、かつては文明的に野蛮な西ローマ帝国やフランク王国を見下していました。それが今はすっかり逆になっていしまった。キリスト教国に押さえこまれてきた歴史の長さ、重さ、劣等感がついに過激なテロの引き金を引かせる心理の一部になっているのは紛れもない事実でしょう。ヨーロッパのイスラム系移民の2世、3世が「イスラム国」に参加している例が多いことからみても、やはり歴史の怨みと現代の閉塞感が重なった宗教戦争の色濃い出来事であるとはいえるでしょう。
歴史的反省をしたがらないヨーロッパやアメリカなどのキリスト教国は、あえてこのことを見ないで、「テロは許せない」とか「たとえ宗教批判になっても言論の自由はある」といった一本調子の観念論で、やや硬直した言葉を乱発していますが、これもキリスト教国側が承知で宗教戦争を引き受けている証拠なのです。
こう見ていくと、日本人はどちらにも肩入れしたくない。公平な立場でありたいと願います。ところが、イギリス、アメリカ、フランスなどのキリスト教国側に乗せられ、キリスト教国でもないのに「テロは許せない」の西側同盟の一本調子のキャンペーンに参加している観があります。オバマ政権から脅迫に屈するな、の声が届けられ、テロリストと取引をしてはいけない、の教訓に縛られていたように見えます。それでいて、西側諸国と違って軍事力は行使できません。それならば何もしなければいいのです。日本は神道と仏教の国。宗教戦争には手を出さない、の原則を貫いた方がいいのではないでしょうか。「イスラム国」から被害を受けた地域の犠牲者に2億ドル(240億円)の救済金を出すと胸を張って宣言したような今回の日本外交のやり方は、関係者は気がついていないかもしれませんが、事実上の「宣戦布告」なのです。
軍事力を行使しなくても戦争はできます。否、軍事力を行使する戦争をしたくないばかりに、それでいて戦争をしたふりをしないと西側に顔が立たないので、いつものように引きずられるようにカネを差し出す。平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。
「イスラム国」のテロリストからは今回は脅迫されただけでなく、完全にからかわれたのです。2億ドルというぴったり同額のどうせ実現できないと分かっているほどの巨額の身代金を求められたではありませんか。しかも直後にカネはもう要らない、女性の死刑囚との交換をせよとあっという間に条件を替えられたではありませんか。相手が非道で異常なのは事実ですが、日本は愚弄されたのです。テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。
もちろんオバマ大統領はじめ西側諸国はそうは言わないでしょう。日本の積極姿勢を評価するでしょう。差し当たり他に日本に打つ手がなかった、という政府擁護論にも十分に理はあります。
ですが、日本は「のらりくらり作戦」がどうしてもできない政治体制の国なのだ、とあらためて思いました。そして、いわゆる西側の「正論」に与する前に、ほんの少しでもイスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史に思いが及んだだろうか、と政府当局者に聞いてみたいと思います。さらに、国際社会の「法」と呼ばれるものがいつ、どのようにして形成されたかを、これもヨーロッパの中世より以後の歴史の中で検証したことがあるのだろうか、と疑問とも思えるのです。
日本人の安全はカネを差し出すのではなく、本当の意味での実力行使以外に手はなく、他の手段で自国民を守れないという瀬戸際についに来ていることをまざまざと感じさせる事件でした。
報告者:阿由葉秀峰
(つづく)
「あきんどの和のこころ」
今回の文章は二部構成されています。最初の文章は断定口調であります。それは文章の内容が、「決断」を余儀なくされているからです。
後半の文章は最初の文章に補足的な立場で、私の平穏な日常からうつりゆく私の感情を書き出し、最初の文章の結論を表す文章としてまとめあげていきます。
ーーー日本人が涼むときのこころ。日本人が篤くなるときのこころ。さまざまな「こころ」がふれあい、日常はその瞬間の連続の中で時を刻むーーー
<第一部>
日常の平穏におとずれる悲しい出来事。それはいつも不意におとずれる。あまりに突然過ぎて、人は硬直し、頭が空っぽになる。
突然の出来事だから仕方がないわけだが、そういうことがもしかしたら起こるかもしれない可能性に対する覚悟が、その当人に日常備わっているかどうか。それはおそらく時代に関係なく問われていなければならない、人間の条件なのだろうが、今の日本人にはそれを問われるのが最大の難問なのかもしれない。
東日本大震災で日本人の対応の有り様が世界で高く評価された。確かにそれは評価されるべき対応だった。しかし、それは自然災害だったから対応できたことなのかもしれない。毎年やってくる台風の被害や、時々おとずれる地震災害などは、身を持って常に日本人が覚悟している現象だ。
しかし、いざこの世の人類のいざこざに発生する、人間による能動的争いごとに対しては、ほぼ無抵抗な状態に陥る。
乱暴ながらもほぼ的確に言い表してしまうと、これが戦後70年間に蓄えてしまった日本人全体の「外交の実態」なのである。
北朝鮮に拉致された日本人をどう救出すべきかと、悩みに悩んでいたはずの我々は、またしても今回の事件で・・・いやほぼ戦争と言って良い状況下で、無抵抗なままだった。政府はさまざまな手段を試みたに違いないが、それは全て徒労に終わった。救出できなかったことは勿論だが、その後の対策が何かによって制限されたままの状態に見えてしょうがない。
さまざまな状況を検案したことは予測されるが、みすみす拉致被害者を殺されてしまった事実は拭えないのだ。
今回の諸問題はたとえ宗教理念が絡んでいようが、邦人の被害においては日本政府は断固としてその被害を打開すべく、報復的処置をなすべきだったのではないか。
この際日本国憲法がどうのこうのと言っている状況下ではない。拉致された邦人を救うべき国の最大の行動が問われた事件である。
たとえば、ネット上で拉致被害者の映像が公開された時点で、国はその事実に対する報復をまず考えなくてはならない。これが基本だと考える。
もしも邦人に対して危害を加えたなら、日本国は容赦なく当事者を懲らしめるという宣告をすべきである。
これがごくあたりまえな人間の感情である。そしてそれがほぼ正しい観点である。
たとえ政府が憲法上の制約に縛られていたとしても、邦人救出のためならば、一国の長は自分の立場も見返らないと決断し、絶対的な決断の元、「報復」すべきなのだ。それが普通の国の行動なのだ。
過酷な意見だと反論するものもいるだろう。しかし私にはそう思えない。たかが日本人二人のために国家が大事な声明を発していいのかという、逆の立場での意見もあるだろう。それには最も情けない言葉を述べるしかない。君たちは日本人なのか・・・と。
自然災害ではあれだけ「日本人」らしく振る舞えて、いざこのような出来事では、心は揺さぶられても言葉も行動も伴わないこの現実が示すように、なぜ今の日本人は膠着状態になってしまうのだろう。
日本国の世界評価を認識していない。本当の意味で、世界を知らない。更に言うなら、日本人らしくない。いや、日本人じゃないのかもしれない。その両方から免れた気持ちでいる日本人に言うべき最大の怒りは、まだここに来て日本人でしかいられないのか・・・である。
なぜ復讐を恐れるのか。どうして黙っているのか。
沈黙の利ばかりを受け継いで満足できる体質を、日本人の本質と決め付ける原因は何なのか。
なぜ戦わぬ。なぜ剣を抜かぬ。それでもキサマらは日本人か。
言葉は無限に評価される。正しい受け止め方など期待しない方が良い。
国際的ないざこざは、無条件で抹殺する覚悟が最大限の判断である。
宗教を土返しして見習うべき点は米英の最初の対応である。
深く掘り下げることは不必要である。遅い対応はかえってそれがいらぬ思惑を醸し出し、鋭い言動の方が世界から批判されない手段として理解される。
事は単純な感情の路線上にこの問題の緒がある。
異常な集団に対しては正常な人間の怒りを選ぶべきである。
テロに対する正しい国際基準など存在しない。聞いたこともない。
逡巡するだけ徒労なのだ。
無実の人間が殺されたのである。
怒りがなくて済まされることだろうか。
あきんどはいま怒りの中にある。
何もできない自分の不甲斐なさを、自分でどう懲らしめるかで悩んでいる。
毎朝このニュースに触れる際、おとなしくしている自分が憎らしい時がかなりあった。
人間はいつか死ぬ運命の中で皆生まれてくる。
人間はおそらくそんなにバカでもないが、そんなに賢くないものだということはわかっている。しかし、人間に与えられた才能の一つは、一度経験したらそれを糧にして能力を高めること、これが神から与えられた我々人間の絶対条件なのだ。
人間は自分の可能性の認識の傍に、常に絶対の神の存在を許しながら、今日まで生きてきた。これが世界共通の人間の心理の真実なのだ。
人間社会の諸問題に対処する際は、そこを掘り下げて臨まねば解決しない。
つまり、どちらを歩むべきなのかを問われた際、その判断は誰もが迷うが、どちらかを選ばないと前には進めない。立ち止まることは「死」を招く。
その覚悟が必要なのだ。
<第二部>
神武東征の際、八咫烏が道案内したその背景には、さまざまな憶測が込められているが、私が解釈している理論からすれば、カラスはもともと嘴が大きすぎるため自分で獲物を取ることが困難な生き物である。そのため人間の知恵を利用し、そのおこぼれを頂戴する利口さがあるらしい。
なぜこのカラスに三本の足が生えているのかは謎だが、私の勝手な解釈は、おそらく歩くための二本足の他に、道案内する方角を示すための‘あし‘がもう一本必要だったからだと考える。
このカラスの本能的な行動に追随する神武天皇の決断が、人間界への道標となったのだろうと想像する。
後に八咫烏は賀茂族の象徴的存在となる。奈良から京都への遷都の際も、賀茂族は皇族に追随する。そして上賀茂神社を担うわけだが、さまざまな皇室のあり方のそばで、賀茂族は皇室の代理を担うべく祈りを捧げてきた。
仮に乱世となろうが、神への祈りは絶えない。その責任を賀茂族は培ってきた。神への祈りを代表する皇室の代理を、賀茂族は担ってきた。
それが賀茂族の歴史である。
祈りとはつまり素直な人間の魂の意表である。
時に賀茂族は乱世の時もそれを維持することを強いられた。
最大の祈りの術を知っている賀茂族の真髄は、選別の匠ではないかと私は想像する。行ってはいけない方向の判断。これに長けていたのではないか。
私はこの理念を持つようになってから、ある不満が募った。
なぜ上賀茂神社は、東京に行かなかったのか。皇室の追随者という理念がどこで途絶えてしまったのか。賀茂族の人間として先祖を疑問視する一点がここにある。誰もそのことを知り得ていないのが現状であり、うやむやなのだ。理由となる条件といえば鴨川との離別が許されなかったということなのかもしれない。皇室の水の管理を任されてきたその任務から離れることが許されなかったという理由は一つ成り立つ。
しかし、上賀茂神社は皇室の水管理を担ってきたわけだから、皇室が遷都したならそれに追随しなければ意味がないのではないかと、私は考える。
袂を分けてしまった上賀茂神社の存在意義がここで問題視されなくてはならないと、わたくし末代の一旦は単純にその疑問を抱いているのだ。
しかし一方でこんな考え方も成り立つ。
皇室が不在になった京都の街を代理で守りぬく決断をしたのかもしれないと。そうした中、皇室に神事の責任をすべて押し付ける形になった明治の起き方に、なにやら日本の不安の端緒が紐解かれるのではないかという予想があきんどの脳裏をかすめる。
皇室はまちがいなくいま孤立している。その原因の一端に、神事における不安が存在しているような気がしてならない。
皇室はもっと昔は神事の責任の負担が軽かったのではないかと想像する。しかも政治にも責任が押し付けられ、皇室の不安はたったこの130年間で歴史的な視野からも、膨大な責任の幅が押し付けられていると判断できる。
この事は日本近代の不安の要素の大半を担う、重要な要素ではないかと私は想像する。
本来なら明治以降は皇室は外交に専念すべきだったと考える。
世に姿を晒した時点でそれをなすべきだったのだ。
神事に関しては賀茂族に任せるべきだったのだ。
あまりに皇室の負担が加速した弊害が、ここにきてこの国の柔軟さを失いかけているように見えて仕方がない。
<第一部と第二部の論文に対する私の総論>
話は変わります。ここからが当初の題名の主要文章であります。
ここからは文体を変えて書かせていただきます。
日本の食べ物が・・・いわゆる「和食」が今世界でブームだと言われています。和食が無形文化財に登録されたという話もちらほら聞いた記憶があります。他にもアニメ文化など日本の様々な文化が、ここに来て異常な速さで世界を駆け巡り始めているわけですが、はたしてこの現象はなぜ起きているのでしょうか。そしてその実態はどのようなものなのでしょうか。
アニメソングを略して「アニソン」という言葉がすでに公用語と化しています。昔演歌等で名を馳せた歌手までが、この分野に挑戦していると聞きます。これを後押しするものは何なのだろうと考えると、世界が日本の文化を過剰評価していることが下支えしていると考えられます。
まるで江戸時代に流行った浮世絵が、世界でもてはやされたその時代とだぶるものと認識すれば、理解はしやすいかと思います。
そして今度は日本食が新たにブームになっているそうです。
いまや世界では、日本食を取り入れないレストランは成功しないと囁かれているんだとか。
商売という観点から言えばありがたい現象なんですが、私はこうした現象は所詮誤解がかなりはびこっているのではないかと想像せざるをえません。
どういう意味かといいますと、アニメに関しては専門家ではないので言葉を伏せますが、日本食に関しては、完全にその真髄が伝わっていないと想像します。日本食の元となる「出汁」の基本が蔑ろにされているのは想像が容易いわけですが、もっと奥深く探求していくと、なぜ日本食は綺麗に盛りつけされなければ意味を成さないかを理解されていない点にあります。
あらゆる素材がいろんな形で盛りつけされたとしても、日本食の場合は絶対その食材一つ一つが際立って盛りつけされます。
けして違う食材同士が混ざり合うような姿で盛りつけされません。
なぜなのでしょう。
食の専門家はおそらくこう答えるでしょう。
「日本人の感性がそれを要求しているからだ」と。
私もおそらくそう思います。ではなぜそれが要求されるのかと問われると、答えに詰まるのではないかと思います。
ただし、そうこたえた職人にも言い訳は少し生まれ「料理の中に一つの四季折々の世界が表現され、それを際立たせるための盛りつけが、この文化を育んだのだろう」という方もいらっしゃるでしょう。
こうなると、少し見えてくるものがあるように感じ取れます。
でもそれは「感じる」世界で精一杯答えているだけの表現であり、まだまだ本質には程遠い考え方でしょう。
少し話題が逸れますが、日本の庭園が世界でも希な姿を現していることをご存知の方も多いかと思います。これは庭園の中に四季折々の姿を現しているから、独特の表現が生まれていることも、ご存知の方が多いかと思います。
ほかの国々では、その時期その時期に咲く花々が所狭しと植えられ、自分の庭園が一部の自然界となるよう、そこを取り巻く全体の景色に馴染むことが、予め守られているかのような姿で、個々の庭園が表現されているケースがほとんどです。
しかし、なぜか日本庭園の場合は、そのほとんどが孤立した芸術性を保ち、あたかもその姿が小宇宙を表しているがの如き、庭園の中に一つの世界観を見出すことが可能になると言われています。
この事は普段の我々の「家」との付き合いにも現れ、たとえばヨーロッパ等は、古くから立ち並んでいる家屋やアパートなどが、何百年も取り壊されることなく立ち並び、一方日本の家屋は一家で一つの世界観を保つような美意識があり、垣根を超えればほかの家屋がどんな建築物を建てようがあまり文句を言わない・・・いや、言えないというむきもありますが、とにかく一軒一軒が独自の世界観を持っている建て方を許している文化があります。
しかしそうとはいえ、日本の田舎に行けば、そんな孤立主義があるにはあれど、町全体というか、その地方全体の在り方からみれば、それは理に叶った建て方をしているケースもあったわけです。
しかし、日本は自然災害が毎年のように襲い、不幸にして町が壊滅するケースも起こってきたわけです。そのため、日本人の建築物への認識は、他国とは違った認識のもと育んできたものが存在しています。
この事は日本人の自然への対処が特別なものとなる要素だと認識すべきでしょう。この事から、日本食の在り方がなぜこれまでのように表現されてきたかに結びつくヒントが隠されていると私は認識しております。
つまり、土台となる「出汁」が根本的な食の基本となり、表す食の表現はあくまでも一つの姿に過ぎず、様々な姿を表すことが可能な要素が見えない味の基本となっており、日本人は出来栄えの前にまず味の基本を重視し、どんな変化にも対応できる食の文化を育みました。
一方他国(特に西洋)は、一つの食材が他の食材と渾然一体となることを異議とせず、逆に混ざり合うことによって新たな食材の可能性を予測し、その混ざり合う法則を拒まない前提のもと、一つのメニューを生み出す文化がそこに現れています。
西洋にはそうした混ざり合うという仕組みを拒まない、その概念が宗教的なものがそれを拘束しているように捉えることが可能な社会を生みました。
日本食はそれとは真逆で、個々の食材が「出汁」という基本の中で際立つ文化であり、その基本となる「出汁」は目には見えないが食材を通して表されている独特の料理方法を生み出しました。
その「出汁」こそが日本の「皇室」に繋がる観念でしょう。
違う食材が同じ土台の中で生かされる和食文化。
これこそが私たち日本人が長年親しんできた文化の象徴であるわけです。
ですから、西洋料理を食しても絶対味わえることができない味の要素が「出汁」の「旨味成分」なのです。
ひょっとすると海外もようやく最近になって「出汁」の「旨味成分」をりかいしはじめたのかもしれません。でも、それに気づいたとは言え、何千年と続いてきた我々の食文化の真髄を理解するには、それこそ何千年かかるか・・・。それはあたかも、なぜ日本に皇室が必要だったかという問題とリンクしていると思うべき真実ではないかと、私は思うのです。
さてそこで最終的な結論を語らねばなりません。
私たち日本人は、この「出汁」のおかげで料理の花形を様々に色形を変えて生かされてきました。つまり、我々の存在意義を問うならば、それを支えている「出汁」の基本を問わなければなりません。
日本人一人一人が際立つには、一つのお椀からそのヒントを見出すことが可能です。
私たち日本国民は一人一人が際立つことを許された国家に生まれたのです。
であるならば、誰ひとりともその存在の意義があり、その仲間が危うい時には、「出汁」の基本を忘れず、食材のたとえ微々たるものであっても欠かすことは許されないのであります。
そのことを今もう一度考え直さなければ、この国の本当の姿が見えてこないのではないかと私は考えます。
日本の「和」とはそのことを語るのではないでしょうか。
坦々塾の会員でないものもこうして自宅にいながら、西尾先生の講演を読める、ありがたさを感じながら、報告者やブログ関係者の方々に御礼申し上げます。今回のイスラム国の事件に関して、どのようなお話をされるのか、興味津々でした。GHQ本や正論の連載に見られるような、世界史的観点から、どう切り込まれるのか、と。
結果は100%期待通りの視点で、期待通りの世界史的切込み、大変興味深く納得して拝読しました。
これをいうと自分の恥をさらすだけに終わると思いますが、理解できないことがあったので、質問します。
「イスラム教とキリスト教の2000年に及ぶ宗教戦争の歴史」の個所です。アブラハムの宗教という意味でとらえて、そこまでさかのぼられたのかとも思いますが、私にはその辺の知識が乏しいもので、???でした。
40年前パリにいたときにイラン人のイスラム教徒の友人から翌年のカレンダーをもらいました。1300とか1400とか、そんな年号で驚きましたが、すぐに622年のHejiraの年号から始まるイスラム暦のことを思い出しました。イスラム教の歴史はムハンマドのメジナ移住あたりから始まるという思い込みで長年考えてきましたので、その部分急に順応できませんでした。宗教がどこで始まるとするか、民族と宗教と国家の勢力圏のどれとどれをセットにするか、と言うことなのでしょうか?
「平和貢献と称する度重なるこの欺瞞は今度の件でほんとうに最終的に壁にぶつかったと考えるべきでしょう。」
「テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらしたのです。」
そして何よりー中世までイスラム文明が西ヨーロッパ文明に立ち勝っていた上下関係が18~20世紀にひっくり返った歴史も、イスラム教徒の許し難い気持ちを助長させていることでしょうー
これこそ現在正論に連載されている西尾先生独自の切れ味だと堪能しました。
イギリスは、アフリカや東南アジア、フィジーなどの植民地支配をする際に、文化も宗教も違う移民をぶち込んで現地人を対立させるということで、支配体制を確立しました。
オスマントルコがセルビアを支配する際に、イスラム教を信仰するアルバニア人を移民としてセルビア領土内に送り込んだのと同じ手口です。その結果数百年後に、コソボ紛争へとつながっていくわけです。
米国でも、インディアン同士で民族対立を煽り、支配したり、インディアンを使ってインディアンを虐殺したりしたことも同様ですね。
移民を送り込み、民族対立、宗教対立を煽るのは植民地支配の有効な手段の一つであり、将来的に戦争の導火線になることを、世界中で多くの実例が散見されるわけです。
移民を使って、異民族の支配、搾取を行ってきたイギリスが移民問題に頭を抱えていますが、移民によって遠くない将来ロンドンが乗っ取られる可能性に怯えている姿は、歴史に皮肉というか、因果応報というか、不思議な感じがします。
と、同時にわが国も移民問題について、警戒心を強化する必要性を認識する必要があります。移民は、植民地支配の手段であり、日本が移民を入れることで、一体誰が益を得るのだろうか、と。
失礼ながら、日本人人質の斬首事件はお芝居です。
やっぱり全部芝居か、ISILの日本人2名拘束・人質騒ぎ!!
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/01/isil2.html
おっと!の【速報】安倍が「本物」と認めた「湯川遥菜」氏、斬首映像(画像)はフォトショップ・ジョブ!!
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/01/blog-post_26.html
ISISとは何か?~ 「敵」と思わせて、実は「仲間」に殺される芝居をしている「人質」たち
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/01/isis.html
今度は”後藤健二斬首”!? 映像・画像も満足に見せず、「斬首報道を鵜呑みにしろ」と言われても無理があるw
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/02/w.html
インチキ”後藤健二斬首” 映像・画像の補足~台湾の航空機 GE235便、墜落事故に見るイルミナティの影
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/02/ge235.html
昔の毅然とした武士でもあるまいに、殺されるというときに抵抗も暴れもしないというだけで、嘘が見抜けなければ!
ついでに、
台湾の航空機墜落事故、GE235便が落ちていく瞬間を捉えた映像はCGだった!!
http://insidejobjp.blogspot.com/2015/02/ge235cg.html
如何に我々が騙されやすいか、気づいてほしいものです。
「マッカーサーが作った憲法を変えなければ」という考えは否定しないが
今、九条を変えて日本を正式に戦争できる国にするのは、イルミナティの思惑通りであり、危険です。右も左もなく、本当に日本を思うなら もっと色々観察してうそを見抜いていかなければいけないと思っています。
皆さん、いくらなんでもコメント長過ぎですわ!
自衛隊の救出などを行う特殊作戦部隊の投入を現憲法内で行うことは不可能なんでしょうか。
ヨーロッパ「主権国家」体制は神話だった(二)をお待ちの皆様へ
最初のアップロードが2月6日と、遅くはなかったと思っておりますが、それから1週間以上が経過してしましいました。
(一)につきましては、ご講義の導入で、内容が現在を含む長大な時間尺とヨーロッパの文明論・・・、ご論考がどこに向かうのか?想像だけを募らせてしまい誠に申訳なく思っております。
「長い時間尺を用いて、世界を『日本人の目』で見る」という視点は終戦爾後途絶えました。今回そのことが直接のご論題とはなりませんが、これから展開される西尾先生の長い時間尺を使われたご論考が、現在の日本が置かれた状況とも繋がっていると感じられることと思います。
この度、西尾先生と内容を打合せ(じつは完全に頼っております・・・)のうえ、当報告を進めてさせていただいてはおりますが、西尾先生ご自身の正論への期限が喫緊でいらっしゃるうえ、ご講義の内容とも連鎖しており、とても難儀なこととなっております。
もう少しお時間を頂きたくご理解のほどお願い申し上げます。