(五)
それでは、なぜアメリカがヨーロッパに取って代ろうとする力になったか? 多様な考え方があって、今の私の連載ではそれを追究していて、全部終わってからでないと確たることは言えませんが、ひとつだけ今日お話しできるのは、古代から中世を経て、ひとつの考え方があるんですよ。「アメリカとヨーロッパ中世は似ている」ということなんです。中世の無秩序と暴力社会ということは、先ほどお話ししましたね。今のアメリカはやっとここまで来たのであって、やっとここまで両大陸は来たのであって、また無秩序に戻りつつあるけど・・・。アメリカは最初、とにかく南アメリカも北アメリカも中世的な無秩序状態、自然状態だった。
アメリカというのは、予想外に「ヨーロッパの過去」に根を持っているんですよ。幾つか原因がありますが、一つは「宗教過剰」ということです。Theopolis 「神の国」をアメリカ人は信じています。アメリカ人の信じ方、これは凄いですよ。ピューリタニズムに覆われたアメリカは、とりわけ「朽ち衰えるヨーロッパと、新しい、未来の輝かしいアメリカ合衆国。」「腐敗のヨーロッパと、純潔のアメリカ。」これがアメリカが最初から意識した、それこそ、ワシントン、ジェファーソン、アダムスらが言っていることですが、アメリカはこれによってヨーロッパを超えようとしたわけです。しかしそれは、ヨーロッパに始まっているんですよ。先ほどから何度も言っているルターやカルヴァンに始まっているんです。つまりそのことは宗教改革に始まっているのであって、そしてローマ教王は「アンチクリスト」であるというふうなことで、世界を蘇らせたあのエネルギーというものがまた始まるのです。
いまひとつ申し上げたのは「宗教過剰」ですが、もうひとつは、「帝国の思想」というのがヨーロッパにあり、それがアメリカにのり移った、ということです。ジァファーソンも「帝国」ということを言っていますが、そういうアメリカの要人が言っていたことよりもっと広く、ヨーロッパ中世のバック・ボーンを成す「神話」があるんですよ。私もまだ詳しくはなく勉強中なのですが、「四つの帝国」という「神話」があるんです。皆さん、この話知っていますか? 旧約聖書の「ダニエル書」に出てきて、それは「ヨハネ黙示録」に並んで過激な・・・、というよりピューリタニズムの柱を成した思想です。ヨーロッパの歴史の中で、4つの帝国が移動してゆくんです。ネブカドネツァルは聞いたことあるでしょう? ネブカドネツァルというのは、イスラエルを滅ぼしてバビロンへ連れて行った・・・、「バビロンの捕囚」を行った王様ですね。彼が不思議な夢を見て(それに悩まされ)、予言者ダニエルが(内容を言い当て)解釈した。
その思想・・・。
『 王様、あなたは一つの像をご覧になりました。それは巨大で、異常に輝き、あなたの前に立ち、見るも恐ろしいものでした。それは頭が純金、胸と腕が銀、腹と腿(もも)が青銅、すねが鉄、足は一部が鉄、一部が陶土でできていました。見ておられると、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と陶土の足を打ち砕きました。鉄も陶土も、青銅も銀も金も共に砕け、夏の打穀場のもみ殻のようになり、風に吹き払われ、跡形もなくなりました。その像を打った石は大きな山となり、全地に広がったのです。これが王様の御覧になった夢です。さて、その解釈をいたしましょう。』
・・・ということで、ひとつひとつの帝国がそこに準えられていて、第一の帝国(純金の頭)がシリア、第二の帝国(銀の腕)がペルシャ、第三の帝国(青銅の腹と腿)がギリシャ、第四の帝国(鉄と陶土の足)がローマ、というふうに、帝国が移り変わった。その次に今度は時代が中世ヨーロッパになって、この「夢」は新たに解釈し直されて、四つの帝国は、第一に古代ローマ帝国、第ニにビザンツ、東ローマ帝国、第三にカール大帝のフランク帝国、カロリング王朝ですね。最後にオットー大帝の神聖ローマ帝国です。これは何れも古代と中世のヨーロッパの帝国がこの夢であったと、帝国の移り変わりの思想です。この帝国の移り変わりは、優れてヨーロッパ中世的なヨーロッパが「自分たちを凄いぞ」、といって自讃するイデオロギーの中核にありました。
この「帝国の移転」の思想は、ヨーロッパでは消えてゆきますが、ところがそれがアメリカへ移ったということなんです。第四から第五の帝国(自然に切り出された石がは像の全てを打ち砕き、山となって全土に広がった、五番目の帝国「永遠の国、神の国」)、「アメリカ」が出てきます。それがアメリカの神話的根拠。これを言いだしたのは、なんと哲学者バークリなんです。バークリを通じてこの思想がアメリカに伝わったのです。
皆さんは、オサリヴァンの「マニュフェスト・ディステニー」のことは知ってますね。「明白なる運命」などと訳されます。19世紀にオサリヴァンという新聞記者が言った「マニュフェスト・ディステニー」というのは、西へ西へとアメリカは膨張し拡大して行き、それは神のお告げであり意思であり「神慮」であるということです。女神が空を飛んでいて、西へ向ってゆく、そしてインディアンなどを蹴散らしてゆく・・・、そういう絵もあります。その西へ行くエネルギーがカリフォルニアに到達しハワイに行き、やがて日米戦争を惹き起したというのが、全体として考えられる問題なんですが、このドラマ、「マニュフェスト・ディステニー」は最初に誰が言ったかというと、哲学者バークリだというのが驚くべき話であって、古田先生のこの本((二)の最後で紹介)は、バークリから始まっているんですよ。古田先生はドイツ哲学よりも、イギリス哲学のほうがより根源的だというお考えです。バークリという人は、実際に物が存在するということを、「実在は人間の視覚と感覚を通じて認識されるから存在するのであって、それ自体が存在するわけではない」ということを最初に言いだした人で、それに対してまた否定論がいろいろあって、カントに繋がってゆくわけですけれど・・・。
バークリは大知識人であり、西洋史の一角を築いた人ですが、実は五番目、「第五の王国」としてアメリカを措定し、「新しいイスラエルを建国して世界の終末までこの世を支配するであろう(アメリカは・・・)」そういう詩を書いていて、それが1752年に公表されまして、その10年ほどの間に10回以上も印刷され多くの人々の間で回覧されます。それに対する研究もあります。
皆さんはカリフォルニア州立大学バークレー(バークリ)校をご存知でしょう。あれはまさにそうなのです。第二代学長(カリフォルニア州立大学バークレー校の) D.C.ギルマンが1872年、つまりバークリより120年くらいあとの学長就任演説で、
『 大学の場所がバークリ、学者で神学者の名を冠しているのは宗教と学問の双方にとって善の兆しである。彼つまりバミューダ諸島にカレッジを創ろうとしたイギリスの聖職者をロードアイランドのニューポートへと運んだロマンチックな航海から、まだ一世紀半もたっていない。……彼の名声は、……大陸を横断した。そして、いま、地球のまさにこの果てで、ゴールデンゲート海峡の近くで、バークリの名はよく知られた言葉となるに違いない。彼の例をみならおう。……彼のよく知られたヴィジョンが真実になるように働き、かつ祈ろう。
「帝国の進路は西にあり
最後の四幕は すでに閉じ (四幕というのは、古代と中世の四つの帝国です。)
その日とともに ドラマが終わるは 第五幕
もっとも高貴なる時代 そは 最後の第五幕」 』
こういうバークリの言葉があり、そして「明白なる運命」というのは、単に終末論、終末論ではなくて、アメリカ的楽天主義、進歩の理念に結びつく。そしてそれが、教育と科学技術の展開になってゆく・・・。これがどんなに根強いものであるか、ということにわれわれは深く思いを致さなければならないんですね。
古代ローマ帝国、東ローマ帝国、フランク王国(カロリング朝ですね)、神聖ローマ帝国、古代近世、中世にかけての帝国。これは最初、古代地中海世界に生まれた帝国が中世ヨーロッパで開花し近代アメリカに移転した・・・。アメリカ合衆国は近代のトップランナーであると同時に旧約的な帝国思想の継承者であり代弁者である。すくなくともその思想は、地下水脈として延々と19世紀と20世紀のアメリカ合衆国に流れつづけたということです。
19世紀と20世紀の世界を支配したのは、近代国家システムだと信じられています。これは国家だけが暴力を支配することを許し、暴力の発動は警察か軍隊か、つまり国家は内側には警察、外側には軍隊、こういう主権国家の特権として、それを基にして今の世界は成り立ってはいるわけですけど、それが本当に守られているでしょうか? それが今、おおいに疑問として突き付けられていることなのですね。21世紀の世界では、主権国家よりも宗教や民族や何か別のものが結合体として動いているケースが強い。略奪や私的な虐殺などが横行する・・・。中世と同じような現象が顕れ始めているわけですね。
加えてその帝国、アメリカは、例えばアメリカと中国の今の関係はというと? 私にはアメリカは中国に阿片戦争を仕掛けていると思っております。またまたやってるな・・・と。「阿片」というのは、中国人に阿片の代りに「甘美なる近代生活」を味あわせたわけです。便利で豊かなモダンな生活を中国人の一部の人にでも与えたわけですね。これは麻薬のごとく中国人を虜にし、そしてそれによって踊らされて、あっという間に中国はそういう製品に溢れた国になっていったわけです。でも買いきれなくなって、今度はいよいよドルを放出せざるを得なくなってくる。いまはもう行き詰まりにきています。これはさながら嘗て、お茶を売って銀がどんどん流入していたイギリスと支那の関係で、どんどんどんどん流入した銀がある段階から流出に転じて・・・、それで支那はご承知の通り滅茶苦茶になってしまうわけですね。いまそういう境目に来ているんじゃないですか? 支那大陸は・・・。
つまり歴史というのは案外同じことが繰り返されるわけですが、これはアメリカが仕掛けているんですよ。これが「アメリカ帝国」なんですよ。やっぱり帝国の思想なんですよ。そして日本にはひたすら従順であることを要求しているわけです。しかし、ついこの間まで円高で日本を苦しめていたのは同じアメリカですからね。
一方ヨーロッパはどうかというと、ルールを守ろうとして、「ヨーロッパの中だけは、うまくやろうじゃないか」と。そういう理念は啓蒙主義の時代に生まれているわけですから、それは分かるわけですね。それがEUというものを創ったわけですが、でもEUというのは積極概念ではなくて、あるものに対する恐れから始まったのであって、それはアメリカと日本に対する当時の恐れだったわけです。アメリカはご承知の通り1971年にドルの垂れ流しのような、金兌換性を否定するニクソン・ショックというドラマがありましたね。ドルは垂れ流しになるわけでしょう。つまり、ドルはいくらでも刷って良いというこの恐るべきシステムにヨーロッパは吃驚するわけです。約束が違うのだから・・・。そして地球の40%まで、日米経済同盟で支配されてしまう。あれがヨーロッパを狂ったようにさせたEUのスタートなんですよ。EUは恐怖から始まっているんですね。そしてそれが湾岸戦争で、ドルの支配とユーロと争ったけど、結果としてアメリカはヨーロッパを許さなかった。そして結果として、アメリカはEUには軍事力を認めなかった。NATOがあくまで頑張れよと。
EUに独自の政治国家は許さないということですから、結局EUは何のために創ったのか分からないということになってしまいます。もともと昔争っていた国々が、なんとか「合理的」に和解していこうとしていたところですから、内部の対立が激しくなれば、直ぐに箍(タガ)がガタガタと狂うのは当たり前で、このままいけば、10年もたないうちにマルクやフランが独立することになるのではないでしょうか? もちろんギリシャが脱落するだけではなく、マルクもフランもリラも・・・。全部そろそろ別々にやろうという話になるんじゃないか、と私は何となく思っていますが、まぁ、どっちに行くかわかりかせんが・・・。輝かしいEUの未来というのは考えられないと私は最初から思っておりました。また怪しくなっているから・・・。まぁ、それで歴史は同じことを繰返しているんですよね。
それは各国みな基本にあるのはエゴイズムなので、ちゃんとそれを見ていれば、そういうことはよく分かるのです。ヨーロッパがなんとか創った形の秩序、法秩序、国際秩序、国際法 International Law というものがその基本に有るわけですが、日本はそれを一所懸命守って「文明国」になって、それでもなお且つそれで、イギリスの裏切りとアメリカの無法で、痛い目にあわされて。そしていまだにイギリスとアメリカが大きな顔をして地球を「理念的」に支配している構造が続いているために、日本は仕方なくて頭を下げて我慢して生きているという・・・。こういう状態が続いていると私は理解しております。
ですから、今度の「イスラム国」は、それに我慢できなかった人たちが居るわけで、これは恨み辛みがたくさんあって・・・。そのようになったと思えるのは、おもに「イスラム国」に参加している人々が移民の2世、3世ですよね。フランス、ドイツ辺りにいる移民の子供達ですね。だからそれは如何に閉塞感があって・・・。つまり、ここで「日本は移民をやってはいけない」んだよ、と・・・。移民をやると碌なことが起こらない。これは絶対やらない・・・。ということでいかなければいけないのに安倍総理は、移民問題だけはだらしないところがあるので非常に心配です。これは断固、皆で反対しなければいけないテーマですが・・・。しかし私も言うのに疲れてしまって、皆さんの力もお借りしなければいけないと思っておりますが・・・。もう、目の前でこれだけのドラマを見ていながら、まだ「移民だ」などと言っているのだから・・・。それにテレビがいちばんいけないのは、「移民は危ない」と以前よりは言うようになったけれど、それが「イスラム教徒」というんですよ。日本の移民で怖いのは「イスラム教徒」ではないですよ。「中国人」に決まっているではありませんか? ところがテレビは、「中国人が怖い」とは言わないんですよ。言ったら首が飛ぶのかな? よく判らないけど・・・。私は「中国人に対する「労働鎖国」のすすめ」という本も書いているんですよ。そんなこと、遠慮していてどうするのでしょうか? まぁ、そういうところでしょうか。では、このへんで終わりにしましょう。
了
記録:阿由葉 秀峰
幹二 先生が範とする学者は、
国学者、伴 信友 なのでしょうか?
書は読まねば理解できませんが、
標榜せずとも理解できる論はないのでしょうか?
子路
僕の理解できる、範疇・国家観は国民の歴史(上下)までです。
僕が記している、日記に。
弥生時代から 日本の文明は始まる、卑弥呼の前までは人は住んでいたが文明は無い・・・そんな事を考えていたら、「日本初紀」まで遡れと言われました。
邪馬台国は九州で、中華の蛮族の一端を成し、近畿に大和政権。
そこで、考えたのは、どの様な文明が優れているのか??
連綿と続いていいる国です、異国が他の国を飲み込む事はありますが、文化や正統性を飲み込みたいのだろうな?_と、思うのですがどうでしょうか?浅はかでしょうか?
これは、三国志時代。
何故 トウタクが漢帝国を潰さなかったのか?
漫画;蒼天航路からヒントを得て考えていました。
子路
・・・と、記していて閃いたのは。
邪馬台国は、別にどこでも良いのではないでしょうか??
九州でも沖縄でも、南方でも朝鮮半島でも・・です。
独自の文化が無い国は蛮族だろうと思うので、書に記してくれ!
そんな、メッセージなのでしょう。どうでしょうか?
子路
これだけ海外で移民政策の失敗が露わになり、多文化共生政策が破綻したと政治家が次々発言し、移民や難民の受け入れ制限に舵を切り始めているというのに、移民だの、多文化共生だのほざいているわが国お花畑頭は、どうなっているのでしょう?
何かといえば、「海外では」を連発する出羽の守様達が、移民問題については、海外では決して口にしません。
これは、多くの人々が指摘しているように、移民政策で成功した実例は古今東西一つもなく、移民を入れた国は、今や移民の高齢化が問題になっているのです。
ちなみにわが国において、外国人の生活保護費は1300億円であり、毎年5000世帯ずつ増加しております。
外国人の多い神戸では、在日外国人の高齢者人口が増加から、介護の現場は対応に追われたり、高齢者を生活保護で面倒を見ていたりしているのです。
つまり、既にわが国は移民政策に失敗しており、移民の高齢化問題を抱えているのです。
最早移民政策が、少子高齢化対策にならないことは明確になっているのにも関わらず、日本に大量の移民を入れようとする人間たちは、亡国から袖の下でも貰っているのではないかと本気で疑っています。
蒼天航路;漫画 にて、
帝に焼き払った都を見せる そんな象徴的な場面があります。
渠を構える・・・と言う事は、どう言う事なのか?
何故、長安へ遷都なのか??
*
常々、呂布は 帝を護りに来た北方よりの” 異民族集団の総称”だと考えております。
呂布が裏切った理由も、トウタクの帝を連れての遷都の阻止です。
理を分からずとも行う、儒教の教えを実践している武将だと思います。
少しでも、現代に関係在りますでしょうか?
子路
西尾先生
この度のご講演内容を読ませていただき、多くのことを学ばせていただきました。プロテスタントは西洋の内に向けた十字軍の役割を担ったとも見え、それは現在のシーア派にも同じ見方が適応できるのではないかという事。帝国主義というものがまるで生き物のように移転するといい、そして国家というものは人格化されるという、その理由は簡単で主義も社会統治体制も人間によって創られているものだからという事。明治以降の日本は西洋が創った文明と呼ばれる枠の中に閉じ込められている事。
そして改めて感じた事が二つありました。一つ目は、いわゆる西洋的思想が生まれた背景について。何か西洋的思想、すなわちホッブスが述べるところの自然状態を前提に理論を語ると、それは文明がいち早く発展した西洋で生まれた素晴らしいものと思われています。しかし、本当にそうでしょうか?古代東アジアの思想家である韓非子を読むと、その思想がそれまでの東アジアの思想とは異なる、むしろ西洋的思想という印象を受けます。では、韓非子と彼以前の東アジアの思想家と何が違うのでしょうか。それは彼が生きた時代が、まるでペルシャ帝国を彷彿させる秦(China)の帝国主義が西から拡大し、東アジア大陸中を混乱の渦に巻き込んでいた時代であったということでした。ここでは、かなり乱暴に訴えたいポイントを強調して申し上げると、西洋的思想なるものは、何も西洋が発祥の独自のものなどではなく、帝国主義という、とても強烈で獣的な、野生の動物から一線を画して社会を形成した人間の歩みから考えると後天的に発生した理念により大混乱した異常な社会を生きる人々の中にうまれているものだということに気が付きます。
二つ目は、世界中を巻き込む混乱はいつも中東からはじまっているという事。まず中東が乱れ、そしてヨーロッパ各地が巻き込まれていく。近代になってからは、ヨーロッパに続いてアメリカが巻き込まれると、引きずり込まれるように東アジアが巻き込まれる。それは、まるで「からくり時計」のように、同じメカニズムで動いていく。でてくる装飾が新しくなっても、仕掛けそのものは古来よりたいして変わることがない。なかなか変えることなどできないのかもしれない。世界中を混乱の渦に巻き込むなどという大がかりな仕掛けは、そう簡単には動かせない。だから、いつも同じようなテコの原理で動き始める。それで歴史は同じことを繰返している。
世界規模の不況が起こり、イスラム圏ではではアラブの春なるもので社会が混乱しはじめ、ISILが出現し、あっという間に中東、アラブ、北アフリカに混乱が広がり、既にヨーロッパにも混乱は波及している。そして、世界中のマスメディアにより毎日のようにISILの大宣伝活動が行なわれている現代の社会。私たちは、西尾先生の講義内容を確りと理解する必要があると感じました。
5回にわたる長文の論文、先生の迫力に圧倒される思いで拝読いたしました。
14世紀末までヨーロッパ人にとって、大西洋は怪獣や怪魚が暴れ回り、東洋はといえば黄金や宝石に溢れるが、奇妙な生物がいる所だと考えられていたとすれば、彼らが未知なる民族を、自分たちと同じ人間だとも思わなかったであろうことは容易に想像できます。
教育現場では、主観的観念論と一言で片づけられがちなバークリですが、アメリカ人のキャラクターの要になる人物だったとは存じませんでした。
「物は知覚されてある」としても、現にある「神の意思の浸透した生きた自然や外界」を保存しようとしたバークリの考え方は、我々日本人にとって比較的分かりやすいものに思えます。
またアメリカ人がしばしば根拠のない自信やプライドに支えられているように見えるのは、バークリに代表される信念が、背後にあるからなのでしょう。
一方古田博司氏の『ヨーロッパ思想を読み解く 何が近代科学を生んだか』の説明にあるように、生活で忙しい「単純型」の我々は、「複雑型」の西洋人のように、世界制覇も神からお墨付きを貰っているなどの思い上がりもなければ、反面「何故信じるのか?」といった込み入った問を発する余裕もないのが普通です。
しかも古田氏が指摘するように、明治以来イギリス哲学方式の考え方を、生真面目なドイツ哲学方式で生きるという、まるで右足に長靴、左足に下駄を履くような息苦しさを感じてきた我々も、現代はもうこれ以上そのまま歩き続けることができない所まで来ているのが現状です。
言う間でもなく、世界の状況を見ても分かるように、我々にとって外界は安定して我々を包み込んでくれるものではないと、人々が感じ始めているからです。
それと同時に、またしてもどこかの外国勢力の「初動に振り回される」のではないかとの恐怖も伴っているはずです。そしてキリスト教を締めだした秀吉や、列強に立ち向かった幕末の日本人に出来たことが、どうして現代人には出来ないのかという問いが、繰り返し頭をもたげるのです。
巷では、未だ戦後長らく使われてきた歯の浮くような、民主主義、平和、人類、世界、共生などの、イギリス経験論なら一笑に付すような空虚な抽象語であふれていますが、流石にこうした言葉への不信感が蔓延しつつあるのが現状です。
とはいえ、移民問題を始め、今の政策を継続して行けば、将来我が日本列島が民族と宗教の闘争の場になることは必至です。
とりわけ、アングロサクソンのライフスタイルを地で行く「単細胞型」のシナ人移民は、外国人或は元外国人という特権を利用して、日本の現状システムを維持することに躍起となり、日本のあらゆる富を吸い取ろうとするでしょう。
彼らは、二束三文の材料で「日本製」と銘打って薬品や化粧品を作り、日本の薬事法も知らないシナ人観光客に売りつけ、私腹を肥やし、その金で日本の不動産を買いあさり、また特有のがり勉で左寄りの日本の学問を身に付けて、官僚や政治家になろうとしています。
考えたくはないが、最悪の事態に対処すべく、我々日本人が成すべきは、我々独自の宗教と言葉を掘り起こし、回復することでしょう。
先生が繰り返し提起されてきたテーマ「西洋との対決」は、今もなお、我々日本人一人一人に課せられた、待ったなしの避けがたい宿命であることを、改めて噛みしめました。
正論4月号、ヨーロッパ「正義の法」は神話だった、に関して以前投稿させていただいたものです。
正論の記事は、イスラムとヨーロッパの世界史をマクロ的に遡って、アンリ・ピレンヌの「マホメットとシャルルマニュ」を軸にそれを現在の、イスラム国のテロ事件に集約させて着眼し論じるという、「正論」史上でも極めて独自な発想に基づく大変興味深い記事でした。
私は2度目の投稿で、「コーランかさもなくば剣か、と迫ってイスラム教徒が征服地を広げたというのは、キリスト教徒のプロパガンダであった、ということを大川周明は既に理解していた、したがって東京裁判での彼の行為は、云々」といみじくも書きました。
今日西尾先生の「2009/07/30 19:53 投稿GHQ焚書図書開封 第22回 大川周明『米英東亜侵略史』を読む」という過去の放送をhttp://ichiba.nicovideo.jp/item/az4062879220
みて、さらに深い感慨を持ちました。日米戦争を正しく理解するには、ここを省いてはいけないと。OSSや戦後のGHQのWGIPは知られるところとなりましたが、もっと世界史を遡って大川周明が言わんとしたこの辺りをじっくりと国民全体が理解する必要があると、もしそうでなければ、何故満州国の建国があり、何故真珠湾に飛んだか、それらの真実は永遠にわからないのではないかと。
イスラム国問題も、Je suis CharlieやI am Kenjiの次元でとらえている場合ではありませんよと。いかにも正義の法に与しているように見えますが、正論4月号とGHQ焚書図書開封 第22回を両方見ると、極めて世界史的な全く新しいはらはらするような着眼が見えてくるように思うのです。
それで、このコメントを書きました。さらに思考の筋道を深遠化あるいは浮遊化させるために次の画像を置いてみます。ここまで来ると思考のお遊びになってしまうかも知れませんが、問題が深刻すぎるので、たまにはいいかと思うのです。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/32/20540e934589afdf8da157910f7de6e0.jpg
追記させていただきます。前回の文で「正論史上でも極めて独自な発想に基づく大変興味深い記事でした」と書きましたが、何をもってそういうのか、その辺の説明をしたいと思います。隣にある潮氏の文章は、そのタイトル通り「敵はISよりも安倍政権!?メディアの歪んだ”テロとの戦い”」で、一言で言うと「何もかも安倍政権非難に繋げている」メディアに対する怒り、がその本体。特集TOPの中西氏の文章は、正論読者が読んで納得するようなことを肩代わりしている内容。前から思うのだけれど、日本のシャンソンファンがシャンソンのコンサートを聞きに行って、「枯葉」や「愛の賛歌」がプログラムにあると、ああいいコンサートだった、無いと、なんだか不満足、シャンソンを聞いた気がしない。日本のシャンソンファンが常に前者を求めるように、正論の読者もたいてい今回の中西氏のような文章を喜ぶ。納得や理解を与えるが、思考や着眼の斬新さ、つまり独自の読みの深遠さが無い。
まず第一点。中西氏の文章には「欧米における安倍首相とその政策に対する評価の一層の高まり」(P.62&63)が繰り返し書かれていて、これは基本的に潮氏の文章と同類。西尾氏は「テロリストの頭脳プレーにより、日本国家は天下に恥をさらした」(P.85),日本外交のやりかたは「事実上の宣戦布告」と極めて斬新な指摘をされている。昔風に言うなら潮氏や中西氏のような文章を書くひとを「御用学者」と呼ぶ。
読んでいて気づいた第二点目。中西氏は「それにしてもなお、襲撃事件はヨーロッパ的価値観に対する激烈なテロ攻撃であって、許されないことは言うまでもない](P.61)。西尾氏は世界史的視点を用いて、その「ヨーロッパ的価値観」そのものの起源・発生を考察されている。どちらが深いかは一目瞭然ではないだろうか。
第三点。中西氏はP.62に「加えて、国際社会が、日本の立ち位置をどう見るかと言う問題を考えたことがあるのだろうか」と。国際社会の評価を重視しておられるように思われる。価値観の追従である。気になるところである。中西氏における国際社会とは、何をさすのか?少し引用が長くなるがP.65,「チャイナ・マーケットのもたらす経済的利益に目がくらんで、国内の自由を抑圧し、チベットやウイグルなど少数民族を過酷に弾圧し続けてきた中国に何のペナルティーも科さなかった国際社会はいま」、国際社会に随分長い修飾節がついているが、ここまで否定されている国際社会が「日本の立ち位置をどう見るかと言う問題を考える」必要があるのだろうか?つまり、論理的矛盾も見え隠れする。一方「正義の法は神話だった」、というタイトルの西尾氏は世界史的観点から正義の法はヨーロッパが勝手に決めたもので「20世紀に入って他の国はじっと忍耐してきたというのが正直の真相でしょう。イスラム諸国はもとより、ロシアも戦前の日本も「正義の法」のいわば被害者でした」、という独自の見解を考察しておられます。こういう独自の視点の確立が中西氏の文章には見えてこないのです。つまりは誰でも知っている「枯葉」や「愛の賛歌」なのです。
第四点。中西氏の後半はひたすら安倍首相の外交及び積極的平和主義への絶賛で貫かれます。P.70「それは明らかに、中国の脅威に対抗する新しい価値を日本の安全保障政策に見出し、それを推進する安倍首相がISへの対応で確実に信頼と評価を高めたからである」とこのように読者が求める歌を歌われるわけです。田舎の中学生でも理解できる聞きなれた歌なので、読者には喜ばれるでしょう。
日本の安全保障政策という語に注目してください。
これは平成27年3月16日国連創設70周年記念シンポジウムにおける安倍内閣総理大臣スピーチです。
http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg11467.html
文字化したものはこちらです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/unp_a/page3_001135.html
引用:「安全保障」という言葉の前に、「国家」でなく「ヒューマン」がつくのは、この時からです。
中西氏は「中国の脅威に対抗する新しい価値である『日本の安全保障政策』を安倍首相が推進している」と思い込んでおられるのか?、しかし実は日本国のではなく、ヒューマンな安全保障政策であり、あくまでも国際社会の正義に添う「御用聞き」的なものである、ことをご存じないのか、いずれにせよ西尾氏の斬新な全世界史的考察力とは雲泥の差である、とだけ説明して、嫌われ者の役割を終えることにいたします。
凄い面白い!!
論の一端に加われて、楽しかったです!
現代の文言とは、口舌よりも筆よりも、
キーボードのタイピングに酔う感じでしょうか?
僕も、日記を記しているから分かりますよ!
紙に書くのとタイピングでは、出てくる言葉が違ってきますよね!!
子路
最近インドのある州で、性犯罪者が地元住民になぶり殺しにされる事件がありました。実は事件の背景には移民問題があったのです。
同地では、以前からバングラディッシュ人移民が流入し、地元民との軋轢が絶えない地域だったのです。
更に、この州の住民の殆どは、キリスト教徒であり、バングラディッシュ人の多くは、イスラム教徒であり、宗教対立の側面も否定できます。
フランスのカレー地方では、アフガン人移民とアフリカ人移民が衝突し、今や移民と国民との対立に加え、移民と移民との対立が深刻化しているのです。
多種多様な民族、宗教が混在するバルカン半島は欧州の火薬庫といわれてきましたが、今や全世界がバルカン半島化しつつあるように思われます。
このままだとわが国もバルカン半島になりかねません。
アメリカ大陸には原住民が住んでいたのですが、15世紀以降、スペイン・ポルトガル・フランス・そして特にイギリスの移民が侵攻し、原住民は抵抗しつつも、今では殆んどの原住民は滅んでしまいました。それは此処500年の時間です。ですから、始めに入植した清教徒の伝統しか無い。それが信条的に、今でも続いているのかも知れません。とにかく暴力的な国家、それがアメリカです。彼らが、唯一武力を信仰することは、西へ西へと土地を奪っていった歴史的な性格でしょう。
彼らの歴史、と云っても高々300年に足らない時間の中で、封建制は存在もしていない。実験国家・近代国家と云う奇妙にいびつな国家制度なのです。入植者が作った、この様な人口国家は、パロディ的に言えば、黒・白・黄色の人間が、火星に入植した場合に参考に成る物なのかも知れません?実験国家アメリカは、いずれ、有色人種の国家になるかの知れません。人種の構成比は時と共に変わるからです。
日本の是からの進むべき道を、各国の歴史を探索しつつ模索しなければ成らない時期に来ています。今年は大東亜戦争の敗戦から70年です。一世代が終焉しつつあり、戦後利得者の嘘も、破綻しつつあります。新たな日本の将来について、一歩踏み出す70年であることを望みます。
それを知るまで、支那人も朝鮮人、日本人とそれほど変わらない人間だと、ごく普通に感じていましたが、これが、顔は似ているが、トンでもない異質なエゴの塊の様な連中であると気が付く。是を知らない日本人が大半です。これが、東北の農家などに、大量に嫁に入るという。或いは支那人の学生などが、日本に居つく、これがゲリラのように潜み、いったん事が起これば、破壊活動を計画通りに遂行する。この様な連中が、いま国内に100万人いるという。危険を感じないほうが変です。
法的に日本は底抜けのお人好し、スパイ防止法も無い、空っケツのフリチンだ、警察は何をしているのでしょうか?法律が無い?反日の邪魔で、法律が通らず、スパイの天国だ?、何度、危険を叫ぼうとも、一向に微温湯のゆで蛙は耳を貸さず、馬鹿もここに極まれり。西尾先生、如何に危険を叫ぼうとも、何の目立つ効果なく、誠にお労しや!やはり教育から変えなければならないと感じます。
un beau jour 樣
9.を拜見、快哉を叫ぶとと同時に、なるほどと得心
しました。
西尾先生と中西輝政氏との「世界史的考察力」は、仰
せのとほり、雲泥の差ですね。しかし私は今までそれ
をおぼろげに感じつつも、貴台のごとく、明確に把握
し、表現することができませんでした。
昔、つくる會のシンポで中西氏の話を聞いたあと、雜
誌で氏の論文を讀みましたが、その風貌と同じく、な
にやら芒洋とした感じで、つかみどころが見つからず
(あまり探しもしませんでしたが)、この議論はをか
しいと斷ずるところもありませんでした。
その點が今囘の貴文ではつきりしたやう思ひます。
たとへば、「論理的矛盾も見え隱れする」と評されつつ
中西論文を引用された次の部分――
「チャイナ・マーケットのもたらす經濟的利益に目
がくらんで、國内の自由を抑壓し、チベットやウィ
グルなど少數民族を苛酷に彈壓し續けてきた中國に
何のペナルティーも科さなかつた國際社會はいま」、
國際社會に隨分長い修飾節がついているが、ここま
で否定されている國際社會が「日本の立ち位置をど
どう見るかという問題を考える」必要があるのだろ
うか?
これは御指摘のとほり完全な「論理矛盾」ですが,私が
一人で、いつものやうにいい加減に讀んでゐれば、それ
に氣づかなかつたかもしれません。つまりあまりに「長
い修飾節」に惑はされて、その終りを讀む時には出だし
の部分を忘れてしまひ、なにが書かれてゐるのかも分ら
なくなり、勿論、矛盾など感じないままになつてしまふ
可能性もあります。以前、そのやうに中西論文を一篇だ
け讀んだのかもしれません。
以上、お恥かしい樂屋話ですが、次の部分は一人でも理
解できたつもりです。
「正義の法は神話だつた」、というタイトルの西尾
氏は・・・「イスラム諸國はもとより、ロシアも戰
前の日本も『正義の法』のいわば犧牲者でした」と
獨自の見解を考察しておられます。
當然のこととして、西尾先生の頭腦明晰(その論理は、矛
盾の對極で冴え切つてゐます)に對して、中西さんの魯鈍
さは氣の毒なほど際立ちますね。あるいは、頭が惡いと言
つた方がいいのでせうか。天下の形勢には全く關係のない
ことですが、中西さんの頭の惡さをはつきりと教へられた
ことは、私にとつて利益でした。
beau jourさんの論理も冴えてゐますね。
中西氏は「中國の脅威に對する新しい價値である『日
本の安全保證策』を安倍首相が推進している」と思い
こんでおられるのか。しかし實は日本國のではなく、
ヒューマンな安全保證政策であり、あくまでも國際社
會の正義に添う「御用聞き」的なものであることをご
存じないのか。
鋭い御指摘で、感銘深く拜讀しました。そして、安倍首相に
對する、私の物足りなさ、苛立ちの因は正にそこにあり、我
が思ひを見事に代辯して下さつたと感じました。
論じるだけでは、千年かかる。
一発ガツンとやった方が良いと思うのですが?
そんな想いは、危ういでしょうか?
子路
” 呂布 ” の 奉先。
_・・・です。
子路
はじめまして、池田俊二さま
コメント大変ありがとうございました。丁寧にお読みいただいて大変うれしいです。
un beau jourは昔、山村祐の門下で短詩型文学(前衛川柳のようなもの)運動をしていて随分と「一行詩論」を書きました。一直線の本文にかかる長い形容詞節はうねりを伴い本文の一語句に重層的に取り付きますので、それを品詞分解して重さを計るという癖があり、あの「国際社会」で立ち止まってしまったのです。あの部分の続きを書きますと「国際社会はいま、深刻なしっぺ返しを受けている」らしいです。何によってかというと「まさにグローバリゼーションがもたらした中国共産党の経済至上主義的なマネーゲームが生み出した道徳的無気力によって」らしいです。道徳的無気力にも長い形容詞節がついています。この道徳的無気力とは何か?と考えますと、どう
やら「中国に何のペナルティーも科さなかった」ということに行き着きそうです。「中国に何のペナルティーも科さなかった国際社会は、しっぺ返しを受けている」で意味は通ります。しかし国際社会の道徳的無気力は、あくまでも国際社会の責任であり、中国共産党や中国共産党のマネーゲームが生み出そうと思っても生み出せるものではないでしょう。一言で言うと「まさに」から「よって」までの文が、書き手の頭の中でこんがらがって文章になりえていないのです。これは誰にでもご賛同いただけると思います。
国際社会が(どこから受けているかはわかりませんが)しっぺ返しを受けているとしながら、後半の六頁は、ひたすら、安倍首相のIS対応が国際社会から大絶賛を受けていると繰り返され、安倍首相の「地球儀俯瞰外交」が大成功を収めていて、その積極的平和主義は何より中国の脅威に対抗しえるものだと欧米メディアも評価し始めたと、独断で埋め尽くされています。
決して中西氏の頭が悪い、などというつもりはありませんが、いくらなんでも「よいしょ」に徹しすぎです。中国から見れば、安部政権は、米粒ほどの存在でしかないでしょう。対等とは程遠い、むしろほとんど無視できる国家、政権だと考えているでしょう。数多くの国に足を運び、そのつど大金をばら撒き、積極的平和主義が功を奏していると信じているのは安倍首相本人と、中西氏のようなとりまき、そして支持者(信者)だけでしょう。足を運び、大金をばら撒き、協力を約束してきた国々も、笑顔はそのときだけ、すぐ忘れるほどインパクトのない首相で、せめて義理を感じてもうちょっとは気を使ってほしいと思うのは、私だけではないと思います。
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何のことを言っているかというと、このことです。
アジアインフラ投資銀行
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%A9%E6%8A%95%E8%B3%87%E9%8A%80%E8%A1%8C
参加国も顔ぶれを見てください。日本の外交、安倍首相の努力のアプローチ、ばら撒いた大金、何もかも水の泡です。
New Silk Roads to energize Asia’s vast economic potential
http://english.cntv.cn/2014/11/09/VIDE1415484842090527.shtml
まだプランの段階で成功するかどうかはわかりませんが、少なくともこの着眼、この企画、この構想、ここまでの牽引力、吸引力、願わくば、日本の、安倍首相の牽引によるものであってほしかった。
経済と政治は違う、マネーの流れと安全保障は別物、という考えはあると思います。しかし国際経済、国際金融は、政治よりもはるかに先をいく、否、むしろ政治に先回りして政治を動かすものだと、思います。
保守の方ならもはや誰でもご存知のHarry Dexter Whiteとthe Bretton Woods conferenceを思い出してください。
Harry Dexter White and the Bretton Woods conference in 1944
http://www.dailymail.co.uk/news/article-2288294/The-banker-shaped-modern-world-WWII-Soviet-spy-wanted-America-communist.html
このWhiteはSnow作戦のWhiteです(Mr.WhiteゆえにSnow作戦と名づけられた)。書くまでもないとおもいますが、ハルノートを書いた人物だといわれています。IMFの生みの親でもあります。ソ連のスパイでした。いまはスパイを使わずとも、中国は中国の顔のままで、表立って同じことができるのです。日本が汚名を着せられて汲々としている間に、時代はすっかり変わったように思います。
Harry Dexter White and the International Monetary Fund
http://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/1998/09/boughton.htm
私はマーシャルもソ連のスパイあるいはそれに近いものだったと思うのですが、アジアインフラ投資銀行スタート、これは最小限に言っても、マーシャルプランに匹敵する国際政治・国際経済が絡んだ、世界のパワーバランスのターニング・ポイントとなる非常にインパクトの強い出来事になると思います。日米ともにいまさらどう動いても手遅れ、没落と悲惨の懐妊でないことを祈るばかりです。
この度のイスラム国による日本人拉致及び殺害に端を発した世論が、様々な心理を含みながらその心情をなかなか正しくひょうげんできないまま
、ただただ時間が過ぎることに耐えることしかできないこの現実に、多くの国民が虚しさを覚えることしかできませんでした。
人間の命の尊さというものが、極時的に国内に派生したこの事件ですが、しかしその反面、普通に流してしまう一つのニュース番組として受け入れてしまう自分がいることを、再確認した事例ではないかとも思うわけです。
私は日本人ならばここでなせることは、日本人なのだからこの犠牲者を救うために惜しまない犠牲心がどこかにあるべきだろうという意図で、過去のスレッドでそれを訴えました。
しかしそういった意見すら国民レベルでは馴染まない言葉になっているのが現状です。つまり現実から「忌避」する「癖」が国民の感情の中に蔓延ってしまっています。
憲法改正を試みようとしても、それがなせない実情は、そういった国民の心の底の「セキ」・・・つまり、川の中にある大きなセキがございますね、これが政治的右左を問わず根本的にあると思うわけです。
それを感じているのかいないのか、政治の最前線ではそれを政治のタブーとしているのは現状です。
政治の問答を聞いていますと、多くの理論建ては「憲法」が礎です。
それを保守も左翼も供用する現状。
来週の日曜日は統一地方選挙でありますが、毎年決まりきったメンバーで、ある意味選挙ではなく、現役議員の信任選挙に近いわけです。
「地方再生」とか「地方再興」とか、聴き心地のいいフレーズはありますが、地方から力はなかなか生まれないのが現状で、単純な言い方からいえば、東京一極集中は現代の歴史となりつつあるならば、その文化はやみくもに破る行為ははたして本当に正しい考え方なのだろうかと、私は思うのです。
勿論地方の再生は根本的な「日本再生」ですが、しかし、中央との連携なくして地方は再生できません。
そんなことは誰だって教えられなくたってわかっているわけです。
ところが政治が絡むとその「心」は単純に覆させられ、ご贔屓の候補者に投票するという現実が多々あります。
日本人の心の何かを揺さぶる存在価値として、今その反響の役割を担っているのが皮肉にも「共産党」ということですが、ここで問わなければならないことは、地方政治というものに日本の政治を舵取りさせることに、これからも委ねていくべきかいかぬべきかです。
国民の多くが「朝日」のニュースを見ています。なぜなら面白いからでしょう。国民の多くが朝日新聞を読み続けています。なぜなら面白いからでしょう。国民の一部分が共産党に票を入れる傾向にあります。なぜならわかりやすい政治をしているからでしょう。
あきんどはこう思うのです。すべての結果は正しいと。
しかし、「間違い」とおもわれている中に多くのヒントが必ず存在しているのではないか。
それをどうやって探り出し、どう扱うかが次の時代を担う人間の役割だということです。
「時代」は何かを要求する力が、必ず存在していると思うのです。
責任者はそれを感じなければならない。結果は正しくてもそれは持続可能なものだと思い込むことがもともと危ないと言えるのではないか。
私の中に今も葛藤する問題があります。それは原子力発電の存在意義です。
科学的見地からいえば、この世は原子力の力に支えられた世の中です。けして電力のことだけに限った話ではなく、人間そのものが原子の集合体であり、それを支える神話はプロメテウスに象徴され、原子の力が持続していることとパラレルに人間の歴史は持続しているわけであり、われわれ人間は原子の力から縁を切れない存在なんだと認識することは、大方間違いではないと言えるでしょう。
これも神話が土台なんです。全ては神話が人間社会を覆っているんです。
けして100%正しくないとわかっていても、人間はその方向性を信じるということです。
なぜなんでしょう。正しい答えは私にはわかりません。
その答えを糺すにはかなりの経験が要求されます。しかしそのためには「神」より長生きしなければ答えを得られないでしょう。
私は子供の頃神話という言葉すら知りませんでした。
しかし、なぜか家の中に昭和天皇陛下と皇后陛下の写真が掲げられていた家庭に育ちました。仏壇も和室の一角に堂々と設けられた家庭でした。
毎月お坊さんと神主が家に訪れて、「南無阿弥陀仏」と「かしこみかしこみ」を唱えていました。
私のそばには常に「宗教」の匂いがありました。
しかしそのどちらも私を何かを強要するものとして存在していませんでした。ただ言えることは毎月おとずれる両方の方々への畏敬は培われていたのかもしれません。
いま日本でこのような風習が滞りなくおこなわれているのかどうか、その意味では地方再生が正しい方向性かもしれません。日本の重要な内面性は地方に委ねられていると言い切れるかもしれません。しかしその反対面として都会は現実を担っています。
この役割分担の改革を、はたして日本人は本当に望むのかどうか。
これが日本人の最底辺の問題であり、おそらく誰もそこだけは出しゃばりたくない点であろうと思います。
であるならば、地方再生という旗印は何をかいわんやということになるのですが、あきんどはこう言いたいです。
「やみくもに地方を中央の犠牲にするな。中央は中央でその役割を追及せよ。地方は中央を支える習慣はとっくに身についている。地方を再生するきっかけは中央の土台の地固めから始めないと、地方は潤わないと」
都会に憧れる気分が生まれれば、日本は景気が良くなる指印だと認識してよろしいのではないだろうか。
こんにちわ。今ネットのスカイプで英会話レッスンが受けられる時代になりまして格安で受けられるんですよ(一時間200円ぐらいで)。以前はフィリピン人使ってたんですが
ある会社が東ヨーロッパに目をつけまして、それで私バルカン半島あたりの優秀な人達に英語教わってるんですが、普通にこの地域のこと無知だったし無教養だったんですが、興味がわいたのでネットでざっと勉強したんですが、いやあすごい争いの歴史ですね。こんなとこでよく住んでるなあと思いました。
日本がデフレだとか財政破綻だとかってもうそんなのたいした問題じゃないんじゃないの?ヨーロッパの民族や宗教の問題と比べたら?と思ったりしました。
この間ニュースでイギリスが移民政策やめたいがイギリスのシンクタンクが経済発展させるためにEUから抜けるべきではなくて規制緩和をすすめるよういわれたそうです
それで板ばさみにイギリスはなっているそうです。もう日本も移民政策とかやめてもらいたいですね。実例があるんだから。
移民を入れたら碌なことにならない。在日をみれば、明らかでしょう。
こんな記事を見つけました。
シリーズ 日本で暮らす外国人 第2回 外国人高齢化の現場から
http://www.nhk.or.jp/heart-net/tv/summary/2014-11/05.html
ラオス難民の芝勇祐さん(56)、脳梗塞の母をかかえアルバイト生活 年金も加入しておらず将来が心配―いちょう団地
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1409500751/
西尾氏は、移民を入れたら、いずれは高齢者となり介護の問題が出てくると書いておられましたが、既にそうなっているのですよ。日本語できない外国人を日本人が介護し、日本の社会保障で外国人高齢者を支えるという本末転倒の事態が起きているのです。
群馬県大泉町は、町の15%外国人ですが、外国人の税金や社会保険料の未納や生活保護受給者の増加で、町は深刻な財政難です。外国人が町の財政を圧迫しているのです。
移民や外国人労働者で社会保障が賄えるなどと、お目出度いことを言っている移民推進派は、こうした状況をどうみるのでしょうか?
国際化だ、グローバル化だ、多文化共生だと、外国人をダラダラ増やすと、結果的に日本人に負担が強いられることが実証されたのです。
結論から言うと、日本は既に移民政策に失敗してしまったのです。
「マニュフェスト」ではなく、「マニフェスト」です。
Manifest Destinyをのカタカナ表記は
「マニフェスト・デスティニー」とするのが普通です。
「マニュフェスト・ディステニー」ではありません。
「マニュフェスト」と「マニフェスト」、面白いですね。
時々「シュミレーション」を見かけますね。嘗て勤務した官庁で、私とは全く別の仕事をしてゐる隣室の係長から、表彰状の校閲を頼まれた際これを見つけ、「シミュレーション」と直したところ、「そんな筈はない」と大分抵抗されました。
Manifest様、記事中様、池田俊二様
皆様、ご指摘ありがとうございます。
“mani”は、確かに「マニ」としか読みようがないですね。ここは「天皇と原爆」に倣って「マニフェスト・ディスティニー」とすべきでした。
池田様のお話のように、英語の片仮名表記は奥が深いのですね。
阿由葉さんでしたか。弘法も・・・ですね。
ついでに、もう一つ。
「ディスティニー」は「デスティニー」の方が正統ではないでせうか。今から60年前にこの語を教はつた際、意識して、そのやうに暗記したことを覚えてゐます。
管理人様のお手を煩わせるのも恐縮なので、
記録者である私の無学を晒したいと思います。
ただ、私の手控資料は「天皇と原爆」単行本204頁および文庫本263頁の記述に倣い訂正しようと思っております。
ところで、UCバークレーといえば、原爆開発にかかる「マンハッタン計画」の主導的立場にあったオッペンハイマーは同大教授でした。
「トリニティ実験」という彼のつけた宗教的呼称と、(五)との関連に気味の悪さを覚えました。