夏の近況ひとこと

 夏風邪をこじらせたりして七月は少し困りましたが、さして大きな支障もなく、次々と仕事を発表しています。その中でご注目賜りたいのは『正論』9月号の私の連載の第三章⑥です。ヨーロッパ近世論のさいごで、折り返し点です。

 川口マーン恵美さんとの対談本『膨張するドイツの衝撃――日本は「ドイツ帝国」と中国で対決する――』ビジネス社¥1400が8月7日に刊行されました。

 当ブログで公開されている私の「夏の夜の自由談話」3はこれに符号を合わせ「EU全体が見えないドイツの暴走」です。8月12日放映、13日以後にここに転載されます。
boutyou.jpg

 その前になりますが、8月12日(水)BSテレビ・フジ系20:00「プライムニュース」に出演します。対話相手は曽野綾子さんで、テーマは戦争についてです。

 『GHQ焚書図書開封 11――維新の源流としての水戸学』は一昨日やっと校了になりました。8か月かかった面倒な仕事でした。刊行は8月末です。

 そんなわけで暑くても息が抜けません。近況の一端をとり急ぎお知らせしました。

「夏の近況ひとこと」への7件のフィードバック

  1. 「夏の近況ひとこと」と関係無く、恐縮ですが、実は「日本文化論」を体系しました。日常、京都で調査研究から発表執筆・被災された歴史的山岳寺院様にご奉仕している中村正司と申します。

     先生が『日本文明の主張』で主張されておられる、いわゆる「縄文」の自然(じねん)なるこころを源流とする「信仰思想体系」です。
     目的は、難解な思想論ではなく、日本人一般に判りやすい体系であり、何を学ぶべきか?というが主題です。
     誠に僭越ながら資料を御覧賜りたく。了解いただけましたら本メールアドレスまでご返信お願い申し上げます。

                                 以上です

  2. 養老教授に拠れば、「バカの壁」とは、以下の如き意味である。

    1) 自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断してしまっ
    ている。ここに壁が存在している。

    2) 「常識」=「コモンセンス」というのは、「物を知っている」つま
    り常識があるということではなく、「当たり前」のことを指す。とこ
    ろが、その前提となる常識・当たり前のことについてのスタンスがず
    れているのに、「自分達は知っている」と思ってしまうのが、そもそ
    もの間違いである。

    3) バカの壁というのはある種、一元論に起因するという面がある。バ
    カにとっては、壁の内側だけが世界で、向こう側が見えない。向こう
    側が存在しているということすらわかってなかったりする。

    以上をここに敢えて引用したのは、我が国の歴史学者や歴史マニアの頭脳中
    に、古代東アジア史・日本史に関する「バカの壁」と表現されるべき頑迷固陋
    な虚構の「定説」が構築され、厳然として存在しているが故に他ならない。

    すなわち、彼ら研究者は自分の好み・信奉する定説に拘泥し、自主的に情報
    を遮断している。又、「定説」=「常識」で、「自分達は知っている」と思っ
    ている。しかし、その大前提の筈の「常識=定説」自体に根拠が無く、定説が
    定説足り得ない「ずれ」を理解することができず、その結果、定説の「バカの
    壁」の向こう側に真実が存在することを全く認識できないでいる。

    周知の「邪馬台問題」などは、パスポートなどあり得ない古代に、現在の行
    政区分である日本国家を一元論的中心として歴史を語っていて、三百年以上も
    この巨大な「バカの壁」の内側で不毛な論争に明け暮れている。

    今、ここで改めて言うまでもなく、戦後、歴史は各自が自由な観点に立って、
    自由な研究解釈がなされるようになった。このこと自体は、学問の自由という
    点からすれば、極めて喜ばしい限りと言える。

    その好例が、戦前と戦後の国史に関しての見解である。その見解が全く異な
    ってきたことは誰もが認める事実であり、霊的世界の霊的存在の如き歴史観は、
    最早、誰もが見向きもしなくなった。

    だが、しかしである。そうは言うものの、歴史の自由研究・自由解釈という
    その底流には、かつての権威・アカデミストと称された一部の学者達によって
    打ち建てられた、一元論の極みである「皇国史観」がうごめいているのであり、
    現在まで依然としてその残滓を拭い去ることができずにいることも否めない。

    しかもその残滓的存在にしか過ぎない根本的定説・定見は、自由に歴史を研
    究している人々に何等疑義視されずに自由に研究・解釈されていて、その定説
    定見の存立根拠が問題視され検証されることが全くないように見受けられる。

    と、言うことは、一見自由に歴史を解釈し研究している人々も、逆に眺めれ
    ば、過去の「権威」の打ち建てた皇国史観を引きずり、その残滓上に、その人
    なりの附会をしているに過ぎないと言える。これでは、決して自由な研究・解
    釈とは言い難い。

    言うまでもなく、良くも悪しくも歴史とは、勝者の論理であり、権力の記録
    である。従って、その叙述内容は、当時の権力者、或いは国家体制にマイナス
    になることは書留められず、敗者や一部の少数説は抹殺されるか、或いは隠蔽
    されるのが常である。中世史・近代史・現代史、又、然り。

    一つの例として、1333~4年に始まった「建武の中興」の失敗が、足利
    氏擁立の京都の北朝を天皇家としたのに対し、それは正統に非ざるとして吉野
    方は南朝を擁した。しかし、今日現在、正統とされた南朝の史実は、教育の立
    場からは消滅している。

    又、後年、明治時代に入って、足利尊氏を当時の国家権力者の判断で、反逆
    者・国賊呼ばわりしたが、この件について、京都大学の故・足利惇氏(あつう
    じ)教授は、教壇に立った時、その解釈説明に大変苦労した旨のことを語って
    おられた。因みに足利惇氏先生は尊氏の直統(足利家26代当主)であった。

    又、卑近な例を挙げるなら、敗戦後の国際関係史についても同じことが言え
    るはずである。戦争の真因起因はともかくとして、日本はアメリカを始めとす
    る国連加盟国と戦い、結果として惨敗を喫したわけである。

    終戦後、世界から日本は悪としてのレッテルを貼られ、今日に至るまで、日
    本人は戦争アレルギーに陥り、こと軍事問題に関しては全くと言ってよい程無
    力化されているのが現状ではなかろうか。

    更に又、戦争の悪は日本のみならず、勝者側にも多大に存在するが、そのこ
    とは誰も指摘せず誰からも裁かれずに至っている。故に、歴史とはあくまでも
    勝者・権力者の都合の良い解釈と附会がなされると言った次第である。

    このようなことは何も中近現代史のみならず、古代史についても散見される。
    皇国史観を打ち出すためには、対韓対日史実の解釈位置付けなども、過去の権
    威達や権力者によって、かなり歪曲化され改竄されている節が存在する。

    然るに、近々、韓国や朝鮮の一部の学者の間からは、日本の過去の歴史家達
    が打ち建てた史観史説の中に、その根本的な再検討を迫られている部分もかな
    り存在することが立証されつつある。だが日本側の史家や歴史マニア達は、そ
    の指摘箇所を真摯に受けとめようとせず、相変わらず我田引水的研究をしてい
    る傾向が多いことに疑問が出る。

    具体的に、その指摘されている部分とは、古朝鮮の所在地や、漢帝時の朝鮮
    支配の実体や、任那府存在の有無などがある。

    かつて、韓国国立博物館館長の故・韓柄三先生は、いわゆる百済文化について語った折、現・韓国には残念ながら、百済の遺跡遺物は余りにも少ないが、その解明も今後の考古学の進歩に待つ他はないでしょうと語っていた。

    いわゆる三韓・三国所在地の問題について、我が国で語られている通説が疑問であるということである。又、もと韓国国民大学学長・李鐘恒先生も倭・倭奴国問題に言及され、現状の日本の学者達の考え方では、古
    代の日韓関係史そのものも眉つば物になると…いうことを語っている。

    だが、今日の日本の学者や民間の歴史マニア達は、あくまでも我が国の過去
    の権威の史説に捉われ、彼ら朝・韓の学者達の発言に余り耳を傾けないようで
    ある。つまり、一元的に日本を中心にして対韓・対朝史を語る傾向が根強い。

    今や、過去の権力体制下に打ち建てられた歴史上の誤った定説・定見を、改
    めて再考察を付す時期にきているものではなかろうか。

      因みに、好太王碑碑文中の「倭兵、鴨緑水に満つ…」云々の刻文を、我が国
    定説「倭=日本」という前提で臨むと、四世紀後半頃五世紀代初頭、今日の朝
    鮮半島方面は、日本の兵力が北鮮の地にまで及んでいたことになり、これは誠
    に珍奇なことになりかねない。

    この世紀に日本と高句麗は抗争はしていないのである。この事実なども我が
    国の研究家は、どう釈明しているのであろうか。いずれにしても、過去の御用
    学者が打ち建てた史説・史観の中には、再考察検討を付すべき箇所がかなり存
    在するのではなかろうか。

    なお、蛇足ながら、清朝期の一大碩学・曽 詳(そうしょう)氏の名著であ
    る『文史通義』中の一つの言葉を掲げておきたい。 

       「 古来より中国が伝存する古文献中には、可成りの部分が想像の域をい
    出ざるもの多く、又、政治的要因と絡み合って、散失せるもの極めて多
    きにのぼる。」  

    参考とせざるべからず。

  3. 【 原子力村の大罪 】のこと

    このご著書を、こともあろうに「小出 裕章」なる人物と共著として刊行されております。
    この「小出裕章氏」の経歴を拝見すると、私めと同窓の様です(私めは幸いにも、氏とは違う電子工学科卒)。
    歳恰好からいえば、「教授」と呼ばれても当然かと思うのですが、未だに「京大:原子炉実験所の助教」です。
    この様な御仁と著書を刊行される西尾教授の真意が、全く理解できません。

    原発は嫌いだと主張する「小出裕章氏」は、日本は嫌いだと叫びながら日本に居住し続ける「在日の人々」とそっくりです。

  4. 西尾先生のブログ投稿欄に先生の記事と直接関係ない内容を掲載して申し訳ない次第だが、恐らくは経済や日経新聞とはあまり関係のない仕事をされている方が多いかと思い、勝手ながら絶望的な状況に幾分かの注意を喚起し記録に留めさせてさせていただきたい。サラリーマンが、通勤途上や昼食時に目を通すのは何といっても日経なだけにその害悪を軽視するわけにはいかないと考える次第。西尾先生、ご迷惑ならば退出しますのでご指摘下さい。

    まず、本日の産経新聞の田村秀男編集委員の記事が秀逸である。ファイナンシャルタイムズ(FT)を1600億円(!)で買収した日経は、FTの編集権の独立を保証し、お互いの文化を尊重するとしているが、日本の消費増税実施やAIIBへの日本の参画を促す点において両紙は符節を合しているばかりか、日経が国際金融市場の利害を反映するメディアたるFTに親和し、グローバルメディアFTと同一論調をとる構図は日本の自滅の道ではないかと言うのだ。
    恐らく、日経は大金で買収したFTに喜んで屈していくに違いあるまい。

    その日経が「戦後70周年特集」を一面で始めた。
    経済人というのがいかに低劣で安っぽいかのオンパレードになるだろう。
    ただでさえ日経は、従来からオリックスの宮内義彦に電子版で連載コラムの場を提供し、思い上がりも甚だしいたわけたことを言わせている。以下、同列の内容である。

    1.福井元日銀総裁<8月8日付>
    「日本と中国、韓国。この3カ国の経済規模を合わせると、20年の東京五輪までには米国を追い越すはずだ。東アジアの一角は間違いなく世界最大の経済圏となる。当然、安全保障や経済における責任も増してくる。歴史認識の問題など困難な課題もあるが、新しい世界経済のリーディング役としての課題を、きちんと果たせるようにすべきだ。交流をもっと密にして、お互いの役割を共有する。実際の課題を話し始めれば、中身も深まっていく。」
    いかにも柔和・上品な温容だが、現職の日銀総裁として村上ファンドに出資していた事実は、西尾先生も強く批判されたことはご存知の方も多いだろう。

    2.稲盛和夫京セラ名誉会長
    「私が終戦を迎えたのは中2の時で、住んでいた鹿児島市は連日の機銃掃射で文字通り焦土と化した。通っていた中学校も終戦の直前に焼け落ちた。戦争の悲惨さを身をもって知る人間として、私たち日本人は『耐える勇気』を持たないといけないと思う」
     「日本の守りをどうするか喫緊の課題だが、やはり専守防衛に徹すべきだと思う。専守防衛に徹して、平和を愛する日本民族に牙をむく国はそうはないだろう。最近の安保法制の議論などを聞いていると、『耐える勇気』よりも『一歩前に踏み出す勇気』のほうがまさっている感じがして、先行きを危惧している」
    名経営者になりおおせて何冊も本を出しているばかりか、中国では「尊敬」されていて現地で歓迎を受けたりしている。松下幸之助や本田宗一郎に比べるべくもない、当節の経営者どもの馬鹿さ加減、思い上がりが、今のサラリーマンに見えているのだろうか。
    民主党政権下JALの建て直しに入り上場させた裏に何があったか、西田昌司参議院議員が当時雑誌に書いていたが、政権復帰してからはどうなっているのだろうか。

  5.  国際政治問題について、日頃われわれ日本人の関心は、まず中韓、アメリカ、せいぜいロシアにあり、EU、そしてドイツのことは、概念的に知ってるようでいて、そこで本当に起こっていることには詳しい報道、分析もなく、ひとそれぞれのやや旧い固定観念から逸脱することがあまりありません。
     本書はその意味で、EU、ドイツ、その周辺の現実が現在進行形で描かれています。本書ならびに本書でしばしば引用されている、エマニュエル・トッド、堀茂樹訳「『ドイツ帝国』が世界を破滅させる―日本人への警告」(文春新書2015年5月)を併読すればいまのドイツがいかに巨大なパワーを持ち、そしてその存在がヨーロッパのみならず全世界に影響力を及ぼし、今後世界のいま一つの攪乱要因になるんじゃないか、ということが理解できます。
     ドイツは過去、ハプスブルク家による神聖ローマ帝国、ビスマルクやウィルヘルム二世のドイツ帝国、ヒトラーの第三帝国をもって欧州に君臨しました。しかし神聖ローマ帝国はナポレオン、その後の二つの帝国は、連合軍によって消滅させられました。そしてドイツはいま「戦後を終わらせ」、四度目の覇をとなえようとしています。そしてそれは成功するのでしょうか?
     ドイツが「戦後を終わらせ」ることができた、ということは言葉を換えれば仕掛けられた「歴史戦」に勝ったということではないでしょうか?第二次大戦が終わって「冷戦」がはじまりました。冷戦はレーガンのアメリカの勝利と言われていますが、ソ連崩壊の前に、西ドイツは東ドイツを統一し、一部を失った東側という「樽」はあっという間にタガが外れ、ソ連はなくなりました。経済的に莫大なコストを支払いましたが、ドイツも冷戦の勝者といえると思います。統合によって復活したドイツは、並行して仕掛けられていた「歴史戦」でdefamationプロパガンダのいっさいを無視し、すべてをナチスの悪業におしつけて、謝罪することもなくこの戦いにも勝ちました。
     一方、歴史戦の渦中にある日本は悪戦苦闘、内部にも「敵」をかかえ、泥沼にあえいでいるように見えます。日本ではもともとこの戦争の準備が出来ていませんでした。これが「戦い」である、という意識も、近年、中国の尖閣諸島水域の侵犯、韓国のアメリカにおける慰安婦像設置の動きを目にするまで、育ってはいなかったように思われます。ドイツの戦い方は道義的には決して正攻法ではありませんが、その「したたかさ」には脱帽したいです。日本の前途は遼遠ですが、辛抱強く対処しよう、というしかありません。
     タイミングの良い好著、有難うございました。
     

  6. プライムニュース見ました。
    正確な歴史認識と事実に裏打ちされた歯に衣着せぬ率直かつ勇気ある発言。連日の猛暑が今夜ばかりは夏日をも下回った理由を理解しました。
    日本を心の底から心配されている気持ちが良く判る討論でした。
    勇気を頂きました。ありがとうございました。

  7. 「反省、お詫び」いったい誰(何処の国)に向かっての談話なのか、戦後70年、その相手国とは中国と韓国だけと気づかないわけではないでしょうに(怒)

    談話など出さないほうが良いと思っていました。そして、安倍さんには靖国参拝をして頂きたいと。今の国際情勢を考えるとき70年の節目にはドンピシャリではなでしょうか。

    曽野綾子さんが「平和」という報道に今年ほど嫌悪感を覚えた年はないと仰っていましたが、これにも共感しました。

    蒸し暑い夏の夜にすがすがしい気分になれました。

Apeman にコメントする コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です