「真夏の夜の自由談話・3」への6件のフィードバック

  1. あきんどです。

    このビデオほど政治的な意味で、以前に危機感を感じたものは正直ありません。
    ある意味ドイツの現状を知ることによって、世界の「現実の流動性」を知る思いでした。
    何か不穏なことの始まりが、遠くアジアに居ながらも感じ取れる「時代」を迎えてしまった・・・と、表現すべきでしょうか。

    ご専門の方々にはすでに承知の出来事なのかもしれませんが、我々一般人には、ドイツの現状がいかに危機的な事象かなど、考える余裕すらありません。
    しかし、かろうじて私はここ15年に及んで、西尾先生の考え方や思想を、自分の中に組み込むことを人生の支えとしてきました。
    そのことで今回のこの事態がいかに危機的な状態であるかということが理解できます。
    大げさな話ではなく、だれも予想だにしない「津波」が、日本にいつか押し寄せる可能性の高さを示すものだと言えます。

    アメリカが及ぼす危機感というものが、とりあえずは論壇では共通認識になりつつあるなか、本当の起爆剤はどこにあるのかということが、もしかすると現代の論壇にも示されないのが現状なのかもしれません。

    つまりドイツは現実的にこれ以上「我慢」ができない状態になっている。それに関連してフランスやイタリアはドイツの不満を以前もそうだったように、何も言えずに流れに巻き込まれる運命の配下に落ち込まれるのかもしれない。

    とても危機的な状態が先進国の中で進みつつあるこの時代。
    そんな中、日本は近隣諸国との摩擦には意識が及んでいるが、まさかEUでそんな事態があることなど、ほとんどの国民が認識しないでしょう。

    昔はもっと情報が限られていましたが、しかし「情緒」というものは今よりも高かったのではないかと想像します。
    では現代はどうでしょう。「情緒」というものが「死語」になりつつある時代ではないですか。妙な個人主義がはびこる現代で、いかに国家的危機感というものが生まれるのでしょうか。
    私はここに一番危機感を感じております。「国家」というものすら何か国民に定着していない今の時代。そんな我々の認識に今弱いながらもドイツから「津波警報」が届いていると認識すべきではないでしょうか。
    怖いぐらいに人間は「現実を認識することが不得手」だという現実。

    東北の地震の際も、わかっていながら津波の警報を無視する人間感情があります。いかに我々は「無知」か。腹立たしいくらいにそれがいざという時にも存在します。多くの現状をもう一度ご確認ください。ほとんどの被災の犠牲者は、現状把握がないことに起因しています。

    そんなことに意図的に結び付けようとは思いませんが、人間なら生きている間、同じ時代に生きるもの同士として、危機感に対する認識は、同じくしたいというのが普通ではないでしょうか。

    かなり話題を変えますが、先日我が家である事情があり、家の中の大整理があったんです。その際、出てきたものの中におふくろが所有する「和服」に関するものが多々ありまして、おふくろはそれを整理したい気持ちがありながらも、なかなかそれを決断できないわけです。
    しかし私の妹が「どうせ着ないのなら処分したら?」と促すわけです。
    それでもおふくろはそれを気持ちよく受け入れることはできない様子で、しかたがなく妹は「じゃぁ、うちの娘にもらってもいいかい?」と尋ねると、「あぁ、いいよ」と言うんです。

    失うことはどうしても許すことができないながらも、それがどこかで生かされていることが認識できれば、人間というのは何か納得できる認識を、この世に生まれるときから組み込まれている、暗黙のDNAなのかなと思ったりします。
    ところがその想いとは真逆に、そのことを正当化するための真逆な観念も持ち合わせているのではないかと思うわけです。
    何を言いたいかというと、全体を把握していることは明らかながら、いざというときそれが人間の奥底にある、なにかは理解できない複雑な個人主義が存在するのではないかと思うのです。

    理解していないという前提は、ある程度そこには強い意味で何かが影響を及ぼしているのだろうとは思うんですが、それとは別に、危機的状況の中にありながらも、人間というのはその危機的状況に負けていられないという本能があるのではないかと思うのです。
    そんなことが色々絡んで、「死」というのは確定されるのかもしれないのかなと、感じる次第。

  2. 前文が言葉足らずな感じがしますので、捕捉します。
    要するに、わかっていながら現状がわからないというケースがあまりにも多いというこを言いたかったわけです。

    しかし、わからない現実の背景には、平常ならば色々理屈がつけられますが、いざというときはそれが通用しません。
    でも、よくよく考えてみると、いつの時代でも、いつの時間帯であっても、「いざ・・・」な中に生かされているわけです。

    平穏な時こそ危機感が備わっていなければならない・・・ということではないか。

    やばったいほどに当たり前すぎて、言葉に表すことがはずかしいわけですが、でも「津波」は突然来たように、時代の運命も突然訪れると言えるのではないか・・・と言いたいわけです。

    そういった危機感というのは皮肉にも個人差があるというのが、東北の被災を例にしても現実的であり、とにかくどんな立場であっても、人間が常に考えなければならないこととして「生」と同様に「死」も同じ扱い方をされなければ、人間の本当の生きる価値は語れないのではないかというのが、私の意見です。

    そして、付け加えるなら、政治的事象というものは、人間の「知能」で変化が可能だということ。
    「津波」のような絶対運命ではないということ。それを混同しないようにする意識も、人間には求められているということ。

    あまり難しく考えることなく、今我々が意識しなければならない物事に、垂直に対処したい。

    そういう国民意識もけして珍しい現象ではないと想像する。

  3. 西尾先生のビディオ・レクチュア聴いてて
    本当に今何らかの危機に向かって
    世界は加速しているんではないだろうか。

    EU構想は一見夢のようなユートピアだったが
    今日の混乱予見はさすが鋭い。

    中国のことは「古森義久&石平」の近著拝読していると
    「あの国もすでに破綻要素評。
    とすれば13億の民の向かう先は。
    その前に共産党政権主導の起こってはならないことが
    しかけられる可能性も想起しておかなければならない。

    日本は確かに国家として今のところ最小単位は
    幸運と言えようが国内でさまざまな勢力。
    その中には親中、朝鮮・韓はもとより共産思想も根強く。

    足の引っ張り合い議論してる場合ではない。
    アメリカとの防衛構想・関係は70年前のままで
    ないことは確か。
    安倍首相は今回の70年談話(素晴らしく練られた文章)も
    含め何らかのものが見えてるんだと思う。

    ほんに真夏の夜の背が凍るような・・迫力あるMr西尾の
    怪談以上の動画up。

  4. EUの現状がよく分りました。
    (ドイツを責任主體とする)強力な統一國家になるか、それとも解體
    するかどちらかしかないが、多分後者だらうとの西尾先生のお言葉に十
    分納得し、ほつともしました。
    そしてユーロは崩潰し、マルク、フランが復活するだらう、ギリシャ
    でも舊通貨ドラクマに戻り、一時は猛烈なインフレで紙屑のごとくなる
    かもしれないが、やがては、その安さが觀光客を呼び、觀光を最大の産
    業とするギリシャ經濟は持ち直すだらう。フランスもフランに戻れば、
    切り下げが出來て、(一時は生活水準が落ちるかもしれないが、)産業
    は復活するだらう・・・etc。いづれもよく理解できました。
    問題はマルク安によるドイツの一人勝ちにある。工業製品を賣りまく
    つて大儲けをしてゐるドイツが、(種々の不始末により)マルク安に貢
    獻してくれてゐるギリシャに嚴しく當るのは間違ひだ。ドイツは、おか
    げを被つてゐるギリシャに感謝し、儲けの一部を割いて、その救濟に全
    力を盡すべきだ。昔のマルクに戻ればたちまち暴騰し、さすがのドイツ
    産業も竸爭力を失つてポシャるに決つてゐるからだーーこれも、至極ご
    もつともです。
    EU域内の、人の自由な移動を認めた、しかし國家主權は、それぞれ
    の國にある、この點が矛盾の根本原因でせうね。
    ギリシャ人の年金は高過ぎる、あんな怠け者どもの面倒を、何故我々
    がみなければならないのかと考へる(そして、通貨安の恩惠は考へない)
    ドイツ人の氣持は分ります。
    國家が竝べば、それぞれのエゴイズムがぶつかり、かういふ状況にな
    るに決つてゐる。西尾先生がそれを夙に見通してをられことは明かです。

    岡倉天心の『アジアはひとつ』について、嘗て福田恆存は「『ヨーロ
    ッパはひとつ』といふ事實ほど私にはぴんときません。どこかむりなと
    ころがあります。ヨーロッパのばあひは歴史にささへられた既成事實で
    すが、アジアのばあひは強ひられた觀念、あるひは願望にすぎません。
    アジアがひとつだつた歴史はないのです。すなはち、ヨーロッパがひと
    つだといふ事實にたいして、その對抗上の觀念としてもちだされたもの
    であり、その發生において、すでにヨーロッパがひとつであることを前
    提としてゐるのです」「日本は『アジアの孤兒』なのです。さうなる心
    配ではない、現實にさうなのです」と評しました。私はこの言葉にずゐ
    ぶん教へられたつもりです。
    そして、バラバラの現實に氣づかず、甘い幻想に捉はれて來た我々日
    本人のことが情けなく、あはれに感じました。明治以來どれだけの人が、
    この幻想に醉ひ、踊つたことでせう。隣家の、士官學校出の、元陸軍少
    佐が私の父と酒を呑んで、日中共同市場の構想などを語つたのは、私が
    福田の説に接する少し前だつたと思ひます。隣室で聞いてゐた私は、こ
    のロマンティックな夢に反感を催さなかつたと思ひます。
    自身がいぢらしいのと同時に、私はヨーロッパが羨しかつた。彼等
    には共通のバックボーンがある! 西尾先生の『ヨーロッパの個人主義』
    や『ヨーロッパ像の轉換』を讀んだ時も、彼地と我が國の違ひを痛いほ
    ど思ひ知りましたが、「アジア」などといふ觀念は、毫も念頭になかつ
    た筈です。

    しかし、さうはいつても、簡單に「ひとつ」になれるものではない。
    向うさんだつて、さうさううまくいつてゐるわけではない。あまり高尚
    な感情ではありませんが、冒頭、先生の御託宣に對して「ほつとした」
    と申したのは、その意味です。

  5. 〈訂正〉拙文11行めと12行めの「マルク安」は
    「ユーロ安」の誤りでした。訂正させて下さい。申
    し譯ありません。

  6. EU最大の懸念は「移民」=経済・失業上回る
    http://www.jiji.com/jc/zc?k=201508/2015080200017

    移民危機で分断されるEU、東西の反目深まる
    http://jp.wsj.com/articles/SB11231315501785473630904581180122789746888

    ドイツへの難民80万人と予測 昨年の4倍、公正分担訴え
    http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2015082001000732.html

    難民:欧州へ、うねり止まらず…マケドニアで警官隊と衝突
    http://mainichi.jp/select/news/20150824k0000m030051000c.html

    最近の記事を集めてみましたが、欧州全土が流入する移民や難民で混乱し、EU崩壊も現実味を帯びてきたと思います。
    ギリシャの隣国のマケドニアでは、遂に政府が国家非常事態宣言を発令し、軍隊を投入して、難民を阻止するために国境閉鎖に踏み切りました。もしかすると軍隊による発砲事件が起こり、大勢の死者がでる可能性も出てきました。
    この状況が続けば、大規模な紛争の導火線になるのではないか?との懸念が消えません。古来より移民や難民、外国人労働者問題が戦争の引き金になった実例は多くありますから。
    毎日のように移民や難民の問題で苦悩する欧州の現状が報道され、厳格な移民制度を行っているシンガポールですら移民が社会問題化しているのにも関わらず、執拗に移民受け入れを主張する者たちは何なのでしょうか?
    無知でも馬鹿でもありません。移民を入れて日本の国体を破壊し、日本を日本でなくし、日本人を日本人でなくすことを目論む確信犯であるに違いありません。

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