坦々塾生出版のお知らせ(1)

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渡辺望さんご自身による紹介文

 この『大東亜戦争を敗戦に導いた七人』と『未完の大東亜戦争』の二冊の本の依頼をいただいたアスペクト出版さんは、パソコン関係で有名なアスキー傘下の総 合出版社ですが、最近は歴史・政治関係の書籍に進出していて、特に佐藤健志さん、倉山満さん、古谷通衡さんといった若手の保守系評論家の本を次々に出して います。「今までとは違う保守系の本」をつくっていきたい、ということです。私への依頼もこの流れの中でのことでした。
 
 まず一冊目の『大東亜戦争を敗戦に導いた七人』ですが、大東亜戦争の戦後七十年、何を考えなくてはいけないかという問題意識から書いています。戦後「七十 年」の前は六十年、五十年が論壇や政界で大きく問題になったし、そして「七十年」の後は百年、百五十年ということが待ち受けているでしょう。私などからするとこのような果てしない時間的儀式の繰り返しは、はっきりいって徒労感をおぼえる。たとえば「戦後」ということなら、日露戦争にも戦後ということはあるけれども、日露戦争の「戦後」は少しも問題にならない。日露戦争の終戦戦勝記念日である9月5日を記憶している日本人がどれほどいるでしょうか。
「敗戦」ということがこの大東亜戦争の戦後の果てしない時間的儀式と関係があるのでしょう。国際法規が戦争状態を規定し、また大東亜戦争の戦勝国がその前後でさんざんに戦争を引き起こしている現実からして、「開戦」ということ自体には歴史的に何の犯罪性も問題性もないことは、多くの日本人はわかっているはずです。また戦争法規違反という中韓を中心とした日本への戦争責任追及にしても、彼らが証拠をでっちあげていることが多々あり、こうした「犯罪を偽造する犯罪」は、刑事法規の世界では虚偽告訴・誣告の罪といって、たいへん重要な罪なんです。つまり中韓などの国は「戦争犯罪を虚偽した戦争犯罪」法廷をつくらなければならないようなことをしているわけです。要するに、平和主義勢力
や中韓国家の言うレベルでの戦争責任は逆立ちしても成り立つわけがない。成立するとしたら、それを受け入れている日本の現実が逆立ちしているのです。
   
結局、「敗戦」ということについて、日本国民自身がそれを導いた日本人を歴史法廷に訴える、ということのみが「戦争責任」だということになるわけです。このことが明確化されないまま、いや明確化されないからこそ、「戦後~年」の儀式は延々と続いてしまうことになっていると思います。同じ「敗戦」でも、たとえば七世紀の白村江の戦いでの大敗では、開戦を主張した斉明天皇や中大兄皇子らの「開戦責任」は少しも問題にならず、敗戦責任を日本の統治機構のシステムの不備にあるとして、律令制度の確立と整備をおこないました。以降、律令制度は形骸化の時期を含めて約1200年の長きに渡り日本を拘束しますが、やはり白村江の「敗戦」、敗戦責任の記憶の拠り所がそこにあって、律令制度を見る度に敗戦を克服できたから、という視点も可能だと思います。いずれにしても七世紀の日本人の方が、二十世紀・二十一世紀の日本人に比べて、遥かに明晰に「敗戦」と「戦争責任」に向かいあうということができていたのではないでしょうか。
 
 ただし、七世紀の日本人は、「誰それに敗戦責任がある」というような歴史法廷の場まで持つことはありませんでした。その時代の日本は大人すぎたといえるかもしれません。その感情の蟠りのようなものが、その後しばらく、壬申の乱その他の陰惨な政治劇を生み出した面があると思います。七世紀の白村江の戦いと二十・二十一世紀の大東亜戦争の二つの敗戦の両方に欠けていた「歴史法廷」の場を大東亜戦争に関してつくり、「戦争責任=敗戦責任」の所在とそれを有する歴史的人物を明示することを本書の課題とした積りです。山本五十六、米内光政、瀬島龍三、辻政信、重光葵、近衛文麿、井上成美を「敗戦責任者」とした人物選択と敗戦責任の内容については、この紹介文では省かせていただきたく思い
ます。
 
 

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