謹賀新年(2)

 また一年が経ちました。皆様にはいかゞお過ごしですか。

 最近私は時事評論が書きにくくなりました。経済が世界を動かし、政治以上に政治であるようになり、従来保守の普通の感覚で国際政治は語れません。

 経済と政治の両方を見て書いている人に、田村秀男氏、宮崎正弘氏、藤井巌喜氏、三橋貴明氏、渡辺哲也氏等がおり、私はいつも丁寧に拝読しています。政治のことだけ言っている人は、なぜか現実の半分しか語っていないように思われてなりません。

 ですから私も両面のリアリティを語りたいと思うのですが、これが難しい。難しいだけでなく、自分の柄にも合っていない。やはり私は人文系で、人間にのみ関心があり、数理の世界は苦手です。

 経済は本当に分らない処がある。シティとウォール街はつながっていて、イギリスはアメリカの永遠の同調者だと思っていたら、中国をめぐる対応が余りに違う。金融が政治を支配しているのは間違いないが、金融と政治とは別ではなく、金融の動きが政治なのです。さりとて金融はよく言われるように果して国家を超えているでしょうか。

 国家の果す役割は小さくなったと語る人がいますが、世界はいぜんとして国家単位で動いています。EUが壊れかけてからますます国家中心です。冷戦時代の方がむしろ今よりグローバリズムでした。ことに日本は国家中心で考えないと、どうにもならない唯一性に支えられています。

 「西欧の没落」(シュペングラー)が出て100年近くですが、西欧は没落なんかしていません。私見では、1600年代初頭に「海」のグローバルな秩序を西欧が抑えることに決し、たゞし東アジアは圏外に置くとした認定が300年つづいたのです。そして二度の戦争でこの認定は排されました。「圏外」はなくすということになったのです。今もこれがつづいています。イスラムとロシアが抵抗していますが、日本は抵抗をやめました。冒険を捨て安全を選んだのは、独自性を捨て凡庸性を選んだのと同じことです。

 それでいてあき足らないものがある。そこで何かと日本の文化、日本人らしさ、和風を主張する声があちこちに聞こえます。ラグビーやノーベル賞をよろこぶ一方で、日本の技はこんなに素晴らしいと賞めちぎるテレビ番組が氾濫しています。なぜか自然に日本文化が主張されているようには思えません。いったん世界性という凡庸な価値観をくぐり抜けた「和」の再評価、つくられた偽装の自己主張のようにみえてなりません。

 今の若い人風にいえば日本は「可愛いい」国になりつつあり、なろうとしているようにみえます。オリンピック競技場のデザインも例外ではないでしょう。やはり17世紀以来の特権、地球上の特別指定席、秩序の圏外に置かれた枠を廃止されたことは大きい。自分で新しい秩序をつくろうとしましたが失敗し、圏内に押さえこまれてしまったのです。

 アメリカのことを言っているのではありません。欧と米を合わせたキリスト教文化圏のことです。ロシア(ギリシャ正教)とイスラムは抵抗しています。中国も抵抗しています。たゞし中国は昔の日本と同じやり方で一つの圏を守り、新しい秩序をつくろうとしていますが、いつも世界の評判を気にし、アメリカ方式の模倣に走り、「可愛いい」日本が出すだけの文化の魅力、独自性を発揮することにもなりそうにありません。時代遅れの軍事パレードが古い世界システムの追認以外のなにものでもないことを明かしました。これでは支那文化の主張にはなりません。視野が狭く、心が共産主義以前のままに閉ざされているのです。

 それならば日本は世界に先がけて既成の秩序とは別のもう一つの独自な花を咲かせることができるのでしょうか。「可愛いい日本」を打ち破れるでしょうか。

 独自性は特殊性とは違います。例外的であることではないのです。外の世界との違いに気づいて、自分をあらためて発見するのは良いことでしょうが、違うにこだわるのは独自性の発見ではありません。独自性は特異性ではないのです。

 世界のルールや物指し(尺度)に反することは愚かなことですが、かくべつ異をてらわず、活動や努力をしつづけているうちに、それが世界のルールや物指しの中に数え入れられるようになっていることが独自性ということでしょう。日本にはそういう事例がすでにいくつもあると思います。具体的に何がそうであるかは敢えて言わないことにします。

「謹賀新年(2)」への9件のフィードバック

  1. 私は何の気なしに昔の先生の書いた本を読み返すのが大好きで、今も実はその最中なんです。
    私はどちらかというと、先生の「精神性」を語る本を好んでいますが、その理由は、自分がいつもHNのごとく、売り買いに没頭する毎日だったからでしょう。そういう人間は私に限らず、多分普段の生活リズムに程遠いものを読みたがると思います。
    その意味で、私が先生の書かれた本の中で、特に気に入っているのが「人生の深淵について」です。
    しかしですが、先生のご著書にはまだまだ数限りなく広い分野で作品がございます。
    それはまるで、満天の星のごとく、あたかもギリシャ神話にも劣らないがごとく、存在します。そしてその数々の作品が、すべてつながりを持っている。これはまさに現代版ギリシャ神話ではありませんか。

    私は時々思うのです。
    もしもニーチェが今の時代に生きていたら、彼は病弱な身体をおしまず、西尾先生に会いに日本に来るだろうと。

    歴史的にそういう夢のような「仮想」というものが、読者にはあります。
    しかし、ニーチェも西尾先生も、本当のところ読者に望んでいることはそういうことではない。
    それを大胆にも私は仮想しました・・・次のように。

    「諸君、なにをためらっているんだ、何にくじけているんだ、自分をもっと社会の犠牲にしてみたらどうだ。自分を自分でうち破れ。そのやぶれた身体を見ている抜け殻になった自分こそ、実は本当の自分なんだ。
    自分に真実なんか存在しない。たくましい自分は常に変化に俊敏で、本当の自分はそんなに器用な生き物ではないことを知るがいい。抜け殻になった自分が、どれだけ不器用か知るがいい。しかし、皮肉にもそれが本当の自分なんだ。どんなに落ち込んでも、自分以外の人間を可愛がることができないように、自分はやぶれそうな抜け殻さえ大事に扱う。
    自分はみじめなほどかわいいし、にくたらしいのだ。この矛盾は自分にしかわからないのだ。
    ライオンに噛まれた蛇が、頭だけになってでも生きようとするのを、それが普通に当たり前に見えるくらいの生き方をしてみるべきだ。考えることが可能な部分が残されたことに、生きる勇気をみつけることができるとはこのことだ。噛まれた蛇は放たれた自分の身体がライオンの胃の中に納まっても、自分の頭だけは自分の側にあることの現実を「悦」に受け止めるのだ。」

    ちょっと大胆な文章でしたが、私はこんな風にニーチェと西尾先生の人間性を想像しています。

    多分かなり当てが外れているとは思っていますが。

  2. 初めまして。
    私はニューオリンズに住む松村敬史と言う36歳のニューオリンズに住みバーボンストリートで音楽を演奏しながら生計をたてているものです。

    西尾様の大ファンで国民の歴史やヨーロッパの個人主義、江戸時代の本居宣長までの思想体系や水戸学と国体論を興味を持って拝読させていただきました。

    ニューオリンズには第二次世界大戦の博物館があります。これはかなり巨額を投じて建てられたものです。

    それで、居ても立っても居られなくてここに駄文で私には学もなく変な日本語で恐縮なのですが、コメントさせていただきます事をお許しください。

    大東亜戦争の大規模な展示がやっていると言うので行ってきたのです。

    中国進出から終戦まで、
    相変わらず想像通り、昔の日本はまるで人道主義の通じないイスラム国かの様な描写がされていました。

    そこではまるで帝国軍人の方たちが中国や南方、フィリピンで現地人にひどい事ばかりしたみたいに書かれていて、有名な中国人の赤子が鉄道に置かれている捏造写真やその他の映像もまことしやかに展示されていたのです。

    想像通り、日本は悪漢だから無差別爆撃と原爆を落とさなければ言う事を聞かなかったと言わんばかりの弁証法が洗脳のごとく豪華な映像効果と共に使われていました。

    だから、私は彼らは日本は南京と慰安婦を認めろという事に繋げていて、アメリカも自分達の名誉の為に少しでもそういう材料を手放したくないんじゃないか?と思わざるを得ません。

    一部の人達が、日本軍はそこまで悪くなかったんじゃないか?と言って保守と言われる人達が馬鹿騒ぎをしていますが、私は彼らは反省などしないと思います。

    現実は飲み屋なんかに行くと、そういう所で会うアメリカ人達は、一般的な知識があるのか?ヨーロッパなどにバッシングされてちっちゃくなって日本を観て恥ずかしくなっているかの様な印象すら受けます。
    みんな口癖の様に、世界でアメリカが好きな国はもういないと言っています。

    しかし、実際には未だにアジアの一部の国の様に、日本が戦争に負けた事を餌に、私たちの先祖伝来のの文明を無視され、捏造映像まで使って凶暴なインディアンか未開人の様なレベルに格下げしているのです。

    まだ、唯一の救いはアメリカ含む連合国の日本人に対する人種差別プロパガンダがひどかった事の指摘と、日中戦争は天皇陛下が望んだ事ではなかったと言う指摘がされていたところでしょうか?

    最後の展示室は、民間人を巻き込んだ無差別爆撃と原爆。
    その制裁が下され、日本はアメリカがデザインした良い国になり世界が平和になりましたとさ。と言わんばかりです。

    こう言うのを見ると日本の親米と反米、右翼と左翼のバランスが私の様な素人にはわからなくなります。
    しかし、一つはっきりしているのは、この展示を日本で見て喜ぶ人達は、親米左派か兵器や戦略に興味がある人達ぐらいだと思われます。

    小林秀雄の、利口な奴は反省すれば良いが俺はしない。と言ったどころのレベルではないのを痛感させられました。

    ちなみに、お客さんたちの感じは全くファッション性の無い白人の中産階級かそれより少し下ぐらいのかたい感じの人達が多かったです。

    今の時代、こんな内外問わずお金にしか動かされない政治家達を見ているからこそ、西尾様の意見が重たいです。

    本当に今の時代こそ日本の立ち位置がしっかりしていないといけないとますます実感致します。

  3. 経済も人間の行動であるのだから、同じように関心を持たなければならないのでしょうね。そして先生はしっかりとそうしたスタンスで読者をエスコートして下さっていますよ。
    しかし、金融家も起業家もやはり人間でしょう。政治家もそうでしょう。それ故の愚かさ哀しさは、庶民とどれだけ違うものなのでしょう。

  4. 先生の「かくべつ異をてらわず、活動や努力をしつづけているうちに」というフレーズが、私にはたいへん示唆深く感じられます。

  5. 大きい話ですね。確かにロシア、イスラム、中国は欧米の価値観とは違う世界に住み易く、帝国主義時代と違い、欧米への服従を拒否して行くでしょう。といって4者のいずれかが世界的覇権を唱え握る事も出来ないでしょう。
    王道は4者が互いに敬意尊重し合い共存共栄を図る事であり、力を持ちながらそれを成し得る者がリーダーと成るでしょう。勿論、覇道争いの興亡も伴う事でありましょうが。
    日本はどうなるのでしょうか。覇道争いに踏み潰されない力を蓄えながら(だから九条改憲が必要なのです)、独りでも王道を歩んで行く(だから九条以外の改憲は必要なし)覚悟が必要でありましょう。

  6. 「經濟が政治を動かし、政治以上に政治であるようになり」ーー
    私にはよく分かりませんが、そのとほりなのでせうね。かなり前、
    先生が雜誌にお書きになつた論文のチャッチコピーに「經濟が分
    からなくて政治が分かるか」といふやうなことが記されてゐたと
    記憶してゐます。
    先生が坦々塾塾頭とされて、この新年に我等塾生に賜はつたお言
    葉に「日本が安い國になつた」とありましたが、これは、實感が
    籠つてゐるだけではなく、現在の我が國のありやう全般について
    の、的確な評言でもあると思ひました。
     ※          ※
    昭和29年の春、私は岡山縣の玉野市で中學2年を了へ、春休み
    の旅行に、福岡の長姉のうちを訪ねました。東京の大學の3年を
    了へて歸省してゐた次姉も一緒でした。
    長姉の旦那は34、5歳だつた筈ですが、我々に爲替のことを語
    りました。基地の多いところでしたから、アメリカ兵の月給が話
    題になつたのでせう。「二十歳くらゐの坊やが15萬圓も取つて
    ゐる」と義兄は言ひました。そして續けました、「一晩に5千圓
    なんて、どんなに飮んだり食つたりしても、使へるわけがない」
    ーー義兄のこの言葉は印象深く、忘れることはありませんでした。
    勿論、「飮み食ひ」など未だ知りませんでしたが、5千圓とは途
    方もない大金で、アメリカといふ國は桁違ひに金持なのだと感じ
    ました。
    義兄は、更に「これといふのも、爲替相場がいけないのだ。1ド
    ル=360圓なんてをかしいよ!」と腹立たしさうに、口惜しさ
    うに言ひました。因に、義兄自身の月給はいくらだつたのか知り
    ません。一萬5千圓くらゐだつたのでせうか。とすれば、一晩の
    飮み食ひは500圓です。
    ※          ※
    義兄の言葉は屡々思ひ出しましたが、爲替相場の問題について深
    く考へることはなかつたので、圓の安さのせゐで輸出がどんどん
    出來るといふところまでは、理解してゐなかつた思ひます。ただ
    「安い國」については存分に實感しました。アメリカ兵の腕にぶ
    ら下るパンパンを見る機會はさうはありませんでしたが、そんな
    ものを俟たずとも、見るもの、聞くものすべてが安つぽかつた・
    ・・。
    ※          ※
    昭和30年の8月、高校1年生の私は、母と共に上京しました。
    2學期から、東京の學校に轉入するためです。4月に大學を卒業
    して銀行に就職してゐた次姉の下宿に、母と共に同居しました。
    姉の月給が一萬圓にほんの少し足りないことを、姉と母の會話か
    ら知りました。そして姉を「一萬圓未滿」と呼びました。飮み食
    ひなら、一晩333圓です。
    ※          ※
    昭和54(1979)年、初めて海外旅行に出かけ、ヨーロッパ
    5ヵ國の繪葉書的な名勝を廻りました(招待。小遣ひだけ自費)。
    小遣ひ30萬圓(その額ははつきりと覺えてゐます)は$に替へ
    て持つて行つた筈ですが、そのレートについての記憶がありませ
    ん。ただ1ポンド=700圓は覺えてゐます。學校では、1ポン
    ド=1,000園と習ひましたので、ずゐぶん圓は高くなつたな
    と思ひました。日本も強くなつたものだと、いい氣分でした。
    勿論、その何年か前のニクソンショック以來、圓が強くなれば不
    利なこともあると、テレビや新聞から教へられる程度には知つて
    ゐましたが、基本的に喜んだことは間違ひありません。
    ※          ※
    昭和57(1982)年にアメリカを旅しましたが、この時は1
    ドル=240圓臺でした。たしかその少し前には1ドル=170
    圓臺だつたのではないでせうか。レーガンのドル高政策とやらに
    よつて、急に變つたのです。氣分の問題だけではなく、實質的に
    もかなりの損失感がありました。そして、「強いドルは強いアメ
    リカの象徴」といふレーガンさんのお考へは結構だが、こちらも
    強い日本でありたいのにと少々殘念でした。
    その後、平成8年まで、30囘ばかり海外旅行に出ましたが、圓
    について悲哀を感じたのは、この時だけでした。あとは愚かしく
    とも、強い圓でしあはせでした。なほ對ポンドレートは旅行の度
    に上りつづけ、700圓で始まつたものが、最後の頃は、120
    圓臺にまでなつてゐたやうな氣がします。殘念ながら、ユーロに
    替へたことはありません。

    ※          ※
    更にその後久しく、圓高、デフレといふことが叫ばれ、私も全く
    無關心といふわけでもありませんでした。かう圓高では、輸出産
    業は・・・などと人竝なことも考へました。安倍さんが再登板し、
    アベノミックスとやらを打ち出した時も、必ずしも反感を抱いた
    だけではありませんでした。
    しかし今では、よく分らないながら「經濟は成果が出ていません」
    といふ、先生の評價に同感してゐます。
    先日銀座を散歩した際、三越で、支那人のいはゆる爆買ひを、目
    の前に見かけました。
    また奈良・京都の旅から歸つたお鄰りの奧さんは、宿の豫約がむ
    づかしかつたとこぼしてゐました。宿泊料金もずゐぶんと高くな
    つたさうです。冒險心を起して、少々安めの「女性專用 ドミトリ
    ー」の大部屋に泊つたところ、相客の外國人が夜中に電話をかけ
    たかと思ふとそそくさと出かけたり(どうも夜の商賣らしかつた
    由)、數人でどやどやと這入つてきたりで、よく眠れなかつたさ
    うです。
    いづれも、我々がかなり前に經驗したことです。義兄が嘆いた時
    代のことです。期待した圓安は我々の生活を樂にしてくれるより
    も前に、再び「安い國」にしてしまつたのでせうか。
    ※           ※
    ☆「第1時大戰直後、1ドル=2圓といふ今では信じられない比
    率であつた」と、小泉信三が、第2時大戰後のインフレ期に書い
    てゐます。
    ☆その大東亞戰爭直後の昭和20(1945)年9月のレートは
    1ドル=15圓でした。
    ☆昭和10年のレートは、1ドル=3.5圓。以後昭和23年ま
    での日本の物價上昇率は米國の104倍。そこで、
    3.5圓×104=364圓 から端數を切り落とした360圓
    を固定レートとしました。
    ☆明治初年に新貨條令で定められた圓は、1圓=1ドルを想定し
    てゐたとか。
    このどれを知つた時も、最初は、ほう!と思ひました。しかし、
    それ以上には考へもせず、知らうともせず、今日まで來てしまつ
    たやうな氣がします。これでは、經濟も政治も分らなくて當たり
    前です。お粗末でした。

  7. ここに在米で30代の方がコメントされていますが、書かれたことが本当なら、我々日本人の多くは、「アメリカ人は何と単純なことだろう」と感じるのではないでしょうか。

    外国人が日本(特に東京)に来て感じるのは、「日本人は皆アメリカ人を尊敬している」という印象だそうです。
    確かに、東京の高層ビル群や、街行く人のファッション、上映されている映画や浅薄なTVを見れば、そう思われても仕方がないでしょう。
    実際、昔から「英語圏に生まれたかった」と言い、ネット情報によれば、個性的な作曲家である喜太郎を「民族主義的で嫌いだ」と言ったという、ミュージシャンの坂本龍一のような人物も少なくありません。

    先生がよく指摘されるように、「日本人論」が盛んだった頃、西洋史家の会田雄次氏は、日本文化の「幼児性」を主張していたように思います。例えば、身体的にも小柄な日本人は、精神的にも成熟しにくいのに対し、肉体的にあっと言う間に成熟する西洋人は、二十歳前後の、ホルモンバランスが崩れる青年期の動揺も大きく、それゆえ勉強するエネルギーも日本人の比ではない、などと日本人に対して厳しい批評をしていたのを覚えています。

    また40年ほど前、アメリカの作家エリカ・ジョングの小説『飛ぶのが怖い』が知られてから、「飛んでる女」という言葉が流行り、キャリアウーマンがもてはやされるようになり、現在の女性誌の傾向につながっています。

    つまりその頃に青年期を送った世代は、日本の伝統が全く無視され、日本人はダメだと、散々劣等感を植えつけられて育ったのです。

    ところが昭和20年から70年経った今、日本文化が盛んに見直されているのは、外の文明や文化に対する幻滅もありましょうが、結局我々の多くは、アメリカ人にはなれなかったということではないでしょうか。

    最近、黒人とのハーフの女性が、ミス・ユニバースの日本代表に選ばれたのが話題となりましたが、移民問題云々と言う前に、ミスコン自体が、西欧的価値基準で女性を選抜しているのだから、スタイルの良いハーフが選ばれる可能性が大なのは当然の事なのです。

    しかし大事なことは、こうした女性のタイプやコンテストをやたらともてはやしているのはマスコミだけであって、一般庶民の日本人は、こうしたミスコンをそれ程重視していないということです。

    その証拠に、日本人が好きなのは、依然として「可愛い」女であって、美人の基準が西欧とは微妙に異なっていることは、どんな日本人も同意するはずです。

    先生が主張されている事柄の中で、私が最も感銘を受けたのは、軟体動物のように自己主張がないように見える日本人も、実は「根強い強固な自己」を持っているのではないか、というご指摘です。
    それだからこそ16世紀、海洋進出したヨーロッパ人が、東洋の果ての日本に来て初めて、手痛いしっぺ返しを食ったのであり、また我々は今でも完全に近代思想に染まりきれないのであり、他民族を猿回しの猿のように、小突き回す悪趣味も持たずに来たのでしょう。

    よく日本人は他人の気持ちを忖度するのが常だと言いますが、忖度(というより思い込みかもしれませんが)するのは、欧米人もシナ人も同じではないでしょうか。
    つまり洗脳さえすれば、日本人は自分たちを尊敬して、ひれ伏すだろうという思い込みです。(もちろん知識人や庶民を問わず、ひれ伏している人もいるでしょうが)

    以前シナの時代劇を見て辟易したのは、男も女もワンワン声を出してよく泣くシーンが多いことでした。細やかな心理描写というより、泣くことさえも「自己主張」であるのは明らかで、彼らの文化を象徴しているように思いました。すべてがその調子ですから、いくら大人しそうでも、シナ人女性に「おもてなし」や「察し」の心遣いを期待しても無駄です。彼らの性質からすれば、サービスすればするほど押しつけがましくなり、「おもてなし」とは逆の方向に行くからです。

    先生は以前、先の大戦も「毛沢東がアジアを解放した」史観が席巻する危険性を警告されていましたが、悪意のある南京や慰安婦のみならず、日本文化論に至るまで、シナ人は自分たちの伝統文化(があるとすれば、ですが)に包摂しようとする試みに余念がありません。

    例えば先述し、先述したシナの時代劇に、日本髪そっくりのヘアスタイルの女性が出てくるのを見たことがあります。またシナ本土やアメリカでは、日本庭園を、自然を大切にする東洋文化の一つとして論述する文化論を展開している学者がいると聞きました。それらが例え、日本の文献の焼き直しであったとしても、「日本文化は、もともと自分たちが起源だ」との落ちを付けることは、想像に難くありません。

    日本人に独自性があると思いたくない彼らは、少なくとも自分自身にそう納得させるためにも、是非ともこうした理屈が必要なのです。そのためには、自分たちが当の日本文化を真似したにも拘わらず、相手が真似をしたという理屈をこねても平気であって、ここまで来れば精神病理の域に達すると言っても過言ではありません。

    そこで生じるのは、一体彼らには「内観」というものがあるのかどうか、という疑問です。
    他方我々日本人のように、相手の思想であれ感情であれ、敏感に感じ取るという、自我に「浸透性」があるタイプは、相手に振り回されると同時に、相手の横暴さに怒りを募らせることになりがちです。

    そして現代の我々日本人の多くの心底にあるのは、この言葉にできない不満と怒りなのではないでしょうか。
    外国人が描くような日本のドラマや時代劇、外国人が日本人を演ずる不自然さ、またチャンバラにはあり得ない、香港映画張りのワイヤーアクションを導入するバカバカしさに対する「ノー」という意思表示が、自らの伝統文化を真正面から見据えようとする、最近の気運に現れているのだと、私には思えます。

    昨今シナの大学では、一人暮らしの大学生に、生活の世話をするお手伝いをつけるという、日本では考えられない親がいると聞きました。
    一方、子供を欧米のボーディングスクールに入れる富裕層も多いようで、そのうちヨーロッパの社交界に何人もデビューしたり、いわゆるセレブに名を連ねることにより、自分たちが「世界制覇」したと自認するようになることでしょう。

    また自分たちをしばしば、世界中に散らばっているユダヤ人に比する華僑たちは、日本でも、時間を掛ければ、政治家や官僚その他企業家として、日本を思うように支配できると踏んでいることでしょう。

    しかし例え蓋を開けてみて、自分がシナ人の使用人だったと気付いても、我々日本人は、自分がシナ人やアメリカ人であると思うでしょうか?

    どれほど異民族が、我々を支配層と被支配層に分けようと、例え国土が分断されようが、日本人であろうとする日本人なら、自分は「天皇陛下の赤子」であり、頑として自分たちの伝統や歴史を守って、隣の外国人とは交わらずに生き続けるのではないか・・・と、多少甘くも恐ろしい想像をめぐらせるこの頃です。

  8. 西尾さんあまり悲観的になってはいけないです。私は当年65歳になりますが、先生の本を私も愛読している者です。昔から白水社刊の「ニーチェ全集」一期と二期がありましたが、少々お値段が高いですが買いそろえて読んでいます。ドイツ語が縦横無尽に駆使できるならいう事はありませんが英語さえおぼつかないのが現状ですので、多くの原書を読破したいのですが困難が多い。日本国民の多くが、未だにGHQの魔法に罹っていて、その魔術から抜け出せないのは、初等中等教育を日教組に抑えられているからでしょうし、新聞も報道もGHQの意向に沿って動いているのは同様です。

    然し、西尾さんの「GHQ焚書図書開封」は、衝撃的な御本です。このような企画の本が無かったら、大東亜戦争当時の現実的状況が、我々戦後世代の人間には歴史の事実を知る手がかりを失う事に成っていた事でしょう。この本の功績は非常に偉大な成果です。あまり悲観することはないですよ、今の若い人は、インターネットの記述を見る機会がありますから、教科書のみの知識だけではありません。事実に触れる機会は、また事実を知ることは多いはずです。

  9. いつも当ブログや著作物で多大な刺激を受けております。人文系思想は先生の著作物で40年近く影響を受け、自分の思想を作ってきました。そして、経済の問題は三橋貴明氏のYOUTUBE「明るい経済教室」で勉強しております。そこで、はたと最近気づいたことは、家計や会社の経済と国、世界の経済が全く違うということです。恐ろしいことに、一般国民は勿論、マスコミや、行政、政治の世界でも家計の経済で国や世界の経済を考えるうかつさです。これは安倍首相も麻生財務大臣、稲田朋美政調会長に至るまで全く同じ思考なのだと知りました。経済学を全く学んだことのない者でも、こと経済については議論する資格があるようなに錯覚してしまっているようです。でも、所詮彼ら(自分も含めて)は家計や企業の類推でしか考えられられないのだと思います。
     三橋氏の「明るい経済教室」に接したことは大変いい出会いでしたが、もう一つ、YOUTUBE上に登場する人物について、先生の評価を頂ければと思います。それは、武田邦彦氏の音声ブログ「最後の一撃」という歴史語りです。激しい攻撃的性格を持つアーリア人種の遺伝的生物学的特性こそが、世界史の動因、とみる見方です。
     最後に、先生の、足が弱ってきたという悩みを読み、心配しております。書斎でも、立って読書したり、執筆するとウォーキングしたのと同じ効果があると、我らが敵、NHK「クロースアップ現代」でやっていました。「スイフト」という机があるみたいです。先生には、あと十年元気に執筆して頂きたく、心より願ってやみません。

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