「ドイツ・EU・中国」そして日本の孤独(二)

 以上のようなことを枕木にしておいて、この講演の主催者から頂いたテーマ、「ドイツ・EU・中国」という三大話をして欲しいということで準備してきているのですが、ドイツのお話をするとなると、多分最初に戦後補償・戦後処理の話が聞きたいと思われるテーマでしょうから、それがどのように様々な問題に繋がるのか、ということがメインポイントになります。

 戦後処理というのは二つあります。ひとつは第二次世界大戦の戦後処理、もう一つは冷戦の戦後処理です。ドイツ人にとってこれは、すくなくとも同じ構造を惹き起こしました。冷戦終結の場合はドイツの半分、東ドイツに於いてですが、構造が全く同じなのです。つまり全体主義国家の犯罪処理です。個人の犯罪はどこまで責任が問えるのかという問題が、ヒトラーの時もスターリン型国家のあとにもあったわけですね。今もあるわけで、それは終わっていないのです。その話を私が徹底的に論じた本が『西尾幹二全集 第12巻「全体主義の呪い」』(国書刊行会)という本です。その目次を見てください。「序に代えて ドイツよ、日本の戦後処理を見習え」。そうなのですよ。私は30枚くらい徹底的に書いていますが、ドイツこそ日本の戦後処理を見習うべきで、日本はモデルと言っていいくらい見事に戦後処理を完結しているのです。この巻には『全体主義の呪い』という1冊の本が入っていて、これは「東西ヨーロッパの最前線に見る」という副題がつき、前編と後編に分かれています。前編が「罪と罰」、後編が「自由の恐怖」という題であり、東ヨーロッパを探訪した記録的な文章で一冊の大きな本です。このほかに同巻には『異なる悲劇 日本とドイツ』が入っています。先の『全体主義の呪い』を踏まえて私がヴァイツゼッカー前ドイツ大統領の謝罪演説がおかしい、という大変大きな大反響を呼んだ論文を書きましたが、それです。「ヴァイツゼッカー前ドイツ大統領の謝罪演説の欺瞞」「ヴァイツゼッカー来日演説に見る新たなる欺瞞(その一)」「同(その二)」「『異なる悲劇 日本とドイツ』がもたらした政治効果とマスコミへの影響―私の自己検証」この辺りがこの一冊のメインなのですが、私のこのテーマは大変評判を呼んで多く人の耳に達していると思いますが、このテーマを巡って一冊に全部入っておりますので、同問題を考えるときの私からの最重要な資料提供書です。

 ヴァイツゼッカーの問題を語るだけでも容易ではないので、ここではどれか一つだけでもお話しできればよいかと思っておりますが。カール・ヤスパースというドイツの哲学者が1946年に“Die Schuldfrage”『責罪論』という罪の責任を問う論文を著して、これは戦後大変評判になり翻訳もされています。ヤスパースは罪には四つの種類があるとして、第一に刑法で裁かれるべき罪、つまり「刑法上の罪」。これは裁判所で裁かれればよい。第二は「政治上の罪」。これは国家が責任を負って賠償金を支払えばよい。第三は「道徳的な罪」。これはどこまでも個人の心の問題。第四は「形而上的な罪」。これは神の啓示にかかわる問題。そのときの日本の知識人はどう対応したか。「ヤスパース先生の言うことは深みがあって素晴らしい。」となってしまうのです。

 私はこれを全部「嘘」と思って読みました。「刑法に触れた人は罪になる」といいますが、たとえばユダヤ人に致死量の注射を打った看護婦は罪になる。しかしユダヤ人を輸送した運輸省の官僚は罪にならない。したがってナチスの犯罪はいかなる行政にも官僚組織にもメスが入りませんでした。1,200万人のナチ党員は全て無罪で西ドイツ社会に残存しました。それが実態で、ドイツ国民は百も承知のこととしていました。それにしても、このヤスパースの議論はおかしいではないですか。収容所で監視をしていた男がユダヤ人を殺したとか殴って傷つけたことなどが戦後の裁判で裁かれました。昨年も98歳かの老人がこの件で判決を受けています。これは「刑法の罪」に触る。しかし「政治的な罪」に関しては国家はお金を払うしかないとはっきり言っています。ヤスパースがドイツ国民を奈落の底から救うための論法だったことは間違いないと私は思いました。

 ところが日本のインテリというのはそこが全く分からないのです。戦後だれも気がつかず、深みのある神への告白とか、世界への責任とか、実存哲学の先生が素晴らしいことを言ったとか言っていていたものです。神学的論法の中にも戦略があることに気がついていません。歴代のドイツ大統領は初代テオドール・ホイスからヨアヒム・ガウク現大統領にいたるまでこのヤスパースの理論を利用して、罪は個人にあり、集団に、民族に罪は無いと言いつづけました。やった個人にだけ罪があると言って、いまだに開き直っています。そういう問題が根源的にドイツにはあります。この程度の話ではなく、もっと奥深い重大な罪と罰を巡る諸問題を私の全集第12巻で詳しく論じていますが、ここでは簡単な概略だけをお話ししてみました。

 また全集を新たに追補した論文として、『異なる悲劇 日本とドイツ』には収録されていない「ヴァイツゼッカー来日演説に見る新たなる欺瞞(その二)」Ⅱ」から少し紹介してみます。ヴァイツゼッカーは東京ではなく名古屋で講演して、NHKで放送され全文は東京新聞に載りました。その来日講演「ドイツと日本の戦後五〇年」を吟味して書いた論文ですが、内容を少し紹介すれば私のお伝えしようとしていることが皆さんによりよくわかり易くなるだろうと思います。

 ヴァイツゼッカーさんは頗る慎重なものの言い方でした。日本側に対立感情があること、批判者がいることに気が付いていました。批判者がいたのです。それは私ですよ。ちゃんと伝わっていたのですね。そこで非常に慎重なことを言ったのですが、内容のほぼ中段でアッと驚くような極めて億面のない政治的主張を展開したのです。「12年にわたるナチ支配はドイツの歴史における異常な一時期である」と。日本の歴史には戦前から戦後にかけての連続性があるが、ドイツ史には断絶があり、客観的に「政治史」を比較すれば以上のようなことは確かにいえます。一人の天皇が戦前から統治した我が国はナチスのようなテロ国家に陥らないですんだひとつの「幸運」なのです。少なくとも日独の当時の体制の質的相違は間違いなくあるので、ヴァイツゼッカーさんがそのような違いを言ったのはそれなりに正しいのです。しかしドイツ史には「異常な一時期」があって、その一時期だけ「ナチスという暴力集団に占領された」が、今は彼らを追い払って「清潔な民主国家」に生まれ変わった、という前提にあくまでしがみ付いて語る。これは年来のドイツ国民の主張なのです。今のドイツ国民は頭からそう信じています。ドイツは12年間だけ悪魔に支配されましたが、それ以前もそれ以降の歴史にも悪魔はいない。丁度フランスやオランダやポーランドがナチスという悪魔から「解放」されたと同じように、ドイツも1945年に悪魔の憑(つ)きが落ちて、きれいさっぱり浄化されたと、まことに臆面のない主張が展開されていました。そんなバカなことはあり得ませんよね。ナチスにはそれに至る前史があります。またナチス協力者1,200人が裁かれずに社会復帰した戦後史があります。ナチスを支えた司法にも行政にも、戦後いっさいメスは入らなかったのです。ドイツにおいても過去は清算されず、継続したままです。私はそれでいいと言っているのです。仕方がないと言っているのです。過去は永遠にどの国だって清算などできません。ドイツが必死にそれを認めまいとするのは、余りにその過去がおぞましくて惨劇だから、簡単に認めることなどできないということで、私も同情はしています。

 日本人が戦前からの歴史の連続性を正直に認めることができるのは、「他民族絶滅政策」というナチスのような異常犯罪を犯していないからです。アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ソ連との戦争で、私たちは何の罪の意識を持っていません。そうでしょう。私たちはアジアの解放者ですから、いかなる罪も持ちません。正義の戦いをしたのだから当たり前です。シナについてだけは違うのではないかという議論はあるのでしょうが、それだけで大きな話になるからここで展開はしません。しかしドイツは事あるごとに一切の自己弁明が禁じられています。そのために歴史の中のある一時期だけは無かったことにするという弁解をせざるを得ない欺瞞的論理を展開することになりますが、そこまではいいのです。私はドイツの歴史には同情しているのだから。しかし日本の歴史の連続性を批判し、ドイツは戦後ナチスから解放された民主国家になったが、日本は僅かに経済発展が制度を少し変えた程度で、未だに天皇制など古い体質を引き摺って困ったものだと言わんばかりのことを言ったのです。とんでもないですね。これがヴァイツゼッカーの正体です。

 この間亡くなったシュミット前総理も同じことを言いました。今出ている週刊新潮(11月26日号)に私がシュミットに反論を書いたことが載っています。「墓碑銘」というところです。シュミットの日本人への忠告、「周りに友人を持て」という言葉は良いのだけれど、皆それに騙されて、まるで日本がナチスと同じような犯罪をしたかのようなことを言うのです。その「お節介」が中国と韓国に渡って、まるで日本をナチスのように言うわけです。それに反撃しない日本人がおかしいのですが、いったいドイツ史と比較して日本の過去をこんな風に批判する資格がドイツ人のどこにあるのでしょうか。それを感激して聴いたり、公共放送の電波にのせたり、聖者のように扱ったりする日本人はどこかおかしいのではないでしょうか。ドイツでは戦前、ヒトラーが政治的失敗をしても、国民はそれは誰か別の下輩がやった犯罪とみて、「ああ、そのことを総統が知っていてくれればなぁ」などと言っていたそうです。それほどまでにドイツ人はヒトラーを愛していたのです。ヒトラーが好きでたまらなかったのです。そういう自分の過去をなかったことにすることができますか。歴史が暴力集団に一時的に占領された、などという言い遁(のが)れのきくような単純な話ではない。ヒトラーとその一味を悪者にして、自分たちはそうではなかったということを言外に必死に言いたいがために、前大統領は巧みにドイツ擁護論をぶって、そのうえ日本を侮辱して帰国しました。私は論文の最後に「日本人よ、知的に翻弄されるな、しっかりせよ。私はただそう言いたいだけである。」と書きました。ありとあらゆる歴史問題が当全集12巻に書かれていますが、それをお話しすると空中分解してしまいますので、600ページ以上の厚い本ですが、ご自身で読んで頂きたいのです。

 さて、冷戦終結後も同じ問題が起こります。「全体主義の呪い」ではその問題だけを徹底的に論じていて、ヒトラーとスターリンの問題が東ヨーロッパの半分にとってはひじょうに深刻な問題でした。東ヨーロッパを旅行したら、どこに行っても第二次大戦中のファシズムと冷戦下の共産主義とを区別していません。どちらも同じものとして理解していました。たとえばユダヤ人に致死量の注射を打ったひとりの看護婦が罰せられる問題。そしてユダヤ人を輸送した運輸省の官僚は罰せられないという矛盾。同じ問題が、ベルリンの壁を越えて逃亡しようとした東ベルリンの市民を射殺した警官だけに殺人罪の罪が与えられ、なぜ秘密警察のミールケ長官の罪は問われないのかという形で冷戦終結後に大きな問題として沸騰しました。その問題を一所懸命戦ったのはガウクという現大統領です。それで彼はドイツでひじょうに評価されています。

 EUの問題はこのドイツの問題と切り離せない関係にあります。戦争が終わり、もう二度とああいうことはしたくないという、今までヨーロッパは盲のように二千年近く激しい戦争ばかりしていた地域でしたから、ドイツは「ユダヤ人の虐殺」には謝罪しましたが、「侵略戦争」には謝罪していません。なぜなら侵略はヨーロッパの世界ではごく当たり前なノーマルな現実で、あちこちを互いに侵略しあっていました。第二次世界大戦の侵略をいまさら謝罪するわけがないのです。そんなことはお互い様でしたから。

 そういうことに疲れてしまって、ヨーロッパにも広い世界がやっと見えてきたのです。つまり自分たちが唯我独尊でアフリカ、アジアまで侵略して勝手なことをやっていたのを、ふと気が付いたらアメリカが出てきている、日本が出てきている、ソヴィエトがある。ヨーロッパは纏まらなければやってゆけない。それに気が付いて統合ヨーロッパをつくろうという自覚が高まって、その中心になるのはドイツとフランスですから、彼らが和解しなければ何時までも永遠に争わなければならなかった。そのような自覚があって、ドイツがフランスに和を請う、という形になり、そのことで戦後ドイツが一貫して頭が上がらなかったのがフランスなのです。永い間フランスの意向をおもんばかりました。

(まとめ 阿由葉秀峰)

つづく

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