前橋講演における皇室問題への言及(二)

強い危機感を抱く

 「国家解体をどう阻止するか」といういくらかおどろおどろしいタイトルでありますが、解体しかかっているし、すでにしているのではないかと、むしろ強い危機感を抱いていますゆえに、こういうタイトルにしております。この間津波が南アジアを襲い、町に大きな水が流れ込む光景をテレビでみました。一番烈しい画像では建物そのものや車が何台も水に浮かんで押し流されていく姿が見えまして、これはすごいものだなと思いました。引いたあとのつめ跡、残骸・・・・・まあ私、今の日本を見ていて、水際で津波を待っている心境というのがいわば、私の心境なのです。そういう津波にいつ襲われてもおかしくない、そういう状態ですよ、と申し上げたい。それに対し何の備えもない。色々備えがあるように聞いておりますけれども、実際に手が打たれていないし、考えは語る人はいるけれども間に合わないように思う。

 今日は一見して相互につながりのないいろんな種類の問題についてお話したいと思っております。一つは皇室の問題、二番目は南の島々の防衛の問題、それから三番目は、といっても全部底流ではつながっているのですが、国の外でなく内側の問題。つまり教育や少子化、そしてジェンダーフリーの問題など、これら全部がひとつながりであると私には思えてなりません。すなわち、内側がグラグラと解体しているときには、外から敵が忍び寄ってきても気が付かない。

 あるいは現にもう何十年も前から外から侵害されていても打つ手を打ってない。ですからもう間に合わないところに来ているという、その目の前にいて、しかも手足を動かそうとすると、足元の国民の心が麻痺したようになっている。そして麻痺させるような解体運動が繰り広げられていて、手足を不自由にする勢力が大きな力を国内で発揮している。こういう現実を目撃し、観察してきたつもりでおりますので、皆様に少しくはっきり見えるようにお話ししてみたいという風に思っているのです。

皇室問題について

 最初のテーマは、非常に難しいテーマだとあえて申し上げるつもりでございます。つまり皇室の問題です。わが国のこの10年から15年の間に、経済の方面でバブル崩壊、そしてまた道徳の破局、様々な頽廃の姿をみました。すべて昭和天皇亡きあとに起っていることですね。この国民が自分たちを歯がゆく思っているゆえんはどこにあるか分かりませんが、ソ連の消滅で冷戦に終止符が打たれたあのときは、アメリカから「第3次世界大戦の勝者は日本であった」という、忌々しげな声があがったのを覚えておられると思います。これはつい15年ぐらい前の話です。

 そのころは小中学生の数学と理科の国際学力はつねに日本が一位でした。治安もよかった。犯罪検挙率も高かった。中学生の校内暴力は既にありましたが、不登校とか引きこもりとか、援助交際などということは、そんな言葉もなかった。政治への不満は強かったけれども、「官僚が一流だからこの国は大丈夫だ」という声が世上を覆っておりまして、事実その通りであった。官僚は何よりも愛国心があった。

 対米自動車輸出の自主規制で指導力を発揮した通産省は、産学協力の見事な見本としてアメリカの嫉妬を招いたほどでした。これは遠い昔の話ではない。1989年、ベルリンの壁の崩壊から起った世界の激変、それが昭和天皇の崩御となった年と重なります。すべて悪いことは平成になってから起ったことなのです。だから私たちは確実でしっかりしていたつい先日までの日本をなぜ今取り戻すことができないのか。そのことについて考えざるを得ない訳です。昭和天皇が亡くなられたら、何かがありゃしないかという国民の不安はずっとございましたが、まさか、という思いが私はしています。

「前橋講演における皇室問題への言及(二)」への3件のフィードバック

  1. 最近の日本の状況は、やはり人間が作り出しているものであって、考えてみれば社会を構成しているさまざまな組織・機関の中心となる人間の問題であるような気がします。思考法においても、行動においても、これまでの組織リーダーたちとは異なった行為結果が積み重なっているのが現状ではないでしょうか。グループ内の空気・雰囲気といった、個人が周囲に感じる決して具体的ではないものが、人々に影響しているように思います。そのような個人の行動や考えが日本全体を異質な状況に追いやりつつあるように感じるのです。
    過去にもさまざまな諸外国やマスコミなどの思想宣伝がありましたが、個人の態度、局所的な雰囲気は現在のようなものではなかったという実感を持っています。これを変革するのは、現代の若い世代の新しいアイデア、思考法だと思います。今までじわじわと変化して現在に至った状況は、大局的にはそのような新世代の個性が作り上げる変革作用によって、よりよい現実へ押し戻されるでしょうが、私たちはもっとそんな時代の到来を早めるために、インターネットと言う公開手段を使って、戦略的行動を成し遂げて生きたいと考えています。”つくる会”ももちろんそのような行為を継続・発展されますよう期待しています。私自身はこれから、そのような行動を起こすつもりです。
    H17.4.16 新田 さき

  2. 男系男子という物語をどう守るか
    そのためには、政治の中心の東京を離れ、京都でお暮らしになられていただくほかないと思う。

    女系論は、「新しい皇室」という言葉で、ごまかされてきた。しかし、この考え方には、ジェンダーフリーという思想が見え隠れしていて、そして、それ以上に危険なごまかしがあるのだ。
    もし、女系天皇が誕生し、それが、100年後に歴史になった時、そうでなかった男系男子の歴史を否定することになってしまう。それでは国民は、本来の男系男子の天皇になられるかたと、2000年以上の歴史をほとんど鑑みなくなった敗戦民主主義の帰結の憲法で持ち上げられた「女系天皇」との矛盾が歴史を経れば経るほど、大きくなっていくのは、想像に難くない。
    また、女系天皇が存在する事になったとしても皇室から外された男子を養子に取ればよい、と主張する人がいる。これこそがもっとも危険な思想であろう。女性の天皇になれば、自分で婚姻するかたを選ぶ権利を放棄せよ、と言うのだ。
    あれほど天皇の人権という言葉で天皇制を侮蔑する者が、天皇陛下になられるかたに、非人道的な行動をせよ、というのである。
    これは、時代錯誤どころか、「人権」論者の自己否定である。
    このような、誰でも簡単に危険な思想ですら、表現の自由を盾に、真実を隠蔽しているマスコミの世論調査では、国民はただただ、だまされ続ける。そして、小泉首相が選んだ、日本の歴史に全く通じない一部の人間によって天皇制を代えさせてしまおうという傲慢が行われようとしている。
    天皇制も、自分で代えてしまえる―権力者が権力を振舞うことに酔っている状態で日本を潰してしまおうとしているのだ。

    これ以上、陛下が東京にいられると、これまでと同じように、すべてが東京の論理になってしまう
    天皇陛下にはこれからも、歴史を紡ぐ存在で居続けてほしい

    そのためには、「女系」という考え方が存在しづらい、強力な保守性を帯びたる地域に住まわれ、かつ、政治にも、強い存在感をあまり出しにくい状況におられるほうが、次の100年、次の2000年の日本人のためになるのではないだろうか

    なにより、明治以降、日本人は天皇という存在に頼りすぎている。
    いまの日本人よりも、江戸時代の日本人のほうが、天皇制をきちんと守りつつも、だからと言って過剰に頼っているようにはみえない。もしかしたら、日本人の自立という点では、その頃の方が、立派だったのではないだろうか

    天皇という存在はあまりに大きい
    だからといって、このまま大きい存在を守るために歴史上否定されるべき現日本国憲法によって壊された皇室制度を修復せず、逆にそれを使って、天皇の歴史を否定し、日本の歴史を否定するのでは、まさに本末転倒である。

  3. 小生、ハンドル名、隅南風人(スミハヤト、チャンネル桜掲示板上では隅風天)と
    申します。
    今日の「天皇制危機」議論につき、学者でもない小生の一愚見ながら、ご参考賜りたく
    存じます。

    戦後否それ以前来の「天皇制」議論の弊害は、そもそも「天皇」なる漢語呼称を用いているが故、その御真姿を表し得ない為ではないでしょうか。

    「天皇」は、聖徳太子の所謂「国書」以前、この国人が文字を使用し始めるまでは「スメラミコト」と申し上げていたのでは。
    その「スメラミコト」も「統」の文字を用い表記してきたが故、国の統一者の側面のみが
    表がちになり、本来のご真姿のもうひとつの大事な側面が表し得なくなってしまったのではないか。「スメラミコト」なる呼称には、文字伝来以前のこの国人が、文字では表し得ない豊かな感性とことばの想像力が隠れているのではないか。
    「スメララミコト」とは本来、海の幸山の幸の恵み豊かなこの国の「隅々」に生きる人々が「住メラセタマエ」とそれぞれの「神=カミ」に祈るーその「こころ」から、それら人々に代わりてそれぞれの神々(「八百万の神々」)に祈ってくださる、すなわち「コトノリ」
    くださる方との意があるのではないか。したがって、「ミ」すなわち「御」と冠して、「ミコト」と拝して来た永い永い民族の祈りのこころと力・知恵の歴史が隠されているのではないか。
    「スム」とは「住む」の意。そして本来「隅にむすぶ」の意に発しているのではないか。
    国の隅々にはそれぞれのカミがおられた。この国に住む人々は一人びとり、生かされているとの豊かな感性を持し、その恵みを与えてくださる方を、カ(冠=上)ミ(恵=御)とあがめて来た。
    この祈りのこころの力がこのくにの人々に信じられてきた。歴代の権力者もこの力に抗することはできなかった。「統」や「天皇」の漢語文字では表じえない祈りのこころを抜きにしては、なぜ天皇制が持続してきたか等は論じ得ない。この国の歴史も語りえないと思います。

    幾千年否万年来のこの国人の、豊かな感性とことばの自然発生的創造力を想わざるを得ません。それはこの列島の変化に富んだ自然の豊かさに起因するのではないか。日本語は本来渡来語などではないのでは。
    小生この数年、日本語の由来について試案しております。日本語の音節、例えば、
     「あ」、「や」、「み」、「わ」、「お」、「く」、「し」、「た」、「な」、「ひ」、「と」、「き」、
     「こ」、「す」、「う」、「え」など・・・
    これらの単音と連音からなることばは、自然との関わり・感動に因しているのでは?
    豊かな自然との関わり・感動に育まれた「こころ」を思うにつけ、雲南の歌垣、台湾原住民の日本人以上のこころ(霧社事件はそのこころの出会いの儀式)やことばとの類似に思いをはせています。(原住民の歌は「ハンヤ節」に酷似)
     聖徳太子は「和」を第一条に言わざるを得なかった。(「ワ」は文字を知らない当時のだれもが「輪」と解するこころ・感性を有していた!)
     本居宣長は、古語の「隼人」を「猛々しい人」と解したが、本来「南風」(ハエ)の人の
    の意ではないか。それはまた、「ハ」(すなわち「端」、遠方)、「エ」(すなわち「から」)を意味しているのではないか。小生の郷里鹿児島大隅半島には鵜茅葺不合之尊を祭る姶良山陵があるが、姶良は地元では「エラ」と称しているが、「ら」は「良」を意味し、遠方より来たる良き人の意ではないか。ついでながら、「大隅」とは、大いなる棲家の源意で、神武東征等南方人移動後に都人が先人渡来を偲び(または秘すべく)つけた後世の古語ではないか。
     文字言葉の使用の歴史は、それ以前の人々のこころ・感性の喪失の歴史で、その極みが、今日日本人のこころの喪失、迷いの悲劇に至っており、諸問題の根本原因ではないでしょうか。
     以上愚論をちぐはぐ述べさせて頂きました。ご読了頂きありがとうございます。

    以下は本論とは無関係の余談です。
     今日の日本人の諸問題は、極論すれば、新憲法や軍を作り、教育基本法を改正してもそれだけではこの国・人は蘇生し得ないと思います。
     外圧によるだけではこの国は蘇生し得ない。
    桜のホームページでも紹介していますが、平山人(ひらやまと)氏は空前絶後、この列島を宗谷から与那国まで縦横に単独独歩し、歩き方の見本を示されました。
      
    参照   、http://www.geocities.jp/frddh424/aruki1/index.html
            http://www.geocities.jp/frddh424/aruki2/
     
    この氏の歩きに習って、少しずつでもよい、歩き始める運動を展開するしかないのではないのでは。などと愚考しております。自分では歩きもしないで全くの愚案にしかすぎませんが、、、
    それはそれとして、
    現状せめて、西尾先生ほか諸先生の啓蒙運動ご活躍公布のため、チャンネル桜の「50万人視聴者拡大作戦」を提案したいのですが。(残念ながら社長には関心あらせられず。)

     

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