TEL QUEL JAPONより(3)

日中友好の起源と正体 岡野と杉本の役割

通化事件 未完← Tel Quel Japon過去記事
(上の記事の中より) 通化事件 その5
(注:岡野=野坂 杉本=前田)

中国共産党の根拠地延安 からは、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあり、当時「杉本一夫」の名で活動していた前田光繁 が政治委員 として派遣された…後日、日本人遺留民は通化劇場に集められ、前田光繁から「川内亮通化県副県長たちは満州国の幹部であったから処刑は仕方のないことであった」旨の説明がなされた…前日(情報漏洩) 2月2日 、正午過ぎに林少佐は蜂起の情報を前田光繁に電話で伝えた。前田は中国人政治委員の黄乃一を通じて航空総隊隊長の朱瑞(zh )に報告した。同じ頃、藤田大佐の作戦司令書を持った中華民国政府の工作員が2名逮捕されており、劉東元 中国共産党軍司令立会いの下で尋問が行われた。工作員は拷問を加えられても口を割らなかったが、日本語の司令書は前田によって直ちに翻訳され、夕刻には中国共産党軍は緊急配備に着手した。

通化事件検定:全7問中7問正解、そして全国1位でした!が、受験者も1人でした。この通化検定7問中に今回の中心人物が登場します。通化事件においては重要人物ということですね。
以上はまえ振り。
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以下は本内容:
撫順の奇蹟を受け継ぐ会:
上のペイジを見て季刊「中帰連」のペイジを知った。
撫順の奇蹟を受け継ぐ会が紹介されていて、「過去を胸に刻み、これからの教訓とする。「前事不忘・後事之師」の中帰連の精神を受け継ぎ、反戦平和と日中友好に取り組む市民団体・受け継ぐ会にあなたも参加しませんか? 」と入会の呼びかけがある。
中国帰還者連絡会とは?をクリックする。
会員=中国を侵略して戦犯となり、中国の寛大政策により帰国したもの。となっている。中帰連は2002年、全国組織を解散し、その事業を「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に受け継いだ。とある。
まるで反日の砦、文章を読むと自虐史観の水源発見、という気分になる。マイク・ホンダやアイリス・チャンはこの組織から見るとヨチヨチ歩きの子供に見える。完璧な洗脳である。120%の洗脳である。日中友好の母心、のような力強く一貫した愛すら感じる。この人たちにとって日本は原罪そのものの国であり、毛沢東は慈愛に満ちたキリストに見えるのだろう。
彼らの体験を聞こう。
沢田次郎さんの話:「認罪」「思想改造」を認識した上で、教えられたStoryから逃れることが出来ないのだ。もう一人の話も聞こう
人間に戻った元将兵たちの声を聴け」 梶村太一郎
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間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
GHQ焚書図書開封 敗走千里
間接的参照:Tel Quel japon過去記事
日本人洗脳工作
間接的参照:Tel Quel Japon過去記事
通化事件 未完
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直接的参照:
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
撫順日本戦犯収容所の真実
中帰連・撫順戦犯管理所洗脳プロセス(南京関連):
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日本人改造洗脳法詳細分析:反日の核構造
中国戦犯の「洗脳」について(1)
中国戦犯の「洗脳」について(2)
脱洗脳講座:田辺敏雄
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以下はあと振り
中帰連 証言集会のペイジ

戦場の加害と抵抗 :証言者 前田光繁(元日本人反戦同盟員)
「兄弟たち、君らの真の敵はここにはいない」 ―― かつて日中戦争のさなか、中国の最前線で日本軍に向かって反戦を呼びかけた日本人たちの一群がありました。「売国奴」、「国賊」などと罵られながらも、どうして彼らが反戦運動に立ち上がっていったのか。日本人反戦同盟のたたかいは、これからの極北の時代にこそ輝きを増すでしょう。今回は、反戦同盟を立ち上げた一人、前田光繁さん(89歳)の体験を聞きます。

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前田光繁検定前田光繁 wikipedia:

朱徳と行動を共にして戦闘に参加した後、1942年(昭和17年)に反戦活動のため延安に移動し、終戦まで同地にとどまった。終戦後満州に赴き、中国共産党および八路軍の活動に協力しながら、通化事件にも関与した。その後も八路軍のために活動を続け、1958年(昭和33年)に日本へ帰国した。帰国後は日中友好協会の理事を務めている[1](前田氏は立場的にほぼ野坂クローンとして通化事件に関わっている。決起した側ではない)

かつて八路軍に参加した旧日本軍兵士の座談会:
(2012年11月17日:追記)
小林寛澄氏 日本人の八路軍兵士(上)
元八路軍の日本人兵士「中日友好のため、百歳まで努力」
駐日中国大使館が中国人民抗日戦争勝利65周年座談会
「世界」2007年8月号
北京で再会した中日の「戦友」たち:既に息子の時代

光繁さんの息子の哲夫さんは言う。「当時の日本人は、誰も日本が負けるとは思っていなかった。そういう状況下にあっては、父の八路軍参加は尊敬するに値します」

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以下余談:
中国空軍創設につくした日本人教官
中共空軍創設秘話 その3
林弥一郎 wikipedia:

/////追記:2012年10月22日/////
参照:日本解放第二期工作要綱
参照:石平氏が激白!中国人が日本人大虐殺を計画!
参照:韓流研究室
/////追記:2012年10月30日/////
戦慄の「日本支配工作要領」ねずさんのひとりごと
荒んでいく世界
You Tube 田母神塾

・・・・・2013年5月5日・・・・・
「認罪~中国撫順戦犯管理所の6年」NHKハイビジョン特集

・・・・・2013年5月8日・・・・・
日本人中国抑留の記録8(戦犯裁判)
8をあげたがこれは日本の番組で1から9まである。今日本が制作したひどいひどい番組を1~9まで全部見終えた。心底鬼畜生と化しているのは番組制作者および関連者である。
兵隊の出兵とは、前にも書いたが、あの学徒出陣のように天皇陛下のために武士として命を捧げる、などという空想情緒に溺れるべきものではない。「海ゆかば」を歌って、命を捨てる場所を探しに行くことではない。繰り返す。戦争が過酷なのは、ひょっとしたら友達になれるかもしれない、憎んでもいない人をしかも多量に殺さなければならないことだ。敵国の国土を徹底的に荒廃させなければならないことだ。それが兵隊の仕事だ。日本兵の顔を見て欲しい。残忍な顔も卑屈な顔も一切ない、全員素晴らしい人間性に満ちた面構えである。それをジクジク「人道に反する罪?」などでいびり倒す、戦後何年も何年も捕虜の救出もしないで、彼らの苦しむ姿を晒しものにして悦に入る解説者、恥を知れ!吐き気がする!保阪正康はこの間まで正体ばれず保守の論壇で人気を博した昭和史研究家。そして姫田光義は、日本人民解放連盟 で野坂参三 に次ぐ地位にあった杉本一夫こと前田光繁といつもセットで自虐史観洗脳工作を続けている、中央大学教授ではないか。どうしてこんな工作員が堂々と国営TVに出るのだろうか。また日経新聞もたくさんの日本人もグルである。参照:日経新聞 :
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以下の文を読まれんことを願う。
参照:中国共産党の対日プロパガンダ戦術・戦略

「TEL QUEL JAPONより(3)」への4件のフィードバック

  1. 以前から思想改造を受けた人間が要所に居ることは知っていましたがここまで綿密にわかっているとは知りませんでした
    しかし、ここまで事実がわかっているならこういった経歴を持つ孫たちを国の中枢からパージすればよいだけなのでは?と思ってしまいます そう簡単にことは運ばないでしょうが

  2. 脱線のことで済みませんが、皆さん、この英語での記事を是非お読みして下さい。きっと、ご参考になれると思います。若干過激な所も見受けられるが、一つの国家と社会に対し女権主義(Feminism)と女性の危害さを説く穿ったものです。この日本にとっても、まさに、警鐘を鳴らす有益で啓発を促す一文だと思われる。

    http://www.dailystormer.com/feminism-and-the-third-worldization-of-the-west/

  3. 『中国戦犯の「洗脳」について(2)』の、撫順戦犯管理所長と抑留者とのやりとりは、大変興味深いものですが、これとそっくりな会話を見たことがあります。

    1628年、バンベルク氏市長だったヨハンネス・ユニウス(当時55歳)が
    「魔女」の濡れ衣を着せられ尋問された時の様子です。

    ・・・私が初めて尋問を受けた時は、(裁判官の)ブラウン博士とケッフェルドルファ博士と、その他に私の知らない人が二人いた。

    ブランウン博士 「どうして君はここに来たのか知っているか」
    私(ユニウス) 「中傷と不運のために」
    ブラウン博士  「聞き給え。君は魔女なんだ。それを進んで白状し給え。それとも証人と拷問係をここへ連れて来ようか」
    私(ユニウス) 「私は魔女ではない。この点に関して、私は全く潔白だ。千人の証人といえども恐れはしない。私は進んで彼らの言い分を聞こう。」

     ・・・・司法顧問官の息子ハーアン博士が呼び出される。・・・

    私(ユニウス) 「博士。あなたは私について何を知っているというのだ。私は今まで良くも悪くも、あなたと何の関わりも持ったことはないではないか。」
    ハーアン博士  「ユニウスさん、事は裁判の問題です。あなたに不利な証言をすることもお許し下さい。ですが、私はあなたを魔女の舞踊会で見たことがあるのです。」
    私(ユニウス) 「なるほど。では、私がどんな風に踊っていたか、言えますか。」

     (彼が答えられないため、ユニウスはハーアンを正式に調べるよう裁判官に要求する)

    ブラウン博士  「そうはいかない。彼が君を見たというだけで十分なんだ。」
    私(ユニウス) 「それで証言になるというのでしたら、あなた自身の身も安全ではなくなりますぞ。」
     
    ・・・・そこで拷問係が現れ、拷問が始まる。
    拷問係     「何でもいいから自白をこしらえて下さい。例え罪はなく
    ても、逃れることはできないのですから」
    ・・・
    (苦しさのあまり)私はとうとう自白した。・・・四年前、自家の果樹園で、山羊に姿を変えた悪魔に誘惑された事、悪魔の洗礼を受け、キリストを否定した事、魔女集会には黒犬の背に乗って空を飛んで行くのが常だったこと。・・・裁判官たちは「お前の出席した舞踊会の場所を言え」という。私は答えようがない。しかし前に顧問官が挙げていたハウプトの森、その他の場所が思い浮かんだので、それを言った。すると彼らは、「その舞踊会で誰に会ったか」と尋ねるのだ。「誰だか全然分からなかった」と私は答えた。「この野郎、拷問係にやらせるぞ。顧問官がそこにいただろう」と言う。「そうでした。いました」と、私は答えた。「他に誰がいたか」、「分かりません」そう私が答えると裁判官は役人に向かって、「この被告を連れだし、まず市場から始めて、すべての通りを一つ一つ引き回せ」と命じた。・・・
    (『少年マガジン』「魔女入門」文・資料 森島恒雄 企画・構成 大伴昌司‘70年代前半)

    結局ユニウスは、裁判官たちが「聞きたがっている」自白をして解放されたがその後首をはねられ火刑となりました。牢獄の中で、ユニウスが瀕死の状態で書いたこの手記(1628年7月24日)は、ひそかに牢獄番を通して娘に届けられ、現在はバンベルク市図書館に収蔵されているそうです。

    撫順戦犯管理所長の言葉「中国人民は君達を招待したのではない。勝手に日
    本帝国主義者が中国に乱入したのだ。そして我々の同胞を殺し極悪非道の犯
    行を平気でやって来た。それは誰だ!お前たちではないか!・・・」つまり
    「お前は魔女だ」にあたるこの部分に対して、我々日本人としては「乱入」した訳でも、「極悪非道の犯行」をするために来た訳でもなく、こちらは別の事情で大陸に出たのであって、論駁すべき点は多々あるのだが、最初から「お前は魔女である」というのが、向こうの前提条件である以上、当時の抑留者にとっては、到底越えられない壁であったでありましょう。

    とりわけ気付くのは、言葉の使い方の我々との違いです。中共にとっては、
    「解放→支配」であり、「平和→自分の思い通りになっている状態」であり、「友人→自分の思い通りになる人」でしかないからです。言葉が「ものの名前」や「ある状態を指し示す」ものですらなく、ひたすら自分の意に沿うように恣意的に使われるなら、もはや言葉を信じること自体が不可能となります。そして「批判や反省」も、当然専ら他人に向けるものであって、自らは決してそうはしない・・・
    以前ジェトロ(日本貿易振興機構)の職員だった同級生と話したら、「中国人は嘘つきだから」の一言でした。

    中でも特徴的なのが、あの「三光作戦」です。「奪い尽くし、焼き尽くし、殺し尽くす」の「・・・し尽くす」ことほど我々にとって疎遠な言葉はないのではないでしょうか。

    「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し・・・」の『方丈記』の一節が、今でも我々の胸に響くのは、我々にとって人生とは「語り尽くせない」ものであるからです。

    のみならず、子供の頃遊んだ海や山、川べりなどの美しい風景は、自分が生まれる前からあったし、また自分が死んでも在るであろう、しかも出来れば今の美しい姿のまま在り続けてほしい、なぜならそれらすべてが、芸術も含め、我々の生活を形作るすべてのものの源泉であるから、と感じているのが日本人であって、そこに在る人や自然を「奪い尽くす」ことほど「ばちあたり」な事はないし、泉のごとく豊かな自然は、人と共にそもそも「奪い尽くす」ことが出来ない存在なのです。

    映画通の人なら、香港に『八仙飯店之人肉饅頭』(‘98)という作品があるのを知っているはずです。私は以前、昔大陸で飢饉があった時、人肉を売って歩いたシナの商人が、ロシアに入って即刻死刑になったという話を、雑誌で読んだことがありますが、「三光作戦」といい「人肉」といい、誠に「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」、であります。

    10年程前、9月の終わりごろ成田エクスプレスに乗った所、国慶節付近だか
    らか、シナ人が沢山乗っていて、車輛ごとまるでシナ人の貸し切り状態、歩きながら携帯をかけ、例のでかい声で話すなど迷惑千万状態でした。そんな中、近くの席に雑誌を手に、珍しく小さな声で話している女性二人がいましたが、聞こえたのは「女性の人権」という言葉でした。
    この国慶節には、来日して何らかの会議を開くのが彼らの常で、まさに彼らは日本で「やりたい放題」でありましょう。

    巷で聞いた話でも、タクシーでシナ人を乗せたら、「この前この辺を走ったら○○円だった」と言い、どうしてもそれ以上払おうとしない、押し問答の末、運転手がとうとう根負けしたとか。

    また小児科で、シナ人の母親が子供の予防接種を要求したそうだが、時期が違うからとどれだけ断っても、しつこく訪れるので、医師が困った云々・・・。

    少なくとも私の知る範囲で、シナ人を好きだという人には、会ったことがありません。しかもこれらの「お腹一杯」になる話も、我々日本人が、彼らシナ人と自分たちが如何に違うかを認識する材料になるだけです。

    これまで南京その他に関して、血のにじむような研究をしてきた研究者達の
    成果や、ネット情報による蓄積により、敏感な人なら、こうした事実を知る人と知らない人に国民が二分されて来ていることに気付いているはずです。

    しかし、「その前夜」を強く意識している人はもちろん、シナから何らかの形で金を貰っている人、ハ二―トラップに引っかかった人、シナの死刑囚から臓器を貰った人など、普段はシナにお世辞しか言えない人たちも、「通州事件」や「通化事件」で同胞たちが、中共に、まるで虫けらを踏み潰すように惨殺された事実や、今も国内で様々な工作が仕掛けられている状況から目を背ける事だけは許されません。

    我々が過去70年の間、映画やドラマで他人事のように散々取り上げてきた、
    国家と個人の間で引き裂かれる自我という問題が、如何なる個人的事情があ
    ろうと、まさに現実に、自分自身にいつ突きつけられるか分からない時代に
    至ったのです。一生そうした岐路に立たされない人は幸せかもしれませんが、同時に、同じ立場で苦悩して、全身全霊で戦った父祖たちの偉大さも、生涯知る事は出来ないのであります。

  4. コメントありがとうございます。
    林弥一郎:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%BC%A5%E4%B8%80%E9%83%8E
    この人の評価は複雑ですね。
    中共空軍創設秘話:http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20051108/1131455042#c
    コメントでは絶賛ですね。しかしこの人の「密告」がなければ、通化の決起は成功していた「かも」知れません。日中友好賛否のどちら側に立つかによって、かりに通化事件を映画にしても、全く違ったものになる。映画を見た後でも、こういう人がたくさんあらわれる可能性もある。
    「戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。」
    つまり人間改造にまで及ぶ日本人捕虜の洗脳の徹底解明に視点を移さない限り、「全身全霊で戦った(中国人の)父祖たちの偉大さ」にすりかえられてしまうのです。いまでこそ天安門やチベット、ウイグルでほころびが見えてきていますが、まだまだ「日中友好のインパクトともろもろのWGIP」によって、日本人よりも、中国人の「皆さん」や中国人の「方々」に、強い共感を覚えている人は多いように思います。でなければ、中帰連(撫順の奇蹟を受け継ぐ会)など、とっくの昔に消滅しているでしょう。子孫のパージは論外としても。
    コメント、ありがとうございました。

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