TEL QUEL JAPONより(5)

Woodrow Wilson (1)

Woodrow Wilson: Biography
14箇条の平和原則:Woodrow Wilson これだけが有名
Woodrow Wilson: Wikipedia
Wilson’s War Message to Congress:

・・・・・追記:2012年3月2日・・・・・
Woodrow Wilson

The Committee on Public Information was set up to influence public opinion in America. Established by Woodrow Wilson through Executive order 2594, April 13, 1917. The committee consisted of newspaper editor George Creel (Chairman) and Secretaries of: State (Robert Lansing), War (Newton D. Baker), and the Navy (Josephus Daniels) as ex officio members. Also involved were Edward Bernays, Carl Byoir, and Ivy Lee. The Committee on Public Information coordinated all government propaganda efforts and put in place a censorship code that was backed up by the Espionage Act of 1917.

・・・・・2013年9月18日・・・・・
本来は2011年の記事ですが、必要有り、上にあげます。
Tel Quel Japon 関連過去記事
Edward Bernays (1)
Committee on Public Information
Edward M. House
Edward Bernays (4):
FRB & CFR & (日銀・日本国)
Paris Peace Conference – 1919 前編

・・・・・2013年9月19日・・・・・
時間がないが重要なので手持ちの参考資料を並べておく。
Edward Mandell House had this to say to Woodrow Wilson regarding Social Security
Social Security but for whose Societyということか?
Edward Bernays and the Art of Public Relations
大衆心理操作、PR,プロパガンダ、mind control,全ては実は、フロイトの精神分析から発して、フロイトの甥のEdward Bernayが実用化させたものである、ここをまず知ること。Edward Bernayはパリ講和会議にWoodrow Wilsonのブレインとして参加している。同じく大衆心理操作専門家のIvy Leeもパリ講和会議に出席している。Ivy Leeに関してはこちらを参照。
参照:Ivy LeeとJohn D. Rockefeller の関係
Ivy Lee, John D. Rockefeller, and the Ludlow Massacre
Ivy LeeはJohn D. Rockefellerのイメージを180度作り変えた。
psywar – Howard Zin about Ludlow Massacre

・・・・・2013年9月18日の記事を都合により上にあげます・・・・・
・・・・・2013年9月23日:追記・・・・・
昨日昔父がデザインした本箱を覗いてみると昨年買った「嘘だらけの日米近現代史」倉山満著が目に入ってきた。帯を見ると「ご存知ですか?リンカーンは極悪人、ウィルソンは狂人、ルーズベルトはスパイ、クリントンは破壊者etc.」とある。なかなか面白そうな帯だ。中を見るとP.61、ウィルソンの任期は1913年から2期8年ですが、最初の7年間は人格異常者として、最後の一年間は精神障害者として大統領の仕事をしました、とある。filmでは脳梗塞の後遺症と言っていたが、顔つきは最後激変している。精神障害者と言ってもいいような表情になっていて、大統領の仕事をしたのは実質的に妻であって、Wilsonはほとんど廃人で、それを隠し通したとfilmでも言っていた。人格異常者の最初の7年間は、口では理想を語りやることは想像を絶する。「自分をキリストと勘違いしていて」というのは言い過ぎだが、神を身近に引き寄せていたことは確かだ。何事も神に導かれていると確信していたようだ。他のペイジにも既に書いたが、焚書もしているし、侵略もしているし、なにより戦争も引き起こし、第一次世界大戦にも参戦している。この辺を私は現実離れした人格で、取り巻きに操られている、と判断しているのだが。女性には情熱的で、男性的な魅力もあるが、なにしろ作られたロボット大統領である、というのが私の見解である。以前ルシタニア号事件を調べた時に、政治素人のWilsonをほとんど無視して、政治家や金融家・銀行や大会社・大企業や思想家や心理学者やたくさん名前が出てきたの覚えている。これが第一次世界大戦へのアメリカ参戦を誘導する事件となるのだが、本当にたくさんの利害関係が絡んでいて、Wilsonの存在感をほとんど感じなかった。大日本帝国と日本郵船もそうだが、大型船舶・大型客船というのは今では考えられないくらいに国策と密着していて、金融界・財界と政界の癒着の象徴のようなものではなかったかと思う。飛行機はまだ小さくて乗客や、貿易品や軍事物資の輸送手段にはなりえなかった。この時代背景を考えなければ、客船沈没の真の重大さはわからないと思う。

「TEL QUEL JAPONより(5)」への3件のフィードバック

  1. 掲載ありがとうございます。反応を期待しています。
    Woodrow Wilson (1)のコメント欄に追記を書きました。本欄にもリンクが多く申し訳なく思っています。一箇所でもリンクをクリックして、実際に目を通していただければ、大変嬉しいです。

  2. リンク先のyoutube『資本家の陰謀』を拝見しました(翻訳されているの
    は有難いことです)。
    自分と身近な身内を含め、自らの一生は自己完結的に過ごしていると、
    誰もが思い込んでいるのに、実はそれも劇中劇のほんの一コマでしかな
    く、個人の力ではどうしようもない、もっと上位の力によって左右され
    ているという考え方は、我々日本人にとっては、神道や仏教などの宗教
    的な意味合いでイメージされるのが普通です。

    一方「陰謀」という言葉は、せいぜいありふれた時代劇のように、悪代官
    と悪徳商人が、あくどい取引を企て、後にバレて退治されるといったケー
    スが一番ピッタリくるのではないでしょうか。

    またこの動画に出てくる「フリーメイソン」という名前は、TVで時折放映
    される『やりすぎ都市伝説』というバラエティー番組で、よく紹介されて
    います。面白可笑しく構成されたこの番組の後半では、おきまりのタレン
    トが、各国のフリーメイソンの組織を取材する様子が放映されると同時に、
    日本の明治維新もその他の重大な出来事も、すべてフリーメイソンの力に
    よって成し遂げられたものだと説明するのです。

    共産主義、グローバリズム、また何等かのinternational conspiracy と
    呼ばれようが、全地球を巻き込んだ、こうした大掛かりなシステムは、
    ドラマのように「正義の味方」によって制圧されるどころか、時々刻々
    と我々にある種の「観念」や「キーワード」を吹き込んだり、その莫大な
    資金力を使って、我々を将棋の駒のように思い通りに操っているという
    のがこの動画の趣旨でした。

    もしそれが事実なら、当然我々が学校で覚えた知識も、世間で流布して
    いる様々な宣伝文句を始め、人々が日々の出来事で思わず反応してしまう、
    その仕方に至るまで、誰かに「吹き込まれた」ものではないか、との疑念
    が生じます。

    それと同時に、我々日本人が尊重してきた伝統的な行事や信仰、理想とす
    る生き方に至るまで、それらはすべて「ローカル」で、世界を席巻するあ
    の目に見えない力に比べれば、何か「下位に」位置するものでしかないの
    ではないか、とも思えて来るのです。

    もちろん我々は、まだまだ自らの伝統を守って生活していると自負して
    います。そしてその意地さえあれば、伝統は守り切れると多くの人が信じ
    ています。

    ところがそれにも拘わらず、現実の生活はますます、何かしら「本筋とは
    離れている」と感じている人がほとんどなのではないでしょうか。

    少し前、TVで「大きくなったらアメリカのハーバード大学に入りたい。
    アメリカは一番強い国だから」とインタビューで答えるシナの子供が映っ
    ていましたが、我々はこれを笑うことは出来ません。自分たちの子弟も似
    たり寄ったりだからです。

    国立大学が法人化して、様々な取り組みがされているようですが、噂によ
    れば、東大は豪勢な留学生寮を建てて、世界中から留学生を呼び込む予定
    だそうです。文科省は、これまでより「自由な運営」を促すことによって、
    「より個性豊かな魅力ある大学」を目指すと言っていますが、今の大学に
    「自由」を与えたら、どんな勢力が幅を利かせるか…、と疑念を持たずに
    はいられません。

    また最近テレビに出る脳科学者は、Mensaのメンバーだそうです。ドイツ
    系アメリカ人でハリウッドのインテリ女優兼監督のジョディ・フォスター
    も、何でもIQが高く人口の上位何%かしか入れないというこのメンサの
    メンバーだと言われます。

    クリスマスやディズニーは言うに及ばず、日常のほんの些細な事柄に至る
    まで、ひたひたと迫る「異国の勢力」は、無言のうちに我々のものと彼ら
    のものを「置き換え」ようとしているかのようです。

    また外国人が日本の伝統文化を紹介する番組は、あたかも自らの文化に疎
    い我々日本人をあざ笑うかのようであり、しかももっと腹が立つのは、
    こうした番組も日本人自身が作っていることです。

    西尾先生が、『ヨーロッパの個人主義』で書かれた、「自己を対象化しはじ
    めたときに自己はその内容を失い、自己をつつむ神話的秩序は崩壊を宣せ
    られたも同然」になることが、ますます先鋭化しているのです。

    教科書も私が高校に行っていた70年代前半は、つくづく「まし」だった
    と思います。例えば英語の教科書でも、インディアンから土地を奪う白人
    の、あくどい手練手管を紹介した内容が載せられていました。
    日本史も世界史も、苦痛の伴う暗記物で面白くなかったけれど、その代わ
    り、当時天才編集者と言われた大伴昌司(1936~1973)が企画した
    『少年マガジン』のグラビア記事を読んで、雑学知識を蓄えたのです。
    精緻な技術を持つ画家やイラストレーターの挿絵と共に、ハラハラドキ
    ドキする文面は教科書などにはない魅力があり、後の読書歴や教養を積む
    基礎となりました。当時、大伴昌司の影響を受けた人は数知れません。

    そして、西尾先生の全集第9巻にある、「…しかし『信教の自由』の
    発祥の地である西欧では、自由を脅かす最大の敵は宗教であって、国家で
    はない。さらに『政教分離』とは日本では政治から宗教を守ることと思わ
    れているが、西欧では宗教から政治を、つまり教会から国家を守ることに
    ほかならない」(P243)という認識や、その他先生が常々主張されている
    事柄もろもろは、今も昔も、少なくとも公教育の「平凡な現場に任せて
    いては」、出会うことのできないものとなっています。

    「…中世のヨーロッパは、いわば、法皇を君主とする『世界国家』であり
    法皇庁は『世界政府』であった。この世界国家に君臨し、その秩序を維持
    するローマ法皇の責任は重大である。この責任を果たすため必要なのは
    法皇の絶対権力であった。…このような教権政治機構の成立は、カトリッ
    ク教会の独善的野望の実現ではなく…西ローマ帝国滅亡直後の、西
    ヨーロッパの闇がもっとも濃かった暗黒時代に、ただ一つ闇を照らす
    文化の光はカトリック教会であり、その文化活動であった。…カトリック
    教会が全キリスト教団の聖俗両界の監督者・指導者となったのは歴史的
    に必然の帰結であった。…」
    ところが「異端運動をひき起こした原因が、ほかならぬ法皇権力の強大さ
    と、それを後ろだてにした聖職者の独善的な優越にあった…」
    (『魔女狩り』森島恒雄 岩波新書 1970)

    私は昔、聖フランチェスコの目覚めを描いたフランコ・ゼフィレッリ監督
    の『ブラザーサン・シスタームーン』(1972)を観て、えらく感動したので、
    教会の腐敗を批判し、改革に乗り出したフランチェスコのような修道士たち
    が、「異端審問官」として選任されたことに驚きました。

    「グレゴリウス9世がまとめた構想は、異端者を向こうにまわして神学論
    争をたたかわすに十分な学識をもち、しかも異端者に非難されることのな
    い高潔な人格をそなえ、何よりも、異端の防止と撲滅に宗教的熱意を持つと
    いう、この三拍子そろった適格者を選びだし、それに協力にして広範な権限
    を与え管轄上の地域的制約を受けることなくどこの司教をも支配下に置き、
    専ら異端撲滅だけに専念することのできるような、そういう『専門的な』
    異端撲滅の恒久的な組織をつくること、であった。」
    「…またフランチェスコ会やシトー会の修道士も選任されており、…しかし
    ドミニコ会士が圧倒的に多かった…」
    「…修道士こそは、教会改革第一線の戦士となるはずであった。しかし、
    ひとたび異端者のこととなると彼らは改革のことを忘れて、狂信的な『主の
    番犬』となった。堕落してからの修道士はもはや問題ではない。権威におも
    ねり私利をあさる、法皇庁の院外団に他ならなかった。」

    そして「この教会側の異端審問活動には、各国の世俗権力が協力せねばなら
    なかったのは当然であった。…その構成員である各国は、その国民をこの
    秩序に従わせることを重大な任務としなければならない。したがってこの
    秩序を乱す異端者を摘発し処罰することは、教会だけでなく、国家の任務
    でもあった。…」

    さらに最初は「異端審問」であったものに、ついに「あらゆる法皇の中でも
    最も迷信的、最も貪欲、最も残忍だったヨハネス22世の教書(1318年2月
    27日付)によって『…魔女裁判を開始し、…審問官たちに…判決する十分
    にして完全な権能を与える』旨が言明された。…この魔女裁判解禁令が、
    (収入が減って)それまで唸る腕を撫でていた、各地の異端審問官たちを、
    どんなに鼓舞し魔女狩りに駆りたてたかは容易に想像できる。」

    またもともと異端審問制が徹底されなかったイングランドでも、「魔女追及
    が激しくなったのは、新教国としての旗幟を鮮明にしたエリザベス女王が
    魔女狩り強化令を発布(1563)してからである。」

    ここまで読むと、魅力的なケイト・ブランシェットが演じ、最後に「私は
    イングランドと結婚する」という台詞が印象的な映画『エリザベス』の
    印象も違ってきます。

    のみならず世界史の教科書では必ず習う、この時代を代表する大神学者
    トマス・アクィナスが、「教会は異端者を死の危険から救う必要はない」
    (『神学大全』)と書いていたり、「カトリック神学は、あらゆるものを
    悪魔の力で説明したアウグスティヌス(345~430)によってその土台
    を築かれたものだが、この偉大な教父の『神の国』や『キリスト教教理』
    は、15世紀以来の魔女論者たちが、魔女と悪魔との結託を論証する
    有力な典拠として、やたらに援用しているところのものである。」

    また他方では、近代科学確立の立役者であるベーコンも「我々の期待に
    反し」、「魔女の実在そのものは否定するどころか、むしろしばしば、
    積極的に肯定している。…」、「実験哲学の歴史の上でも重要な地位
    を占めているジョセフ・グランヴィルも、『霊魂滅亡論への一撃』(1668)
    を書いた。」

    無論残虐な暗黒裁判に抗議した人々もいたが、「その人々はルネサンス史
    の片隅にも名を残していない『無名戦士』であった…その人たちの声が
    私達に知られたのも最近の発見によってであり、或は他の人々の著書の
    中の断片的な引用を通してであった。」

    各国の魔女裁判が終焉に向かったのは18世紀でした。その「消滅の理由」
    は定かではないが、「これまでの『世界国家』としてのキリスト教的
    ヨーロッパの聖俗両界の権力的支配者が、もはや教会ではなくなったと
    いうこと、したがって教会は『世界国家』の世俗的統括のための異端審問
    や魔女裁判を必要としなくなったということ、したがってまた、国王や
    領主の世俗的権力も、もはや教会の権威に奉仕、同調する必要がなくなっ
    たということである。」
    ただ森島氏は最後にこう結んでいます。
    「しかし、『新しい魔女』はこれからも創作され、新しい『魔女の槌』の
    神学が書かれるかもしれない。」
      (以上引用すべて『魔女狩り』森島恒雄 岩波新書 1970)

    私は、この本を一冊読んだだけで、学校で習ったキリスト教のイメージが
    変わりました。

    西尾先生が言われるように、ヨーロッパの「表芸」だけを学んで事足れり
    としていたのでは、過去はもちろん現代も理解できなくなるのは、もう
    既に明らかです。

    我々日本人には理解しがたい「悪魔」という考え方を持つキリスト教の
    ヨーロッパ人は、いつまた誰を、悪魔や魔女だと認定するか分かりません。

    そして一たび相手を魔女だと決めつけたら、「誰もが振り向きもしなかっ
    た2000年も前のモーゼの命令、『魔女を生かしておいてはならぬ』を
    魔女狩りの拠り所として意気揚々とかつぎ出し」てくる事さえ厭わず、
    20世紀の法律家をも驚嘆させた、反対尋問の技術と工夫が施された
    スペインのドミニコ会士エイメリコの『異端審問官指針』(1376)
    のような教科書を記し、一方では、「被告が俊敏博識の異端者である
    場合には、…論争することは得策でない」と助言するなど、ありとあら
    ゆる方法を駆使してくる所は、Bruxelles氏が紹介された、プロパガンダ
    であれ精神分析であれ、様々な方法にも通じているように思いました。

    そこでもし、こうした「魔の手」が、今現在にも我が国に及んでいると
    すれば、それに対処するのに、我々日本人の最も得意とする「直感力と
    造形力」だけでいいのか、という疑問を抱かざるを得ません。

    「この半世紀、未知の文明に出会ったヨーロッパ人は歴史学、人類学
    美学をはじめ、ほとんどあらゆる学芸の分野でおのれの価値基準の
    再検討をせまられたが、それは自己否定という名の自己肯定の形式に
    ほかならないのではないか。世界のあらゆる現象を西欧の論理で説明
    しつくしてきたどんらんな意志をいま一度あらためて拡大し、説明し
    きれない部分をも、彼らの文化体系のどこかに位置づけずにはすまさ
    ないという強靭な意欲がここには秘められているように思える。」
    (『ヨーロッパの個人主義』 講談社現代新書 P66)

    我々は、そんな彼らに「調子を合わせて」「丸め込まれる」愚だけは
    もう二度と繰り返してはならないのであります。

    長くなり、大変失礼しました。

  3. 黒ユリ様
    コメント大変ありがとうございました。
    Woodrow Wilson (1)というタイトルなのに、リンクを貼りすぎて、内容が拡散し過ぎてしまいました。それでWilsonに関するfilmを2本、追記しました。WilsonのそばにいたEDWARD BERNAYSに関しては、一般によく知られている仕事上の業績はこのようなものです。
    HOW TO CONTROL WHAT PEOPLE DO | PROPAGANDA BY EDWARD BERNAYS | ANIMATED BOOK REVIEW
    https://www.youtube.com/watch?v=8Q-3qwEDyPM
    一国の政府を転覆させています。

    『ブラザーサン・シスタームーン』、私も見ました。主題歌も覚えています。
    大衆操作心理学が生育するのは、報道の規模の拡大、つまりマスメディアの誕生に平行しているように思います。
    それ以前は政治権力か宗教権威を仰いで、大衆は信仰心や現実利益の僕となって、ある程度自我を放棄して、つまりはマインド・コントロールされて生きていたのではないかと思います。もちろん今も宗教の力や政治の力には逆らえないのも事実ですけどね。なぜならどちらも、マスメディアをバックボーンにしているので、世論などを軽く押さえ込みますが、大衆操作心理学つまりプロパガンダ&PRに比べると、あまりに強引な場合は少々目立ちすぎるのですよね。

    最後に話がそれますが、面白い記事をご覧に入れます。
    http://blog.goo.ne.jp/laiglenoirjp/e/c5d611d021c99d8a5408d0f8f8f6cf95
    結果として、芸術市場の中心地をパリのモンマルトルからニューヨークに奪い取ってしまいました。ひとつの余興的追加話ですけどね。

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