前橋講演における皇室問題への言及(六)

●日本の皇室

 日本の皇室というのは神主の代表で、言ってみれば神話の系譜を継承している神主の代表でありますから、祭司やお祭りの主でございまして、外交なんて関係ないんです。従って皇室外交という言葉を作った人は罪が深いと思います。皇室に外交を求めてはいけないのです。皇室外交を期待して嫁がれたりすると、それは小和田家の雅子様の父上が誤解、誤認を与えて嫁がせたことになるのではないかと私は思います。

 皇室外交。それは存在しないのです。社交はありますけど。社交と外交は別ですから。それらのことを考えますと、それでもなお皆さんはこうおっしゃると思うのですよ。「なぜ男系でなければいけないのか。」説明がつかないではないかと現代人は言いたがりますが、天皇制度そのものの説明がつかないのではないですか。そんなことを言い出したら歴史史上のことは何でも説明がつかない。「なぜ男系でなければいけないのか」に説明はいりません。なぜ理由説明がいるのでしょうか。いらないんです。それが歴史というものなのです。歴史というものは説明を超えているものなのです。

 それからこういう人もいますね。古い時代のことなのに正確に系譜をたどれるのか。途中でいろんなことがあったじゃないか、と。血筋について正確かどうか分からないじゃないか、と。そうです。それは分かりませんと申し上げるしかない。そんなこと正確かどうか議論する必要はない。そういうものなんですよ。

 ですから過去にそういうことがあったということと、我々がそれを継承してきたということがあるだけです。それに違反する事実はひょっとしてあるかもしれないが、言い出せば切りのない屁理屈であって、疑い出せば「解釈」が生じるだけだというふうに申し上げるしかない。「解釈」は人間の数だけあり得るのです。だとしたら過去に起こったことはそのまま尊重しなければいけません。そこでそれは終わるということを意味するだけなのです。

 非常に大事なことを申し上げますが、皇室を崇拝している方にもかなりセンチメンタルな人がおられまして、皇室というファミリーが大事だと思っているのですが、歴史が大切なのです。歴史は皇室というファミリーをさえ超えているということを認識してみる必要があるのではないでしょうか。確か水戸学でもそういうことを言っていましたね。

 いろんな問題がございますが、今日私は初めてこういう意見を公的な場で自分の考えとして述べたのでございまして、実際にはまだそれほど深く勉強している訳ではないので、これからもうちょっと研究します。でも私の見通しは大変困難な今日の時代に関するものです。津波に押し寄せられる防波堤の一角が戦後ぼやぼやしているうちに破られ、本当に取り返しのつかない事態、そして左翼の憲法学者たちが何十年か後に嘲りの声を上げるのを黙って指をくわえて見ているほかないような時代を少しずつ迎えつつあるということに、皆さんの注意を向け、ちょっとギョッとする話で本日の講演をスタートさせてもらいたいと思った訳であります。

(追記)なお、これで終わらず『正論』4月号の私の詳しい皇室論を読んでください。同論は5月刊行予定の新刊『民族への責任』(徳間書店)にも入っています。

「前橋講演における皇室問題への言及(六)」への5件のフィードバック

  1. > 日本の皇室というのは神主の代表で、言ってみれば神話の系譜を継承している神主の代表でありますから、祭司やお祭りの主でございまして、外交なんて関係ないんです。

     先生、ちょっと揚げ足をとるようで悪いんですが、重要なところを誤解されているようなので、補足させてもらいます。
     まず、皇室に宗教はないと思います。戦後も戦前も無宗教のはずです。そうでないと、国家宗教(国教)があるということになってしまいますから。ときどき皇室がやる大嘗祭などの神道風儀式も神社や神主とは直接関係ないと思います。神主が関係していたら、神道が日本の国教ということになります。政教分離に思いっきり反します。あるいは意図的なのかもしれませんが、誤解を招きます。

     先生の言われている万世一系を認めている神道というのは、戦前の国家神道(国事神道)のことですよね。よく誤解されてますが、これは宗教ではなく、戦前も国事行為という扱いだったはずです。宗教としての教派神道(神社や神主)とは関係ない。だいたい、信教の自由を認め、政教分離を説く近代国家は、多くの場合、国家宗教(国教)は置いてない。でも、数々の国家行事を行なうときに、なにか儀式風のこと(国葬など)をやる必要があるので、日本は宗教ではないが古式神道風の儀式を行なう、これが天皇による国家神道です。わかりやすく言うと国事神道。宗教ではなく国事行為にすぎません。だからこそ、戦前においてもキリスト教徒や仏教徒にも天皇への崇敬や靖国神社参拝を強制できたわけです。国家や国王に対する忠誠要請と同じです。表向き宗教は関係ありません。靖国神社も国家施設であって神社ではないと思います。

     基本的には、これは西洋諸国も理屈は同じで、アメリカも国家宗教はないけど、大統領の就任宣誓は聖書にします。もし国葬をすれば、牧師や神父風の人もいるでしょう。しかし、これもいわば国事キリスト教であって、キリスト教風の国事行為だと思います。アーリントン墓地の扱いも同じようなものでしょう。フランスも国民の大半はカトリックだけど、国教ではないので、この前もローマ教皇逝去の際に役所が半旗を掲げて問題になったんですよね。政教分離に反すると。(でも、イギリスは国教会だから、教会でやっても問題ないのかな、やや不明)

     日本も明治政府が国教としての仏教を廃止して、天皇を中心とした立憲君主制に移行したときから、国家宗教はないし、信教の自由も一応保証されていました。だから、基本構造は西洋のそれと大差ないはずです。むしろ無理矢理大差ないようにしようとしたわけですよね。ちなみに、「天皇陛下」という漢語としてはかなり無理のある造語も、西洋の最大級尊称に合わせた訳語でしょう。それまでは「天子様」や「帝」ですよね。(でも天皇陛下はまだしも、「皇太子殿下」は日本語としてかなりおかしい)

     この辺の事情は,実は戦前も戦後も変わってないと思います。いまも皇室がやっているのは確かに古式神道風だけど、神道ではない。ただ、戦後はこの儀式の性質があいまいで、国家「神道」はなくなったはずだから、万世一系を認めている国事神道の儀式ではないということになります。ぶっちゃけていうと、皇室ファミリー独自の「うちの流儀の儀式」、「家庭祭式」を国事として行なっている、という以上の意味付けはないのではないでしょうか。だから、カトリックのやり方でやっても何ら問題ないわけです。まあ、国民の大半がカトリックじゃないから、雰囲気的にそぐわないとは思いますが。それとも、国家神道の中核であった万世一系という* 国家思想 *は現在も皇室典範とかに明記してあるのでしょうか?やはり国家神道という法的扱いなんでしょうか?この思想はふつうの神社神道は公式には認めてないでしょう。(国家神道という呼び名自体はマル系学者のつけた俗称でしょうけど)

     ここに書き込んでいる人にも、宮内庁と神社本庁(教派神道)の区別さえついてない人がいるようですが、神社本庁は役所ではなく、天理教やアレフと同じ単なる宗教法人です。もちろん国家とは何ら関係ありません。この宗教としての神社神道は、万世一系の天皇を君主とする国家思想である国家神道とは直接は関係ありません、戦前も戦後も・・・と思うけど、どうなんでしょう?

  2. 放置が良いのかなと思いつつ、「重要なところを誤解されているようなので、補足させてもらいます。」とありますので、少し。

    補足するなら正しくお願いします。

    >「先生の言われている万世一系を認めている神道」
    どこをどう読めばそうなるんでしょうか。
    それ以降の文はツッコミどころ満載ですが前提が違うのでスルーします。

    >ちなみに、「天皇陛下」という漢語としてはかなり無理のある造語も、西洋の最大級尊称に合わせた訳語でしょう。
    まさかとは思いますが「天皇」という語源をご存知ないのでしょうか?
    スメラミコトは分かりますよね。

    >でも天皇陛下はまだしも、「皇太子殿下」は日本語としてかなりおかしい
    これも同じく語源からお調べください・・・で、日本語としてどうおかしいのか。

    >ここに書き込んでいる人にも、宮内庁と神社本庁(教派神道)の区別さえついてない人がいるようですが
    ・・・そんな人見当たりませんが。
    オン・ザ・エッジという会社の名前とH’(エッジ)というPHSの区別がついていない人ならお見受けしましたが。

    宗教法人の例にアーレフが出てくるというのもなんだか・・・

    ところで、先のローマ法王の葬儀に・・・これはご出席されること自体がおかしいのですが・・・もし仮に臨まれることがあったとしたら、席次はどうなるかお分かりですか?

  3. 上記文は神社神道と教派神道を区別していないところなど、正確ではなかったので、改めてざっと調べてみました。おおまかな内容としては上のままでよいようです。

    まず、日本の神道といわれるものを形式的にわけると、

    古神道
    神社神道
    皇室神道
    教派神道

    くらいにわけられるようです。
    ちなみに、上記で問題にしている国家神道といわれるもの(これは占領軍が戦後、「神道指令」というものを出したときに使った用語のようです)、つまり戦前戦中の神道風国家体制は上記のうち、神社神道と皇室神道が合体したもので、教義的には平田篤胤の思想を元にしているようです。その中心(信仰告白)は、アマテラスを皇祖と認めること、万世一系を認めること、天皇に現人神としての神格を付与することのようです。これ以外はすべて異端とされました。一見すると神道ですが、その性質はのちに述べるように、かなりキリスト教に近いものです。国家神道は、明治維新から明治憲法発布までの20年という比較的短期間に作られた、いわば新興宗教のような神道です。垂下説、神人合一を説くという点では、同時代の大本教や天理教とも共通で、どちらがどちらを模倣したのかはわかりません。

     もともと、天皇家が神道と直接に結びつけられたのは最近のことで、明治以前は、天皇家が宗教として奉じていたのは、聖徳太子以来、仏教であり、ことに平安時代に嵯峨野天皇が空海を認めてから、日本の国教に当たるものは事実上仏教でした。この場合、皇族といえどもは僧侶ではなく信徒にすぎませんから、自ら仏教の儀式を行なうことはできません。つまり、皇族がなんらかの宗教的影響力をもつ、亜宗教的な存在と意識されるようになったのは、明治以降のことなのです。(だから天子や帝に宗教的ニュアンスはありませんよね)また、天皇が隠居すると(むかしは生前退位が一般だった)、法皇や院という仏式の法名を名乗ったことからも仏教信仰がわかります。宮廷でも一般に仏式、神式が併用されていました。しかし、神式は宮廷儀式という性格が強く、信仰としてはやはり仏教だったようです。これは皇室の形式的家臣たる幕府も同じことで、こちらは禅宗でした。

     明治維新という幕藩体制へのクーデターが成功して、一刻も早い西洋化を図る新政府は、封建秩序と結びつき国教化していた仏教を廃棄することをもくろみました。黒船の影に怯える政府には、宗教的な是非などを悠長に斟酌している時間的余裕がなかったのです。まず僧侶の役人としての地位を剥奪し、ついで僧侶の婚姻を不処罰としました。これによって、経済的基盤を失った僧侶たちは、あらそって結婚に踏み切り、私財を貯え、還俗していったのです。もちろん急速に信徒たちの信頼を失いました。こうやって、まず仏教の破壊に成功した政府は、ついで皇室ならびに国家の神道化を押し進めていったのです。はじめは、そのままで神道を国教に据えようとしました。しかし、「西洋化」を押し進めているのに、中世の神権国家のような体制では、ちと都合が悪い。欧米にも介入の口実を与える。そこで、神道は宗教ではないとする、国家神道(国事神道)体制がでっちあげられたのです。しかし、これはよくよくみると、西洋の絶対君主制を神道のフレーバーで飾ったものにすぎず、日本古来の神道とはかなり異質なものです。全国の神社をヒエラルキー状に積み上げ、これを国家の管理下に置き、神主は神官化して、その頂点には現人神の天皇が鎮座する。この体制に一番近いものは、ローマ帝国時代の国教キリスト教下での帝政です。ここでも聖職者は神官かつ役人であり、その教会を所有し統括する皇帝が神とされました。平田篤胤はローマ・カトリックの神学を参考にしたと言われます。

     これはけっして偶然ではありません。もともと明治政府が西洋の植民地になることを恐怖したところから生まれた体制であることから、キリスト教の流入をふせぐことは自明でした。キリスト教に対抗しつつ西洋化を押し進めるには、キリスト教と等価な神道を作る必要があったのです。このキリスト教式神道は、日々、西洋の学問の導入に邁進していた明治の知識人には受けました。それは西洋化しようとする日本人の精神を支えるにはぴったりの神道だったのです。これが宗教ではないと強弁されたことはかなり奇妙だけど、この点は西洋もその歴史を辿れば、似たりよったりです。日本では世界宗教である仏教と民族的宗教感情である神道は別個に存在していて、前者を破壊して後者を世俗宗教化する道を模索しました。ただし、この世俗宗教は破壊されたはずの仏教的意識の強いものとなりました。西洋では、その逆をやっただけです。その結果として、各国には民族的感情の混入したキリスト教が生まれました。そして、この制度宗教は世俗とは別、つまり政教分離だとされたのです。宗教的なものがやはりあることには違いありません。

    西尾先生の主張を聴いていると、私の父親世代によく似ています。私の父親よりはすこし若いはずですが、終戦時に中学生より上だった世代は、神道や神社が異常に好きです。家には必ず神棚があり、正月には拍手を打ったり、オミキを上げたりしないと気がすみません。いまも戦中の国家神道に完全にやられているのです。この体制にかつて命をかけたわけですから。そして、仏教をひどくバカにするのです。坊さんが来ても、ろくに挨拶さえしようとしません。仏壇の前に座っているところなど見たこともありません。

    一方、祖母に当たる世代だとまったく逆で、こっちは仏教一辺倒です。神社には冷淡です。うちは真言宗だったので、ばあさんは坊さんを超能力者だと思い込んでいました。坊さんと話すのが至福の時間のようでした。また、私の子供のころにはまだ結婚してない坊さんというのが珍しくなかったのです。だから、子供心にも、坊さんが家に来ていると、なにか普通と違う人間が来ていると恐かったものです。前出の父親は坊さんなんて堕落した人間の極みだと言わんばかりの態度で、裏庭で自分で作ったお稲荷に拍手を打ったりしてました。その後、仏教はほんとに滅んでしまいましたが、われわれの宗教的な心象風景は基本的にはあのときのままなのです。

  4. マツダ様へ

     時間がないので、取り急ぎ疑問点だけを申し上げます。
     「神社本庁(教派神道)」とのことですが、「教派神道」というのは天理教や御嶽教などのことではなかったのですか。神社本庁(一応、神社神道を代表するものとして捉えてよいと思います)の場合は、確かに今では一宗教法人に過ぎませんが、戦前は違った位置づけをされていたと記憶しています。なにとぞご確認の程を。
     平田神道がキリスト教の要素をひそかに取り入れているというのはほぼ通説化していますが(小生もそう思いますが)、従来の神道とまったく異なったものとして見るのはどうでしょう。すでに、延喜式などでも神社のヒエラルキー化が行われていますし、その後もそのような動きが何度もあったことからしても、「国家神道」が明治以後に創られたものとする見方にはやや疑問があります。その淵源はかなり古いのではないのでしょうか。
     それに、「天皇陛下」「皇太子殿下」の呼称を問題にされておられますが、一体どこを以て「西洋式の」「無理な造語」とおっしゃられるのか、全然わかりません。なにとぞ御教示の程を。
     とりわけ、分かりづらいのは以下の条りです。

    >もともと、天皇家が神道と直接に結びつけられたのは最近のことで、明治以前は、天皇家が宗教として奉じていたのは、聖徳太子以来、仏教であり、ことに平安時代に嵯峨野天皇が空海を認めてから、日本の国教に当たるものは事実上仏教でした。この場合、皇族といえどもは僧侶ではなく信徒にすぎませんから、自ら仏教の儀式を行なうことはできません。つまり、皇族がなんらかの宗教的影響力をもつ、亜宗教的な存在と意識されるようになったのは、明治以降のことなのです。(だから天子や帝に宗教的ニュアンスはありませんよね)

     「皇族が宗教として奉じていたのは事実上仏教だった」というのはよいとしても、実際には「儀礼として」神道を行っていたというのは認められておられるようですが、それなら十分神道を信仰していたとして考えても大過はないのではないのでしょうか。やはり、「宗教」の定義いかんによって、答えが異なってくるように思われます。
     それに、(誤記がおありのようで、意味が判然としませんが)皇族が「僧侶ではなく信徒にすぎませんから、自ら仏教の儀式を行なうことはできません」と述べられておられますが、皇族自身が僧侶の場合にはどうなるのでしよう。やはり仏事を修なえないのでしょうか。宗教的影響力を持ちえないのでしょうか。
     また、「天子」「帝」に「宗教的ニュアンスはない」というのも甚だ理解に苦しみます。白川静先生の著作をひも解くまでもなく、二つとも極めて宗教的な言葉だと思うのですが。
     以上、小生の誤解・誤読に基づくものも多々あるとは存じますが、何卒御教示のほど賜りたく、宜しくお願いいたします。
     

  5.  男系男子の皇位継承による天皇制は、非常に合理的である。しかも効率的な制度である。そのことをあまりに忘れすぎている。

     そもそも男系男子という考え方は、時代の変化とは一切関係ないものだ。それは天皇陛下であっても抗しきれないものでもある。つまり、誰からも公平であり、論理的であり、説得力を持つ。
     女系天皇では、なぜ女系天皇がうまれる以外の時代においても、それが許されるのかという誰しも単純に納得できるものが失われる。
     正統性を失った権威者では、権力者が権力者であるための正当性を失い、日本が不安定になる。 むしろ、不完全であるからこそ発展する民主主義においては、日本人は誰しも権力者になる。そのときに権力を振るう説得性を首相になった権力者ではなく、権威者たる存在が彼に代わって説明してくれる。これは非常に政治的に効率的である。そして、国家を安定的に平和を維持する作用をもたらす。
     逆に、歴史的正統性が無い場合は混乱をつねにもたらす。国民に権力者としての正当性を納得させるときに分裂を生むのは、韓国や中国を見ればわかることだ。歴史的権威がないために、自らが権力者になって権力をふるうための説明を、鬼退治に求めるしかなくなる。 金大中でさえ、前の権力者を悪者に仕立て上げ、そして自らの正当性を主張した。これでは、いつまでたっても国家は不安定なままだ。しまいには外国を否定することにしか、自らの地位を維持できなくなってしまう。これでは、分断と不信を世界中にばら撒き続けるしかなくなっていしまう。
     このように、権力者が自らの正当性を維持するための一つの方法として、誰しもが納得し、誰しもが抗しきれないもので、つまり、正統性をもっているものによって、自らを正当な権力者として振舞うことが簡単にできるシステムを維持していることのほうが、実は非常に合理的効率的経済的論理的な統治システムなのだ

     民主主義とは、つねに不完全であり、かつ発展的な政治システムである。それを安定的で説得性を持つ国家システムである男系男子の天皇によって、時の日本人の権力者を認証する。これは、過去現在未来の日本人に対しても、そして、いまの小泉さんにとっても、もっとも利益になるシステムなのだ。日本の歴史において、武家政治であろうともそれを維持し続けたのは、なにもその当時の権力者のためだけではない。次の日本人のためにこのシステムをストックしておいたほうが得策である。

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