教育は錬金術か

ゲストエッセイ

佐々木純子          

国立大学が、まだ一期校と二期校に分かれていた40年少し前の事ですが、教育学の先生が、「(受験生は)『本当にこれがやりたい』と思って(大学に)入って来ればいいんです …(でも)受験勉強で疲れ切っているんです」と強調していた事が、今でも印象に残っています。

その後共通一次試験が導入され、さらに今のセンター試験の時代になっても、そうした状況が変わったとは思えません。

もし現代日本を特徴づける言葉があるとすれば、受験勉強を代表として「もっとやれ、もっと」という「際限のなさ」であり、その他の方面においても等しく広がる、「何処からとも言えない、もっともっとという現実的要請」ではないでしょうか。

以前スペイン・英合作で、ロンドンの女子寄宿学校を舞台にした青春映画を観て面白いと思ったのは、キーツの詩についてのレポートを生徒に返却する時、先生が「最低!」と言って評しながら、レポート用紙を宙に放り投げるシーンでした。しかしそのレポートを書いた生徒の方も負けてはいません。「キーツが私に一体何の関係があるっていうのよ」と放課後、同級生にぶちまけるのです。

一方我が国の教育はどうか。「何が何でも解らせる」ならまだいい、すべてが、最近のテレビ映画劇場で、古い映画を上映する時、最初の画面にほぼ毎回出てくる「この映画には、一部不適切な表現がありますが、製作者の意思を尊重し、当時のまま放映致します」のように、曖昧模糊とした表現に満ちています。

そんな中、我々は「これ以上踏み込まないように」という暗示を受けて、口をつぐむのです。同様に学校の生徒も、例え様々な疑問を持っても、「高校までは、考える材料を積まねばならない、それ以上は大学に行ってやれ」と教師に言われるか、授業内容を消化しきれないまま「見切り発車」するかの、いずれかです。

ところが「問題意識」を持って意気揚々と大学に入った学生も、その他の平均的な学生も、しばらくすると大学の「本当の事情」を知り、より現実的な目標を持つ方が得策だと悟って、卒業して行く人が大多数なのです。

こうした教育の結果生まれるのが、「奴隷の世界観」を持つ社会人ではないでしょうか。

つまり日本に居ながら、ある時はヨーロッパ大陸に、また別の時にはアメリカ大陸やシナ大陸に自身の身を置いたと想定して、物を考え続けていれば、GHQの政策そのまま「日本が悪かった」史観に染まっても無理からぬことで、我々の多くは、こうした現実的根拠のない様々な妄想に取り憑かれ、あげくに自分が何国人か分からなくなるという、昔は精神分裂病、今は統合失調症と名付けられた精神病の一歩手前に至っている、と言っても過言ではありません。

さらに悪い事は、幼稚園や小学校から大学に至るまで、段階を追って選別されるため、すべてをランク付けせずにはいられない強迫観念と、「負け組」意識が染みつきやすいことです。これは個人間でも国家間でも同じで、「負け組」国民は、何事も挑戦する価値がないと思わせる原因となっています。

「エジプトのテーベから発掘された“パピルス文書”には、金属を模造する方法が、150通りも記録されている。金に銅や亜鉛を加えると、合金されて何倍にも増量するが、何も知らない人の目には、あたかも銅が金に変わったように見えた。それがやがて、金を作りだすという夢へつながっていった。」

「ギリシャの哲人アリストテレスは、すべての物質の根本は“質料”と称する基本物質で、別に水や土や空気は元素である、と考え、生物も土や水の中から自然に生まれてきた、と主張した。“質料”の配合を変えたり、量を増減すれば、土くれを金にすることもできる。これが、後の錬金術を生む重要な理論になった。」

「あらゆる物質の中で、金は完全な金属、銅や鉄や鉛は、自然の失敗作で不完全な金属である。だから病める不完全な金属を治療してやれば、やがて金に変わる。その治療薬が全物質に含まれていると思われる“賢者の石”という元素だ。」
(「錬金術入門」資料・監修 京都大学助教授 吉田光邦 資料 森島恒雄
企画・構成 大伴昌司 『少年マガジン』‘70年代前半)

こうした錬金術の理論を見ると、現代の「教育理論」や学習のハウツーものを思い出します。例えば、「どんな子供にも、無限の可能性があります」「学力ではなく、子供の自主性を尊重し、生きる力をつけます」「三か月で英語がしゃべれるようになります」といった「殺し文句」です。

またちょっと分かりにくいのは、学校現場によくある考え方で、一定の情報を子供に与えていけば、子供たち自身で「自然に道筋を見つけるだろう」というものですが、これは「盲人が盲人を導く」と同じで、失敗した錬金術の方法です。

以上のような現代の、底なし沼のような教育現場に、「日本人の自我」という筋金を通した杭を打ち込んだのが、西尾先生の『国民の歴史』をベースとした『新しい歴史教科書』(平成13年)でした。この教科書は、教育にとって肝心なのは、情報と共に、受け手である生徒の自我を啓発して初めて身についた知識となる事を前面に打ち出した点で、共産主義者を中心とする左翼と呼ばれる人たちに、相当の脅威を与えたに違いありません。

その例の一つが、今問題となっている「学び舎」と呼ばれる会社が作った歴史教科書です(http://manabisha.com/)。

この会社の教科書を灘や麻布といった、所謂一流校と呼ばれる学校が採択したそうですが、上記のサイトを見て、私はつくづくこれらの学校の生徒が気の毒になりました。教科書の具体的な中身は見ていませんが、唯一「慰安婦」の記述があるという、それこそ左翼の大好きな用語で言えば「時代に逆行」し、おまけに「つくる会」を強烈に意識した「学ぶ会」という名前や、「こんなに歴史はおもしろい!」という謳い文句を使いながら、「歴史との出会い」「問いを生みだす」等々、何十年前に流行したような古臭い教育理論に則っています。
こんな「つくる会」にギラギラの対抗意識をむき出しにした「現場の教師たち」が作った教科書で、いくら「自主性」を刺激されたとしても、生徒たちは、結局昔の詰め込み式の大量暗記をこなさねばならないのだから、目次を
見ただけで、新興宗教のパンフレットかと勘違いしそうな教科書で、大切な授業時間を費やすのは、徒労以外の何物でもありません。

数学者の広中平祐氏によれば、「数学の問題であっても、同レベルで難しくしようと思えば、いくらでも難しくできる」そうです。奴隷根性の教師たちが作った教科書でどれだけ学んだ所で、奴隷根性しか生みださないでしょう。もし仮に、歴史教育における奴隷根性を打ち破る生徒が出てきたとしたら、それは、まさに彼らが養成したがっていた「生徒の自主性」に他なりません。

「新世界に征服の触手をのばした白人は、ついに1543年、最後の目的地黄金の国ジパングにたどりついた。だが、インカやアステカと違って、日本人は手ごわかった。武力による征服はだめだと判断した白人は、平和的手段で足がかりをつくろうとして、キリスト教の宣教師を送りこんできた。キリスト教は、ヨーロッパの富をふやす働きアリのようなものだった。武力で征服した民族の反抗心を封じるために、進んで力を貸したのだ。信長も秀吉も、はじめのころはキリスト教を優遇し、布教の援助をしたこともあったが、秀吉はやがて、そのうらにある大きな目的を見ぬいて禁止した。徳川幕府は、さらに白人すべての上陸を禁じ、国内に残るキリスト教信者を処刑して、鎖国時代にはいった。こうして、日本は自ら世界に目をとじたが、黄金につかれた白人たちに荒らされる心配もなくなった。向かうところ敵なしとみられたヨーロッパ人は、戸じまりの厳重な日本にはじめて手痛い反撃を受けたのだ。」

「16世紀にはいって、ヨーロッパの文化は、すばらしく発展した。すぐれた芸術家が続出し、けんらん豪華な美術品や巨大な建造物が生みだされ、市民生活は豊かになった。だが、アフリカは暗黒大陸とよばれて、未開のまま放置され、黒人と鉱物資源だけが際限なく運び出された。南アメリカも、アジアも、貧しく荒廃していった。12、3世紀まで、ほとんど変わらずに発展してきたヨーロッパと東洋、南アメリカの文化水準が、探検の時代をすぎるころから、いちじるしく変化して、ヨーロッパの文化はぐんぐん高くなった。白色人種は優秀で、有色人種は劣等であるという評価が、その結果生まれてきた。
なぜヨーロッパ人は、この時代に世界を征服することができたのだろうか。それにはいろいろな説があるが、ヨーロッパ人は遊牧民族の子孫なので、世界の果てのどこへでも出かけて行き、征服することがじょうずだったからだろうと言われている。力のあるものが、力の弱いものを征服する。弱肉強食は、生物が生き続けていくかぎり、さけがたい宿命なのだ。」
(「探検の時代 新世界の勝者と敗者」企画・構成 大伴昌司 『少年
マガジン』‘70年代前半)

この40年以上前の『少年マガジン』のグラビア記事よりも、遥かにソフトな記述の「つくる会」の教科書を否定するなら、学び舎の教師や元教師たちは、いっそ「日本はもう既に『移民国家』なのだから、歴史教育を廃止し、アメリカのように、他民族と仲良く暮らして行くための公民教育を徹底すべきだ」と、本音をはっきりと主張すべきでしょう。

そうではなく、あくまで自分たちが主張する「生徒の自主性」に固執するなら、自分たちの奴隷根性をしっかりと自覚して、『国民の歴史』を推薦図書として生徒に読ませるのが筋です。教師の矛盾とブレほど、生徒にとって迷惑なものはないからです。

また生徒の方も、仮にも自分を「エリート」だと自認するなら、時には自分の足元を見て、今自分が案楽に暮らせているのは何故かを考える必要があります。日本語で読み、日本語で考え、外国人と対等に付き合えるのも西尾先生が『江戸のダイナミズム』で書かれたように、我々の先祖たちが何百年もの時間をかけて、国語を整備し、外国の強大な影響から我々日本人の精神の独立を保つべく、不断の努力をしてきたからです。

ただし西尾先生の著作に「挑戦」する時は覚悟も必要です。なぜならそれらを読んで「自我に目覚めた」者は、もう自分自身から逃げることができなくなるからです。そして生まれてきた以上何をすべきかは、自分自身の力で考
えるしかないと、つくづく思い知らされるのです。

      平成28年5月4日   
        佐々木純子

「教育は錬金術か」への1件のフィードバック

  1. 我が国は地政的にも歴史的にも、いわゆる「引きこもった」時にその学問の研磨、融合、そして時に爆発とも言える現象が生まれていると考えます。まさにあのアインシュタインの言った「思考のジャンプ」が様々な分野で起きる。

    また、錬金術と捉える事自体が、もはや文明の負の側面と言えましょう。我が国の本来の姿勢は、この様な事態にまで至らぬ様に、ベクトルの軌道を、時代時代の潮流を受け止め捌き、修正し続けたのが我が国の教育の有り様と考えます。

    並んで、教育の定義を声高々に議論する事もまた、その「教育こそ礎」という信仰、つまりは西洋が無意識に浸透し、啓蒙主義の光の部分への信頼感と反面の盲目から派生、細分化し、言葉の氾濫から、経済活動、利権にまで紡がれ、やがて手段と目的の混濁、いわゆる堕落まで加速してゆきます。その反芻もまた、中世欧州思想史の如くなぞる。そっちへゆけばホッブス、そっちへゆけばルソー、さては眺めてマルクス·レーニンに依ろうと漂う。そして「自由」に落ち着きたがる。ですから、この辺りをいくら考察しても、それこそ絆創膏に過ぎないのではないか。

    本質的に教育は「錬人間術」でなくてはなりません。

    何もこの姿勢そのものには、清流の如きモラリズムや、凛とした立ち振舞いなど微塵も無い訳です。時代によって姿形変わる、いわば衣服の様な移り変わりのみ。

    例えば、アマラとカマラを引き合いに出すまでも無く「人間」と「人」は全く似て非なる事は自明でありますから、さすれば生物学や生理学等の見地なくしての積み上げ、視点の座標上の交点を抜いた、または忘却したままでの言葉の飛び交いは、それ自体が、多様な学問を「鋭角」にしていくだけです。俗に言う「スペシャリスト」を増殖させ、知の連動を妨げる。

    我が国の知、言うなればエリートは、元来、軽く歴をなぞっても、憲法十七条にみる官の在り方、識としての仏教の政治性や科学性、それらを行政としておろす事業性、武士階級の文武、京都五山、さては帝大、その知の行き来の拡がりは、まさに対義の「ポリバレント」とも言えます。

    何ゆえこうまでも日本人の知はその「人間力」を喪失したのか。

    「在るものを埋没させたまま」で、例えるなら「人間の前提条件」を忘却したままでの教育に意味などありません。

    ユダヤの教えに「教育は母の膝より始まる」という言葉がありますが、こういった言葉一つでさえ、恐らくはその各々の受動状態、構築してきた知識、更には個々の記憶の連動により、その捉え方は千差万別となります。

    大半の日本人にとってこの言葉は、それこそユダヤ的な意味合い、いわゆる「生き抜き方」の類いの言葉であるとは、到底捉える事はないでしょうし、少なくともこの言葉から浮かび上がる情感は、厳しさや凛々しさ、鋭さなどは「描けない筈であった」のです。

    教育を「言葉」と捉えるか「手法」と捉えるかで、その定義は本質的に全く異なってくる。本来、この部分まで掘り下げねばならないのだという警鐘が鳴り響いているのではないか。その意識をもたずして日本人たる教えを述べ伝える事自体を現代教育に突き刺す事は出来ません。

    俗に言う、朝日新聞等がいう、道具化の果ての「言葉のチカラ」などとは、我が国本来の「言の葉」とは、在り様それ自体が違うのです。

    「教育」もまた、突き詰めれば文明の枝葉であり、文が化けたものであるなら、そこには遥か遥か源流に「言葉」が在り、そこに「言葉≒人間」の普遍を見るのは語るまでもない。

    なぜ我が国の民は、田舎の農村や漁村ですら、ポルトガルの宣教師を跳ね返し、ある種の論破が出来たのか。勿論、論破というほどの攻撃性など無く、しかも「もてなして、柔らかいまま」の姿勢を崩す事もなく。

    民にそれらが浸透していたのは何故か。

    風土を背景にし、自然を拝し、先祖を敬い、刻に身を置く。言うなればそこから来る「仰がなくとも在る、現実的な自信」は、その精神の中に、液体金属の如く、柔軟性と強固性を兼ね備えていた。国家観すらない、地方様々に差異もある中で、その姿勢を可能にしたのは、そんな民の在り方そのものを上は汲み取り、言葉にしたからではないでしょうか。

    先生の仰る、我が国の真の鎖国、1000年の昔、その時にその一滴は絞り出された。それまでの知と向き合い、汲み取り下ろし、音に乗せ、民まで降り広がり、その精神性や自然性を、可能な限り耳目で捉えられる様に。「物自体」すら包みこむ、言葉がそこに現れた。

    感性に耳目傾け、理性用いて言葉におろす。

    今思うのは、染み渡り、無意識にまで浸透し、教育という理性に打ち込める形まで磨き上げたものを、いよいよ破壊され、硝子破片の残骸の様に散らかってしまった現代教育を

    「此度は理性を用いて、逆方向から作り上げられるのか」

    という、半ば絶望にも似た問いです。しかしながら日本人ならば、それすら「引きこもって」やれるのではないかとも思いもします。

    ※「西欧の地球侵略史と日本の鎖国」本当に楽しく拝聴しました。

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