ゲストエッセイ
坦々塾塾生・つくる会会員・石原 隆夫
10)「学び舎」はつくる会潰しの刺客だったのではないか
「つくる会」の20年にわたる歴史を振り返りながら、周辺で起こった事なども縷々述べてきたのだが、昨年の採択で公立学校ゼロ採択という「つくる会」が存亡の危機に追い込まれた原因について、私の考えをに明らかにしておきたい。
第一に、会員が忘れてならないのは、20年前世間の熱い注目を浴びて発足した「つくる会」が、十二分の準備を経て世に問うた最初の教科書が、検定の段階で検定審議会の委員であった元インド大使による謀略であわや潰されそうになった事件である。外務省の「つくる会」潰しの謀略は新聞報道で暴露され失敗に終わったのだが、これは「つくる会」の歴史認識が自虐史観の外務省にとっては都合が悪かったために、国家権力を振るってまで「つくる会」を潰そうとした事件だったのだ。謀略がバレて「つくる会」潰しを外務省が諦めたと考えるのは早計である。日本の省庁では、一旦決めた方針は、それが成就するまではその方針を堅持するのはよく知られたことである。例としてあげれば、文科省の「ゆとり教育」の方針があれほど批判を受けたにも拘わらず、方針の白紙化の徹底は行われることなく、つい最近までその影響を残し細々ながら生き延びてきたし、外務省の例を挙げるならば、日本政府は東京裁判の扱いについて、judgments(個々の判決)を「裁判」と解釈し、日本は東京裁判全体を受諾したとし、永久にハンディキャップ国家であるべきだと考える外務省の東京裁判史観はいまだに確固として受けつがれていて、日本外交の隘路となっている。言うまでも無く今ではjudgmentsが個々の判決の意である事は、世界の国際法学者が等しく認めているところである。(佐藤和男監修「世界が裁く東京裁判」p247)
実は従来から歴史教科書について外務省は中韓と国内左翼から責められ続けてきた。例えば教科書誤報事件と言われる1982年の「第一次教科書問題」では、中韓に配慮した「近隣諸国条項」という屈辱的な検定基準を文科省は定めざるを得なかったし、1986年の「新編日本史」という高校の教科書がやり玉にあがった「第二次教科書問題」では、政府は中韓の圧力に負けて真っ当な発言をした藤尾文科大臣を罷免してしまった。当時、外務省が日中韓三国の力関係を冷徹に分析しかつ東京裁判史観に汚染されていなければ、国益を主張して政府をバックアップし、このような内政干渉を排除することは容易であった筈である。歴史教科書問題で常に日本が中韓の言いなりになってしまう原因は、そうした外務省の自虐史観から来る不作為にあると言っても過言ではないのだ。
長年にわたって「南京事件」や「慰安婦問題」を否定する活動を継続し、教科書運動にも反映しようとした「つくる会」は、中国・韓国からは歴史修正主義者だとして攻撃の的となり、それ故に常に中韓の矢面に立たされてきた外務省に取っては、一昨年の検定で明らかになった、南京事件については一切書かず、実際にあった中国兵による日本人虐殺事件である「通州事件」を書き、さらにマッカーサーの東京裁判批判談話を書くにいたった「つくる会」の教科書は、我慢の限界だったのかも知れない。そして中韓が長らく日本に対し外交交渉を通じて、南京虐殺と慰安婦を教科書にきちんと記述するよう求めていたことへの決着を付けるよいチャンスだと思ったに違いない。そして、外務省は20年前の「つくる会」潰しの謀略を完成させることにしたのだろう。
今回は20年前のように外務省が表に出て直接「つくる会」を叩くような馬鹿な作戦ではなく、
GHQが生みの親であり東京裁判史観を信奉する日教組や、「近隣諸国条項」に縛られる文科省の一部勢力など、反「つくる会」の勢力を合法的に利用し、事なかれ主義の採択関係者の心理をも巧みに利用した「つくる会」潰しが行われたと見て良いだろう。そして、「つくる会」潰しの刺客になったのが「学び舎」である。学び舎の教科書は、数年前から日教組の元教師達が退職金を持ち寄って作ったと言われているが、本当だろうか。日本史として系統立った記述ではなく、前後の脈絡もなくエピソードを積み重ねただけのような、とても歴史教科書とは思えない手抜き教科書に、それほどの時間と金が掛かったとは思えないのだ。だが、そんな学び舎の教科書が、結果的に「つくる会」潰しの刺客として効果を発揮したことは事実である。
学び舎が刺客として使われたのは、採択戦突入直前に朝日新聞が一面を使ってデカデカと報じた、直前まで文科省検定審議官だった人物とのインタビュー記事である、文科省の基準に合っていない学び舎を合格させるために自由社を貶めたあのインタビュー記事である。全国の採択関係者の殆どがこの記事に注目したに違いない。そしてこの記事は、「つくる会」の教科書を採択候補から外してもよい理由を採択関係者に提供したのである。微妙なこの時期に、朝日新聞にこのような人物を起用させてインタビュウー記事を書かせた黒幕は誰なのか?文科省基準を逸脱した学び舎の教科書と言いながらそれを検定合格させたのは、明らかに文科省の自殺行為だが、それを敢えて公表したのはなぜなのか? その結果、「つくる会」の教科書が公立学校から消滅したのはまぎれもない事実なのである。
ところで、学び舎の出現は「つくる会」潰しの刺客となっただけではない。恐ろしいことに、将来的に歴史教科書業界を一気に更なる左傾化へ転換させる布石となったのではないだろうか。何処の国の教科書かと言われるほどの「学び舎」の反日自虐教科書を挙って採択したのは、奇妙なことに、官界、法曹界、学会に多くの卒業生を送り込むエリート校と言われる国公立の附属中学校であり、反日ネットワークとも言うべき日教組の影響が大きい学校だった。この流れは、高校・大学への受験勉強に学び舎の教科書の存在感を増し、今後無視できないことになるのではないのか。私には、外務省と文科省と日教組がほくそ笑みながら、「つくる会」の今後に注目している姿が見えるのだ。そして符丁を合わせるかのように、昨年暮れに慰安婦日韓合意が突如成立し、外務省の不作為が原因で中国の思惑通り、南京事件があっさりとユネスコの記憶遺産に登録されたのだ。この一連の流れを全くの偶然とは私には思えないのである。
昨年の採択戦の結果としてはっきり言えるのは、子供達の教育環境がますます自虐史観の毒に染められていくだろうという予感であり、そこには国家権力が介在しているに違いないという怖れである。我々はこれをはね除けなければ子供達に顔向けができないのだ。より良い教科書作りの継続は勿論だが、国家権力の介入を排除し、国民に見える採択システムの構築を文科省に要求していくことも重要である。まだまだ戦える道はあるに違いない。
戦後、アメリカに良いようにされてしまった日本と日本人の教育を見直し、本来の日本人の歴史を取り戻そうとする「つくる会」の教科書改善運動は、東京裁判史観にどっぷり漬かり目的を見失なった末に、事なかれ主義と個人主義に漂よって太平楽を楽しむ世情に対し、危機感を抱いた無名の人達に支持されてきた。だが「つくる会」発足後20年にわたって、目に見えるような実りを得られなかった運動にもかかわらず、初心を忘れず運動を継続してきた会員の情熱と使命感には唯々頭が下がる思いである。ある会員が言った次の言葉が忘れられない。『結果が出るに越したことはないが、戦後70年の間染みこんだ垢を落とすには70年かかると思うべきだ。こんな壮大な運動に関わることが出来るだけでも幸せだと思うし、孫のためにも頑張らなければならないと思う。戦後、経済一辺倒で無為に過ごし、チャンとした日本を子供や孫達に残すことが出来なかった我々老人には、やらねばならない老後の仕事だと思っている』。願わくば、この老人のように残りの人生を有意義に過ごすことを望み、その手立てとして「つくる会」運動の灯を絶やすことなく、次の世代に手渡すまで戦い続けることができれば、これほどの幸せはないだろう。
了
「つくる会」の石原氏の報告、特に朝日新聞の上山和雄氏のインタビュー
記事の概要を拝読して、戦後教育世代の精神構造の根本的な問題点を見せつ
けられたような気がしました。
第一「自由社」の教科書と「学び舎」の教科書を並列させて、「両極端」な
例とすること自体が間違っています。恐らく「つくる会」の先生方として
は、「こんな連中(学び舎)と(対極に位置しているとしても)一緒にされ
てはたまらない」という気持ちなのではないでしょうか。
なぜなら両者の違いは、言わば「自分の頭で考える精神貴族」と「強い者に
すがりつく奴隷根性の下僕」の違いと言ってよく、歴史観の違いと言うには、
彼の教科書はあまりにもお粗末な内容だからです。
去年郷里の同窓会で、定期的に南京に行っているという小学校教諭の同級
生と話をしました。それによれば、地元に南京の悲劇を癒す歌を作った人が
いて、両国の友好のために日中間の交流を主催して、その歌を歌うという
サークルに属しているのだそうです。私が「虐殺なんてなかった」と言って
も、「色んな考え方があるから…」と動揺する様子もないので、それ以上話
をする気力がなくなりました。
日本人でありながら、一体どうしたらこれほど卑屈になれるのかと思い、
本屋に行った際に、丁度「『中国崩壊論』という妄想」というタイトルの
「週刊金曜日」(7/29)があったので、手に取って見ました。
最初の方をめくると「小池百合子の演出に騙されるな 中島岳志(1975-)」
という記事がありましたが、小池氏は右派的考え方を持っていながらそれ
を隠してリベラル層にアピールしているから、騙されるなという、実に
「意外な」内容でした。
…小池氏への支持拡大は、自民党と闘う姿の演出によるところが大きい。
「巨大組織を相手に孤軍奮闘する女性」というイメージ戦略が、リベラル
層に効果的だったのだろう。…
しかし、小池氏のこれまでの主張を検討すると、どう考えてもリベラル派
が支持できる政治家とは言い難い。…
小池氏の発言に賛同し、支持を決定したのが「新しい歴史教科書をつくる
会」である。…
このような小池氏を、リベラル派が支持してよいのだろうか?テレビをは
じめとする大手メディアは、小池氏の右派的発言を報道しない。彼女の演出
に乗せられるばかりである。…(P9)
私は、大手メディアは、この「週刊金曜日」のようにサヨクなのだから、
小池氏が「韓国人学校のため都有地貸与方針の白紙化」という、多数の日本
人が賛成しそうな主張を隠すのだろうと思っていたのに、この中島氏が全く
反対のことを考えているので、大変興味深く感じました。
「週刊金曜日」の編集長によれば、そのモットーが「反権力」「弱者の味方」
だそうですが、私から見れば、大手メディアをすべて味方に付けていながら、
それでもまだ被害妄想を持つほど「恵まれた世間知らず」としか言いようが
ありません。
「世界史的大転換の中で中国を見誤るな 木村知義(1948-)」という記事
では—–
…中国は、戦後世界の米国単独覇権にもとづく秩序に対して異議申し立てを
し、新たな秩序形成に向けての決意を示しているのだ。…
…忘れてならないのは、…大国中国には…傷付いた「歴史の記憶」が深く
刻まれていることである。…身体は大きく成長した、しかし心の奥深くに
刻まれたこの「記憶」をどう癒し、乗りこえるのか、まさぐるような営み
格闘が重ねられる。…
…安倍晋三首相は…ここでも「法の支配」と「普遍的価値」である。かつて
の「冷戦思考」、なによりも「中国敵視政策」時代の発想から1ミリたりと
も踏み出せない世界認識、対中国認識である。しかし、と思う。牽制はでき
る。が、牽制しかできないのを外交というのか。…(p14~15)
この文学的な調子で、「大国中国」を仰ぎ見るような「熱い思い」の表現を
読んで、私は思わず赤面しそうになりました。
これからは従来の「法」や「価値」が無意味となり、中国による新秩序が
出来上がるのだから、日本はそれに適応すべく、中国に付き従って行かね
ばならない、牽制という外交しかできない小国日本が生意気に何だ、と言
わんばかりです。
若い頃、この木村氏と同世代の革マルのメンバーと話をしたことがあります
が、当時は中国がまだ貧しかったせいか、「中共なんか、変な事言ってる
じゃない」などと言って、米ソ冷戦の中、ひたすら米帝がどうのこうの、
などと自説を展開していたのを覚えています。
木村氏が革マルと関係があったかは知りませんが、「中国による新秩序」と
いうものが、今や「経済大国」になったシナが憎き米帝を退治してくれる、
と自分たちが出来なかった事への願いを託す、涙ぐましい単なる「思い」で
あり、木村氏個人の極めて主観的な希望でしかないことに気付かない知的
レベルに驚きました。
その他「領海ナショナリズムに溺れた日本人 矢吹晋(1938-)」の記事
では、7月12日に下された国連海洋法の仲裁裁定に対して、「歴史の視点
欠く海洋法」として—-
…アジア現代史の歩み、複雑さを顧みると、日本から見て、日華平和条約の
締結相手国が「なんらかな歴史的権利」を主張することは、まったく根拠の
ない主張とは言えまい。…
仲裁裁定の開廷から結審に至るまで、…中国を封じ込める下心ばかりが浮か
ぶのを否定しがたい。特に柳井俊二判事(仲裁裁判所前所長)が安倍政権の
安保法制懇の座長であった経歴が暴露され、中立性に対する重大な疑惑が中国
から提起されている事実は軽視すべきではない。(p16~17)
さらに「島」と「岩」の定義に関して、「…約40ヘクタールからなる存在
が岩扱いされることによって、南シナ海のすべてのものは『岩か、さもなく
ば礁』に認定され」たことを受けて、沖ノ鳥島も「岩」にされることになる
と警告し、ご丁寧にも太平洋の「岩」はすべて中国のものになるであろう、
との示唆を、「嬉しそう」にまるで流れるような論調で記述しています。
またここでも—
日本の大メディアは、NHKテレビから大新聞の社説に至るまで、「中国の
埋め立てによる人工島作り批判、否定」の条項を抜き出して、大賛辞を
惜しまなかった。…(p17)
我々から見れば、相当シナ寄りの報道で問題山積のNHKを「日本の大
メディア」と一括りにすること自体が、現状分析の恐るべき貧しさを証明
しています。
さらに、「伊藤忠はなぜ先陣を切って中国に向かったのか 藤野文晤 元
伊藤忠商事常務中総代表に聞く 聞き手 木村知義」では—
商売人の藤野氏は、「中国はイデオロギーではなく、『中華文明』だ」と
我々日本人が長年耳にタコが出来るくらい聞かされてきた論を展開し、
「中国共産党が変わる必要性が出てくるとしたら、どんな問題でしょうか」
という質問に対し、「…放っておくと『上海共和国』『広東共和国』が出現
して不均等はひどくなるばかりです。だから中央集権的な力で利益を配分
していく必要がある。…」と現状のシナを肯定しています。おまけに、こ
の記事の最後では、聞き手の木村氏が「では日本は、そんな中国ともっと
力強くつきあっていくことはできないのでしょうか。」と、問いかけてい
ます。
つまり「反権力」「弱者の味方」であるはずの「週刊金曜日」は、人権
や民主主義云々といった個別の細々とした問題も、我が国とは別格の
「大国中国」に適用する事だけはご法度だと言っているのです。
要するに、「大国中国を立てる」ことからすべての論が展開されていて、
結論が決まっている訳で、総合雑誌の形を取りながら、矛盾だらけのこ
んな冊子は、最初から読む必要がなかったと言わざるを得ません。
ただし憂慮すべきは「『議論を継続すること』に意義がある 『京論壇
2016』代表磯野凪沙さんに聞く」という現役東大生のインタビュー記事
です—-
日本の東京大学と中国・北京大学の学生による国際討論団体「京論壇」に
ついて、磯野さんは以下のように述べています。
私は「平和」がテーマの分科会に参加しましたが、チベットなどの弾圧に
ついて、北京大生が「政治的な安定(stability)のためには仕方がない」と
言うのを聞いて論理的にはわかっても、感覚的には納得できませんでした。
人権問題などでは、同様の議論が10年間続いてきたとも先輩から聞いてい
たので、「虚無感」という言葉になったのです。…
たとえ「何も変わらない」としても、「議論を継続すること」に意義がある
のではと考えています。…
社会主義国といっても市場経済自体は、資本主義国とほとんど変わらない
ようにみえます。今、就活中ですが、できれば金融関係の会社で、香港
とかで日中をつなぐ仕事ができればと思っています。…
ちょっと中国寄りの発言をすると「売国奴」、逆に批判すると「右寄り」な
どと言われる。二項対立になりがちなのが残念です。微力ですが「京論壇」
が少しでも、“つなぐ”力になれればと思います。(p25)
以上を読む限り、この女子大生は、「日本人であることをやめた教科書」に
よって育成された典型的な優等生です。
「何処にも属さない抽象人間」となった彼女が、チベットの弾圧も「仕方
がない」という北京大生に敢然と反論できないのは当然であります。ほと
んどのシナ留学生が、シナ人としての精神的な痛みや経済的な損も覚悟で
自己批判することが到底不可能なように、自分の受けた教育を超えられな
い彼女は、今後大陸で仕事をしながら、余程ひどい目に会わない限り、
日中友好のための都合の良い人材として重宝がられることでしょう。
見るからに温厚そうなこの「心優しき」東大生は、心の中に漠然とした
矛盾を抱えながら決断もできず、両国のために働いているつもりでいて、
残念ながら、中国側に利用されるだけのカモになる可能性大です。
この東大生のような学生ではなく、戦前には、我が国の運命を自分の肌で感じ、
自らの頭で必死で考えて、世界史の中でプレーヤーたりえた日本人がいたこ
とを伝え、こうした将来を担う人材を育成することを目指す「つくる会」の
活動が、様々な弾圧を受けているという事実が、その存在意義の大きさを
物語っています。
「週刊金曜日」を読んでいて感じたのは、アメリカやロシア、中国に対して
であれ、既存の枠組み、或は自分たちが受けてきた教育の中で学んだ範囲の
概念の中でしかモノを考えられない狭量さ、したがって「強い者」に沿って
しか自らの行く末が見えないという限界、つまり言ってみれば「あなたなし
では生きられない」といった奴隷根性であります。
なぜならその証拠に、彼らは「中国による新秩序」と言いながら、仮にそう
した時代が来たとして、それが我が国に及ぼす影響について、そして我々
自身それらにどう対処すべきか、などについては何の言及もなく、ひたすら
花嫁が新婚生活を夢見るがごとくだからです。
もっとも中共の方は、「日本よ、お前が必要だ」といった本音も、あらゆる
理屈と高飛車な表現で「お前がそう望んだから」という風に持って行くの
ですが、日本のサヨクの方はもっと卑屈だということになります。
私はこの「週刊金曜日」のために580円払いたくないため、近くの図書館で
一部をコピーしたのですが、もともと「正論」はなかったものの、雑誌コー
ナーにこれまであった「WiLL」が、同地域の別の図書館に移動となっている
のに、こんな薄っぺらな雑誌だけは、しっかりと場所が確保されているのを
見て、石原氏が仰るように、「つくる会」を取り巻く環境の厳しさを改めて
感じました。
黒ユリ様
中国共産党の「日本解放第二期工作要綱」はご存じのことと思います。
“雑誌、特に週刊誌については、過去の工作は極めて不十分であったことを反省し、十分な人員、経費を投入して掌握下に置かねばならない。接触対象の選定は「十人の記者よりは一人の編集責任者を獲得せよ」との原則を守り、編集を主対象とする。”
尻尾を摑んではいませんので仮説ですが、左翼の巣窟、「週間金曜日」の編集者は歴とした工作員、中島、木村、矢吹の寄稿者らや伊藤忠藤野はその息のかかったシンパではないでしょうか。
“大衆の中から自然発生的に沸き上がってきた声を世論と呼んだのは、遠い昔のことである。次の時代には、新開、雑誌が世論を作った。今日では、新開、雑誌を含め所謂「マスコミ」は、世論造成の不可欠の道具に過ぎない。マスコミを支配する集団の意思が世論を作り上げるのである。 偉大なる毛主席は「およそ政権を転覆しようとするものは、必ずまず世論を作り上げ、先ずイデオロギー面の活動を行う」と教えている。田中内閣成立までの日本解放(第一期)工作組は、事実でこの教えの正しさを証明した。日本の保守反動政府を幾重にも包囲して、我が国との国交正常化への道へと追い込んだのは日本のマスコミではない。日本のマスコミを支配下に置いた我が党の鉄の意志とたゆまざる不断の工作とが、これを生んだのである。日本の保守反動の元凶たちに、彼等自身を埋葬する墓穴を、彼ら自らの手で掘らせたのは、第一期工作組員である。田中内閣成立以降の工作組の組員もまた、この輝かしい成果を継承して、更にこれを拡大して、日本解放の勝利を勝ち取らねばならない。”
彼らにとって「つくる会」こそ反革命の保守反動であり、日本に潜入している秘密工作員らが日本のマスコミだけでなく政界、官界にも入りこんでおり、反日“左翼”連中はみなこの系譜に繋がると確信します。
「反権力」「弱者の味方」がほんとうに「週間金曜日」の売り物なら、共産党一党独裁権力に対峙し、弱者たる少数民族の弾圧・虐殺を真っ先に告発すべきですが、見事にアチラの手先になりきっています。南シナ海仲裁裁定でもアチラの立場に立つ以上、法の支配という近代的観念も彼らは否定するのでしょう。
中国国内で自由民主の立場をとる人権派反政府中国人、香港青年たちの言論を反革命として弾圧し、収容所に入れ、拷問し、チベット、ウイグル、モンゴルの少数民族を虐殺し、民族浄化し、公務員の賄賂摘発を政略と権力闘争に悪用する無法国家を支持する580円の「日本の週刊誌」が「日本の図書館」で幅を利かせていること自体、日本の惨めな現状を象徴しています。
日本開放第2期工作要綱に基づく日本侵略は着実に進んでおり、第1段の「我が国との国交正常化」は田中内閣時に完了、第2段の「民主連合政府の形成」が今年の参院選や都知事選では失敗しましたが、日本共産党の主導で選挙協力の形を採って、民進、社民、生活と提携する動きは止まないでしょう。そして第3段の「日本人民民主共和国の樹立・天皇を戦犯の首魁として処刑」へ向かう筈です。その基本戦略が、「我が党の日本解放の当面の基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある。」であることを日本国民に早く周知して貰わなければならないと思います。
黒ユリ様の同窓の方が、「虐殺なんてなかった」と言われても、「色んな考え方があるから…」と動揺する様子がなかったとき、もう一歩突っ込んで、「南京」の背景と経緯を教えて差し上げれば動揺し考え直していたのではないでしょうか。「つくる会」や保守勢力の今後の大切な仕事はこの大衆への真実の周知だと思っております。
なおここに登場した心優しい東大生が「チベット弾圧は中国の政治的な安定(stability)のためには仕方がない」という反論に反論出来なかったのは自分のアタマで考えることのできない劣等生であり仰るように中国のカモになるのが落ちであり、このような学生が拡大再生産される日本の教育システムを早く是正しなければならないと思います。第3次安倍内閣に期待したいところですが。
まず大前提に置くは、西尾先生世代は当然の如く学んでこられた、尋常小学修身書の基本すら教わらないままで、育っているのが戦後日本人であるのを忘れてはなりません。
当時は片仮名だが、幾つかを平仮名で書いてみる。
「おかあさん」
おたけ の おとうと が よなかに、なきだしました。おかあさん は だきあげて いろいろと なぐさめています。おかあさん の ごおんを、わすれて は なりません。
「きょうだい」
いちろう の げた の はなお が きれました。おうめ は、その はなお を すげています。きょうだい は なかよくせね ば なりません。
「ことばづかい」
ひとり の こ が ぶれいな ことば を つかいました。ほかの こども が それ を とがめました。ことばづかい を、つつしまねば なりません。
「あやまち」
まさお が ひばち に つまずいて、どびん を ひっくりかえしました。あやまち を せんよう に き を つけね ば なりません。
「しょうじき」
しょうじき な でっち が たんもの に きず が ある の を、おきゃく に しらせて います。この こ は おとな に なってから りっぱ な あきんど に なりました。
「ひのまるのはた」
ひのまるのはた は にっぽん の しるし で あります。よいはた で は ありませんか。
これらは巻一の、所謂、国民学校以前の、尋常小学校時代から、小学一年生が元気に声を出して、朗らかに読んでいたものである。
大切なのは「声を出して」読む事であり、その音による旋律、文体の流れ、文字間、単語自体の意味に無闇に頼らない在り方は、その言葉の矛先を、可能な限り感性に向け、言葉が現す様々な両極性を把握し、非常に丁寧に、本質的に日本人の営みに溶け込ませたものだといえる。
日本人の在り方は元来より、現代でいう「社会的規律」や「法律の厳守」といった理性的判断を用いる秩序を学ぶ遥か以前に「人の営み」としての在り方を言語化してきた。当然ながら、言語の常用は、論理や詞の連動性を派生させ、その者の思考を支配し、その者の記憶として蓄積されてゆく。日本人の言語、そこより湧く、人としてのその様を、我々日本人は常日頃から、振る舞いや行為、方法や手段、様々な事象に対し、時に論を省略せしめ「人として当たり前」とか「理屈ではない」といった言の葉に下ろすのである。
これら文は、端的に申せば、そこに働く、理性と感情の揺らぎこそ、日本人の教育姿勢の根に在り、ある面前の事象に対して瞬間的に働く、人としての善の在り方を、生活の中の景や慣習に重ねようと懸命に努めた文で、この下ろし方は、その識としての深淵さの差異あれど、哲学者のある種のシーンを切り取り放つ、アフォリズム等に類似性を持つ。
例えば上記した「あやまち」の他に、他者への視座として「ひとのあやまち」というのがあるが、そこでは、自らに詫びた他者に対して、その者を赦す姿勢を持てと説く。一見矛盾ともいえる中に、あえてこの言の葉を幼子達に伝える意味は深く、己と他者のその間柄を「正直に現すべくして現す」からであり、そこに必要以上の言葉を乗せたりはしない。心に投げ掛け、理に委ねる。
人は、心の揺らぎの中で言葉を用いるが、その言語化は、脳内であれ、発声であれ、筆であれ、どうしたところである一定の断定を派生させる。更に言の葉に乗せ、外部、つまりは他者に情報を放つ時、それは最早、己の思考矯正の届かぬ処に離れる。またそれを理解すればこそ、我が国の、その言語化の作業が、自他に働く影響と連なりを融した上での肉付けを経た、とても丁寧で繊細で、光沢のあるが如きものとして伝えらて来たのだと解する事は、そう難しい観ではない。
今の世は、言葉に対しての信頼と、言葉に頼る危うさを、双方同等に洞察し解した上で言の葉を放つ姿勢があまりにも乏しく、麻薬が如き前者にすがりついており、この無知ともいえる儚さが、言葉を本質から切り離し、有用性や即時性の有無としての道具と加速させる一面を有す。これはある意味、本質的に言語は音であるという認識の圧倒的欠如であり、換言すれば、ワーカホリックならぬ「テキストホリック」の体と言えよう。例えるなら「数式的日本語」であり、現代ならば、ネットやSNS等で、容易に模倣が可能で、様々な工作に転用が可能な温床となりうる程の言語劣化で、実際そうであろう。音と表情無き言葉の限界を、こうして己自身が文を書きながら、それをやはり推して知る。
言語の動機そのものはプラグマティックであるのは否めない。しかしながら、それに頼り、また打ち負かす武器であるのだという壮大な錯覚に微睡んでいるのも、また近代の負の部分で、それはイデオロギーや法という名詞を羽織っている。更にそれは言葉のミリタリー化を生んで、ディベートという「思想ではなく、他者を打ち負かす、或いは誘導せしめる事そのものを目的とした話術」を、あらゆる分野で演出的に下ろし過ぎており、人々は、その言葉の巧みさを讃え、過度な娯楽性と混ざりながら、それを知性的と勘違いしてきている。いや、勘違いならまだしも、ある種の心酔を感じている者も少なからずある。それは意味違えど、まさに西洋的、大陸的な大衆の姿である。
特に幼稚性やルサンチマン、大衆的に響き易い「敵が必要な言論」や「正解を唱う言論」は、その濃淡はあるにせよ、どれも似たようなものでその本質は大して差異はない。
「己を持たないから徒党を組みたがる、こんなもの日本ではない」
小林秀雄の言葉が、再びまた、哀しいほどに具現している。
「やまとだましひ」が「大和魂」になり、所謂「武士道」に染み込み融するまでに、やはり1000年近くを有したというに、その本質、源泉、知恵を伝えてもらわぬまま、或いは「そんな考えは古い」等と切り捨て、進歩的価値観に酔うたままの体で、それら「単語」を、獣が如く道具として振り回す輩がいかに多いか。
戦後日本人に巣食う、所謂「日本ならざるもの」は、戦後日本史と歴史を共にす。要は「精神的過去斬り」であり、その様は各人の生活形態や価値観、地域性に現れる。これは古来よりそうである。
考えてもみよ。今も尚、普通の民が日常的に放つ、日本人の昔からの知恵の言の葉、「親の顔が見てみたい」という言葉の深さを。これはその人の振る舞いから、その人が「如何なる過去を経て来たか」という洞察力を内包している。これは「その本人だけではその人間の本質は到底分からない」という理を意味し、人間が、刻や他者を収束せしめる現実が大前提として在るからだ。
これを近代は「個人主義」や「人権」、時に「自由」という単語で反論し、これら日本的な知恵を、差別的で、古い価値観だと喚いてきたが、上記に示した様に、人間の本質的な揺らぎを「正直に現した言葉」で「人をよくよく観察せよ」という知恵であるだけで、そこに排他的思想も差別的意味も皆無である。
過去に「向き合わずに切り捨てた精神」は、その心の均衡を保つ為、未来への希望を過剰に比重するが、それは「過去そのものが少ない状態」つまりは幼子や児童、もしくは青年の精神模様に似ている。背負うもの無き者、過去に眼閉じ耳塞ぐ者は、ニーチェの「そのコブを取り除けば、彼はもう彼ではない」の力強さを借りるまでもなく、その精神はいつまで経っても幼きものだ。また賢しき者に出来るのは、言葉や理論で「己自身を言いくるめる作業」をカンフル剤の様に放つのみであろう。
「その者の、過去と周囲の情報が、その人を創った」
反日左翼は勿論、潜在的な唯物思想、日本を着る保守、戦後的価値観、これらの人々が、とにかく嫌み避け、また思考停止に陥る対象として「反応」するが、この日本人の本質的な知恵や徳性であろうと考える。つまり逆に言えば、これら礎無くして「歴史」に刻や祖を重ねながらの学問が可能であろうかと考える。
是非、戦後の教科書を論じる方々は、こういった日本的視座を有し解し、日本人としての矜持を併せ持つ事の奥深さに、とことん向き合うていただきたい。教わっていないものを、どうやり今の民の心の核に突き刺すか。その土俵を取り巻く空間に対しての違和感、左右や敵味方ならぬものへの畏れを肌で感じながらの行為、達観無くとも「その姿そのもの」が若者への襷になる。そこに歴史は「現れる」、その礎あれば、雑音や嘲笑を鼻で笑う程の胆を手に入れるかもしれない。
我が国においては「万事、刻纏えば易し」であり、大切なのは「人を見る明」であるのを、今一度見い出していただきたい。
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