現在、「宮崎正弘氏を囲む―中国反日暴動の裏側」を連載中ですが、5月12日産経新聞「正論」欄に以下の文章を書きましたので、掲載します。
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敗戦国に謝罪の義務はありえず
二重謝罪招く首相のおわび表明
《《《喜べない欧米からの評価》》》
4月22日、バンドンの首脳会議で小泉首相が例によってわが国の「植民地支配」と「侵略」を謝って以来、私はずっと胃の腑(ふ)になにか消化の悪いものがたまっているような気分から解放されない。
中国の無法に耐えて謝ったからではなく、謝罪演説が欧米で評判がいいと分かってかえって私は気分がすぐれない。
中国が反日暴動に謝罪しない傲慢(ごうまん)さで世界の非難を浴びていたさなかだったので、小泉演説は大人の印象を与え、政治的に点数を稼いだ。米紙ウォールストリート・ジャーナルは25日「今度は北京が謝罪する番」と書いた。欧米や国連の論調はたしかに小泉氏に好意的だった。それだけに私はだんだん腹が立ってきた。中国の強圧的無礼に屈した形になったことより、外電が歓迎したことのほうが私にははるかに不快だった。
アジア・アフリカ会議の出来事で欧米人がアジア人である日本人に点数をつけている。しかもドイツと比較している。そしてそれを日本人が喜んでいるような構図全体がこのまま固定したらひどくまずいな、と思った。アジアへの「植民地支配」と「侵略」をしたのはいったいどこの国々だったというのであろう。
最近しきりに考えるのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦とでは勝者の態度に異変が見られることである。
第一次世界大戦では4年にわたって悲惨な戦争をして、最後には毒ガスまで出て、ヨーロッパは焦土と化した。インドの詩人タゴールは文明がもたらす非文明、ヨーロッパの野蛮を指摘した。ヨーロッパの内部からも強い反省の声がわき起り、「西欧の没落」という本が書かれ、不戦条約も作られた。
しかし第二次世界大戦の後で欧米の勝者の中から反省の強い声が出てきたであろうか。惨劇の規模は前の戦争よりずっと大きかったのに、ナチスの悪口ばかり言って、ついに異なる戦争をした日本まで巻き添えにして、大量破壊史を展開した欧米人は、自己断罪を回避した。アジア・アフリカへの「植民地支配」と「侵略」を日本の首相が謝るのはおかしいのではないか。
《《《究極の選択としての戦争》》》
ここで「謝る」とか「わびる」とかはどういうことかを原則から考えてみたい。
国家同士も市民社会と同じように謝るべきことはある。幼児が罪を犯せば親が謝るようにクリントン前大統領は沖縄で起こった米兵による少女暴行事件に直ちに謝罪した。
韓国の少女ひき逃げ事件ではアメリカはやり方を間違え、それが引き金で盧武鉉大統領を誕生させてしまうというヘマをしでかした。国家としての謝罪行為はいかに大切か。
けれども、国家との間で断じて謝罪してはならないことが一つだけある。それは戦争に対してである。戦争は言葉の尽き果てた最後に、言うべきことを言い尽くし、屈辱を重ね、反論も謝罪も当然した揚げ句の果てにどうしようもなく、とうとう最後の手段として戦火の火ぶたが切られるという究極の事態であろう。
勝敗は言葉とは別の手段、暴力で決する。敗者は反論を封じられる。海外の権益を奪われ、賠償を取られ、領土を失い、その他あらゆる屈辱が強いられ、外交上の発言力は低下するし、国益は守りにくくなる。苦しんだ揚げ句、やっと講和条約が結ばれる。これが「謝罪」である。
《《《ドイツも戦争は謝罪せず》》》
当然ながら、もうこれ以上二度と「謝罪」ということはあってはならない。なぜなら双方言い分を出し尽くした結果一致せず、相手を互いに不当と信じて突入するものが戦争であるから、事後の謝罪はあり得ない。謝罪する余地がないから戦争になったのではないか。敗者は暴力に屈しても内心に多くの不満を残し、正当性の感情を蔵している。つまり敗者には敗者になる前からの理があって、結果に必ずしも納得していない。不服従の感情を抱き続けている。
それを鎮め癒すために講和がある。講和は勝者には報復の確認だが、敗者には二重謝罪を防ぐための確約である。戦後60年も経て日本の二重謝罪三重謝罪が当然視されるのは、地球上で日本を抑えつけておこうとする「戦争」が続いていることの何よりもの証拠であろう。日本が今後謝罪を繰り返すことは将来の戦争に道を開く行為である。
なおドイツはナチスのホロコーストには謝罪しているが、侵略戦争には謝罪していない。最近各国からドイツに賠償要求の声が上がっている。ドイツは講和さえ結んでいない。戦後処理はやっとこれから始まるのである。間違えないで欲しい。
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敗戦国は何度も謝罪させるべきだとか、当然な報いだとか「勝てば官軍、負ければ賊軍」論があっさりとした日本人に浸透したし国内での他人との諍いは嫌う性格でもあり人間と対応する時に少々気に入らなくても騒ぎが拡大っするのを避けるには当座「相手を立てて謝れば円く納まる」式に外交も考えてる思考回路で凝り固まってるのです。其処へ持って来て今までの日本人そのものモノの生き方が問われてる大問題でも有るのです。1989年平成元年の大きな2つの事件が(反日)の種を日本国内に定着したのです。1、韓国で逮捕され死刑判決を受けていた原敕晁(はらただあき)さんの拉致実行犯・辛光洙(シンガンス)を社会党を中心とする超党派議院の署名による「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」の対象者の中に含まれていて釈放されていまったのです。国家保安法違反で死刑囚になっていた辛光洙を釈放した韓国も異常だが恩赦要請の署名をした土井たか子、菅直人らの北朝鮮族議員の内政干渉してまで助けたこの動き、この時点で辛光洙を逮捕出来なかった日本の国家権力の脆弱さ、非常識には驚くべき事だったしマスコミでも小さくしか掲載させないで未だに周知されていません。2、パパ・ブシュとゴルバチョフが12月2日に「冷戦終結」をマルタ島で行った。共産主義宣言が長い生涯を閉じたと思われたのは欧米だけでこの年の1月に昭和天皇が崩御されたのだがこの事が日本を発信源とるする(反日)の妖怪(西村幸裕氏命名)が誕生した。それ以来この焼き直し生まれ変わり共産主義はアジア特に北東アジアで繁栄することになった。これで昭和の大東亜戦争の詳細は誰も知りたがらないし古い過去の話として米軍側からの押し付けである処の太平洋戦争史観だけが残ることになる。満州も元々中国領土で其処へ傀儡政府を日本は作りその権益を守るために無茶苦茶な戦争を中国へ仕掛けて負けた。というストリーが定着して日本人の罪悪感を煽る教育が蔓延した。満州は昔から中国領土では無い。中国を支配した満州族の清の領土で合った。その満州へ清国最後の皇帝が日本へ救助を求めて国内が危険なので満州へ新しく国を作りたいと駆け込んだのが真相だが、東京裁判を始めに置く太平洋戦争史観では丸で違う話になってる。
高度成長路線時代に家庭教育を妻に任せ放しで仕事中毒の夫には教育や教科書が可笑しい事すら気が付かなかった。教育の過熱で塾勉強を強いながら転勤族の家庭保持と次々と家庭には難題が襲ってきた時代にバブルも弾けマイホームの維持に夫婦共稼ぎ時代が来て家庭がマンション化し子供も個室を持ち家庭内暴力・家庭崩壊の危機すら抱えてる時代に追い詰めれて初めて可笑しいと思い始めてる。言葉狩り、自粛放送言語とか言うものが出来、ジエンダーフリーにそれが連動し外国人参政権付与法案、人権擁護法案と色々な要素と連動してこの妖怪は日本を崩壊させようとしている。中国、韓国、北朝鮮としっかり連動してる。
この(反日運動)の発信源は日本国内から出てる事に国民も注目せねばならない。一番残念なイベントは2002年4月28日中国で「日中国交回復30周年記念行事」が北京で実施され国会議員100名と政府関係者を含めると1万人にも及ぶ。この年この日こそは1952年サンフランシスコ講和条約が発効された日本の主権回復、真の独立記念日であるにも関らず祝日にも未だされてなくて 祝いが行われないで北京詣でをした屈辱的な日でした。1972年の田中角栄のこの日が日本人に膨大なもう6兆円におなる経済援助が始まった国難の日であると言う認識すらない。この悲劇から3年後は中国全土での「反日デモ」が燃え盛る事となった。この国難はこれから一層重く日本へのしかかる事でしょう。日本の国内がはっきり発信源だと言えるのですから国民自身の決断です。既に今年5月8日菅直人は「天皇は退位するべきだった」発言を行っています。フジテレビの報道番組で、日中間の歴史認識問題に関連して昭和天皇の戦争責任に触れ「(敗戦時に)天皇陛下は退位した方がよかった。直接的な政治責任はないが、象徴的には(責任は)ある。政治的にも象徴的にも、一つのけじめをつけるべきだった」と指摘した。
「戦争した責任を、日本人がどう判断するかが問われている」とも述べ、日本人自身の戦争責任の取り方が不十分だったとの認識も示した。http://yokohama.cool.ne.jp/hp2001/image/kan.zip
ようちゃんさん、こんにちは。
お怒りごもっともです。
現在「禁苑の黎明」昭和9年発行を復刻していますが、満州が「鍵」ですね。
満州の最後の皇帝「溥儀」について読んでいると、皇室とは何かも考えさせられます。
最近祥伝社から上下の完訳本が出たところですね。なお、長文はところどころ、改行してくださると、目にやさしいです。
西尾様
はじめまして。
西尾様のこのブログは、いつも色々なテーマについて考えさせられることが多く、大変参考とさせていただいております。
今回の西尾様のエントリー「敗戦国に謝罪の義務はありえず」をきっかけとして、色々と論考を進めさせていただいております。
不躾で大変恐縮ですが、拙ブログ内をトラックバックさせていただきました。
今後も、色々と勉強させていただければと存じます。
よろしくお願い申し上げます。