西欧の地球侵略と日本の鎖国(二)

 「見直し進む対外歴史研究・江戸時代は本当に鎖国か?」「幕府は最初から鎖国を意図していたわけではない。そんな状態がたまたま200年程続いた。何となく鎖国だったのだ」東大教授 藤田覚氏。私もその通りだと思います。

 大石慎三郎先生という江戸時代の大家の方は、「鎖国後のほうがその前より我が国の対外貿易額が増えている。密度の程度は様々だけれど、国家というのはどんな時代でも必ず対外管理体制というものをとるものなのだ。鎖国と称せられる現象は世界史のしがらみから日本が離れたということではなく、圧倒的な西洋の軍事力や文明力の落差のもとで日本が自分を主体的に守る政策であった。それが海禁政策で、つまり鎖国とは鎖国という方法手段による我が国の世界への開国であったとすべきであろう。従って寛永の鎖国こそが日本の世界への第一次開国であり、ゆっくりゆっくり世界の動向に日本が自分を合わせるために余計なところに行ってはいけない。どんどん入れたりするな。ただし貿易は政府がやるからみんな黙っていろ・・・。というのが江戸時代の考え方であってそれは第一次開国であったと。そして世に開国と言われている安政の開港は江戸という時代の訓練を経た我が国の第二次開国であると。明治の開国は第二次開国なのだと。すでに鎖国と呼ばれているものはある種の開国であった・・・」今まで私の書いた鎖国論もこの観点に立っています。朝日新聞のインターネットなどにもありましたか? 「江戸時代は本当に鎖国か? 見直しする対外歴史研究」江戸時代は鎖国といっても意図的、政策的なものは無かった、ということですね。

 でもねぇ・・・。鎖国はあったんだよ。(笑)私は10世紀から鎖国だったと思っています。そういう観点を入れてみる必要があります。10世紀というと唐の崩壊です。そこで東アジアは国際社会ではなくなるのです。それまでは唐を中心とした渤海国とか高麗国などの国際秩序がありました。そして正月一回、宮廷を中心とした大式典がありました。シナで行われ、日本の朝廷でも行われ、そして使節を呼ぶのです。日本からは空海や最澄が行ったりしています。そして皇帝の前で平伏す。「元会儀礼」といいます。素晴らしい壮麗なる儀式をやる。それに負けてはいけないと日本の朝廷もまた元会をやる。そういう華やかな記録が全部残っています。歌舞音曲を伴い、たくさんの人を集めます。それは国際的な「礼」の競争、ある種の戦争であって、国際的な競い合いだったのです。「俺のところはこれだけ立派にやっているが、お前のところはどうだ? 日本もなかなかやるじゃないか」というように各国から使節を呼んで行っていた。

 しかし唐が崩壊したら止めてしまったのです。いっぺんにではなく、だんだんやらなくなる。つまり張り合う必要が無くなってしまったのです。東アジアに国際社会が無くなってしまったのです。すると同時に日本は何をしたかというと、朝廷というものが二次的になってしまう。天皇が権力を失うのです。それから何が出てきたかというと、天皇の権力というものが宗教化してゆき、ご存知のとおり上皇が出てきて、院政が出てきて、武士階級が出てきて、というご存知のとおりの日本の歴史の展開となってゆきます。ということは、これは文字通り鎖国ではないでしょうか? つまり「朝廷を柱にして、それを前面に押し立てて世界に面と向かってゆく」という国威発揚の意識が要らなくなったのです。天皇はもう顔ではない。後ろのほうに隠しておいて祭主のようになってゆくわけです。これが何を意味するかというと、鎖国ではないでしょうか・・・。だってその後ずうっと戦争も外交も殆ど無いではないですか? なにも江戸時代になってからの話ではありません。ずうっと何も無いではないですか? 確かに17世紀には南蛮が入ってきます。しかしそれもそれほど危険でも怖かったわけでもありませんでした。ですから日本は10世紀からある意味で鎖国をしていたのです。私はそういう見方もあると言っているのです。加えて江戸時代における鎖国があったかどうかという問題について、これは16世紀~19世紀という、歴史の展開を見ないと言えないのです。今日はこれからそのお話しをします。

 16、17世紀と18世紀はガラリと対外関係が変わります。まず16世紀から17世紀を以下年代記風にまとめてみます。

【16、17世紀】
1511年 ポルトガル、マラッカ海峡制圧
1521年 マゼラン、フィリピンに到着
1543年 種子島に鉄砲伝来
1577年から1580年 英人ドレイク、世界一周に成功
1580年 ポルトガル、スペインに併合される。この頃、オランダが登場し、イギリスをまじえてアジアの海は騒然としてくる。
1581年 ロシアのコサック兵団、西部シベリアに侵入。
1590年 秀吉の天下統一
1596年 オランダの商船隊、ジャワに到着。
1600年 イギリス東インド会社設立。オランダ船リーフデ号、大分の海岸に到着。英人ウイリアム・アダムス(三浦按針)が乗っている。
1602年 オランダ東インド会社設立
1603年 徳川幕海幕
1623年 アンボイナ事件(英人と日本人がオランダ人に虐殺される。)
1632年 台湾事件(末次平蔵、濱田彌兵衛の活躍)
1635年 幕府、日本人の海外渡航を禁じ、所謂「海禁」政策発足。翌年出島完成。
1640年 ロシア、ヤクーツクにバイカル湖以東の侵略策源地を定める。
1641年 オランダ、ジャワとその周辺諸島の決定的支配権を握る
1651年 ロシア、イルクーツク市を創設
1655年 鄭成功の西太平洋における海軍勢力(艦船1,000隻、兵力10万)最高潮になる。
1681年 鄭、海戦に敗れ、ヨーロッパが世界の海のほぼ全域を監視対象にすることとなる。
1689年 露清間にネルチンスク条約
1698年 ロシアによるカムチャッカ半島の初探検が行われる

 1623年のアンボイナ事件というのは、オランダがイギリス人と日本人を虐殺した事件です。アンボイナというのはモルッカ諸島ですから、インドネシアの島ですね。そこでオランダがイギリス人を10人、日本人を20人殺しました。イギリスは断固抗議するのですが、一旦諦めて、インドネシア海域から離れてインドのほうへ移動します。イギリスはもうインドネシアで戦うのを止めて、インド経営に集中する。イギリスがオランダに敗退した事件です。その代わりイギリスは執念深い。現地オランダで戦争を始めるのです。そこで条約を結んで、インドネシアでやった怪しからん出来事に対して賠償金を取り上げるのです。

 ところが幕府は日本人が殺されているというのに一言も抗議をしないのです。それが日本人だよ。今も昔も変わらないんだよ! メリハリが無かった、国家意識が無かった・・・、ということかもしれませんが、そんなことを言ったら、その当時はどこの国にも「国家意識」があったか、などということはよく分からなかった時代です。それから10年ほど経って「鎖国」です。つまりアンボイナ事件は日本人が東南アジアにたくさん出て行った時代です。それをやってはいけません、というのが鎖国で、日本人の海外渡航と帰国を禁じたのは1635年です。

 その後17世紀は鄭成功という母親が日本人で父親がシナ人の男が出てきて、台湾を中心に暴れまわります。でもこの人が暴れまわるのは僅かの期間で、台湾をオランダから解放するのは日本ではなくて鄭成功です。しかしこれが敗れるのが17世紀の終わりで、そうしたら実はヨーロッパは世界の海をほぼ制圧することになったのです。この後ずうっと今に至るまで「世界はヨーロッパ」ということから動いていません。日本は今に至るまで鎖国です。教科書や歴史学者はやっと私の次に「鎖国は無かった」と言っています。私は「鎖国はあった」。10世紀からずっと鎖国ではないか? と言っているのです。

 以上16,17世紀の年表にロシアの動きを入れましたが、両世紀はオランダが大きな役割を果たしているのがよくわかります。ロシアは少し動きだしていますが、まだ日本の近くには来ていません。

つづく

「西欧の地球侵略と日本の鎖国(二)」への6件のフィードバック

  1. 鎖国は唐が滅んだ10世紀から?という議論は、成る程と思わせますね。確かに、その時代から日本は独自の道を行く訳です。しかし武士階級の勃興は、貴族階級の権力闘争で、仲間割れからですよ。天皇の縁戚から降下した家が武士団を作り上げた。平家も源氏もそうです。源氏も清和だけではなく様々な係累がある。軍事的実力から施政権を獲得するのは最初は平家ですが、平家は公家化して幾らもせずに、源氏の蜂起に会う。源氏は貴族公家化を避けて、鎌倉に施政権を確立する。しかし、実朝は右大臣となり公家化の危険性を感じた執事である北条氏に謀殺されて、呆気なく頼朝の直系は三代で終わる。関東武士団を統括した北条氏は執権制度を作り武士団の利益を守ることに徹した為に、十数代続いた。北条氏が滅ぶ兆候は元寇です。時宗はこれの制作と心労で若死にしたが、九州で活躍した竹崎季長など多くの武士に恩賞を与えることが出来ない。鎌倉政権も行きずまりを迎える。やがて太平記の時代が始まるわけです。室町時代に尊氏の三代目は貿易がしたくて明に朝貢をしています。足利氏もその政治に破たんがみられる頃には、戦国時代が始まります。やく80年の下剋上が始まり、これは日本史上最もハチャメチャの時代です。信長が現れ秀吉が天下を取り、朝鮮を征伐する、明軍がそれを助けて疲弊した。それで明は滅亡です。シナ大陸は女真のヌルハチにより支配される、清の誕生です。清は19世紀のヨーロッパの東アジア侵略の荒波に絶えられず自壊し滅亡する。日本の一般民衆にとって1635年のから鎖国がはじまった。それまで日本人は遠くマラッカ海峡まで出かけていたし、シャムでは山田長政が活躍をしていたのです。鎖国の損得は、一言では言えませんが、日本文化の成熟の為には鎖国はプラスです。ただ蘭学はもっと早く導入すべきであった。それから、幕府は何年かに一度、世界中にスパイを放つべきだった。公式の使節ではなく、渡航民を使うべきであった。そうすれば幕末に慌てる事も無く、銃も戦艦も早く造れたであろうに、幕府の官僚は武士とはいえ、ただの文官に過ぎなかった。戦略的な思考など出来なかった。その弊害は今も連綿続いている。

  2. 私は日本と言うのは、皇統の断絶もありませんが、平民の意識の断絶も無かったのだろうと思うんです。
    ずーっと昔から、日本人はあまり変わっていない。AKB48が活躍しようが義経が活躍しようが、日本はずーっと昔からその民族性が変わっていないと思うんです。
    これがある意味長所でもあり短所でもある。

    その短所とは何かと問うと、日本の周りで色々起こる出来事に無関心を表してしまうところ。これがあまりにも共通している「感情の歴史観」であるため、先生は警鐘を鳴らしていらっしゃるのだろうと思います。

    なぜもっと気付いたなら行動に起こせないのか。なぜもっと自分を表せないのか。
    少なくとも国内ではこんなに敏感に行動できるのに、どうしていざ海外的な場面でそれが疎かになるのか、先生はそこに着目しているんだと思います。

    日本人がこうした歴史を重ねてきた背景には、一言でまとめ上げることが簡単ではありませんが、何かが弱いのでしょう。
    例えば、英語を話せる人が少ない現実。これは「気弱」の裏っかえしなんじゃないかって思うのです。本当は誰でも喋れておかしくないくらい英語を習っているのに、それを活用できない。この点を自省する気持ちが芽生えれば、昔の日本人への印象も、少し変わってくるかもしれないのではないでしょうか。
    今の自分をまず認識し、何ができないかを反省し、これだけ「グローバル」だと言われている現在においても、為しえない日本人の特性を鑑みれば、過去の日本人を批判できる資格などあるのでしょうか・・・と申し上げたい。

    それを象徴する言葉として、西尾先生は「日本はずーっと昔から鎖国だったんだよ。」と述べられたのでしょう。
    そこには同時に、何百年と変わらないこの日本人の特質にたいする敬意も込められていると私は感じています。

  3. あきんどさん

    あきんどさんのコメントには、いつも共感を持って読ませて頂いています。

    「厳しい言葉の世界」で生きてこられた西尾先生から見れば、今も昔も上も
    下々も「眠っている」に等しい我が日本が、「10世紀から鎖国していた」と
    いう驚くべき指摘をなさっても、「具体的には何もできない」我々庶民は、
    苦々しい思いで、それを噛みしめるしかありません。

    でも例えばシナ人は、我々日本人より「意識が高い」のでしょうか?

    あきんどさんは、よく英語力のことを書いておられますが、これまでも色ん
    な識者により、日本人が外国語下手なのは当然のことだと言われています。
    例えば島国で、長らく外国人と接する必要がなかったとか、日本文化がもと
    もと言葉より造形力で表現するのが特徴だとか、という説明です。それに
    もしかしたら、もともと民族的に語学が苦手に出来ているのかもしれません。

    とはいえあきんどさんの仰ることはよく分かります。私なども受験英語で
    四苦八苦したタイプですから、身近にいるシナ人がどんどん日本語を習得
    していくのを見て、何となく劣等感を抱きたくなるからです。

    昔「アシャンティ」という映画がありました。アフリカのアシャンティ族
    出身で英国人の妻が、アフリカで人身売買の被害に遭い行方不明になるが、
    それを救出する過程を描いた作品です。スーパーモデルのビヴァリー・
    ジョンソン演じるその妻は、美人で教養があり何か国語も話せるという
    設定です。
    砂漠の中で鎖を付けられ、フラフラになりながら歩かされる途中、ピーター・
    ユスチノフ演ずる悪徳商人と出会い、会話する場面があります。商人がその
    妻に「君は何か国語話せる?」と聞きます。「4(フォー)」と答えると、商
    人はすかさず「6(シックス)」と、見下すように応答するのです。

    こんな会話は、我々日本人にとっては、永久に「見果てぬ夢」でしょう。
    でも語学力と縁のない私などは、自分の他の能力の方までダメにしないた
    めにも、大分昔に、無用な劣等意識をを持つのを止めました。

    確かに日本語(またその他の外国語)の上手いシナ人は少なくありませんが、
    彼らはもともと「喋る外国語」を重視しているし、外国語ができるというこ
    とは喋れることだと考えているのです。でも私の知る限り、日本が好きで
    日本語を勉強しているというより、何らかの事情で「仕方なく」日本を選び、
    道具として日本語を学ぶだけで、一般に日本に対して、紋切型で底の浅い
    理解しか持っていません。

    以前、ある私立の大学の大学院の留学生用の入学試験科目について見たこと
    がありますが、「日本語」と「数学Ⅰ」、簡単な「日本文化の知識」みたいな
    科目などで、大学院なのに「こんな程度でいいんだろうか」と感じたことが
    あります。

    現代活躍されているシナの専門家の先生方がよく主張しているように、一般
    にシナ人の理想は、文字通り「金持ち」になり、可能なら欧米のセレブのよ
    うな生活をすることです。徹底した「現世主義」の彼らは、「目に見える
    価値」にしか関心を示しません。だから来日したら、まずは「一番偉い人」
    を捜し、出来るだけ「いい大学」「いい企業」に入ろうと考えます。彼らの
    所謂エリートほど、自分たちの特技である「語学力」と「頭のよさ」を誇り、
    口下手な日本人を軽蔑し、また例えチベットやウィグル、南モンゴルの状況
    を指摘しても、「自分には関係がない」というシレッとした気取り屋が多く、
    我々日本人が尊重する職人的生き方は、彼らの「理解の外」にあります。

    もとより肉体労働などは「知識人」のすることではないと考えているので、
    大学入学というのは、将来「幹部」か「他人に使われるだけの労働者」に
    なるかの瀬戸際ほどの意味を持ちます。
    実際「いい大学」を出たというプライドがあるため、日本で就職しても「工
    場研修」も出来ず、どこへ行っても「役立たず」で精神病になった若いシナ人
    も、何人か見た事があります。

    特にシナ人の女性は、「いい大学」を出て、何か国語か喋れて、大学や企業の
    何らかのポストに就いて一端の仕事をし、おまけに美人だったりすると、
    その鼻息は並大抵ではなく、恐らく宋美齢もかくや、と思わせる嫌味なタイ
    プもいます。もちろん彼女たちも、日本人向けにはいい顔しているだろうか
    らキャリアウーマンの大好きな日本人男性なら、コロッと参ってしまうとい
    う訳です。

    こうした「強い」シナ人女は、ヨーロッパの女と匹敵するほど執念深く、
    詳しくは申せませんが、私などは以前「えらい目」に遭ったことがあります。

    ですから私としては、特にシナ人女性は「大嫌い」で、例えば国内の民進
    党の党首で、ネット情報によれば実は日本人とのハーフでもなく、純粋な
    漢民族だというあの女性などは、写真を見ただけで「虫酢が走ります」・・・

    あきんどさんが仰るように、我々日本人が言いたいことを堂々と英語で主張
    できるためには、まずは日本語で、今私が書いたような「本音」を、相手に
    面と向かって言える程にならないとダメなのではないでしょうか?

    我々日本人が今までとは変化し、堂々と本音をぶちまける日が来るのかどう
    かは分かりません。それでも現実的には、度重なる尖閣への侵入や我々を
    あからさまに愚弄するような言動の数々によって、彼らは「日本人との距離」
    を広げる種を、自ら一つ一つ蒔いているわけです。

    もちろんNHKを代表とするメディアは、相変わらず「日中友好」を訴える番
    組作りをし、国と国との関係はともかく、シナ人一人一人に罪はない、民間
    レベルでの交流をすれば理解し合える、などと日本人をなだめるのに必死です。

    しかしシナ人自身が蒔いてくれた種から出た芽のおかげで、一般に流布して
    いる情報と、自らの体験による実感との違いという二重意識を持つ日本人
    は確実に増えているのではないでしょうか。
    国内の表面の平穏さ(それも怪しいですが)とは裏腹に、今後我々は、好むと
    好まざるとに拘わらず、外国人にする警戒心という心理的緊張から逃れられ
    なくなり、何時の日か我が国土が「外国勢力との闘争の場」になっていること
    が、誰の目にも明らかになることでしょう(もうなっているかもしれませんが)。

    拉致された横田めぐみさんの事件を描いた映画「めぐみ――引き裂かれた
    家族の30年(ABUDUCTION)」(2006年 アメリカ映画)に、印象的な
    場面があります。
    この作品は横田夫妻の何気ない日常生活や、日頃の講演活動などを追った
    ドキュメンタリーですが、ある日夫妻が電車に乗った時、一人の見ず知らず
    の若い女性が電車から降りる直前に、早紀江さんに小さなメモをサッと渡し
    て、出ていきます。そのメモには「頑張ってください」と書いてあったと
    いいます。早紀江さんは「こんなことがよくあるんですよ」と言っていま
    した。

    また少し前、興味深いテレビ番組がありました。フランスの古城を改装した
    ホテルが、最高級のサービスを追求するため、国内外から宿泊客を募集し
    ます。その一組が若い日本人の夫婦なのです。ホテル側によれば、こうし
    たサービスに対し、日本人は非常に厳しい眼を持っているため、選抜した
    のだそうです。どんな経緯でそのカップルが選ばれたかは分かりませんが
    見る限り、国内では良く見掛けるようなごく普通の男女です。
    面白いのは番組の最後でのコメントです。
    「困ったことは、日本人は現場で何かあってもその場で言わないで、国へ
    帰ってから、あのホテルはどうこうだった、とか文句を言うことです。」と
    ホテルの経営者が言うのを聞いて、私は思わず吹き出しました。

    我々は「思っていても、言わない」ことがしばしばです。

    そんな我々が「言うようになる」のかは不明です。しかし右利きを左利きに
    直すほどの努力が要る「日本人改造計画」を立て、幕末の志士たちよりも、
    欧米のイートンボーイ型の秀才や、何か国語も操り、何にも増してスタンド
    プレーが大好きな人物像を理想とするようになった政治家や官僚やその他の
    知識人の方が、もっと重大な問題なのではないでしょうか?

    私は現代でも、「不世出の能力」を持つ日本人は沢山いると思っています。
    そんな彼らも、お茶屋の「遣り手ばばあ」の使い走り程度の見る目しかない
    政治家を頂いているようでは、日の目を見ない可能性があります。

    この前の戦争でも、本当に勇敢な兵隊というのは、日頃は大人しそうな農民
    だったという証言があります。現代でも、上が蒔いた不始末の尻ぬぐいをす
    るのは、結局言いたいことも我慢している一般人となるのでしょう。

    あきんどさんのコメントに触発され、長々と書き、いつの間にか本筋と
    離れてしまったようで、失礼しました。

  4. 鎖国???

    幹二先生、こんばんは!!

    *

    著書にて、漢字伝来後 2百年・4百年、日本は沈黙していた・・と、記していましたよね。

    渡来建築・仏像様式を眺めると、良い思想のみ採り入れた・・と思うべきなのでしょう。

    上杉 Vs 武田を見る限り、力比べに興じていたのに、

    鉄砲なんぞ持ち出すから、災いの種になる。

    一方的に引き金弾いて、殺し合うなら、本願寺もキレますよ!

    統治が始めに在るべきなのに、厄災の種を好んで集める人に天国は開かれますか?

    大阪城が不落なのは、南の平地からの狙撃が届かない、その様な地張。

    どんな、謀略があるにせよ、企みが暴かれたら、当事者同士の一対一。

    ドンと構えていたら良いンじゃないでしょうか?

    16.12.24 , 18:20 .

    子路 .

  5. >黒ユリ様

    いつも御贔屓いただきありがとうございます。
    私はいつもそうなんですが、あまり深く考えないで投稿しているんです。
    ピンときたことをとても大切にしています。
    それがサイレントマジョリティの部分に近づける第一歩だと信じているからです。

    それとは別に、昔からどうしても変えられないもの、そういうことにも関心があります。
    そして一番自分にとって大切にしているものはというと、意外かもしれませんが、戦っている人への畏敬の念なんです。
    我慢することはとても大切な事ですが、我慢することであきらめる心理もありますよね。人間どちらかというと後者の方に逃げたくなるのが習性で、誰だって他人と争いたくないし、嫌われたくもないです。

    じゃあ人間は万人を愛し万人を許し万人を敬えるのか。
    そしてそれが可能だとしてもどんな意味がそこにはあるのか。

    この部分をもしかすると日本国民の多くは天皇陛下を先頭に、皇室の方々は国民の代わりとなってそれを為しえようとされているのではないか・・・という、何かボタンの掛け違い的理想論を国民は求めているのではないか・・・と。

    仮に私の論点が正しいとしたら、その部分に私は元々違和感があります。
    そんなに国民が皇室の肩にぶら下がるようなことを平気でできるとするなら、あまりにもそれは悲劇であり、両者共倒れの道を歩むしかないでしょう。

    私は天皇陛下というのは、人間であることで構わないしそれ以上のものでもそれ以下のもの(当然ですが)でもない、人間としてごく普通の存在として考えます。
    ですから当然自分になしえないものを天皇陛下に求めることは絶対ありませんし、陛下が為しえるものに特別な感情もできるだけ修め、いかに陛下が理想をそのまま実現できるかをただ静かに見守ることが、一番自分にとって心地よいものだと考えています。

    この視点に立つとこの度陛下が天皇の位を退きたいというようなご発言を為された時点で、今の日本社会の現実そのものがどこかおかしいと思うべきだと思っています。
    おそらく陛下は言葉には表しませんが、陛下の言葉の行間にはそれがありありとあると思っています。我々はそれを読み取らなければならない。

    ですから残念ではありますが今の日本はどこかおかしいのです。
    この現象は現代病だと思いたいのですが、それがもし先生がおっしゃるような路線上にそれがあって、「今も昔も変わっていない」となると、その点においてだけは「それは違うと思いたい」と私は答えるでしょう。そう願いますし・・・。

    では、先生が掲げた何が昔と一緒なのかと言うことなんですが、この点は大変骨の折れる説明になりますね。

    そこで、先ほど私が理想として掲げた、「戦っている人を尊敬する」という理論です。
    これはけして国別なものではなく、人間なら平等に問われている問題の一つで、大げさに言えば世界共通の定理かもしれません。

    大学時代に訪れた豪州でこんなことがあったんです。
    現地の青年とたまたま一緒にお酒を交わす機会があり、解散しようとしたその時、通りすがりの酔っぱらった白人青年二人が、我々日本人をからかい半分で絡んできたんです。
    「お前日本人か・・・」みたいな感じで。そして「おい日本人一緒にこれから飲まないか」と言い出しました。
    すると一緒にいた我々サイドの白人青年はその酔っ払いに「お前は酔っぱらっているようだ。ここは退散してくれないか。わかるか?恥をさらすようなことはしないほうが良い。君たちのためにも」と言ったんです。

    単純に酔っ払いを追い払うだけの問答の中に、かなり意味深いものを感じましたね。
    つまり、同じ白人同士のプライドが汚されることを嫌った問答だと思ったからです。
    注意した白人は間違いなくプライドを重視して、恥ずかしいことをするべきではないと言った態度でした。

    たまたまその青年にそれがあったからそうなったのだろうか。
    色々考えましたが、白人のプライドは間違いなくそこにはあり、そうかなるほどこれが彼らの人種的プライド感なんだろうなと思ったんです。
    ところが我々日本人にはこうした人種的プライド感というものがはたしてあるだろうかと疑問に思ったほどで、色々考えているうちにそこらへんが彼らにはあって私たちにはない部分なんだろうと思った次第です。

    ですから、我々日本人というのはいざ世界と言う大海原に出ると、戦うべき相手が誰なのか、守るべきものはどれなのかなど、その視点に立って考える習慣がまずない。
    ところがその裏っかえしには、信じられないようなことを成し遂げてしまう民族性というのもあって、普通に見ればひよっこにしか見えない日本人が、突然考えも及ばなかったくらいのことを成し遂げてしまう。それをポジティブにとらえてくれる人は礼賛し、ネガティブにとらえる人はこっぴどく蔑めるという構図なのではないかと思うのです。
    そんな放送が最近やたらとされていますが、そればかりに固執しすぎるのもどうかと思う次第で、何か単純な理論の構造のもと、これまた安易な方向性の表れの一種なのかなと、最近感じています。

    こうした日本人の心の構図をどう考えるべきなのか。このままでいいのかどうかも含めて、西尾先生はこの論争を立ち上げ「戦う」という姿勢なんだと思うのです。
    さてこのあとの先生のお話が楽しみです。

  6. >黒ユリさま
    >あきんどさま
    お二人のやり取り、とても真剣に読ませていただきました。
    ありがとうございます。

    >子路さま
    本日のようなコメント大歓迎です。

    コメント欄がにぎやかだと、本当にうれしいですね。
    皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。

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