世界にうずまく「恨」の不気味さ 「アメリカの韓国化」どう克服 

産經新聞平成28年12月19日コラム【正論】より

≪≪≪ 韓国を揺るがしたルサンチマン ≫≫≫
 
 朴槿恵大統領の職務剥奪を求めた韓国の一大政変には目を見張らせるものがあり、一連の内部告発から分かったことはこの国が近代社会にまだなっていないことだった。5年で入れ替わる「皇帝」を10大派閥のオーナーとかいう「封建貴族」が支配し、一般民衆とは画然と差をつけている「前近代社会」に見える。一般社会人の身分保障、人格権、法の下での平等はどうやら認められていない。
 
 ただし李王朝と同じかというとそうではない。「近代社会」への入り口にさしかかり、日本や欧米を見てそうなりたいと身悶(もだ)えしている。騒然たるデモに荒れ狂った情念は韓国特有の「恨(ハン)」に国民の各人が虜(とりこ)になっている姿にも見える。「恨」とは「ルサンチマン」のことである。完全な封建社会では民衆は君主と自分とを比較したりしない。ルサンチマンが生まれる余地はない。
 
 近代社会になりかかって平等社会が目指され、平等の権利が認められながら実際には平等ではない。血縁、財、教育などで強い不平等が社会内に宿っている。こういうときルサンチマンが生じ、社会や政治を動かす。

 恨みのような内心の悪を克服するのが本来、道徳であるはずなのに、韓国人はなぜかそこを誤解し脱却しない。いつまでもルサンチマンの内部にとぐろを巻いて居座り続ける。反日といいながら日本なしでは生きていけない。日本を憎まなければ倒れてしまうのだとしたら、倒れない自分を発見し、確立するのが先だと本来の道徳は教えている。しかし、恨みが屈折して、国際社会に劣情を持ち出すことに恥がない。

≪≪≪ 吹き荒れる「ホワイト・ギルト」 ≫≫≫

 ところが、困った事態が世界史的に起こりだしたようだ。ある韓国人学者に教えられたのだが、恨に類する情念を土台にしたようなモラルが欧米にも台頭し、1980年代以後、韓国人留学生が欧米の大学で正当評価(ジャスティファイ)されるようになってきた。

 世界が韓国的ルサンチマンに一種の普遍性を与える局面が生じている、というのである。こういうことが明らかになってきたのも、今回の米大統領選挙絡みである。

 白人であることが罪である、という「ホワイト・ギルト」という概念がアメリカに吹き荒れている、と教えてくれたのは評論家の江崎道朗氏だった。インディアン虐殺や黒人差別の米国の長い歴史が白人に自己否定心理を生んできたのは分かるが、「ホワイト・ギルト」がオバマ政権を生み出した心理的大本(おおもと)にあるとの説明を受け、私は多少とも驚いた。

 この流れに抵抗すると差別主義者のレッテルを貼られ、社会の表舞台から引きずり下ろされる。米社会のルサンチマンの病もそこまで来ている。「ポリティカル・コレクトネス」が物差しとして使われる。一言でも正しさを裏切るようなことを言ってはならない。“天にましますわれらの父よ”とお祈りしてはいけない。なぜか。男性だと決めつけているから、というのだ。

 あっ、そうだったのか、これならルサンチマンまみれの一方的な韓国の感情論をアメリカ社会が受け入れる素地はあるのだと分かった。両国ともに病理学的である。

 20世紀前半まで、人種差別は公然の政治タームだった。白人キリスト教文明の世界に後ろめたさの感情が出てくるのはアウシュビッツ発覚以後である。それでも戦後、アジア人やアフリカ人への差別に気を配る風はなかった。80年代以後になって、ローマ法王が非キリスト教徒の虐待に謝罪したり、クリントン大統領がハワイ武力弾圧を謝ったり、イギリス政府がケニア人に謝罪したり、戦勝国の謝罪があちこちで見られるようになった。

≪≪≪ トランプ氏は歪みを正せるか ≫≫≫

 これが私には何とも薄気味悪い現象に見える。植民地支配や原爆投下は決して謝罪しないので、これ自体が欧米世界の新型の「共同謀議」のようにも見える。日本政府に、にわかに強いられ出した侵略謝罪や慰安婦謝罪もおおよそ世界的なこの新しい流れに沿ったものと思われるが、現代の、まだよく見えない政治現象である。

 各大陸の混血の歴史が示すように、白人は性の犯罪を犯してきた。旧日本軍の慰安婦制度は犯罪を避けるためのものであったが、白人文明は自分たちが占領地でやってきた犯罪を旧日本軍もしていないはずはないという固い思い込みに囚(とら)われている。

 韓国がこのルサンチマンに取り入り、反日運動に利用した。少女像が増えこそすれ、なくならないのは、「世界の韓国化」が前提になっているからである。それは人間の卑小化、他への責任転嫁、自己弁解、他者を恨み、自己を問責しない甘えのことである。

 トランプ氏の登場は、多少ともアメリカ国内のルサンチマンの精神的歪(ゆが)みを減らし、アメリカ人を正常化することに役立つだろう。オバマ大統領が許した「アメリカの韓国化」がどう克服されていくか、期待をこめて見守りたい。(評論家・西尾幹二 にしおかんじ)

「世界にうずまく「恨」の不気味さ 「アメリカの韓国化」どう克服 」への6件のフィードバック

  1. 白人が傲慢さを認めるような方向に動いてると誤解されると困る。戦争を仕掛けたルーズベルトというユダヤ系アメリカ人は日本民族を消滅させようとしていた。謝罪は見せかけですね、それが証拠になんの賠償もしていないし、謝罪の名に値する政策も出していないではないですか。オバマの様に口先だけです。15世紀から西欧白人のやってきたことは重大な犯罪行為でした。それらの行為は、何百年後に裁かれる事でしょう。来年はトランプの治世が始まりますが、これは見ものです。というのは、アメリカを牛耳っているユダヤ系財閥がおおひらに自分たちの利益のみを得る為に政治を左右することが困難になる可能性もある。さて、どうなるか、読みが違う事もあるでしょうが、それはそれで面白い。内部の政治構造を詳しく解説できる人はして欲しい。詳細な力学と構造を解説できるアメリカウォッチャーは居ないですか?もはや朝鮮人の劣情、無神経さは論外です、こんな連中を構うこと自体がけがらわしい、福沢諭吉先生もも大隈重信翁も言っているではありませんか。こんな連中にかまうなと。

  2. 「ホワイト・ギルト」に「ポリティカル・コレクトネス」このような観念が生まれること自体が白人至上主義的ではないですか。それにしても、このようなルサンチマンを敏感に感じ取れる感覚こそ真の国際感覚を身に付けた人と言うべきでしょう。さて、日本においても公の言論空間や日常の茶の間での会話ですら閉ざされつつあります。個人個人は本音では語らず、波風立てないよう気を配り、結局その人の言葉を追いかけても本心が見えない。日本人同士にルサンチマンなどないはずなのに、なぜこれほど自分たちの言論を窮屈にして、息を潜めてしまうのでしょうか?憲法議論や国防問題、戦争史観、核議論について誰もが関心あるはずなのに語らない、語り合えない。これは未だにWGIPの影響なのでしょうか?私はそうは思いませんが。

  3. 投稿者も不思議におもいます。朝鮮人の精神構造を。契約や遵法、倫理、道徳、が通じない人々と言う感じがする。李朝時代に相当痛めつけられたのが原因か?とにかく、この社会は前近代社会にさえ成っていない感じがするのだ。近代社会は遵法と契約で成り立っているが、その根底には、仁、義、徳、信、考、のような人間の基本的な倫理で成り立っているが、朝鮮人たちの国ではそうではない。朝鮮人は自分達の破滅的な心的傾向や未来に対する希望などを根底から見直し、本当の清い心に成って自分の行いの欠点を克服する努力が必要だ。そして外国に、恥知らずにも資金を無心するような、厚顔無視なことを止めることが、自分の力で立つ事の基本的な条件である。汗を流して一生懸命に働くことを厭う国民性は、早く改めなければならない。そうでないと、何時迄も、一人前の国にはなれないだろう。「今の日本に何が出来るのか」と、言うような、100年近く、やっていた余計な手を貸さない事だろう。そんな事をしていては、朝鮮人は、いつまでも一人で歩く独立心は育たない。それでもダメなときは、一度、中共の版図に入り苦労してみることを勧める。朝鮮人は、未だ、封建制の時代にも入っていないのではなかろうか?近代社会の成立には、中世封建制は不可欠の要素なのだ。ロシアとシナが、古代農奴制から、大量殺人による暴力的な共産主義独裁を断行し、人間の平等を標榜したが、その実態は、共産党幹部の独裁制と、恐るべき殺人と、人間改造の強制収容の刑務所の点在であった。そして、ロシア、シナ、コリア、が、いつまでも近代制度に乗れないのは、基本的な封建制を経験していない為である。それがアジア的後進性の根拠であるかどうかは知らない。近代社会の成立には封建制の、法的、契約的、主従的関係、権利と義務に対する誠意という心性が不可欠なのである。それが形成されていない社会では、もとより権利と義務に関する契約社会は不可能なのである。ロシア、シナ、コリアは、その条件を欠いている以上、初めから封建制をやり直す以外に無いだろう。社会が、時と共に経てきた社会制度、それが伝統と文化の本質なのである。ソ連崩壊後、その衛星国である東欧が、比較的速やかに民主的社会の移行できたのは封建制度を経験し、初期の資本制を経験しているからであろう。今この地球の同時間に生きている人間は、確かに同時代に生きてはいるが、社会制度が辿った歴史を考えれば、その様な経験のもたらす知恵は、国民の行動と考え方に、決定的な影響を与えていることは確実に云えるものである。

  4. 皆さま新年あけておめでとうございます。
    昨年同様、このブログを私の人生の糧とさせていただきます。
    なにしろ日録が始まって4か月後に参加させていただいた以来、それからずーっと何かしら関わってきたわけですから、このブログの本当の大切さと言うのを、年が増すごとに感じている次第であります。

    トランプ氏が大統領に選ばれたことに関する事から語らせていただきます。
    私はネット情報をどうこう言う以前から、実はヒラリーが勝つんだろうなと思っていました。けして、メディアに煽られた意識ではなく、アメリカの今の状況から行けばヒラリーを選ぶのではないかと思ったからです。
    勿論トランプ氏がけして劣勢ではないことは知っていました。
    でも、今までのアメリカの国民意識からすれば、ヒラリーを選ぶんだろうなぁと思った次第です。

    そしてもう一つ、先生が最後の方で語っていらっしゃる点です。
    「身の回りにいる人間と、政治の話を堂々とするべき」という内容の件です。
    さすが西尾先生です。
    これが実は本当に大切なセンテンスです。
    私がたまたまいつも利用しているタイヤショップの社長さんは、公明党に所属し市議会議員でもあります。私の父親が昔からここを利用していた流れで、今もそれを継続しているわけですが、時々私からちょっとした政治がらみの話を社長とするんですが、この社長さん本当に温厚な方で、一応少しは絡んでくれるんですが、私が望むほどの絡みはほとんどありません。

    自身が公明党だということの誇示を一度も示したことのないその人間性こそ、たぶん私の父はなんとなく親しみを感じたんだろうと思うわけですが、とにかく北海道は必ず年に二回タイヤ屋さんと関わる環境なので、それが続くということが案外生活の上で大切な部分が生まれます。
    話が少し外れますが、ちゃんとしたところでタイヤチェンジしている車は、あまり事故を起こさないのですが、いいかげんな思いで済ませている車は、事故を起こす確率がかなり高まると思います。それが自分だけで起こす事故なら仕方がないのですが、なぜか事故を起こすときに限って何の罪もない方を巻き沿いにしてしまう事故が多いです。

    ここで私は公明党の広告をするつもりでこれを語っているのではありませんので、まずはその点をご理解ください。

    私が申し上げたいのは、生活上の中で実際にこうした場面がかなり存在するということを、まず語りたかったのです。
    例えばがちがちの共産党の先生がたまたま子供の担任の先生だとか、なぜか面倒見の良いお友達が公明党だったとか、案外こういうケースはあるんでしょう。

    ですから、確かに国民が意識すればいくらでも「政治」は身近な存在であり、実際一人暮らしのアパートにも、用もないのに宗教がらみの訪問者が来た経験は案外多いのではないですか。そうやって政治は生活の中で働いているという証明ですね。

    西尾先生がその逆手を示して、普通の国民が普通に政治を語れる社会にしたら、日本の様々な問題が普通に改善できる・・・という説だと認識しました。

  5. ドイツはシュヴァルツヴァルト地方に住む前期高齢者です。

    五十路にさしかかってからの晩婚でこの国に移り住んで15年が過ぎました。最近のドイツの政界とメディアの傾向には気が滅入ります。

    昨年までわが家は穏健な中道派支持とされるFrankfurter Allgemeine Zeitungを購読していましたが、特に一昨年の難民乱入以来あまりに政権寄りの「御用新聞」になってしまった観があるので耐えかね、 Neue Zürcher Zeitungに切り替えました。

    最近読んで非常に興味深かったのはHans-Hermann Tiedje寄稿のDie Merkel von 2017と題した論説です。Zeitgeistと結婚したものは早々と未亡人になる、というキルケゴールの言葉を引用してメルケルを批判していました。

    ドイツと日本のマスコミはかなり類似していると思われます。もしかして、日本が「模範先進国」と仰ぐドイツを真似ているのでしょうか。

    そのためスイスの新聞を読んでおり、また最近はこちらに来て学び始めた拙いフランス語でフランスの新聞(電子版)も読むようにしています。アナキストが書き殴ったようなル・モンドは願い下げで、ル・フィガロとレゼコーの記事が多いのですが、昨日はそのル・フィガロにPascal Brucknerが登場。これまで寡聞にして知らずにいたこの哲学者(ドイツ系の名字から、アルザス・ロレーヌ地方のユダヤ人を祖先とするのではないかと推察されます)に関心を持ったのは「islamphobieやantiracism は法律関係者のマーケット」という副題のためです。

    拝見したブログにあった「恨」と「ホワイト・ギルト」に便乗した商売で、悪質というほかありません。こういう法律専門家が跋扈しているのが今の欧州先進国です。

    大学の法科で学ぶ人間が増え、弁護士はあり余っているのが現状なので、この種の市場はありがたいことでしょう。また自分の商売を繁盛させるために「社会正義」を主張しますが、現在の法曹界で主流となっている正義の概念が恐ろしいほどいびつで、何を信じ、何をよすがとすればよいのやら、暗澹たる気分になります。

    このブログのことは、今月初めに他界された三浦朱門氏に関しグーグルで調べていて知りました。

    欧州にはまだ息の根を止められずにいるまともな新聞がある一方で、日本はどうしてこうも偏重しているのかと嘆かわしく思っておりましたので、このブログとの出会いはまさにゲシェンクです。

  6. >Beggaさま
    コメントありがとうございます。

    こうやって、海外からでも交流できることが、
    インターネットの良さですね。
    いろいろと、そちらの地で感じること、
    これからもお聞かせください。

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