DHCテレビで、堤堯さんの司会で行われていた「やらまいか」という座談討論番組が本年3月末に終了した。最終回で各レギュラーに「若い人への言葉」が求められた。私は欠席だったので乞われて言葉のみ送った。司会者が朗読して下さった由である。
若い人に期待するのは日本の歴史を取り戻すことです。今、日本の歴史は正当に語られることがなく、ほとんど消えかかっています。しかしだからといって徒らに日本の良さを主張すればよいということではありません。日本を外から眺めることがまず大事です。若いうちに外国で暮して下さい。進んで留学して下さい。
外から日本を眺めると、他の外国でどこでも普通にやっていることが日本にだけない、というようなことが数多くあることにきっと気がつくでしょう。だから、そこだけ外国に学び、真似すればそれでよい、ということではありません。むしろ逆です。外国からは学ぶことのできないもの、どうしても真似することができないものが確実に存在します。それは何か、日本の歴史の中にさぐり、発見し、そこを基盤にもう一度日本を外から見直して下さい。そうすれば日本の欠陥も、長所や特徴もより明確に分るようになるでしょう。
外からと内からのこうした往復運動を繰り返して下さい。貴方はきっと歴史を知ることが自分を知ることと同じだということに気がつくようになるでしょう。
19世紀から20世紀にかけての日清日露の輝かしい戦勝は、詳細を知れば知るほど、世界史のなかの奇跡であり、日本民族の優れた特性を遺憾なく発揮したともいうべきものですが、今の日本の教科書でさえ、忌むべき侵略戦争だったとするものが多く、まして中韓では日本の悪しき軍国主義の侵略だったとされています。大東亜戦争も基本的に同じです。日本人が子々孫々に語り継ぐべき誇るべき近代日本の栄光に泥を塗って、自分たちの情けない歴史とすり替える姑息を恥じらいもなくやっています。「今、日本の歴史は正当に語られることがなく、ほとんど消えかかっています。」はこのことも指すと考えますが「つくる会」の一層のご活躍を祈念します。
私は中年から「日本を外から眺めること」が出来、その為たしかに人生観、世界観が変わりました。「若いうちに外国で暮して下さい。進んで留学して下さい。」は重いメッセージと思います。旅行や出張では足りません。
「他の外国でどこでも普通にやっていることが日本にだけない」ことの一つはベテランが社会でリスペクトされ確かな地位を得ていることです。日本各地の護国神社は今や90代のベテランが支えており後継者不足で風前の灯火となっていますが最近山梨県の護国神社の素晴らしさに接し嬉しく思いました。
日本の歴史を取り戻す それは安倍総理ですら保守として動けていない(憲法改正達成のために長期政権を目指す≒米国にとって喜ばしい国となる) 現状、多少国益を損ねてでも耐えろということなのでしょう
地デジ化でテレビのチャンネルが増えると決まったとき、皆これで保守系のチャンネルも増えるに違いないと勝手に喜びました。 結果は地上波に電波を買われてテレビショッピングを増やしただけで何も変わっていません
「菊と花」という本が散々日本人のことをこき下ろした内容にも関わらず海外が評価してくれたと言う人が多いように、内容を一切読まない日本人がなんと多いことか やはり日本人は海外を美化して生きる国なのでしょう
米国と戦争したことを若者が知らないという笑い話もありますが、米国人自身も歴史の授業で大東亜戦争以降米国が英国に変わって世界の覇となった理由を知らない(日本人が植民地を独立させたため)、英国ですら英国のおかげで植民地時代が100年早く終わった?と意味不明の内容を外交官が発表していますが 彼らは未だに大東亜戦争がトラウマなのでしょう 武装解除を無条件降伏と喧伝した外務省にも腹が立ちますが、ルールをひたすら律儀に守る日本(真珠湾攻撃の際も国際条約を気にして石油タンクを狙わなかった?)に対して海外はあまりに腹黒いですね
最近の若い人たち(むかし、自もそうだったので、あまり好きな言葉ではないのですが・・)がよく口にする「自分探し」はidentity-free(自己喪失)に悩むかれらの悲鳴なのではないでしょうか?identityは、どこかにあるかもしれない「青い鳥」なのではなく、自分のいる時間、空間の座標軸の交点にあるのだと思います。歴史意識を持つ、海外から日本を見る、まさに時空の座標から自分の立ち位置を測ることでidentityは生まれるのではないでしょうか?(もっとも歴史の偏向教育を受けてしまえば逆効果ですが・・)西尾先生と同じことを言っているだけですが、僭越ながらわたしも若い人へひと言。
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ふむふむ。
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09:34
子路
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お久しぶりです。
これから書こうとしていることが、はたして皆さんに参考になるのかどうかわかりませんが、感じたままに書きます。
私は1960年生まれなんですが、私たちが社会人になった頃は、先輩諸氏からこんな説教をよく請けたもんです。
「会社の社長になったつもりで仕事をしろ」と。
これは何を意味しているかというと、『会社のためになる働き方をしろ』という意味なんだと思います。経営者がいかに大変な思いで会社を守っているか、それを意識しながら仕事をしなきゃならんのだぞ・・・と言うことなんでしょう。
それから30年後の今、現実はどうなのかというと、「お客様の立場になった仕事をしろ」に代わっているんです。この意味は『顧客目線で現場を監視し、あらゆる顧客のニーズとトラブルに対処しろ』という意味なんでしょう。
この二つの理論・・・どちらも正しくてどちらも間違っている・・・と私は思う。
商売に「絶対」なんかありません。絶対正しい方法なんか存在しません。
一番大切なのは自分と向き合って仕事をしているか・・・じゃないかと。
要するに「理想」というものをちゃんと掲げて生きているかどうか、そのしたたかな根性が備わっているかどうか、これが一番大切なんじゃないかと思います。
今の時代会社に入ってすぐに、新入社員は出来もしない高度な仕事を急速に覚えさせられます。
それについていけない者がけっこういます。よって長続きしない。
私は思うんです。そんないきなり高度なことから入るのではなく、精神性を磨くためにも、下働きからさせた方が、彼らには良い経験になるんじゃないかと。
新入社員の側だって、いきなり責任ある場所に押し付けられるより、その方が気持ちの上で安心なんじゃないかと。
そうすれば入社してすぐ辞めるという事態は起こらないんじゃないかと、私は思うんですね。
結局、社員を育てる余力が、今の日本の企業にはほとんど存在しないということなんだろうか。
即戦力を期待するアメリカ型企業のレールに、そのまま乗っかっていて、無理な雇用実態に陥っているという言い方が当てはまるのかもしれない。
『まずは3年我慢して会社にいなさい。それでも自分と反りが合わなかったら辞めるということも手段の一つだろう。でもその間に自分がどれだけ成長できるか・・・これが一番大切なことで、会社に入りたての頃と視線が同じってことは、自分が全く成長できていなかったことを証明することになるんだぞ・・・。』
私はどんな人間にもこの言葉を最後のアドバイスとして使ってきました。
私は西尾先生のような広い視野で若者にアドバイスはできませんが、血肉が滴り落ちる現場の意見として書かせていただきました。
西尾先生らしい、機知の効いた深みのある助言だと感じ入りました。思索し苦悶する日本人として、ヨーロッパやアメリカと対峙しながら、日本を外からまたは内からと深く見つめる、そして洞察した結果を作品として残すというお仕事を長年にわたってされてきた西尾先生の御生涯と、この助言は密接に結びついており、印象深いです。
「往復運動」とは何か。それは日本人としての強い個性を内にひめ、日本という歴史の土壌に強く根をはりながらも、(悠久の人類の)普遍的な人間性の本質というものへの探究心が、決して日本の文化や歴史の枠内だけに思考がとどまることを許さず、世界の諸文化や諸精神への複雑な思考運動や比較調和が何らかの精神的結実やハーモニー(あるいは時に精神的危機をも)もたらすということ。個人的にはその代表者として三嶋由紀夫等を思い出し、また西尾先生も同じ精神の持ち主というか継承者であられたという印象を強くしています。
僭越ですが、お体に気を付けられて、これからもご活躍されることを心より祈っております。
前回の私の投稿の意味を説明いたします。
あきんどという社長の冠を掲げていたころ、実は私は社会から断絶されているような気分でした。
会社の社長という職に就いていた時代の私は、まったく輝いていませんでした。
多くの社長さんがたぶん似たような気持ちをお持ちなんじゃないかという、私の勝手な論建てで語らせていただきます。
会社の社長という立場、なかなかなろうと思ってもなれるものではないのは、今も昔もあまりかわらないと思うんですが、バブルがはじけたころ、ある人からこんな衝撃的な言葉を聞いたんです。
「もしかするとこれからは、日本で起業しようとする資本家はどんどん減っていくかもしれませんよ」
とあるコンサルタントの言葉だったんですが、当時まだ私がサラリーマンだった頃の話です。
そんな話を聞いて3年後、私は会社の社長になっちゃったのが現実です。
私の中ではたぶん、コンサルタントのその決めつけに近い言葉に、ㇺかっとしたんでしょうね。
なんとも意地っ張りな性格が私にはやっぱりあるんですね。
まだ二人の子供が小学生に上がっていない時の決断です。ましてやその年には三人目も生まれました。
しかもこの時に顎下腺に石が溜まる病気になり、その摘出手術も受けました。
私はそれ以来何度も病魔に襲われ、終いには脊髄の病気にまでなり、社長職9年間は、普通に言えば地獄のような時代でした。
そんな地獄のような時代に生きていた当時の自分はというと、けしてそれが地獄だとは思わないし、その時代はその時代なりに楽しい時間もたくさんありました。
今の自分が当時にタイムスリップして、果たして同じ轍を踏むかどうか・・・それを問われると正直苦しいのですが、実は今も当時の夢をよく見るんです。
銀行に支払いに行かなくちゃならないのに、資金がショートして二進も三進もいかない状況になって、ああどうしようと思っていたら目が覚めるという経験は、実は今も時々あるんですよ。
そこでこの説に振りたいのですが、私が昔の時代に教わった、「社長になった立場で仕事をしろ」という諸先輩の言葉ですが、おそらく先輩はこの時の私の苦労までは予測不可能のであり、80%くらいのイメージで語っていたんだろうと思います。
一方最近やたらとあちこちで言われる「顧客の立場になって対応しろ」という言葉。
言わんとする意味はわかりますが、すべてが正しいということではなく、80点しか取れない対応だと私は思っています。
80点しか取れないということは、現実にはその半分の40点から50点あたりで右往左往するのが現実で、なかなか理想通りに事が運ばない現場の方はたくさんいらっしゃると想像します。
どうしてお客様の立場に立ちすぎると100点が取れないのか。
簡単なことだと思います。売り手を放棄していることが、お客には見抜かれているんですよ。
「売る」立場と「買う」立場は絶対条件で真逆なんです。
このことを無視したコンセンサスなんです。
つまりなれなれしい態度がそこには生まれる可能性があるんです。
人によってはそれがうるさく感じる人もいます。
うるさく感じさせないためには、やっぱり「売り手」意識を見失わないこと。
その方がお客さんは普通に安心できるケースが多いはずです。
つまりお客さんは「プロ意識」を持った売り手を、根っこのところでは強く求めているんです。そこを無視してなれなれしい態度に自分が甘えてしまったら、80点以上は望めない売り手となってしまいます。
どうして私がこんなことを長々と書いているか、おわかりいただけるでしょうか。
この角度で、西尾先生の若者へのメッセージを当てはめた場合、ぼんやり見えてくるものがございませんか。
ドメスティックな人間では80点しか取れないよと語っているように私には聞こえたんです。一度自分を外に出してみて、どれだけ自分がダメかを知って、そして教わった外の世界から、いかにダメだった自分の中にも良いものがあるんだってことを、自分でみつけることを努力してほしいということなんだとおもいます。
歴史認識だとか日本の歴史がすばらしかっただとか、それはそれでとても大切なことですが、その本当の意味を得るには、一度自分を真っ裸にしてみたらどうだ・・・と先生は語っているように私には響いてきたんですが、皆さんは如何お感じでしょうか。
日本の歴史を勉強するには、おのれの勉強を、知能を、経験を磨いて頑張ってくれ・・・と言うことだと思います。
ここに集う方々は、歴史に詳しい方々が大勢いらっしゃると思います。
その点私なんかまったくダメな方で、とても自分から歴史ネタを書こうなんて思わないほど、歴史音痴です。
ただ、そんな私が西尾先生のこのブログにお邪魔している理由は何かというと、「国民の歴史」を呼んだのがきっかけなんですが、ただそれだけではこんなに長続きはしません。
昔の日録時代、私は恥も外聞もなく、自分をアピールしました。
とにかく自分が感じてきたこと、信念としてきたことなどを書きました。
下手糞な書き方がかえって先生の目に留まったのか、個人的に先生から色んな接点をいただいたのは事実です。でも、いまだに直接お目にかかったことはありません。
お誘いもあったんですが、わたしはそれを果たせませんでした。
それはさておき、私はとにかく当時日録に自分を曝け出しまくりました。
先生のところなら素直にかける気持ちで書きまくりました。
一日一回・・・いや多い時は数回書きました。
当時は私は経営者でした。孤独な経営者でした。
自分の苦しみを軽減する意図もあって、先生のところで個人的なフラストレーションを解消していました。
これって駄目な経営者の典型だったと、ふりかえるとそう思うんです。
誰にも打ち明けられない苦しみを解消するための、一種の快楽だったんです。
自分の不甲斐なさを解消するための行為だったということです。
会社を解散手続きして、5年間私はネットを離れました。
この5年間が実は私には大切な時間でした。
人生を一からやり直すための修行のような期間でした。
これによって、私は冷静さを取り戻せました。
子供を育てるために時間を惜しまず働き、新聞配達もした時代でした。
そんな私の状況を先生は個人的に気遣ってくれて、その御恩は今も忘れません。
でも本当に大変だなぁと思える時期があったから、今の自分があるんで、それを誇りに生きようと思っています。
ネットを離れた5年間が、つまりは留学していたようなものとなって今の自分を支えてくれているんだと思います。
時代のツールをあえて遮断して、本当の素の自分と向き合えたことが、私には幸いだったと思っています。
私は思うんです。こういう書き込みというのは、自分の人生観がもっとも大切だと。
どうせ書くんなら、自分を書かないと意味がないと思っています。
先生はGHQ研究でも、その点をよく取り上げて、当時の軍人の心理をたんきゅうされていますよね。実生活を如実に表してくれるそうした文面には、特に詳しい解説をされていることが多いという印象です。
先生は常に多くの生徒が集う形を守ろうとして、こうしてご自身の研究を無料で公開する場所を提供し、門戸を開いて次の世代をなんとか育てようと真剣に取り組んでいらっしゃいます。
そこで私は本当に言いたいのです。
歴史認識に豊富な方々へ。
どうか自分を語ってほしいのです。
自分を置き去りにしたような書き方ではなく、自分をいつも語りに出してほしいのです。むつかしい注文かもしれません。
でも、そうしたことの連続が、これからは大切な時代になるんじゃないかと感じるのです。
ご自身の尺度と、歴史の接点がどのように結びつくのかを語れる世界が、私はこれから大切な要素なんじゃないかと思います。
そういう意味で「自分探求」というものが大切なんじゃないかと思います。
これだけ情報が豊かな時代になると、「自分」という個体は貴重な括りなんじゃないでしょうか。