罪深い大勲位

 

お知らせ
   《来月の評論》

   特集 閉ざされた言語空間と「戦後神話」---60年目の再検証    「正論」9月号

     ___ 知られざるGHQの「焚書」指令と現代の「焚書」 30枚

          特集執筆者  上記論文の私のほかに石井英夫、林道義、和田秀樹、西岡力、新田均

やっと書きあげました。写真もいれます。

マンガ嫌韓流   山野車輪     晋遊舎 ¥1000
  
        5ページのコラム「外が見えない可哀そうな民族」を寄稿しました。
       旧稿改作です。

       コラム執筆者は西村幸祐、大月隆寛、下條正男の各氏。

       マンガ本体はよく描かれていて、私も知らぬこと多く、何箇所かで、
       衝撃をうけました。

西 法太郎
<<自己紹介>>
西 法太郎と申します。
40台後半に差し掛かった会社員です。
世の動きに目を向けるようになったのはつい十年ほど前。
金美齢氏が深田祐介氏と対談した 『鍵は「台湾」にあり』を手にとってからです。

生まれてまもない弟が不治の病気に罹っても医学の道に志すことなく、
家に引き篭もった高校時代に全集全巻を読んだ三島由紀夫に憧れ同じ学部に入っても、
官僚・作家を志すことがなかった。
しかしこの方が、たいへん苛烈な人生を辿っていることに接し、大いに揺り動かされました。

台湾のことを知りたいと云う思いに突き動かされ、これが「日本」とその将来について考える
私のよすがとなり、その道程の起点となりました。
2001年12月に初めて台湾に渡り、時恰も行なわれていた立法委員(日本の国会議員)選挙を体験し、現地の空気に触れて、台湾に明るい未来が招来しなければ、日本にも明日はないだろうと観じました。
台湾に押し寄せる暗雲を、他国のことと等閑視していると、
それは日本をも襲う黒雲となると観じました。

西尾先生との出会いは、本年1月6日付け「西尾幹二のインターネット日録」にある通りです。
宮崎正弘氏の「国際ニュース・早耳」に掲載された拙論を西尾先生が目に留められ、
転載頂く栄に浴しました。
このような誉れを受けて、豚も木に登らんとばかりに動き回っています(笑)。
以上

guestbunner2.gif
罪深い大勲位

大勲位 中曽根康弘閣下殿

拝啓

三伏のみぎり、時下ますますご清祥の段、お慶び申し上げます。早速ながら、閣下殿が首相在職のさなか、昭和61年8月15日付けで胡耀邦中国共産党総書記(当時)に宛てた、靖国神社公式参拝の取り止めに関する書面を引用致します。覚えておられれば幸いです。

————————————————————
内閣総理大臣 中曽根康弘

戦後40年たったとはいえ不幸な歴史の傷痕はいまなおとりわけアジア近隣諸国民の心中深く残されており、侵略戦争の責任を持つ特定の指導者が祀られている靖国神社に公式参拝することにより、貴国をはじめとするアジア近隣諸国の国民感情を結果的に傷つけることは、避けなければならないと考え、今年は靖国神社の公式参拝を行わないという高度の政治決断を致しました。
————————————————————

閣下殿は、胡耀邦氏を助けるために靖国参拝を取り止めたそうですが、それにあたり、腹心の野田毅氏を密使として胡氏に送り、靖国参拝の伺いをたてたそうですね。

国内問題について、外国要人の了解を得ようとした、閣下殿のトンチンカンなさもしい行為は、日本国民として呆れ果てるとともに、そんな指導者を戴いた者どもとして寂寥の感に包まれました。

閣下殿が公式参拝するまで、どの外国も文句は云ってきませんでしたのに、中国が唐突につけ始めました。時は小平政権の末期。 中国国内の権力闘争の渦中でした。日本寄りの胡耀邦追い落としに利用しようと、軍国主義の旗印として「靖国」を論い、参拝叩きが行なわれたのです。「靖国」は日本の内政問題で、公式参拝が違憲であるかないかは他国の干渉を受けるようなマターでなく、諸国に配慮すべき問題でもないのです。でありながら、執拗に中国がこれを言うのは、最初に閣下殿がコケたからです。

この時のことを後日閣下殿は雑誌『正論』に「胡耀邦を守らなければいけないと思ってやめた」と書いておられますが、譲った結果はどうでしたか?

閣下殿のこの不作為の罪は20年後の今日に至るまで日本国の国益を無尽蔵に損なっていませんか?  
更に今後何年、何十年と国益を毀損し続けると懸念・憂慮されませんか?

小泉首相の靖国神社参拝について、「(今のままなら)国益に反することになる。A級戦犯の分祀ができないなら休んだ方がいい」と先月閣下殿は述べておられます。閣下殿は首相在任時、「分祀」という“毒創的”な観念をあみ出し、板垣正氏に命じて、いわゆる「A級戦犯」の遺族の方々から、「分祀」への同意を取り付けようと画策し奏功せずに終わりました。東条家だけが同意しなかったからです。

それ以降中国・韓国は閣下殿の尻馬に乗って、「分祀」、「分祀」、「分祀」と「分祀」念仏教に走り日本国民はたいへんな迷惑を蒙ってしまいました。

今年小泉首相が靖国参拝をしたら、閣下殿の政治活動の一大汚点になるとの“賢明”なるご認識から、これを懸命に阻止されようとしているお姿は醜いの一語に尽きます。酷寒に包まれた赤城山からの颪の凄まじさです。

閣下殿は「私は『終身比例1位』」と地位に恋々とされる方でもありました。これを絶った小泉首相には、大いに意趣がおありでしょうが、大勲位らしくないお振る舞いと申し上げます。

閣下殿は、さかんにマスコミから「風見鶏」のニックネームを冠され揶揄された時代がありました。閣下殿はお考え、ご方針が結構ブレる方だからです。今盛んに改憲論を唱えておられますが、肝心要の総理在位の4年7ヶ月の間、改憲の「カ」の字も口から発せず、支持者の多くから、失望を買い、批判を浴びま
した。一議員にあらせられたときに、2000人の若者を伊勢に集め、「自分が印綬を受けたら真っ先に、憲法の改正をやってやる」と獅子吼したことを、最早お忘れで、記憶の片隅にもないのでしょうか?

閣下殿の内閣で藤尾正行文部大臣が、文芸春秋で「(日韓併合は)形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立した」と発言したことを巡り、閣下殿は発言を撤回しない藤尾氏を罷免してしまいました。
閣下殿ご自身の韓国訪問を恙無く終えようと、トカゲの尻尾を切った、無慈悲なご処分でした。

プラザ合意で急激な円高を招来し、バブルの深因が形つくられたのは、閣下殿が首相在位の時でした。
ワシントン政府の言いなりに、「前川レポート」を作成して、日本国民の勤勉精神を骨抜きにする作業にも勤しまれましたね。

「日の出るか傾く荘」で、来日したリーガン大統領にほら貝を吹いて興じられていましたが、ほらを吹かれ、謀られたのは我々日本国民だったのですね。

閣下殿の疑惑の数々を以下に列記します。
・殖産住宅事件で、旧制静岡中学時代からの東郷民安氏を裏切ったとされています。
・リクルート事件で、藤波孝生元官房長官が泥をかぶったといわれています。
・丸高グループ転換社債をめぐる脱税等の疑惑では本来、大蔵事務次官経験者のポストである公正取引委員長に国税庁長官を起用することでウヤムヤにしたとされています。
・国際航業乗っ取り事件にからむ小谷容疑者との関係では閣下殿の金庫番・太田英子女史がつっかえ棒役を果たしたといれています。
・角福戦争(昭和四十七年七月の自民党総裁選挙)の際の、「七億円中曾根派買収疑惑」。
福田派から二億円、田中派から五億円の計七億円を両陣営からごっつあんしたと云われています。
田中陣営は立候補断念料として計十億円を提示し、しかも田中側からは、「将来、 中曽根総理・総裁の実現に協力する」との条件つきだったといわれています。最終的に田中角栄政権が誕生した時に、中曽根派ぐるみ、田中派に身を売ったのは周知の事実です。
・富士銀行不正融資事件(羅臼疑惑)。
・最上興産疑惑。
・東京協和・安全信組事件(1993年)の山口敏夫元労相は閣下殿の側近。
・贈収賄事件(2000年)で逮捕された中尾栄一元建設相も閣下殿の側近。
・KSD事件(2001)の村上正邦元労相も、閣下殿の側近。
・イトマン事件(1990)に関与した亀井静香も、閣下殿の側近。

閣下殿の首相在任時の最大の功績とされるのが行政改革です。就中、国鉄・電電公社などの民営化は高い評価を得ていたことを申し添え、これ以上晩節を穢し、日本国の国益を損なうお振る舞いのないことをお願い申し上げ、筆を擱く次第です。
叩頭叩頭
(西 法太郎)

「罪深い大勲位」への7件のフィードバック

  1. この大勲位さんがテレビで語っておりました。師の徳富蘇峰が指導してくれた「大義の前に妥協あり」を大事にしていると。蘇峰が泣いているでしょう。因みに小島直記氏らの言をお借りすれば、蘇峰の特徴は「変わる」という事。三宅雪嶺と対比してです。ボケがきております。

  2. 西尾先生、こんにちわ。はじめて書かせていただきます。
    私が知っている先生は、なによりも「ニーチエとの対話」の著者であり「自由の悲劇」の著者としての西尾先生です。
    20代で「ニーチエとの対話」を読んで感動し、以後「ツアラツストラ」「悲劇の誕生」「善悪の彼岸」「道徳の系譜」など、日本語翻訳ですが、ニーチエを読んだことは、わたしにとってかけがえの無い人生の糧になっています。

    ところで、西尾先生の現在のお立場とは逆になるかとも思いますが、実は、わたしは、最近のネット上での右翼的な傾向をにがにがしく思っているものです。
    「ネット右翼」という言葉をご存知でしょうか?
    2チャンネルなどで見かけるのですが、中国人や韓国人に対する差別発言に始まって、うさばらしのために書いているとしか思えない、罵詈雑言を書く人たちがいます。こういう人たちをまとめて、ネット右翼というそうです。わたしも、ついこの間、自称「ネット右翼」の方からBlog上でのコメントをいただきました。それは、障害を持つ私の娘に対する差別発言から始まって、わたしとの言い合い(言葉の上での喧嘩ですが。)の末に、最後は「右翼団体にメールしといたからな!長崎市長みたいなことにならないように、気をつけろよ。」というような、脅迫めいた内容のコメントを残して去っていかれました。
    西尾先生が考えておられるのとは、まったく逆の方向に、ネット上の青少年は、昨今の右傾化(あんまりいい言葉ではないと思いますが。)を自分の都合のいいように解釈して、利用しているように思います。わたしにコメントをくれた方も、言論の自由というようなことにはひどく敏感なくせに、人に対する礼儀や節度といったものはまったく無関心というか想像の外にあるように思えました。自分の発言に対する責任などということも、まったく感心がないようで、言いたいことを言うとさっさと立ち去っていったような具合です。つまり、民主主義とか平等とかいう言葉が実は身に染み付いているが、礼儀や礼節ということはまったく感心のない世代が登場しているのではないか?と思うのです。自由は当たり前、それを阻むものはすべて「悪」というような発想でしょうか。自由をいいたければ、責任の所在をはっきりさせろ、と言いたいのですが、彼らは「匿名」の中に逃げてしまい、それをよしとしているようです。このあたりはもはや世代の違い、いや感性の違いのように思えます。
    非常に危険な世代とそれを助長する環境(ネットワーク)がそろった時代がきてしまったのかもしれません。

    保守思想というものを、真剣に勉強してくれている人ならば、まだ理解はできると思いますが、形だけの保守を気取って、ウサ晴らしをしている若者が実際にでてきているようで、残念です。

    わたしは、必ずしも現在の先生と同じような政治的ないし思想的立場をよしとするものではありませんが、若者たちのあまりにもひどい状態に、ちょっと憤りを感じているものです。

    いろいろ書かせていただきましたが、「ニーチエとの対話」はいまもわたしの本棚にあります。つまらない本は全部処分しましたが、いまだに処分しそびれている本です。(笑)
    それでは、また。

  3. >おたきちさん

    それは大変嫌な思いをされたのですね。

    イデオロギーが右だ左だというのは、最後はどうでもいいことで、大切にすべきものをきちんと守れる人間であるということだとおもいます。

    利己主義で他人の痛みの分らない人間は困り者ですね。

  4. 申し訳ないが、「おたきち」という名義で書かれた文章はおかしい点が多々ある。
    一番おかしいのは、その論旨に沿って読むと、けして、挙げられることはないだろう『自由の悲劇』と言う題名が出てきていることだ。
    【読んでいれば】必ず分かるのだが、『自由の悲劇』はタイトルだけ見ると、西尾先生のニーチェ絡みの著作と思われるが、その内容は全く違う。そう、まさに、「おたきち」と言う名義人が、槍玉に挙げているイデオロギー系の著作なのである。
    そう言った「何かおかしい」と感じた観点から読んでいくと、この「おたきち」と言う名義人が書いた文章は、何らかの意図があることが見えてくる。
    簡単に言うと、「元気な若造の排除」である。
     1・「激しく保守的意見を言う者」に、自分の、その信憑性の疑われるような経験談の相手「ネット右翼」を冠してみる短絡・・・。
     2・また、「ネット右翼」というものを、文章中、何故だか、理由もなく「若者」とイコールにする飛躍がある。
     3・その他、おかしい点は多々あるが、いちいち書かない。

    要するに、この「おたきち」と言う文章名義人は、【「ネット右翼」を「若者」に冠し糾弾すること】を目的として、不気味な作り話をしつらえたような印象を感じる。

    また、それに対しての長谷川姉の返答も噛みあっていない。
    「おたきち」名義人と長谷川姉が、閲覧者の預かり知らぬとこで何らかの「具体例」を共有しているから、両者は会話に矛盾を感じていないかのようですが、閲覧者の多くは、そのコメントの流れに「???」を感じるのではなかろうか?

    私の、短いが傍若無人なネット経験上、「ネット右翼」と言うものは、どう考えても存在していない。
    私は『2ちゃんねる』を、自分のホームページの宣伝をするのに使うことが多いが、そんな行為には「ネット右翼」が食って掛かってきてしかるべきなのである。
    だが、そんなことは一度もない。
    私の乱暴な投稿を吟味し、良しとしてくれているのでしょう。
    「ネット右翼」がストレスの解消なんてものを目的としているのなら、だれかれ構わずに攻撃してしかるべきです。

    私は、『2ちゃんねる』で左翼的な相手に絶妙の罵倒を浴びせる「厨房軍団」には感心しております。
     【こいつらがいなかったら、日本は左翼に完全制圧される】
    とも思っております。
     【こいつらが日本の世論の一流派を築いている】
    とも思っています。
    私は「自己顕示欲」が強いので、自分名義じゃないと、どうしても意見を吐けないので、何の見返りもなく、延々と意見を連ねている「厨房軍団」には尊敬の念を禁じ得ません。
    人間には、正の面だけでなく、負の面があります。
    『2ちゃんねる』は、普通に暮らす実力者が、その負の面を解き放っている場でもあるのでしょう。

    私も好き勝手やってるようで、大きな公的目的あってのネット活動ですよ。
    「公」と言う枠があるから、暴れられるのです。

    もし問題ならば、削除を!

  5. >ミッドナイト蘭さん

    >イデオロギーが右だ左だというのは、最後はどうでもいいことで、大切にすべきものをきちんと守れる人間また、それに対しての長谷川姉の返答も噛みあっていない。
    「おたきち」名義人と長谷川姉が、閲覧者の預かり知らぬとこで何らかの「具体例」を共有しているから、両者は会話に矛盾を感じていないかのようですが、閲覧者の多くは、そのコメントの流れに「???」を感じるのではなかろうか?

    そうですね、私の文章はおたきちさんの書かれた内容の全部に対するコメントではなかったから、噛み合っていないように感じられたのでしょう。おたきちさんの「現在の(西尾)先生と同じ様な政治的ないし、思想的立場をよしとするものではない」とおっしゃっている部分については、私はスルーしました。

    ただ、ご自分のブログか何かでご自分の娘さんについてのやりとりをお書きになっていらっしゃいました。その点についてのみの反応です。ミッドナイト蘭さんが推測するような、「具体性」の共有などはありません。

    お嬢さんに対するやりとりの最後に「右翼団体にメールをしておいたからな」などというものが本当にあったのだとすると、それは右左に関係なく、人間として許し難いことだと思ったからそう書きました。

  6. >長谷川姉及びおたきちさん

    すいませんでした。
    私は、定期的に陰謀史観に染まってしまいます。
    たまに、自信が薄れるので・・・。

    西法太郎さんは文章がうまい。
    今の中曽根氏みたいのを立ててるのが、読売的保守勢力なんでしょうね・・・。
    保守は大同団結できないのでしょうか。
    左翼は「国家転覆」を旗印に一つにまとまっています・・・。

  7. 年上の長谷川さん、ミッドナイト・蘭さん、コメントありがとうございました
    まず「右翼団体にメールしておいたからな。」というようなことは、ほぼ事実として、ご本人の言葉からも確認しております。その点に関しましては、私の方で法的にできること等をしらべて、対応をおこなっている最中ですので、ご心配いただきませんよう、御願いします。(障害児の親というのは精神のレベルで、それほど弱い存在ではないのです。私は自分のことを弱者の親などとは少しも思っていません。(まったく「せむしから背中のコブを取る」必要はありません。(笑)この点においても、ニーチエが、今生きている私に力をくれているのです。)

    さて、「自由の悲劇」についてですが、私はミッドナイト・蘭さんとは反対に、現在の日本におけるネット上の会話について、まさしく「自由の悲劇」において、西尾先生が危惧されたとおりの事態が起こっていると思います。
    「厨房軍団」でしょうか?私が見る限りにおいては、なるほど旧式のサヨク的言説に対して、彼らは敏感に反応し「痛い」突っ込みを入れてきます。で、そういう彼らの思想的背景はなんだろうか?と考えた場合、ミッドナイト・蘭さんにはなにかおもいつくところがありますでしょうか?
    私が感じるのは「ウサ晴らし」です。なるほど、旧来のサヨク的言説を罵倒し、封じるのには、彼らは便利な存在かと思います。
    しかし私が思うに、彼らは「流行に乗っているだけ」ではないのでしょうか?昔のように、サヨク思想が流行していた時代に生まれていたならば、彼らは「ネット左翼」になっていたように思います。
    私が大学の学生寮にいた自分には、まだ新左翼セクトというものが生きていて(今でも生きているかもしれませが。)いろいろ活動をしていました。私は政治は嫌いではないほうなので(笑)話をしたりしていたのですが、彼らを組織に導いたものは結局「人間関係」でした。親切にしてくれる先輩や寮の役員などが熱心だと「落ちて」しまったわけです。同時並行的に、右よりの宗教団体などにも人は「落ちて」しまっていました。これも、よく考えると単に「人間関係」の違いだった、と言う以外に明確な理由が見出せません。

    で、「厨房軍団」にもし、なんらかの期待をされるというのは「危うい」としか思えません。彼らの根本思想は戦後民主主義です。「基本的人権」や「言論の自由」という言葉に、どれほどの「厨房軍団」が理論的に反対していますでしょうか?
    最近起きた、ネット上での人権保護法案への反対ですが、その理由は「言論の自由」の侵害への反対であり、それは、匿名での言いたい放題が法的に規制されることに対する「反対」でしかないと私は思っています。

    西尾先生のBlogのコメント蘭を借りてこのようなことを申し上げるのは、あまりよろしくないかとも思いましたが、自分の思うところを述べさせていただいた次第です。

年上の長谷川 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です