初めてコメント差し上げます。 冒頭から日本会議、伊藤哲夫氏、小堀桂一郎氏への批判、大批判。 終盤、自分に集まる人たちも人任せ、危機感を職場等で共有し、行動しようとしているか、していないでしょうといったご主旨の、火の如き、矢の如きことばの数々。 だいぶ前に読んだ本に、昔の詩人はみな昂然としていた、相手の心臓をめがけて話していたから怖かった、と書いてあったのを思い出しました。 詩人でない、小市民が出来る最低限の行動は、投票先に困っても投票を怠らない事だと思っています。選挙になれば市井の各所で政治の話になります。自分の場合は、どこの誰に投票したか無遠慮に聞き、答えてくれなくてもいいので自分は明かすことにしています。 職場以上に、我が家の小学生が選挙のたびにどこへ入れるつもりなのか、誰に入れたのか、わりと熱心に聞いてきます。簡単な理由を添えて教えています。たぶん教室で話しているのだと思います。先般の参院選の後、自民党ではダメなのかと聞いてきました。 おっかなく見える先生と握手がしたくなり、そのような気持ちで認めました。ご健筆をお祈り申し上げます。 返信
久々に先生のお顔を映像で拝見しました。 大変お元気そうで安心しました。しかし同時に、このお歳になられても評論界の最先端にて、発言しなければならない現実に、いい加減甘えていられない心理が真っ先に生まれました。久々の討論会にご参加された先生の論は、やっぱり重みのある言葉ばかりでした。 時系列に先生の安部氏への違和感を語られ、いかにその間の先生ご自身のお気持ちが強かったかを、いろんな方が気づかれたことでしょう。 個人的に言わせてもらいますと、安部氏のある種「うらぎり」は、新しい歴史教科書の時から関わっているのではないかと思います。 しかし、その件に関しては今回先生はほとんど触れずに割愛しました。それを持ち出すと、個人的な違和感しか注目されないとご判断されたのかも・・・と思いましたが、結果的にそんなレベルのご判断ではなく、先生の個人的な関りを訴えるまでもなく、これまでに至って安倍総理がどれだけ国民を裏切ってきたかを、実に誠実にしかも正しく公言できる材料がそろい過ぎていたことが、教科書問題での安部氏の裏切りを一々晒さなくても、十分国民に理解してもらえるとご判断されたからだと私は思いました。 今回若手の論客がなかなか良い発言をされていたことに、先生はご関心があったようで、彼らの論を聞いていた私は、おそらく先生はかなり聞き耳が立ってお聞きになられているんじゃないかと思ったところ、やっぱりその通りに先生はすぐに反応され、あとでじっくりお二人のご意見を伺いたいとおっしゃっていましたね。 先生がどのような感想をお持ちになったかを、いずれの時期でかまいませんので何かご感想を伺いたと思った次第です。わがまま言ってすみません。 討論会というのは本来は「意見の違いをぶつけ合う激論会」であることが、本当は理想的なんだと思います。しかし、どうしても意見が似通ったもの同士が集まってしまうチャンネル桜。そういう点でのおざなりが、段々ここにきて飽きられ始めているかなというのが私の率直な感想です。 しかしそんな中で先生が最初に「小堀けいいちさん、何してんですか」というコメントが、なにせ私には痛快でした。こういう率直な意見・怒りが今の日本の討論会には少なすぎます。 過去に左翼と激論を交わした御経験が豊富な先生だからこそ、そういう警鐘を自ら発せるのであって、若者たちの意見もたしかにズバッと言っている処はあるんですが、はたして激論になったとき保身に走らず語る事ができるだろうかという点は、まだ未知数です。 私が先生のご研究の中で色々感じた多くの点の中から、ここで一つだけ申し上げたいことは、「民族の怒りと弱さ」です。この点は先生の作品の中に多く点在する共通の隠されたテーマだと認識しています。誰でも怒りは存在しますが、なかなかそれを表立って言えない個人の弱さがある。しかし、一つの束になればそれが言える時もある。ところがそれがどの民族の時にも許されることではなく、場合によっては民族の絶滅さえありうるのが、この世の現実だと私は先生の本を読んで持論を持つことができました。 しかし、それでも人間は戦う意識を失ってはいけない。 なんのために戦うかではなく自分のために戦うかでもなく、人間らしく生きるために戦うんだという事を、38歳の時から読み始めた西尾哲学から今に至って学んだのが私の哲学ということになるんでしょうね。 『人生の深淵にて』の中に、人間の感情の様々を語っておられます。 その中に「怒り」のテーマがあり、怒りは生きる上での最大の意味を成す・・・みたいなことを書かれていますよね。私はこれを知って、人間らしく生きることの価値観を学びました。 怒りは自分だけに留まらず、他人にも影響を及ぼすものと認識しています。 実際会社でも私はズバリ言うことを心がけています。 誰も言えないことを自分が責任もって言うように心がけています。 結果、他人は私のその行動を強く認識します。 言動が一致すれば、他人はそれを深く覚えてくれます。 私は常にそういう生き方を選びたいと思っています。 先生お身体にご配慮され、無理のない生活をと、心から望みます。 返信
池田俊二さま ここのところ バタバタとしておりました。ご連絡できず申し訳ありませんでした。 『安部総理の「器」論とは真実か?』チャンネル桜に西尾先生のお名前が!!すぐに視聴しました。3時間50分、非常に濃厚な討論でした。 塾生は先生の著書を、あるいは、坦々塾の勉強会をとおして「安部の空虚」を承知しておりましたが、さすがに国内外の現状にて、安倍政権、自民党に任せればという御仁はいないでしょう?水島社長と同じステップで(よくやっていますよ、からの 開眼(苦笑))なのではと勝手に判断しています。2017年「保守の真贋」発刊から2年、安部政権は更に危機的状況を完成させたと言うこともできますね。この討論で明確になりました。 この番組の「器」論きっかけとなった若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授)に注目しました。 浜崎氏 2019年「文藝春秋9月号」で安部首相への「失望」を表明して話題となりました。 「第二次安倍政権ができたとき、私はうれしかったんですよ。彼ほど明確に改憲を謳う政治家は他にいなかったし、このまま憲法改正に向かって突き進んでほしいとも期待しました。しかし、靖国神社には13年に1回行ったきりだし、もやもやする疑いの念が次第に出てきた。決定的になったのは、あの加憲案です。 戦後レジームから脱却を謳った安倍首相なのに、あれは戦後レジームを永久に固定化するものです。『憲法を変えた首相』として安倍首相の名誉欲に基づいた行動でしかないことに気づいてしまった。」 さて、57分頃の浜崎氏の発言は非常に印象深いものでした。(続く) 返信
小池 樣 お忙しいのでせうね。無理をなさらないで下さい。 坦々塾の會員も、水島社長竝みに(〈安倍さん〉よくやっていますよ)からの開眼ですか。 つくる會の八木騷動の際、畏友伊藤悠可さんは「保守がそんなにゐるわけ がない」「水増し」と一刀兩斷にされました。 今も事態は少しも變つてゐないでせう。 西尾先生が評論家として出發された時は、世の中では、保守=惡だつたの で、先生は逆風を眞つ向から受けて。ずゐぶん苦しかつたはずですが、そ れは覺悟の上のことだつたでせう。 やがて風向きが保守=善になると、そこに多くの人々がなだれ込んで來ました。つくる會や坦々塾も、その流れの中にあつたことは否定できません。 保守業界は、今日に至るまで殷賑を極めてゐます。先生の周りはことごとく味方のやうに見えます。先生は樂でいいなあーーといふことには、しかし決してならないことは、先生御自身が屡々語られるとほりです。つまり、當然のこととして「水増し」分は、勢ひをつけたりする場合以外、大抵マイナスに作用します。 前囘書いた「皆が他人ごとのやうに生き、時が經てば、その過去を他人ごとのやうに語るーーそれだけのことです。何もかも、かけがへのない我が事とはしてゐないのです。そして、昨日は昨日の神輿を、今日は今日の神輿を擔げばよろしいのです。氣樂なものです」と、( 擔がれる方も、外に出ると )「ふざけやがつて! といふマトモな感情が發動しない」 理由は、レーヴィットの1階・2階の説で説明できるのはないでせうか。 これは、前にもここに書きましたし、西尾先生との對談本の中でも觸れました。つまり、普段1階(個人としての日常生活)にゐる時の感覺が2階(社會・公的な場)に上ると、痲痺してしまひ、夢遊病者のやうになつて、1階ではあり得ない常識外の振舞ひに及んだりする。どこの國民にもあることだが、特に、最も急激な近代化を遂げた日本において、2階が1階の自然な延長になつてゐないことが多いので、この現象は激しいーーと、レーヴィット(大東亞戰爭の直前まで東北帝大で教鞭をとりました)は診斷してゐます。 大東亞戰爭の指導者が、敗戰と同時に平和教の教祖になつたり、その上 で、さらに風向きが變ると核武裝論者になつたり、そんなことが出來るのも、自身も周圍も、皆が夢遊病者だからこそでせう。もしも、正氣の人がゐて、昨日までと違ふではないかと言はれたら、曲藝は中止せざるをないでせう。昨日のことを皆が忘れてゐるからこそ、自由自在なのでせう。 もの心ついてから、同じやうな現象を何度見も見ました。上も下も揃つて夢の世界に遊びます。 今から3ヵ月ほど前、私はこんなことを申しました。「相變らず、人々は安倍神輿を擔ぎ、提燈を提げ・・・」。多分、昨年まで、私の安倍批判に白い目を向けてゐた御仁曰く「私の周りもみんな提灯もっています。しょうがないなぁ~~~」。御自分が持つたことは覺えてゐないのです。夢の中だから、しかたありませんね。そして、相變らず、日本を守る!などと、嬉しさうに叫んでゐます。亡國に加擔する人は必ず、さう言ひますね。 かくて、右へ左へ、左へ右へ。これが、大袈裟に言へば、近代日本です。特別なところに出向かずとも、どこででも、この世界史的意義を有する珍風景が見られることはしあはせとすべきでせうね。 「若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授) に注目しました」には同感です(川端さんは「助教授」ではなくて、「助教」でせう。岩田温さんが坦々塾に出てゐた頃、名刺を貰ひ、「助教? 代用教員みたいだね」と言つたところ、彼氏苦笑してゐました)。 今さら何を言つても、既に手遲れではないかといふ氣がしますが・・・。 安倍政權は何年つづいてゐるのですか。その間に破壞したもの、恐ろしく て思ひ出すことも憚られます。假に、萬一墮地獄は免れたにしても、破壞 されたものを再建するには、何倍もの歳月を要するでせう。どうせ私の目 の黒いうちには間に合はぬことなので、マジメに考へる氣にはなりません。 それよりも前に「若手論壇の」二人についての貴見を承らせて下さい。そ んなところに光明!とencourage されるかもしれません。毎度の御配慮に感謝します。お元氣で。 返信
池田俊二さま お粗末ながら愚見を投稿するつもりでしたが、このところ、身辺にごたごたが つづき、そのヒマもとれそうにありません。そこで代わりに、雑誌「クライテリオン」(池田さんは購読されていないそうですね)から、少しだけコピペしたものを送り込みます。 クライテリオン11月号が届きました。注文から2週間、待ったかいがありました。浜崎氏の発言をここから引用します。 移民政策が排外主義でないのは当然だが「保守」であるはずもない。 それどころか消費増税と新自由主義によって徹底的に日本を疲弊さ せ、北方領土問題を後退させ、安易な慰安婦問題を拗らせ、あげくの 果てに「加憲」などという「思い付き」を語りだした安倍政権をいまだに 「保守政権」であるなどと思い込めるのは、病的な妄想を生きる「ネト ウヨ」か、干されるのが怖い「保守論壇人」くらいなものだろう。(P60) ~中略~ 安倍晋三とはとはその「反サヨク」という反動性によって塗り固められ た自らの器に「サヨク」以外の全て~対米追従への情熱、根拠なき改 革主義、日本人のナルシシズム、保守的な気分など~注ぎ込みなが ら、なお、それらが齎す矛盾と危機について徹底的に鈍感でいるこ とのできる「慢心しきったおぼっちゃん」(オルテガ)が、「空虚な器」な のである。 ~~~~~以下 略 チャンネル桜の57分以降の 浜崎氏の次の発言もなかなか鋭いと思いました。 安倍晋三問題の他に,90年代以降の東西冷戦以降、日本が主体性を 回復しなければならない時に、その答えが「米国(従属)」でしかなかっ た。当時起こったのは55年体制批判、馴れ合いの排除、小選挙区制度、橋本行革等々、橋本行革では意思決定のスピード早めるため(内閣と総理権限強化 内閣人事局一元化) 従来のボトムアップからトップダウン(政治主導) を目指した。~略~ 仮に、この40年間の「空虚」を埋めるため、トップに内容があったら(聡明な君主がいたら) という仮 説を立ててみると今現在起きていることの全ての反対が当て嵌まると。いやはや、ご尤もです!これは構造的問題でもあり日本人全体の問題ですね。歯切れがいい。(番組はこのあとも、極めて重要な討論が続きます。(続く) 返信
小池 樣 お忙しいところを恐縮です。 「(聡明な君主がいたら) という仮説を立ててみると今現在起きていることの全て反対」ーーこれがすべてですね。 そして、我々は安倍さんを、これぞ 「聡明な君主」!と勝手に決めて色めきたつたのでしたね。この當り前のことを思ひ出すと、可笑しくなり、しばらく笑ひが止まりませんでした。 安倍さんの場合、「反左翼」のポーズが決定的要因でしたね。西尾先生で さへ、最初「魅力を感じた」のですから、我々がコロッと參つたのも無理はありません。そして、先生のやうに「失望感も早かつた」とは、我々がゆかなかつたのは已むをえないと許して貰へるのではないでせうか。 でも、相手は總理大臣です。毎日テレビに現れます。それをチラと、1週間に1囘でも見てゐながら、「この人には中身がない。カラッポだ」と氣づかないまま、3年も4年も過ぎるとは、不思議なことです。 その心理を訊いてみるわけにはゆきません。だつて、安倍神輿から離れた人たちを若干知つてゐますが、彼等はつい最近まで、それを擔いでゐたことを忘れてゐるのですから。前囘書いたとほり、その人たちに、それとなく水を向けてみると、「自分の周りもみんなさう。しょうがないなぁ~~ ~」と、完全に他人ごとで、相も變らず、嬉しさうに活動してゐます。 もの心ついてから、不思議なことの連續でしたから、今や、それが當り前 になつて、私も驚きはしませんが。 前囘の坦々塾の懇親會の場で、足立誠之さんと伊藤悠可さんに、「坦々塾 にも安倍シンパは多いみたいですね」と持ちかけてみました。足立さんは笑ひながら、「しかし、前よりは減つたらう」と答へました。悠可さんは、笑つただけでした。 明日は先生の「二つの病理 韓国の反日と日本の平和主義」を拜聽して、 さて懇親會はどうなりますやら。 返信
9日の坦々塾については、幹事のお一人吉田さんが、ここにレポートを書いて 下さることになつた。 吉田さんには、去年6月の坦々塾番外篇で、體調萬全ならずと言はれて以來 の再會。今後もお世話になれさうで、まづはめでたく、ありがたい。 今囘は、懇親會が一堂に會して(ロの字型に竝んだ席で)行はれたせゐもあ つてか、殊の外樂しかつた。やはり、先生にでも、講師にでも、あるいは、急 にカラミたくなつた相手にでも、いつでも自由に話しかけられると思ふと、嬉し く、氣が輕くなる。かかる場を確保するためには、幹事さんがたの苦勞は大 變だつたらう。 會費を考へれば、もちろん一切注文をつけることはできない。平素の、あちら に10人、こちらに8人、そちらに12人・・・と散らばるのが當り前だ。 ただ今囘、他のシマへ歩いて(カラミに)行く手間が省けて、非常にありがたかつたことを報告し、幹事さんがたに深く感謝します。 返信
このブログの読者の方々が、小池樣や吉田樣のコメントを待っていらっ しゃるであろう中、割り込んで失礼します。 私は動画を拝見しただけで、まだ『クライテリオン』を拝読していないので、 あまり勝手なことは書けませんが、先生が「若い論客」と言われた浜崎氏と 川端氏は確かに印象的でした。自分の世代にはない胆力や新鮮な感覚をお持 ちだと思いました。それはよく言われるように、私のように、子供の頃に高 度経済成長期を経験し、また成長してからはバブル期も体験して、それなり に豊さを実感した者と、それがなかった者の違いなのかもしれません。 何せ以前同級生と話した時、その人が安倍政権に反対だと言うので、なぜ か聞いたら、旧態依然とした「保守対革新」の枠内でしかものを考えていま せんでした(その人はピースボートに乗るような人なので仕方ありませんが)。 それに比べると、あの若い二人の論客は、今の政治を、もっと突き放して 厳しく見る目を持っていると思いました。 ところでもう一つ印象的だったのは、先生が日本会議の伊藤哲夫氏の事を 「大嫌い」と仰った所です。先生によれば、安倍首相に「加憲」をアドバイス したのも、左翼勢力も取り込むという今の自民党の方針も、伊藤氏の考え方に よるものだということでした。私はなるほど、と思いました。そんな事情なら 安倍首相が「空っぽの器」だと見られても当然です。 多くの人がそうであるように、私も安倍首相について考える時、安倍氏の幾 つもの「顔」が浮かんできます。中でも真っ先に浮かぶのが、「小泉元首相が 政治家としての師」であると言ったことです。郵政民営化の時、城内実氏を一 生懸命説得していた場面も思い出します。安倍首相は自民党が多人数になれば、 憲法改正にまで持っていけると思ったのでしょうか? ところが自民党が今のように大所帯になってから、事あるごとに、党内には 「自民党員らしくない議員」も沢山いることが明らかとなりました。 普通の人は私と同じで、政治評論家のような詳しい知識はないと思います。 私たちが現政権に対し望むのは、拉致や教育、経済、大陸半島、或は皇室の 問題等のいずれかの解決であり、少しでも「今」を変えることです。ところが、 その中のたった一つでも、思い通りになるどころか、まるで正反対の方向に 行くばかりで、その結果、多くの人は、人間の力ではどうしようもない海流に 流されているような不安感に苛まされています。 安倍首相の心中は無論分かりません。ただ「左翼勢力も取り込む」というの は、つまり「数(或はそれとは別の何か)の力で押し切ればよい」と考えてい るように、私には見えます。それは、昔の左翼学生のやり方に似ています。 つまり「オルグ」して仲間を増やして、何でもかんでも「政治」だと言い、 様々なテーマにおいて「意思統一」して、「年中行事のように」繰り返す、 あのやり方です。彼等は、春になれば「春闘」、夏になれば「原水爆禁止」の 立て看板を立てて、マイクで声を張り上げていました。 こうした左翼集団にいる限り、こうしたイベントに反対することはできな いのが普通です。なぜなら年中行事の一つに参加するのを拒んだら、リーダー たちが説得しにやって来るからです。 今の自民党、いや今の政治家全体がこうした左翼集団だとしたらどうなる でしょうか?ただ注意すべきは、野党が言う程、安倍首相が、左翼のリーダー のように強権的に見えないことです。 そこで思い出すのが、池田様が以前書かれた内容です。 2018年2月25日「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム四十一」 の中の池田様のコメントを、僭越ながら引用させて下さい。 これは、池田様が初めて西尾先生の名前を知ったという、若き日の先生の 記念すべき論考について書かれたものです。 (以下引用) 題は「雙面神脱退の記」。掲載誌は『新潮(昭和37年4月號)』。筆者は西尾幹二・26歳。(全集第3卷所收) 私はスキーの歸りに、田口といふ國鐵の驛(今の妙高高原驛?)の近くの書 店で、列車の中で讀まうと『新潮』を買ひましたが、偶々この見開き2ページの短文に惹きつけられて昂奮、家に歸つても寐ずに、一晩相對しました。勿論、筆者の名前は初めてでした。爾來56年、あの記憶は消えません。 「この雜誌に私は二年間參加した。 今年の一月に脱退した。 脱退にいたる經 緯ならびに文學上の所信をここに書くように言われて、 私がまず思い出したことは、『われらと戰後派というこの試みを行うことが決定した當時の記憶である。同人の一人が、 この中では戰後派をたとえ批判しても本質においては否定せず、批判したあとでも『大きく救う』ことを忘れないようにしようと提言し・・・」 「私は戰後全體に對してなにも特別なふくみを持っているわけではない。ただ、そのなかには好きな作家もいれば嫌いな作家もいるという、讀者としてのしごく 當り前な常識が私に抵抗感を感じさせたのであり、外から一樣に規定されては書きたいものも書けなくなるし、 ことに嫌いな作家を論じるときに、『大きく救う』などというばかげたことが出來るものか、と單純に不滿だつた。單純な常識というものが失われかけた場には、必ずといっていいほど、不健全な考えがはびこるものである」 「各人各樣の意見が出てくるのは避けがたいのであるから、戰後派の一人を 根本的に否定する批評がかりに出てきても不思議はないはずである」 「要するに、『雙面神』が文學の雜誌であつて政黨のパンフレットでないのなら、このような常識は當然通用するはずである」 「黨派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第に支 配的になり、同人の口を縛り始め・・・戰後派を否定しては絶對にいけない、というように豫め文壇を黒白に二分する地圖を作っておくような態度が露骨に現れてきて、それを文學への誠實ととりちがえている點が、日本の傳統的な左翼の流儀を、ーー政策論をつねに文學論にすりかえるあの因襲的な遣口を私に思い出させた」 「私はつねづね堀田善衞氏の文明觀・歴史觀に疑問を持っていた。私自身の 立場、文化や歴史に對する私の考え方を成り立たせるためには、堀田氏の思 想を根本から退けなくてはならない。逆に堀田氏が自己の信念を讓らないなら、私の立場をおそらく斷じて認めるようなことはないだろう。それでいいはずである」 「かの狂信の徒の一人から電話がかかってきて・・・實は他の雜誌に依頼して活字にだけはしてもらうつもりだから、『雙面神』からはおりてもらえないか、と頼んできた。私は斷った。理由は活字にすることが目的ではなく、こうしたことが問題になること自體が私には不愉快だという單純な事情による。彼の言い分によると、堀田氏を否定すると野間氏や武田氏をも怒らせることになり、同人全體がそれだけ文壇に出にくくなってみんなに『迷惑がかかる』というのである。これはどうみても文學的信念ではなくて取引の原理であり、作家の生き方ではなくて處世術であり、世渡りの方法に過ぎない。私はおかしくて仕方がなかった」 「一帶いつ頃から文學者の心のなかで、このような處世術が神の役割を果し だしたかというテーマの方に私はいま興味を覺えている」 以上 「党派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第 に支配的になり、同人の口を縛り始め・・・」という所は、我々一般人 も生活のあらゆる場で、身に覚えのあることではないでしょうか? やりきれないのは、個人的な「保身」のため或はその場の空気を悪くしな いために口をつぐんだことのある自分自身の情けない姿と同じようなものを、 政治の世界でも見せられることです。 「これはどう見ても政治的信念ではなく取引の原理であり、政治家の生き 方ではなく処世術であり、世渡りの方法に過ぎない」と、引用部分を読み替 えてみます。それが現代の我が国の政治だとしたら、我々国民はどうすべき なのでしょうか? 私はもう、安倍首相が何者かの傀儡であるとか、彼の個人的な資質がどうの、 とは言っていられない気持ちになりました。 先生は動画の最後の方で、今の安倍政権の韓国に対する態度の変化と、 二、三人の大臣に任命された政治家たちに期待すると仰いました。もう 総理を辞めたがっているような安倍氏に対する、先生の最後の最低限度の 期待なのかもしれません。終始安倍氏に厳しかった先生のこの意外な言葉 は、もうちょっとやそっとでは動きそうもない日本の政治を冷たく突き放す 言葉でもあるように、私は感じました。 ただ私としては、自分が今ようやく、父の世代の気持ちが理解できたよう な気がしています。当時の少年たちは、母国が置かれた危機的な状況を敏感に 感じ取り、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。それが「国の爲」と いう言葉になったに違いありません。しかし我々との違いがあるとすれば、 父の世代には自らの身を投ずる手段を、明確に持っていた点でしょう。 最後に話は変わりますが、今読んでいる本に、今の時代には示唆的な興味 深い文章があったので、引用させて下さい。『与力・同心・目明しの生活』 横倉辰次 著 雄山閣(初版は昭和41年)という本です。 「こうして見ると八丁堀役人が肩で風を切り威張っていたのは、江戸の一割の 町家町だけだったのだが、その狭い町方にしても僅かな廻り方の巡回では 心細い話だった、そこで何日の時代でも庶民は自衛の為に自衛手段を講じる 本能があったので適当な手段を講じたのだ。(民衆の自発的自衛手段でない のは、今日の自衛隊ぐらいのものである。戦力なき軍隊などという欺瞞的 答弁で創立されてしまったが) 庶民はまず町に町木戸、長屋木戸を作り、非常の際はこれを閉じて交通を 斜段した。 次に町々に自身番小屋を建てた。大名、武家(旗本)屋敷では辻番小屋を 建てて、共に町を防衛した。・・・」(P131) 以上 つまり、TVや映画で見る「捕り物帳」は、大部分が木戸の中の人情物語で あって、その木戸がどのように使われたかは、ほとんど描かれていないのです。 だから、本当の江戸時代とはむしろ、百姓たちが自衛のために、浪人たちを 雇って野武士と戦った事件を描いた、黒澤明の「七人の侍」に近かったのか もしれません。 私は、自分がこれまで、政治にまともな関心も持たなくても、こうして生きて こられたのは、現代という特殊な時代に生まれたからで、それはまるで、玄関 の鍵を掛けずに、平気で寝ていたのと同じなのだと思うと、ゾッとしました。 返信
今日の横綱白鵬の相撲はひときわ非道いものだった。最初に左から張り手、次に右腕でかち上げ、さらに右左から張り手の連続。対する遠藤はたまらず前に倒れ、鼻血を出した。これは相撲ではない。様式も何もあったものではない。端的な暴力行使である。解説の舞の海は、かつての横綱はこういう相撲はとったことはないと言った。これが、日本相撲協会やスポーツジャーナリズムが黙認し、役割を放棄して来た「国技」のただいまの姿である。 われわれの現実逃避の惰弱な自我が、随所で日本を護ることなく、今や北海道の三分の一を中国に買われるに至った惨状を招いたのである。 返信
媒体を通じて西尾幹二氏と出会えるのは本当に嬉しい。実行ある製作者としての桜・水島氏も余人に代えがたい存在だ。しかし水島氏とは一緒に出演して欲しくない。出演者の発言をその場で自身の言い訳に用いるからだ。これをやられると両者があたかも同じ立場にあるかのように錯覚してしまう。消極的に安倍を支持せざるを得ないと考える有権者がいても不思議はないが、「安倍救国内閣」「安倍断固支持」と吼え続け、韓国にロシアに何の解決にもならないお金を安倍さんが簡単に渡してしまった後も「反安倍は左翼」と決めつけて来た異様な水島氏にこの言い訳は通用しない。通用しない言い訳をいやしくも堂々たる運動家が出演者の発言を借り出演者に同意する形で行うのは誠に見苦しい。安倍さんに関する限り残念ながら水島氏は卑しい嘘つきに堕ちている。西尾氏と膝つき合わせて安倍政権を語るべきではない。 藤井聡氏の『表現者・クライテリオン』もまた、西尾幹二氏を都合のいいエクスキューズに使っている。つい先日いま『クライテリオン』の他に安倍さんを批判する論壇誌はあるだろうか、と慨嘆する人がいたので、西尾幹二の寄稿が与える影響の大きさを改めて感じたが、古い読者からすれば、創刊者の西部邁氏がかつて無役に下がった安倍さんを門下と共に1年ほど勉強会と称して匿った経緯から正面批判を手控えていたとしか思えない、熱い湯が届くようでなかなか届かない年月が長く続き、それが正面批判に至ったのは、西部氏に代わった藤井氏が内閣官房参与を辞し、その喪が明けたかのような極々最近に過ぎない。謂わば藤井氏の立場を十二分に考慮し、政権の命脈が見えて来た段階での、いかにも偏差値の高い人たちが考えそうな周到な後出しじゃんけんにしか見えない。 確かに「器論」は興味深い。しかし奥歯に物が挟まった言い方でしか安倍政権を語れなかった西部氏の、藤井氏の軛からも解き放たれた上で飛び立った「器論」なら、所詮西部氏の奥歯の食べかすを似せたに過ぎないのではないか。遅くとも森友学園、加計学園問題が浮上した2年前にこうした批判が展開されるべきだったと思うのだが、藤井氏は三橋貴明氏と共に「モリカケなんかどうでもいい問題」とちょうどいまの「桜を見る会」の問題に対するビジネス保守連中とまったく同じ、「野党はもっと重要な政策法案審議に議論を傾注しろ」との認識だった。保守だの伝統だの文学だの神話だのと言いながら、この人たちは「神は細部に宿る」の謂いに思い至らないらしい。藤井氏を嘘つきだとは言わない。しかし少なくとも過去に「モリカケなんか」と発言した藤井氏の安倍批判、安倍政権批判は実に空々しく、西尾氏と同席するに相応しくないと思った。 相変わらず心臓をめがけて発言して来る西尾氏の他は、年配者ほど通俗で退屈でしかなかった。 返信
今日も国会は花見の話で盛り上がったようです。 頭の中がもやもやしていて整理できていないのですが、、、、、、 追及する野党の人たち、それを報道するマスコミの人たち、 いずれもこの話題に拘ることが多くの国民の支持を得られていない ことを解っているのではないでしょうか? 山尾志桜里議員のfacebookです。(普段は見る気がしないけど) https://www.facebook.com/yamaoshiori/posts/1179924975533934/ ここのコメント欄を見ていて、そう思いました。 返信
「ペシャワール會代表の中村哲醫師が銃撃されて死亡」といふ新聞記事を 讀んで、昨年だつたか、福岡縣若松出身の友人が同郷の作家火野葦平を語つた際、火野の甥とかに、憲法9條を信奉して、アフガンで活動してゐる 醫者がゐると言つたことを思ひ出した。 9條をあがめる人は珍しくなく、友人が何故そんな話をしたのか分らないが、暇にあかせて、然るべきブログを開いてみた。正に、この中村醫師だ。伯父ーー甥の關係は間違ひないらしい。中村さんの、以前の談話(インタヴィウ記事?)も出てゐる。以下はそのコピペ。 「アフガニスタンでNGOとか国際機関なんかが襲撃されることは何回もあります。でも、我々が襲われたことは一度もありません!日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きい!政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです」 「具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです」 「武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形と して存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地 の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」 やれやれ、「絶対に」「守ってくれている」と信じてゐた9條が守つてくれなかつた。これでは中村醫師は浮ばれない! 讀み進むと、事件の状況が簡單に書かれてゐる。 「同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです」 「中村哲医師は実際には警備員を同乗させていたが、警備員の人数や武 器が不十分だったために運転手や警備員など5人も巻き添えにして死なせ てしまった!」 「最初から多くの警備員や強力な武器を多数備えておけば、誰も死なずに 済んでいた!」 なんだ、警備員がゐたのか。中村さんは嘘をついてゐたのだ。それなら問 題はない。 「知つてゐてつく嘘の方が知らないで言ふ嘘よりはマシだ」(プラトン) 「他人の目を瞞すことは、時には生産的でさへありますが、自分で自分を 瞞すことには救ひはありません」(西尾幹二) 中村さんは自分の言葉を信じてゐなかつたのだ。それなら救ひがある。 多分成佛することだらう。 返信
雑誌「正論」1月号の江崎道朗氏「日本は米国にとって『頼りになる同盟国』か」に注目した。 1969年11月、佐藤首相・ニクソン大統領による沖縄返還合意の共同声明発表に際し、ニクソンはもはや米国は「世界の警察官」たり得ないとし、ソ連と中国共産党の核に対抗するために佐藤に自前の核武装を促した。72年に再訪米した佐藤は、ニクソンから重ねて核武装を検討するよう要請されたが、日本の国会と国民の大多数の反対を盾に肯んじることはなかった。日本にアメリカと共に戦う意志のないことを確認したニクソンは、ソ連の脅威に対処するために中国共産党と組む決意を固めたのである。アメリカの経済協力を引き出した「ニクソン・ショック」という名の米中結託を生みだしたのは、アメリカと共に戦うことを拒んだ日本自身だと江崎氏は指摘する。 中曽根大勲位が保守の衣をまとい輿望を集めながら靖国神社参拝を見送った決定的な後退に西尾氏も手厳しい批判を加えているが、1980年代のアフガン侵攻やSS20の実践配備が進む中、レーガン大統領からソ連の脅威への共闘を呼びかけられた時、中曽根が腰を上げることはなかったという事実が明かされる。失望したレーガンは、ソ連を挫くという戦略目標遂行のために秘密裏に中国に10億ドルを超える武器さえ提供し、陸海空軍さらには海兵隊の拡大を惜しみなく支援し技術を供与した。その結果が、「その後のアメリカによる『日本たたき』であり、現在の中国の軍事的台頭なのだ」。ロンヤスの関係の内実は実にこんなものだったのである。中西輝政氏が首脳間の個人的親密さなど国際政治においては弊履の如く捨て去られるものであり、トランプ・安倍の特別な関係などというものは幻想にしか過ぎないという趣旨の指摘をしていたことを思い出す。 いずれの大統領も共和党、その中でも右派と位置づけられていたことを銘記すべきであろう。ストロングジャパン派が日本に幻滅したらどうなるか、現在のトランプ大統領がどこに向かおうとしているかに照らしても考察すべきであろう。 江崎氏によれば、現在の南シナ海の「航行の自由作戦」はアメリカの海軍力だけではとてもまかなえない。大したことをしていない日本に代わってイギリス・フランス・オーストラリアが艦艇を派遣しているが、当事者能力に欠ける日本への失望感がじわじわと広がっているとしている。「問題は来春、習主席を国賓として招くかどうかだけではない。日本自身が富国強兵、つまりデフレから早期に脱却すると共に、防衛費を必死で増やして経済的にも軍事的にも『頼りになる同盟国』になろうとしているかどうか、こそが重要なのだ。そうした『見通し』も『覚悟』もないまま、対中宥和外交を続けるならば、日米同盟を確実に空洞化し、結果的に更なる軍事的脅威を招くことになるだろう」。 西尾氏が産経新聞・正論欄に寄せた「日本は米国に弓を引いたのか」(2018年11月7日)は当方の念頭から去ることはない。その最後の一節を引くことにする。 「私はいま遠くに考えを巡らせている。尖閣が危うくなり南シナ海の人工島が出現してから、私はアジアと日本の未来に絶望し始めていた。米軍の力の発動をひとえに祈るばかりだったが、オバマ大統領時代には期待は絶たれていた。 トランプ大統領がやっと希望に火をともした。しかし人工島を空爆して除去することまではすまい。半ばヒトラー政府に似てきた習近平体制を経済で揺さぶり、政権交代させるところまでやってほしい。ペンス演説はまさにそのような目標を掲げた非軍事的解決の旗である。日本経済はそのためとあれば犠牲を払ってでも協力すべきである。日本の国家としての未来がここにかかっている。 朝鮮戦争のとき世論に中立の声(全面講和論)は高まったが、日本の保守(自民党)は米ソ間で中立の旗を振ることは不可能なだけでなく危険があると判断し、米国側に立つこと(多数講和)に決した。2大強国の谷間にある国は徹底して一方の強国を支持し、二股をかけてはいけない。今回の日本の対中接近は政治的に間違っている。ただしスワップ協定は条約ではないので、日本はすぐにでもやめれば、なんとか急場をしのぐことはできるだろう」。 「トランプを孤立させるな」(雑誌「正論」10月号)にも次の一節がある。 「今のこの国では『反共親米』を踏み外すことは朝日から産経までしないが、『反共』も『親米』もともに自分の立場を危うくしてまで誰も本気で実行しようとはしていない」。「『親米』は今の時代にこそ必要な賭である。アメリカとの協力はこれからむしろ本気度を試される真剣勝負にならざるを得ないだろう」。 西尾氏は一貫して警鐘を鳴らしている。今回の、そして今後も続く日米貿易協定でわが国が払う犠牲をも是とされるのであろうと思われる。氏の叡智を汲み上げることがわれわれの仕事であろう。 返信
少年期探訪の旅を未だ報告できずにおり恐縮ですが、 藤井厳喜氏のYouTubeチャンネル『ワールド・フォーキャスト』に西尾先生の動画がありましたので紹介させていただきます。 本編は拝見しておりませんが、以下縮小版である2編でも西尾先生の慧眼と一貫した姿勢は勿論ですが、深甚な憂いと憤りが伝わり、私自身の怯懦を恥じます。 【藤井厳喜×西尾幹二】日本再興戦略 現代日本論「日本通史」編・告知動画 https://www.youtube.com/watch?v=bXtpEGTICZk 【歴史】『国民の歴史』の著者が語る“日本人の本質” – 殆どの日本人が誤解する「日本人の多様性」と「縄文文化の真実」 ~日本再興戦略 現代日本論「日本通史」編|藤井厳喜×西尾幹二 https://www.youtube.com/watch?v=YY9CMxJ3zr8 返信
>阿由葉秀峰様 始めまして・・・のはずなんですが、間違っていましたら申し訳ございません。 藤井厳喜氏と西尾先生のビデオ拝見させていただきました。 西尾先生のご様子が元気そうだったのが何よりうれしいです。 藤井氏が紹介された「国民の歴史」は、私のバイブルのようなもので、はじめて読んだ時、それまで歴史を理解できていなかった私に、小さな灯をともしてくれた一冊でした。 読み込めば読み込むほど何故か気持ちが興奮し、自分のことが二の次になるような感覚だったことを覚えています。 一般的な歴史教科書は、どこか争いを避けようとしている傾向が多かった当時、先生の著書はそれまでにない日本人の誇りをテーマにした作品です。若いころ東京で働いていまして、たまたま上京した際この本を携帯し、遊ぶ暇もなくホテルで読み込んで、知人と久しぶりに会った際、この本の話題をしたところ、知人も興味を示してくれたことを思い出します。 その知人は、日本がどうして北と南では文化が違うのかという疑問をいつも感じていたそうで、その理由は様々だろうけど、北日本は比較的栗などの自然食材に恵まれていた環境があたそうで、それに比べると西日本は食材が乏しかったのか、早くに米の栽培が行われたのもその理由らしいよ・・・と応えたところ、彼はかなり納得したようで、色々会話しているうちに「国民の歴史」という本を今愛読書にしているんだよと彼に言いました。 果たしてその後彼がそれを購入したのかどうかはわかりませんが、いずれにせよその後時代はどんどん保守系の話題が盛んになり、少なからずそういう社会が今あちらこちらで議論されていることぐらいは認識しているはずですから、たとえ読んでいなくてもこの本のタイトルぐらいは頭の片隅に残っていると思っています。 現在でも「新しい歴史教科書をつくる会」という言葉の音だけは比較的多くの日本人に認識があるようで、その話題を振りまくと「あぁ知ってるよ・・・」という反応がけっこうあります。 そういった際「西尾幹二」って知ってるかい?と聞くと、2~3割ぐらいの人が認識があるような感じです。私としてはもう少し知っている人が多かったらなぁ・・・と思う反面、「日本人はまだまだ知らないことだらけなんだよ」というニュアンスを含め、そうしたことをいつか気づいてくれることも期待しながら、自然体で待ち構えようと思っています。 私も先生を知るようになってから徐々にそうしたことに興味がわいたタイプですので、ごくごく普通に認識されることが一番いいのではないかと考えています。 でも阿由葉さんのような活動は絶対大切だとは思っています。 これからも先生の応援をよろしくお願いします。 返信
杉野 樣 「水島氏は卑しい嘘つきに堕ちている。西尾氏と膝つき合わせて安倍政権を語るべきではない」 「藤井氏を嘘つきだとは言わない。しかし少なくとも過去に『モリカケなんか』と発言 した藤井氏の安倍批判、安倍政権批判は実に空々しく、西尾氏と同席するに相応しくない」 「この人たちは『神は細部に宿る』の謂いに思い至らないらしい」 仰せのすべてに完全に同感です。 西尾先生の安倍批判に對して、水島社長が「左翼みたい」と評したことを、先日、西尾先生に直接申上げたところ、「さうだね」とお答へになりました。先生は全て心得てをられます。 「モリカケなんか」とは、西尾先生の身近かな人たちも言ひました。その一人は後に、私が「安倍亡國神輿に提燈提げて・・・」と申したところ、「私の周りでも、みな提げてる。しょうがないな~~、もう」とかなんとか言ひました。自分が提げたことは忘れてゐるのです。そして、相變らず、「日本を守る!」とか嬉しさうに叫んでゐます。 「○○なんか」とは、もつと大切なことがあるといふ意味で、外交だの憲法だの財政だのの問題を、先に論じるべきだと言ひたいのでせう。そんなことがあの安倍さんに通じると思つてゐるのですから、無邪氣なもの。國を滅ぼすのは左翼などではない。さういふ、細部を思はない人たちこそ、最大の亡國勢力だと、私は信じてゐます(これまでに何度も見てきた、ワッショイワッショイのお兄さん、お姉さんがたと目つき・表情が同じだから)。 返信
今朝、Fさんから電話があつた。彼氏、先月の坦々塾は所用で缺席したので、 そのことを含め、雜談を少々。 F 「今日の産經に載つた ”WiLL” ”HANADA”の廣告を見たかい?」 池「見た、見た。安倍提燈一色だね」 F 「まつたくだ。よくぞこれだけ、かき集めたね。賣れるから、かういふことをするんだね。してみると、安倍さんは當分・・・。 ”日録”に誰だかが、〈「反安倍は左 翼」と決めつけて来た水島氏」が安倍さんの惡口を言ふやうになつたのは、「政権の命脈が見えて来た段階」だから〉とか書いてゐて、少し期待し始めたのだが・・・」 池「おいおい、その話はしないことにしたぢやないか。どつちにしても、もう手遲れだよ」 F 「さうだが、僕の會社なども、安倍政權下の日本と同じだ。雪崩をうつて、崩壞・・・」 池「私が關係した ”かんぽ” なども終りだね。西尾先生が民營化に反對された のは、その資金がアメリカに吸ひ上げられ、やがて支那大陸に消えるといふ理 由だつたが、今はそんな高尚な次元ではない。幹部たちは『報告を受けてゐな かつた』と言ひ、それが言ひ譯になると思つてゐるのだ。以前は、どんなルート を通じてでも、實態を「知る」ことは、幹部經營者の絶對的要件だつた。「知らなかつた」以上の恥辱はなかつた。僕の附合つた、プライド高き(高過ぎて、何でもかでも「乃公出でずんば」と自惚れるのが缺點)役人たちなら、口が裂けて もさうは言はなかつた。本當は知らなくても、『承知してゐた。その上でやらせて、誤つた』と嘘をついただらう。そして、『一死もつて大罪を謝し奉る』と腹を切つただらう」 F 「本當に、日本人はどんどん駄目になつてきた。僕の親父は高等小學校しか 出てゐない。僕は曲りなりにも、大學を出してもらつたが、性根の据わり方も判 斷力も親父にはとても・・・」 池 「當り前だ。あなたよりダメなお父さんでは話にならない」 F 「明治以來、日本人は劣化の一途を辿つてゐるのだらうね」 池 「激しかつたね。この間の懇親會でも、その話が出たよ。日清戰爭の時の陸 奧外務大臣が如何にすごかつたか。陸奧は清を討ちたくて、久しく疼いてゐた。 あの戰爭は陸奧の企畫・演出と言つてもいいのではないか。その鮮かな、冴え切つた手際は今の日本人には全く期待できない。もしも、岸田外務大臣・安倍總理大臣だつたら、戰爭に負けるだけではすまない。確實に亡國だつたらう。我々は先人に感謝しなければならない。とにかく、同じ日本人とは思へない」 F 「日本人がダメになつて來たなどと、あまりしつこく言ふと、西尾先生から、それ は司馬史觀だと怒られるよ。大丈夫だつたかい?」 池「うん。今度は叱られなかつた」 F 「それはよかつた。あなたはよく過激なこと言つて、先生に心配をかけるぢやないか」 池 「面目ない。不徳の致すところだ。最近は愼んでゐる」 F 「先生の快氣祝ひの席でも、あなたは『(安倍シンパは)この中にもゐますよ』などと口走つて、シラケさせたぢやないか。あの時、本氣のシンパで、あなたに白い目を向けた面々を覺えてゐるよ。何人かは、最近は安倍神輿を擔がなくなつたみたいだね。そして、反日プロパガンダ對策のために、その實態調査など を嬉々としてやつてゐる人も」 池「うん。”愛國 ”活動の材料は無數にある」 F 「ところで、日本はもう駄目だとして、我々はせめて、オリンピックあたりまで頑張るか」 池 「私は頑張れないが、せめてオリンピックまでは、酒が飮めたらと思つてゐ る。あなたはしつかりと。でも、さう若くもないのだから、上司に ”テ メー!” だの、”ドアホー ”などと暴言を吐いて無用なトラブルを起こさない方がいいよ」 F 「うん。それほど馬鹿ぢやないよ。5年前のフジテレビの ”新報道2001”を送る。西尾先生が出演されてゐる。日本はもうダメ でも、胸がすくよ」 すぐに、パソコンで送られてきた。Fさんの「先生のご主張に『そうだそうだ』とTVに向つて吠えていた自分を思い出しました。他の”薄らバカ”の面々には、もう笑うしかない」といふコメントつき。早速見ると、私にも記憶がある。 出席は次の6名。 磯崎 陽輔(總理祕書官) 齊藤 鐵夫(公明黨幹事長代理) 富坂 聰(ジャーナリスト) 朴 一(大阪市立大學大學院教授) 西尾 幹二(ドイツ文學者) 宮家 邦夫(ジャーナリスト) Fさんの ”薄らバカ”の ”薄ら”は餘計だらう。まともなのは、西尾先生だけだ。 あとは、全部ゴミかボウフラ。 たしかに「胸がすく」思ひもするが、すぐに空しくなる。こんな連中を相手に・・・恐らく、先生もむなしかつたのではないか。日本中でまともなのは西尾先生だけか。 かういふ人々がやつてきたのだから、日本が潰れるのは當り前だ。地獄に墮 ちるのも當り前だ。先生に「ザマー見ろ」と言はれてもしかたがない。 返信
池田様 (続く)と、おきながら、投稿せず、申し訳ありません。昨今の国際情勢の危うさを目の当たりにしながらこの国(国会)といえば「桜を見る会」。地上波、衛星の討論番組でも、香港、台湾、北の挑発、米中摩擦、すべて我が国の危機、問題であるにも関わらず 日本を中心においた議論がなされないことが不思議でなりません。おバカな評論家、MC、ダメですねぇ~。平和ボケと言えばそれまで、この国は着々と「破壊への道」を歩んでいるようにしか思えない。 「器」論、この番組での年配者批判(水島氏や藤井氏)は脇に置きます。 繰り返しになりますが若手の浜崎洋介氏と川端祐一郎氏には敬意を表したい。 もっと早い段階で西尾先生との討論が世に出ていればと、残念な思いもあります。1時間過ぎの、川端氏の発言のとおり、第二次安倍政権において「戦後レジームの完成」すなわち移民法、水道法、電力自由化、増税等がアッという間に成立してしまいます。空っぽの器ですから、ほとんど議論がなされないうちになんでも入ってしまうんですね。どれも重要政策なのですが、特に昨年12月8に成立した所謂移民法、国家破壊(日本が日本でなくなる)の第一歩です。 自分に関することと言えば電力自由化と発送電分離です。自由化で電気料金は下がることはないですし、発送電分離は命に係わる電力の安定供給(停電リスク)支障が出ることの懸念大となりますが、ここでは詳細省きます。 私は1979年、電力会社に入社し、原子力関係の仕事(軽水炉、核燃料サイクル、高速炉など)で40年、その禄で今日まで生きてきました。80年代の高度成長期に電力の安定供給に原子力が与していたことは間違いないですし、電気料金も化石燃料の調達が落ちて1984年~2006年に相当に下がったことも事実です。 資源のない技術立国日本がその存在を世界に示すものも「日本の原子力技術」と信じてやってきました。もちろん、あの3.11事故が国民に与えた恐怖と不信感、経済的損失をもたらしたことは事実です。そして安全対策が十分でなかったことも事実です。その教訓から必死になって安全対策に取り組み再稼働に向けて、電力会社、メーカー、企業が一体となって頑張っています。全国の原子力はみな懸命なのです。国家の存続がかかっていると信じています。 あの事故があってから暫くして、西尾先生から「あなたの人生はこれから30年あるのだから今の仕事を考え直しなさい」とアドバイスを頂きました。先生は、原子力に反対の立場であったからでもありますが、私のことを心配してくださる先生に感謝しながらも「技術立国日本、次世代を背負う若者のためにももう少し頑張ります」とお答えしました。 6年が経ちました。 エネルギー政策(原子力)は当時、原子力を推進した民主党政権でした。事故後、ゼロ政策に舵を切り、そして政権交代。自民党政権に交代するとエネルギー政策は見直され、平成30年の2030年の原子力比率20~22%となっています。 安全対策工事は遅々として進まず(規制側にも問題あるのですが)このままでは、10年後の20~22%など絵にかいた餅、日本の原子力事業は無くなってしまう可能性さえあります。そう、若者エンジニアの原子力離れが著しいのです。これでは技術・技能の継承などできるはずはありません。原子力技術はあらゆる工学系、理学系を合わせた総合技術です。 エネルギー問題は国家安全保障の最重要課題のはずです。規制対応も再稼働もすべて電力会社任せの自民党安倍政権の原子力に対する「冷酷さ」はどうなっているのかと言いたくなります。 世論の顔色ばかりみて何もやらない(与党議員)「薄らバカ」な政治家ばかり、 現場に一番近いものとして腸煮えくりかえるばかりです。 原子力に関わることとして「核武装」についても繋がりますが、なにもかにも民間任せの現状では「核議論」さえも出来るはずはありません。 西尾先生が仰るように「国家の強い意志」が見えない以上、原子力など諦めるしかない。そして、また一歩「破壊」への道へと進んでいくものと思っています。 ~~~~~~~~~~ 昨年先生から頂いた賀状に「日本の技術は世界に冠たるものだとよく耳にしますが、ならばなぜ日本製ではないパソコンやスマートフォンを用い~中略~産業競争力も低下している。~略~ 日本は急速に三流国に転落しつつあるように見えます。 そのように着々と進んでいるのです。 返信
小池 樣 お忙しいところを恐縮です。 「(国会)といえば『桜を見る会』」。これは止むを得ないでせう。安倍さんにエネルギーの話をしても、通じるはずがありません。以前いただいたメールでは、田中角榮・中曾根康弘がエネルギーを重視したとうかがひましたが、やはり國の命運を左右する大切な要素と感じ取る能力があつたのでせう。基本は素質です。安倍さんにそれを望むのは酷です。 「電力自由化と発送電分離」が「戦後レジームの完成」に向ふ一要素なの ですね。 自分の關はつた役所は戰前、電力・船舶・航空機を所管してゐました。私 が接した大物官僚OBたちの最も得意な話題は、電力國家管理・發送電統合でした。なにしろ、日本中に、谷ごとに電力會社があつた(全國で20 0數社?)。あのままでは、電力と國策は無縁だつた。それをまとめて國 家管理をやつたからこそ、戰爭もあそこまでやれたのだ。しかし、營々として築き上げた會社を、一枚の株券といふ紙切れだけで、取り上げられた オーナーたちにすれば、たまつたものではなかつたらう。自分は毎晩、南 無阿彌陀佛を唱へてから床に這入つたといふやうな、熱つぽい思ひ出話をよく聞かされました。 今はその逆を行つてゐるのですね。状況がまるで違ふのですから、逆が 惡いとは必ずしも言へないでせう。次囘 お目にかかつた時にでもレクチ ャーをよろしく。原發は、「国家の存続がかかっている」ことは間違ひありませんが、私には理解することは無理でせうね。 「現場に一番近いものとして腸煮えくりかえるばかり」、さもありませう。私には言葉もありません。御大事に。 まあ、すべては「そのように着々と進んでい」ますね。 ところで、「いわんかな」といふ座談會番組を見ました。 タイトルは少し變つたかもしれないが、たしか數年前、西尾先生も御出 になつたのを一度見たことがあります。先生が、安倍總理大臣批判を始めると即座に、司會の堤堯さんが、これを遮つたり話題を逸したりしたのが印象的でした。 にもかかはらず、先生はお怒りにもならず、その後、全集の月報に堤 さんを起用しました。先生は寛容です。つくる會に後足で砂をかけて出 て行つた中西輝政さんと對談本を出したり、泥水をかけて去つた田中 英道さんを月報に書かせたり、先生の安倍批判に對して「西尾先生、 氣が短過ぎます」と止めた花田紀凱さんと對談したり、戰後70年談話 を100點滿點と評した渡部昇一さんとの對談本を(渡部さんの死後) 出したり・・・ その理由をまとめてうかがつたことがあります。「裏切りは覺えてゐる。 でも、もう許してゐる」「それぞれ使ひ道がある」「そんなことを言つてゐては、對談の相手がなくなる」。渡部さんの生前、私は先生からプラス の渡部評價を聞いたことがありませんでした。 それが、 「渡部さんにもいいところはあるよ」になりました。 先生は極めて柔軟だ。それでゐ て、本筋は決してお曲げにならない。「(つくる會騷動の)○○をも許すかもしれない」ともおつしやいました。 舊怨に縛られることがないのです。宏量といつたありきたりの形容で は片附けられないのかもしれない。御自身に自信があるからこその、餘 裕なのでせう。その點、些細なことに拘はり、自分をがんじがらめに縛 り上げて、身動きできなくしがちな自分とはなんたる違ひ!(畏れ多い 比較ですが) 今囘の「いわんかな」の出席者は、堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公 人・志方俊之・塩見和子 。いづれも札附きといふか、筋金入りの、忠 實な安倍支持者。そして、なんと、あの阿比留瑠比記者がゲストらしく、 この人を中心に、座談は滑らかに進む。 「世界中の指導者たちを指導する立場にゐるのが我が安倍總理大臣、 ことごとに、 皆が安倍さんに相談に來る」「かかる總理を戴く日本國民のしあはせ!」といふことで、和氣藹々のうちに、めでたく一致(西尾先生が出てをられないので、司會の堤さんも、制止といふ役目がなく、樂さう)。 「自分には、 安倍政權を産んだ責任がある。 だから徹底的に批判す る! 靖國參拜もできないとは、何事か!!!」と、(ついこの間までの 言ひ種を忘れて)咆哮する水島社長とは大變な違ひやう。 はてさて。 返信
初めてコメント差し上げます。
冒頭から日本会議、伊藤哲夫氏、小堀桂一郎氏への批判、大批判。
終盤、自分に集まる人たちも人任せ、危機感を職場等で共有し、行動しようとしているか、していないでしょうといったご主旨の、火の如き、矢の如きことばの数々。
だいぶ前に読んだ本に、昔の詩人はみな昂然としていた、相手の心臓をめがけて話していたから怖かった、と書いてあったのを思い出しました。
詩人でない、小市民が出来る最低限の行動は、投票先に困っても投票を怠らない事だと思っています。選挙になれば市井の各所で政治の話になります。自分の場合は、どこの誰に投票したか無遠慮に聞き、答えてくれなくてもいいので自分は明かすことにしています。
職場以上に、我が家の小学生が選挙のたびにどこへ入れるつもりなのか、誰に入れたのか、わりと熱心に聞いてきます。簡単な理由を添えて教えています。たぶん教室で話しているのだと思います。先般の参院選の後、自民党ではダメなのかと聞いてきました。
おっかなく見える先生と握手がしたくなり、そのような気持ちで認めました。ご健筆をお祈り申し上げます。
久々に先生のお顔を映像で拝見しました。
大変お元気そうで安心しました。しかし同時に、このお歳になられても評論界の最先端にて、発言しなければならない現実に、いい加減甘えていられない心理が真っ先に生まれました。久々の討論会にご参加された先生の論は、やっぱり重みのある言葉ばかりでした。
時系列に先生の安部氏への違和感を語られ、いかにその間の先生ご自身のお気持ちが強かったかを、いろんな方が気づかれたことでしょう。
個人的に言わせてもらいますと、安部氏のある種「うらぎり」は、新しい歴史教科書の時から関わっているのではないかと思います。
しかし、その件に関しては今回先生はほとんど触れずに割愛しました。それを持ち出すと、個人的な違和感しか注目されないとご判断されたのかも・・・と思いましたが、結果的にそんなレベルのご判断ではなく、先生の個人的な関りを訴えるまでもなく、これまでに至って安倍総理がどれだけ国民を裏切ってきたかを、実に誠実にしかも正しく公言できる材料がそろい過ぎていたことが、教科書問題での安部氏の裏切りを一々晒さなくても、十分国民に理解してもらえるとご判断されたからだと私は思いました。
今回若手の論客がなかなか良い発言をされていたことに、先生はご関心があったようで、彼らの論を聞いていた私は、おそらく先生はかなり聞き耳が立ってお聞きになられているんじゃないかと思ったところ、やっぱりその通りに先生はすぐに反応され、あとでじっくりお二人のご意見を伺いたいとおっしゃっていましたね。
先生がどのような感想をお持ちになったかを、いずれの時期でかまいませんので何かご感想を伺いたと思った次第です。わがまま言ってすみません。
討論会というのは本来は「意見の違いをぶつけ合う激論会」であることが、本当は理想的なんだと思います。しかし、どうしても意見が似通ったもの同士が集まってしまうチャンネル桜。そういう点でのおざなりが、段々ここにきて飽きられ始めているかなというのが私の率直な感想です。
しかしそんな中で先生が最初に「小堀けいいちさん、何してんですか」というコメントが、なにせ私には痛快でした。こういう率直な意見・怒りが今の日本の討論会には少なすぎます。
過去に左翼と激論を交わした御経験が豊富な先生だからこそ、そういう警鐘を自ら発せるのであって、若者たちの意見もたしかにズバッと言っている処はあるんですが、はたして激論になったとき保身に走らず語る事ができるだろうかという点は、まだ未知数です。
私が先生のご研究の中で色々感じた多くの点の中から、ここで一つだけ申し上げたいことは、「民族の怒りと弱さ」です。この点は先生の作品の中に多く点在する共通の隠されたテーマだと認識しています。誰でも怒りは存在しますが、なかなかそれを表立って言えない個人の弱さがある。しかし、一つの束になればそれが言える時もある。ところがそれがどの民族の時にも許されることではなく、場合によっては民族の絶滅さえありうるのが、この世の現実だと私は先生の本を読んで持論を持つことができました。
しかし、それでも人間は戦う意識を失ってはいけない。
なんのために戦うかではなく自分のために戦うかでもなく、人間らしく生きるために戦うんだという事を、38歳の時から読み始めた西尾哲学から今に至って学んだのが私の哲学ということになるんでしょうね。
『人生の深淵にて』の中に、人間の感情の様々を語っておられます。
その中に「怒り」のテーマがあり、怒りは生きる上での最大の意味を成す・・・みたいなことを書かれていますよね。私はこれを知って、人間らしく生きることの価値観を学びました。
怒りは自分だけに留まらず、他人にも影響を及ぼすものと認識しています。
実際会社でも私はズバリ言うことを心がけています。
誰も言えないことを自分が責任もって言うように心がけています。
結果、他人は私のその行動を強く認識します。
言動が一致すれば、他人はそれを深く覚えてくれます。
私は常にそういう生き方を選びたいと思っています。
先生お身体にご配慮され、無理のない生活をと、心から望みます。
池田俊二さま
ここのところ バタバタとしておりました。ご連絡できず申し訳ありませんでした。 『安部総理の「器」論とは真実か?』チャンネル桜に西尾先生のお名前が!!すぐに視聴しました。3時間50分、非常に濃厚な討論でした。 塾生は先生の著書を、あるいは、坦々塾の勉強会をとおして「安部の空虚」を承知しておりましたが、さすがに国内外の現状にて、安倍政権、自民党に任せればという御仁はいないでしょう?水島社長と同じステップで(よくやっていますよ、からの 開眼(苦笑))なのではと勝手に判断しています。2017年「保守の真贋」発刊から2年、安部政権は更に危機的状況を完成させたと言うこともできますね。この討論で明確になりました。
この番組の「器」論きっかけとなった若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授)に注目しました。
浜崎氏 2019年「文藝春秋9月号」で安部首相への「失望」を表明して話題となりました。
「第二次安倍政権ができたとき、私はうれしかったんですよ。彼ほど明確に改憲を謳う政治家は他にいなかったし、このまま憲法改正に向かって突き進んでほしいとも期待しました。しかし、靖国神社には13年に1回行ったきりだし、もやもやする疑いの念が次第に出てきた。決定的になったのは、あの加憲案です。
戦後レジームから脱却を謳った安倍首相なのに、あれは戦後レジームを永久に固定化するものです。『憲法を変えた首相』として安倍首相の名誉欲に基づいた行動でしかないことに気づいてしまった。」
さて、57分頃の浜崎氏の発言は非常に印象深いものでした。(続く)
小池 樣
お忙しいのでせうね。無理をなさらないで下さい。
坦々塾の會員も、水島社長竝みに(〈安倍さん〉よくやっていますよ)からの開眼ですか。
つくる會の八木騷動の際、畏友伊藤悠可さんは「保守がそんなにゐるわけ
がない」「水増し」と一刀兩斷にされました。
今も事態は少しも變つてゐないでせう。
西尾先生が評論家として出發された時は、世の中では、保守=惡だつたの
で、先生は逆風を眞つ向から受けて。ずゐぶん苦しかつたはずですが、そ
れは覺悟の上のことだつたでせう。 やがて風向きが保守=善になると、そこに多くの人々がなだれ込んで來ました。つくる會や坦々塾も、その流れの中にあつたことは否定できません。
保守業界は、今日に至るまで殷賑を極めてゐます。先生の周りはことごとく味方のやうに見えます。先生は樂でいいなあーーといふことには、しかし決してならないことは、先生御自身が屡々語られるとほりです。つまり、當然のこととして「水増し」分は、勢ひをつけたりする場合以外、大抵マイナスに作用します。
前囘書いた「皆が他人ごとのやうに生き、時が經てば、その過去を他人ごとのやうに語るーーそれだけのことです。何もかも、かけがへのない我が事とはしてゐないのです。そして、昨日は昨日の神輿を、今日は今日の神輿を擔げばよろしいのです。氣樂なものです」と、( 擔がれる方も、外に出ると )「ふざけやがつて! といふマトモな感情が發動しない」 理由は、レーヴィットの1階・2階の説で説明できるのはないでせうか。
これは、前にもここに書きましたし、西尾先生との對談本の中でも觸れました。つまり、普段1階(個人としての日常生活)にゐる時の感覺が2階(社會・公的な場)に上ると、痲痺してしまひ、夢遊病者のやうになつて、1階ではあり得ない常識外の振舞ひに及んだりする。どこの國民にもあることだが、特に、最も急激な近代化を遂げた日本において、2階が1階の自然な延長になつてゐないことが多いので、この現象は激しいーーと、レーヴィット(大東亞戰爭の直前まで東北帝大で教鞭をとりました)は診斷してゐます。
大東亞戰爭の指導者が、敗戰と同時に平和教の教祖になつたり、その上
で、さらに風向きが變ると核武裝論者になつたり、そんなことが出來るのも、自身も周圍も、皆が夢遊病者だからこそでせう。もしも、正氣の人がゐて、昨日までと違ふではないかと言はれたら、曲藝は中止せざるをないでせう。昨日のことを皆が忘れてゐるからこそ、自由自在なのでせう。
もの心ついてから、同じやうな現象を何度見も見ました。上も下も揃つて夢の世界に遊びます。
今から3ヵ月ほど前、私はこんなことを申しました。「相變らず、人々は安倍神輿を擔ぎ、提燈を提げ・・・」。多分、昨年まで、私の安倍批判に白い目を向けてゐた御仁曰く「私の周りもみんな提灯もっています。しょうがないなぁ~~~」。御自分が持つたことは覺えてゐないのです。夢の中だから、しかたありませんね。そして、相變らず、日本を守る!などと、嬉しさうに叫んでゐます。亡國に加擔する人は必ず、さう言ひますね。
かくて、右へ左へ、左へ右へ。これが、大袈裟に言へば、近代日本です。特別なところに出向かずとも、どこででも、この世界史的意義を有する珍風景が見られることはしあはせとすべきでせうね。
「若手論壇の浜崎洋介氏(文芸評論家)川端祐一郎氏(京都大学助教授)
に注目しました」には同感です(川端さんは「助教授」ではなくて、「助教」でせう。岩田温さんが坦々塾に出てゐた頃、名刺を貰ひ、「助教? 代用教員みたいだね」と言つたところ、彼氏苦笑してゐました)。
今さら何を言つても、既に手遲れではないかといふ氣がしますが・・・。
安倍政權は何年つづいてゐるのですか。その間に破壞したもの、恐ろしく
て思ひ出すことも憚られます。假に、萬一墮地獄は免れたにしても、破壞
されたものを再建するには、何倍もの歳月を要するでせう。どうせ私の目
の黒いうちには間に合はぬことなので、マジメに考へる氣にはなりません。
それよりも前に「若手論壇の」二人についての貴見を承らせて下さい。そ
んなところに光明!とencourage されるかもしれません。毎度の御配慮に感謝します。お元氣で。
池田俊二さま
お粗末ながら愚見を投稿するつもりでしたが、このところ、身辺にごたごたが
つづき、そのヒマもとれそうにありません。そこで代わりに、雑誌「クライテリオン」(池田さんは購読されていないそうですね)から、少しだけコピペしたものを送り込みます。
クライテリオン11月号が届きました。注文から2週間、待ったかいがありました。浜崎氏の発言をここから引用します。
移民政策が排外主義でないのは当然だが「保守」であるはずもない。 それどころか消費増税と新自由主義によって徹底的に日本を疲弊さ せ、北方領土問題を後退させ、安易な慰安婦問題を拗らせ、あげくの 果てに「加憲」などという「思い付き」を語りだした安倍政権をいまだに 「保守政権」であるなどと思い込めるのは、病的な妄想を生きる「ネト ウヨ」か、干されるのが怖い「保守論壇人」くらいなものだろう。(P60)
~中略~
安倍晋三とはとはその「反サヨク」という反動性によって塗り固められ た自らの器に「サヨク」以外の全て~対米追従への情熱、根拠なき改 革主義、日本人のナルシシズム、保守的な気分など~注ぎ込みなが ら、なお、それらが齎す矛盾と危機について徹底的に鈍感でいるこ とのできる「慢心しきったおぼっちゃん」(オルテガ)が、「空虚な器」な のである。
~~~~~以下 略
チャンネル桜の57分以降の 浜崎氏の次の発言もなかなか鋭いと思いました。
安倍晋三問題の他に,90年代以降の東西冷戦以降、日本が主体性を 回復しなければならない時に、その答えが「米国(従属)」でしかなかっ た。当時起こったのは55年体制批判、馴れ合いの排除、小選挙区制度、橋本行革等々、橋本行革では意思決定のスピード早めるため(内閣と総理権限強化 内閣人事局一元化) 従来のボトムアップからトップダウン(政治主導) を目指した。~略~ 仮に、この40年間の「空虚」を埋めるため、トップに内容があったら(聡明な君主がいたら) という仮 説を立ててみると今現在起きていることの全ての反対が当て嵌まると。いやはや、ご尤もです!これは構造的問題でもあり日本人全体の問題ですね。歯切れがいい。(番組はこのあとも、極めて重要な討論が続きます。(続く)
小池 樣
お忙しいところを恐縮です。
「(聡明な君主がいたら) という仮説を立ててみると今現在起きていることの全て反対」ーーこれがすべてですね。
そして、我々は安倍さんを、これぞ 「聡明な君主」!と勝手に決めて色めきたつたのでしたね。この當り前のことを思ひ出すと、可笑しくなり、しばらく笑ひが止まりませんでした。
安倍さんの場合、「反左翼」のポーズが決定的要因でしたね。西尾先生で
さへ、最初「魅力を感じた」のですから、我々がコロッと參つたのも無理はありません。そして、先生のやうに「失望感も早かつた」とは、我々がゆかなかつたのは已むをえないと許して貰へるのではないでせうか。
でも、相手は總理大臣です。毎日テレビに現れます。それをチラと、1週間に1囘でも見てゐながら、「この人には中身がない。カラッポだ」と氣づかないまま、3年も4年も過ぎるとは、不思議なことです。
その心理を訊いてみるわけにはゆきません。だつて、安倍神輿から離れた人たちを若干知つてゐますが、彼等はつい最近まで、それを擔いでゐたことを忘れてゐるのですから。前囘書いたとほり、その人たちに、それとなく水を向けてみると、「自分の周りもみんなさう。しょうがないなぁ~~
~」と、完全に他人ごとで、相も變らず、嬉しさうに活動してゐます。
もの心ついてから、不思議なことの連續でしたから、今や、それが當り前
になつて、私も驚きはしませんが。
前囘の坦々塾の懇親會の場で、足立誠之さんと伊藤悠可さんに、「坦々塾
にも安倍シンパは多いみたいですね」と持ちかけてみました。足立さんは笑ひながら、「しかし、前よりは減つたらう」と答へました。悠可さんは、笑つただけでした。
明日は先生の「二つの病理 韓国の反日と日本の平和主義」を拜聽して、
さて懇親會はどうなりますやら。
9日の坦々塾については、幹事のお一人吉田さんが、ここにレポートを書いて
下さることになつた。
吉田さんには、去年6月の坦々塾番外篇で、體調萬全ならずと言はれて以來
の再會。今後もお世話になれさうで、まづはめでたく、ありがたい。
今囘は、懇親會が一堂に會して(ロの字型に竝んだ席で)行はれたせゐもあ
つてか、殊の外樂しかつた。やはり、先生にでも、講師にでも、あるいは、急
にカラミたくなつた相手にでも、いつでも自由に話しかけられると思ふと、嬉し
く、氣が輕くなる。かかる場を確保するためには、幹事さんがたの苦勞は大
變だつたらう。
會費を考へれば、もちろん一切注文をつけることはできない。平素の、あちら
に10人、こちらに8人、そちらに12人・・・と散らばるのが當り前だ。
ただ今囘、他のシマへ歩いて(カラミに)行く手間が省けて、非常にありがたかつたことを報告し、幹事さんがたに深く感謝します。
このブログの読者の方々が、小池樣や吉田樣のコメントを待っていらっ
しゃるであろう中、割り込んで失礼します。
私は動画を拝見しただけで、まだ『クライテリオン』を拝読していないので、
あまり勝手なことは書けませんが、先生が「若い論客」と言われた浜崎氏と
川端氏は確かに印象的でした。自分の世代にはない胆力や新鮮な感覚をお持
ちだと思いました。それはよく言われるように、私のように、子供の頃に高
度経済成長期を経験し、また成長してからはバブル期も体験して、それなり
に豊さを実感した者と、それがなかった者の違いなのかもしれません。
何せ以前同級生と話した時、その人が安倍政権に反対だと言うので、なぜ
か聞いたら、旧態依然とした「保守対革新」の枠内でしかものを考えていま
せんでした(その人はピースボートに乗るような人なので仕方ありませんが)。
それに比べると、あの若い二人の論客は、今の政治を、もっと突き放して
厳しく見る目を持っていると思いました。
ところでもう一つ印象的だったのは、先生が日本会議の伊藤哲夫氏の事を
「大嫌い」と仰った所です。先生によれば、安倍首相に「加憲」をアドバイス
したのも、左翼勢力も取り込むという今の自民党の方針も、伊藤氏の考え方に
よるものだということでした。私はなるほど、と思いました。そんな事情なら
安倍首相が「空っぽの器」だと見られても当然です。
多くの人がそうであるように、私も安倍首相について考える時、安倍氏の幾
つもの「顔」が浮かんできます。中でも真っ先に浮かぶのが、「小泉元首相が
政治家としての師」であると言ったことです。郵政民営化の時、城内実氏を一
生懸命説得していた場面も思い出します。安倍首相は自民党が多人数になれば、
憲法改正にまで持っていけると思ったのでしょうか?
ところが自民党が今のように大所帯になってから、事あるごとに、党内には
「自民党員らしくない議員」も沢山いることが明らかとなりました。
普通の人は私と同じで、政治評論家のような詳しい知識はないと思います。
私たちが現政権に対し望むのは、拉致や教育、経済、大陸半島、或は皇室の
問題等のいずれかの解決であり、少しでも「今」を変えることです。ところが、
その中のたった一つでも、思い通りになるどころか、まるで正反対の方向に
行くばかりで、その結果、多くの人は、人間の力ではどうしようもない海流に
流されているような不安感に苛まされています。
安倍首相の心中は無論分かりません。ただ「左翼勢力も取り込む」というの
は、つまり「数(或はそれとは別の何か)の力で押し切ればよい」と考えてい
るように、私には見えます。それは、昔の左翼学生のやり方に似ています。
つまり「オルグ」して仲間を増やして、何でもかんでも「政治」だと言い、
様々なテーマにおいて「意思統一」して、「年中行事のように」繰り返す、
あのやり方です。彼等は、春になれば「春闘」、夏になれば「原水爆禁止」の
立て看板を立てて、マイクで声を張り上げていました。
こうした左翼集団にいる限り、こうしたイベントに反対することはできな
いのが普通です。なぜなら年中行事の一つに参加するのを拒んだら、リーダー
たちが説得しにやって来るからです。
今の自民党、いや今の政治家全体がこうした左翼集団だとしたらどうなる
でしょうか?ただ注意すべきは、野党が言う程、安倍首相が、左翼のリーダー
のように強権的に見えないことです。
そこで思い出すのが、池田様が以前書かれた内容です。
2018年2月25日「阿由葉秀峰が選んだ西尾幹二のアフォリズム四十一」
の中の池田様のコメントを、僭越ながら引用させて下さい。
これは、池田様が初めて西尾先生の名前を知ったという、若き日の先生の
記念すべき論考について書かれたものです。
(以下引用)
題は「雙面神脱退の記」。掲載誌は『新潮(昭和37年4月號)』。筆者は西尾幹二・26歳。(全集第3卷所收)
私はスキーの歸りに、田口といふ國鐵の驛(今の妙高高原驛?)の近くの書
店で、列車の中で讀まうと『新潮』を買ひましたが、偶々この見開き2ページの短文に惹きつけられて昂奮、家に歸つても寐ずに、一晩相對しました。勿論、筆者の名前は初めてでした。爾來56年、あの記憶は消えません。
「この雜誌に私は二年間參加した。 今年の一月に脱退した。 脱退にいたる經
緯ならびに文學上の所信をここに書くように言われて、 私がまず思い出したことは、『われらと戰後派というこの試みを行うことが決定した當時の記憶である。同人の一人が、 この中では戰後派をたとえ批判しても本質においては否定せず、批判したあとでも『大きく救う』ことを忘れないようにしようと提言し・・・」
「私は戰後全體に對してなにも特別なふくみを持っているわけではない。ただ、そのなかには好きな作家もいれば嫌いな作家もいるという、讀者としてのしごく 當り前な常識が私に抵抗感を感じさせたのであり、外から一樣に規定されては書きたいものも書けなくなるし、 ことに嫌いな作家を論じるときに、『大きく救う』などというばかげたことが出來るものか、と單純に不滿だつた。單純な常識というものが失われかけた場には、必ずといっていいほど、不健全な考えがはびこるものである」
「各人各樣の意見が出てくるのは避けがたいのであるから、戰後派の一人を
根本的に否定する批評がかりに出てきても不思議はないはずである」
「要するに、『雙面神』が文學の雜誌であつて政黨のパンフレットでないのなら、このような常識は當然通用するはずである」
「黨派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第に支
配的になり、同人の口を縛り始め・・・戰後派を否定しては絶對にいけない、というように豫め文壇を黒白に二分する地圖を作っておくような態度が露骨に現れてきて、それを文學への誠實ととりちがえている點が、日本の傳統的な左翼の流儀を、ーー政策論をつねに文學論にすりかえるあの因襲的な遣口を私に思い出させた」
「私はつねづね堀田善衞氏の文明觀・歴史觀に疑問を持っていた。私自身の
立場、文化や歴史に對する私の考え方を成り立たせるためには、堀田氏の思
想を根本から退けなくてはならない。逆に堀田氏が自己の信念を讓らないなら、私の立場をおそらく斷じて認めるようなことはないだろう。それでいいはずである」
「かの狂信の徒の一人から電話がかかってきて・・・實は他の雜誌に依頼して活字にだけはしてもらうつもりだから、『雙面神』からはおりてもらえないか、と頼んできた。私は斷った。理由は活字にすることが目的ではなく、こうしたことが問題になること自體が私には不愉快だという單純な事情による。彼の言い分によると、堀田氏を否定すると野間氏や武田氏をも怒らせることになり、同人全體がそれだけ文壇に出にくくなってみんなに『迷惑がかかる』というのである。これはどうみても文學的信念ではなくて取引の原理であり、作家の生き方ではなくて處世術であり、世渡りの方法に過ぎない。私はおかしくて仕方がなかった」
「一帶いつ頃から文學者の心のなかで、このような處世術が神の役割を果し
だしたかというテーマの方に私はいま興味を覺えている」
以上
「党派心旺盛な狂信家が二、三名いるため、タブーが生れ、それが次第
に支配的になり、同人の口を縛り始め・・・」という所は、我々一般人
も生活のあらゆる場で、身に覚えのあることではないでしょうか?
やりきれないのは、個人的な「保身」のため或はその場の空気を悪くしな
いために口をつぐんだことのある自分自身の情けない姿と同じようなものを、
政治の世界でも見せられることです。
「これはどう見ても政治的信念ではなく取引の原理であり、政治家の生き
方ではなく処世術であり、世渡りの方法に過ぎない」と、引用部分を読み替
えてみます。それが現代の我が国の政治だとしたら、我々国民はどうすべき
なのでしょうか?
私はもう、安倍首相が何者かの傀儡であるとか、彼の個人的な資質がどうの、
とは言っていられない気持ちになりました。
先生は動画の最後の方で、今の安倍政権の韓国に対する態度の変化と、
二、三人の大臣に任命された政治家たちに期待すると仰いました。もう
総理を辞めたがっているような安倍氏に対する、先生の最後の最低限度の
期待なのかもしれません。終始安倍氏に厳しかった先生のこの意外な言葉
は、もうちょっとやそっとでは動きそうもない日本の政治を冷たく突き放す
言葉でもあるように、私は感じました。
ただ私としては、自分が今ようやく、父の世代の気持ちが理解できたよう
な気がしています。当時の少年たちは、母国が置かれた危機的な状況を敏感に
感じ取り、何とかしたいと思ったのではないでしょうか。それが「国の爲」と
いう言葉になったに違いありません。しかし我々との違いがあるとすれば、
父の世代には自らの身を投ずる手段を、明確に持っていた点でしょう。
最後に話は変わりますが、今読んでいる本に、今の時代には示唆的な興味
深い文章があったので、引用させて下さい。『与力・同心・目明しの生活』
横倉辰次 著 雄山閣(初版は昭和41年)という本です。
「こうして見ると八丁堀役人が肩で風を切り威張っていたのは、江戸の一割の
町家町だけだったのだが、その狭い町方にしても僅かな廻り方の巡回では
心細い話だった、そこで何日の時代でも庶民は自衛の為に自衛手段を講じる
本能があったので適当な手段を講じたのだ。(民衆の自発的自衛手段でない
のは、今日の自衛隊ぐらいのものである。戦力なき軍隊などという欺瞞的
答弁で創立されてしまったが)
庶民はまず町に町木戸、長屋木戸を作り、非常の際はこれを閉じて交通を
斜段した。
次に町々に自身番小屋を建てた。大名、武家(旗本)屋敷では辻番小屋を
建てて、共に町を防衛した。・・・」(P131)
以上
つまり、TVや映画で見る「捕り物帳」は、大部分が木戸の中の人情物語で
あって、その木戸がどのように使われたかは、ほとんど描かれていないのです。
だから、本当の江戸時代とはむしろ、百姓たちが自衛のために、浪人たちを
雇って野武士と戦った事件を描いた、黒澤明の「七人の侍」に近かったのか
もしれません。
私は、自分がこれまで、政治にまともな関心も持たなくても、こうして生きて
こられたのは、現代という特殊な時代に生まれたからで、それはまるで、玄関
の鍵を掛けずに、平気で寝ていたのと同じなのだと思うと、ゾッとしました。
今日の横綱白鵬の相撲はひときわ非道いものだった。最初に左から張り手、次に右腕でかち上げ、さらに右左から張り手の連続。対する遠藤はたまらず前に倒れ、鼻血を出した。これは相撲ではない。様式も何もあったものではない。端的な暴力行使である。解説の舞の海は、かつての横綱はこういう相撲はとったことはないと言った。これが、日本相撲協会やスポーツジャーナリズムが黙認し、役割を放棄して来た「国技」のただいまの姿である。
われわれの現実逃避の惰弱な自我が、随所で日本を護ることなく、今や北海道の三分の一を中国に買われるに至った惨状を招いたのである。
媒体を通じて西尾幹二氏と出会えるのは本当に嬉しい。実行ある製作者としての桜・水島氏も余人に代えがたい存在だ。しかし水島氏とは一緒に出演して欲しくない。出演者の発言をその場で自身の言い訳に用いるからだ。これをやられると両者があたかも同じ立場にあるかのように錯覚してしまう。消極的に安倍を支持せざるを得ないと考える有権者がいても不思議はないが、「安倍救国内閣」「安倍断固支持」と吼え続け、韓国にロシアに何の解決にもならないお金を安倍さんが簡単に渡してしまった後も「反安倍は左翼」と決めつけて来た異様な水島氏にこの言い訳は通用しない。通用しない言い訳をいやしくも堂々たる運動家が出演者の発言を借り出演者に同意する形で行うのは誠に見苦しい。安倍さんに関する限り残念ながら水島氏は卑しい嘘つきに堕ちている。西尾氏と膝つき合わせて安倍政権を語るべきではない。
藤井聡氏の『表現者・クライテリオン』もまた、西尾幹二氏を都合のいいエクスキューズに使っている。つい先日いま『クライテリオン』の他に安倍さんを批判する論壇誌はあるだろうか、と慨嘆する人がいたので、西尾幹二の寄稿が与える影響の大きさを改めて感じたが、古い読者からすれば、創刊者の西部邁氏がかつて無役に下がった安倍さんを門下と共に1年ほど勉強会と称して匿った経緯から正面批判を手控えていたとしか思えない、熱い湯が届くようでなかなか届かない年月が長く続き、それが正面批判に至ったのは、西部氏に代わった藤井氏が内閣官房参与を辞し、その喪が明けたかのような極々最近に過ぎない。謂わば藤井氏の立場を十二分に考慮し、政権の命脈が見えて来た段階での、いかにも偏差値の高い人たちが考えそうな周到な後出しじゃんけんにしか見えない。
確かに「器論」は興味深い。しかし奥歯に物が挟まった言い方でしか安倍政権を語れなかった西部氏の、藤井氏の軛からも解き放たれた上で飛び立った「器論」なら、所詮西部氏の奥歯の食べかすを似せたに過ぎないのではないか。遅くとも森友学園、加計学園問題が浮上した2年前にこうした批判が展開されるべきだったと思うのだが、藤井氏は三橋貴明氏と共に「モリカケなんかどうでもいい問題」とちょうどいまの「桜を見る会」の問題に対するビジネス保守連中とまったく同じ、「野党はもっと重要な政策法案審議に議論を傾注しろ」との認識だった。保守だの伝統だの文学だの神話だのと言いながら、この人たちは「神は細部に宿る」の謂いに思い至らないらしい。藤井氏を嘘つきだとは言わない。しかし少なくとも過去に「モリカケなんか」と発言した藤井氏の安倍批判、安倍政権批判は実に空々しく、西尾氏と同席するに相応しくないと思った。
相変わらず心臓をめがけて発言して来る西尾氏の他は、年配者ほど通俗で退屈でしかなかった。
訂正します。
前投稿、北海道の三分の一ではなくて、一割が実情に近いようです。
昨夜のチャンネル桜の番組「中国の日本属国家シミュレーション」での同社社長、水島総氏の発言に基づいています。
今日も国会は花見の話で盛り上がったようです。
頭の中がもやもやしていて整理できていないのですが、、、、、、
追及する野党の人たち、それを報道するマスコミの人たち、
いずれもこの話題に拘ることが多くの国民の支持を得られていない
ことを解っているのではないでしょうか?
山尾志桜里議員のfacebookです。(普段は見る気がしないけど)
https://www.facebook.com/yamaoshiori/posts/1179924975533934/
ここのコメント欄を見ていて、そう思いました。
失礼しました。
すでに同じ指摘をしているジャーナリストの方もいらっしゃるようですね。
辛坊治郎氏とか。
「ペシャワール會代表の中村哲醫師が銃撃されて死亡」といふ新聞記事を
讀んで、昨年だつたか、福岡縣若松出身の友人が同郷の作家火野葦平を語つた際、火野の甥とかに、憲法9條を信奉して、アフガンで活動してゐる
醫者がゐると言つたことを思ひ出した。
9條をあがめる人は珍しくなく、友人が何故そんな話をしたのか分らないが、暇にあかせて、然るべきブログを開いてみた。正に、この中村醫師だ。伯父ーー甥の關係は間違ひないらしい。中村さんの、以前の談話(インタヴィウ記事?)も出てゐる。以下はそのコピペ。
「アフガニスタンでNGOとか国際機関なんかが襲撃されることは何回もあります。でも、我々が襲われたことは一度もありません!日本の憲法、ことに憲法9条というものの存在も大きい!政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです」
「具体的に、リアルに、何よりも物理的に、僕らを守ってくれているものを、なんで手放す必要があるんでしょうか。危険だと言われる地域で活動していると、その9条のありがたさをつくづく感じるんです」
「武器など絶対に使用しないで、平和を具現化する。それが具体的な形と
して存在しているのが日本という国の平和憲法、9条ですよ。それを、現地
の人たちも分かってくれているんです。だから、政府側も反政府側も、タリバンだって我々には手を出さない。むしろ、守ってくれているんです。9条があるから、海外ではこれまで絶対に銃を撃たなかった日本。それが、ほんとうの日本の強味なんですよ」
やれやれ、「絶対に」「守ってくれている」と信じてゐた9條が守つてくれなかつた。これでは中村醫師は浮ばれない!
讀み進むと、事件の状況が簡單に書かれてゐる。
「同乗していた運転手や警備員など5人も死亡したということです」
「中村哲医師は実際には警備員を同乗させていたが、警備員の人数や武
器が不十分だったために運転手や警備員など5人も巻き添えにして死なせ
てしまった!」
「最初から多くの警備員や強力な武器を多数備えておけば、誰も死なずに
済んでいた!」
なんだ、警備員がゐたのか。中村さんは嘘をついてゐたのだ。それなら問
題はない。
「知つてゐてつく嘘の方が知らないで言ふ嘘よりはマシだ」(プラトン)
「他人の目を瞞すことは、時には生産的でさへありますが、自分で自分を
瞞すことには救ひはありません」(西尾幹二)
中村さんは自分の言葉を信じてゐなかつたのだ。それなら救ひがある。
多分成佛することだらう。
雑誌「正論」1月号の江崎道朗氏「日本は米国にとって『頼りになる同盟国』か」に注目した。
1969年11月、佐藤首相・ニクソン大統領による沖縄返還合意の共同声明発表に際し、ニクソンはもはや米国は「世界の警察官」たり得ないとし、ソ連と中国共産党の核に対抗するために佐藤に自前の核武装を促した。72年に再訪米した佐藤は、ニクソンから重ねて核武装を検討するよう要請されたが、日本の国会と国民の大多数の反対を盾に肯んじることはなかった。日本にアメリカと共に戦う意志のないことを確認したニクソンは、ソ連の脅威に対処するために中国共産党と組む決意を固めたのである。アメリカの経済協力を引き出した「ニクソン・ショック」という名の米中結託を生みだしたのは、アメリカと共に戦うことを拒んだ日本自身だと江崎氏は指摘する。
中曽根大勲位が保守の衣をまとい輿望を集めながら靖国神社参拝を見送った決定的な後退に西尾氏も手厳しい批判を加えているが、1980年代のアフガン侵攻やSS20の実践配備が進む中、レーガン大統領からソ連の脅威への共闘を呼びかけられた時、中曽根が腰を上げることはなかったという事実が明かされる。失望したレーガンは、ソ連を挫くという戦略目標遂行のために秘密裏に中国に10億ドルを超える武器さえ提供し、陸海空軍さらには海兵隊の拡大を惜しみなく支援し技術を供与した。その結果が、「その後のアメリカによる『日本たたき』であり、現在の中国の軍事的台頭なのだ」。ロンヤスの関係の内実は実にこんなものだったのである。中西輝政氏が首脳間の個人的親密さなど国際政治においては弊履の如く捨て去られるものであり、トランプ・安倍の特別な関係などというものは幻想にしか過ぎないという趣旨の指摘をしていたことを思い出す。
いずれの大統領も共和党、その中でも右派と位置づけられていたことを銘記すべきであろう。ストロングジャパン派が日本に幻滅したらどうなるか、現在のトランプ大統領がどこに向かおうとしているかに照らしても考察すべきであろう。
江崎氏によれば、現在の南シナ海の「航行の自由作戦」はアメリカの海軍力だけではとてもまかなえない。大したことをしていない日本に代わってイギリス・フランス・オーストラリアが艦艇を派遣しているが、当事者能力に欠ける日本への失望感がじわじわと広がっているとしている。「問題は来春、習主席を国賓として招くかどうかだけではない。日本自身が富国強兵、つまりデフレから早期に脱却すると共に、防衛費を必死で増やして経済的にも軍事的にも『頼りになる同盟国』になろうとしているかどうか、こそが重要なのだ。そうした『見通し』も『覚悟』もないまま、対中宥和外交を続けるならば、日米同盟を確実に空洞化し、結果的に更なる軍事的脅威を招くことになるだろう」。
西尾氏が産経新聞・正論欄に寄せた「日本は米国に弓を引いたのか」(2018年11月7日)は当方の念頭から去ることはない。その最後の一節を引くことにする。
「私はいま遠くに考えを巡らせている。尖閣が危うくなり南シナ海の人工島が出現してから、私はアジアと日本の未来に絶望し始めていた。米軍の力の発動をひとえに祈るばかりだったが、オバマ大統領時代には期待は絶たれていた。
トランプ大統領がやっと希望に火をともした。しかし人工島を空爆して除去することまではすまい。半ばヒトラー政府に似てきた習近平体制を経済で揺さぶり、政権交代させるところまでやってほしい。ペンス演説はまさにそのような目標を掲げた非軍事的解決の旗である。日本経済はそのためとあれば犠牲を払ってでも協力すべきである。日本の国家としての未来がここにかかっている。
朝鮮戦争のとき世論に中立の声(全面講和論)は高まったが、日本の保守(自民党)は米ソ間で中立の旗を振ることは不可能なだけでなく危険があると判断し、米国側に立つこと(多数講和)に決した。2大強国の谷間にある国は徹底して一方の強国を支持し、二股をかけてはいけない。今回の日本の対中接近は政治的に間違っている。ただしスワップ協定は条約ではないので、日本はすぐにでもやめれば、なんとか急場をしのぐことはできるだろう」。
「トランプを孤立させるな」(雑誌「正論」10月号)にも次の一節がある。
「今のこの国では『反共親米』を踏み外すことは朝日から産経までしないが、『反共』も『親米』もともに自分の立場を危うくしてまで誰も本気で実行しようとはしていない」。「『親米』は今の時代にこそ必要な賭である。アメリカとの協力はこれからむしろ本気度を試される真剣勝負にならざるを得ないだろう」。
西尾氏は一貫して警鐘を鳴らしている。今回の、そして今後も続く日米貿易協定でわが国が払う犠牲をも是とされるのであろうと思われる。氏の叡智を汲み上げることがわれわれの仕事であろう。
少年期探訪の旅を未だ報告できずにおり恐縮ですが、
藤井厳喜氏のYouTubeチャンネル『ワールド・フォーキャスト』に西尾先生の動画がありましたので紹介させていただきます。
本編は拝見しておりませんが、以下縮小版である2編でも西尾先生の慧眼と一貫した姿勢は勿論ですが、深甚な憂いと憤りが伝わり、私自身の怯懦を恥じます。
【藤井厳喜×西尾幹二】日本再興戦略 現代日本論「日本通史」編・告知動画
https://www.youtube.com/watch?v=bXtpEGTICZk
【歴史】『国民の歴史』の著者が語る“日本人の本質” – 殆どの日本人が誤解する「日本人の多様性」と「縄文文化の真実」 ~日本再興戦略 現代日本論「日本通史」編|藤井厳喜×西尾幹二
https://www.youtube.com/watch?v=YY9CMxJ3zr8
>阿由葉秀峰様
始めまして・・・のはずなんですが、間違っていましたら申し訳ございません。
藤井厳喜氏と西尾先生のビデオ拝見させていただきました。
西尾先生のご様子が元気そうだったのが何よりうれしいです。
藤井氏が紹介された「国民の歴史」は、私のバイブルのようなもので、はじめて読んだ時、それまで歴史を理解できていなかった私に、小さな灯をともしてくれた一冊でした。
読み込めば読み込むほど何故か気持ちが興奮し、自分のことが二の次になるような感覚だったことを覚えています。
一般的な歴史教科書は、どこか争いを避けようとしている傾向が多かった当時、先生の著書はそれまでにない日本人の誇りをテーマにした作品です。若いころ東京で働いていまして、たまたま上京した際この本を携帯し、遊ぶ暇もなくホテルで読み込んで、知人と久しぶりに会った際、この本の話題をしたところ、知人も興味を示してくれたことを思い出します。
その知人は、日本がどうして北と南では文化が違うのかという疑問をいつも感じていたそうで、その理由は様々だろうけど、北日本は比較的栗などの自然食材に恵まれていた環境があたそうで、それに比べると西日本は食材が乏しかったのか、早くに米の栽培が行われたのもその理由らしいよ・・・と応えたところ、彼はかなり納得したようで、色々会話しているうちに「国民の歴史」という本を今愛読書にしているんだよと彼に言いました。
果たしてその後彼がそれを購入したのかどうかはわかりませんが、いずれにせよその後時代はどんどん保守系の話題が盛んになり、少なからずそういう社会が今あちらこちらで議論されていることぐらいは認識しているはずですから、たとえ読んでいなくてもこの本のタイトルぐらいは頭の片隅に残っていると思っています。
現在でも「新しい歴史教科書をつくる会」という言葉の音だけは比較的多くの日本人に認識があるようで、その話題を振りまくと「あぁ知ってるよ・・・」という反応がけっこうあります。
そういった際「西尾幹二」って知ってるかい?と聞くと、2~3割ぐらいの人が認識があるような感じです。私としてはもう少し知っている人が多かったらなぁ・・・と思う反面、「日本人はまだまだ知らないことだらけなんだよ」というニュアンスを含め、そうしたことをいつか気づいてくれることも期待しながら、自然体で待ち構えようと思っています。
私も先生を知るようになってから徐々にそうしたことに興味がわいたタイプですので、ごくごく普通に認識されることが一番いいのではないかと考えています。
でも阿由葉さんのような活動は絶対大切だとは思っています。
これからも先生の応援をよろしくお願いします。
杉野 樣
「水島氏は卑しい嘘つきに堕ちている。西尾氏と膝つき合わせて安倍政権を語るべきではない」
「藤井氏を嘘つきだとは言わない。しかし少なくとも過去に『モリカケなんか』と発言 した藤井氏の安倍批判、安倍政権批判は実に空々しく、西尾氏と同席するに相応しくない」
「この人たちは『神は細部に宿る』の謂いに思い至らないらしい」
仰せのすべてに完全に同感です。
西尾先生の安倍批判に對して、水島社長が「左翼みたい」と評したことを、先日、西尾先生に直接申上げたところ、「さうだね」とお答へになりました。先生は全て心得てをられます。
「モリカケなんか」とは、西尾先生の身近かな人たちも言ひました。その一人は後に、私が「安倍亡國神輿に提燈提げて・・・」と申したところ、「私の周りでも、みな提げてる。しょうがないな~~、もう」とかなんとか言ひました。自分が提げたことは忘れてゐるのです。そして、相變らず、「日本を守る!」とか嬉しさうに叫んでゐます。
「○○なんか」とは、もつと大切なことがあるといふ意味で、外交だの憲法だの財政だのの問題を、先に論じるべきだと言ひたいのでせう。そんなことがあの安倍さんに通じると思つてゐるのですから、無邪氣なもの。國を滅ぼすのは左翼などではない。さういふ、細部を思はない人たちこそ、最大の亡國勢力だと、私は信じてゐます(これまでに何度も見てきた、ワッショイワッショイのお兄さん、お姉さんがたと目つき・表情が同じだから)。
今朝、Fさんから電話があつた。彼氏、先月の坦々塾は所用で缺席したので、
そのことを含め、雜談を少々。
F 「今日の産經に載つた ”WiLL” ”HANADA”の廣告を見たかい?」
池「見た、見た。安倍提燈一色だね」
F 「まつたくだ。よくぞこれだけ、かき集めたね。賣れるから、かういふことをするんだね。してみると、安倍さんは當分・・・。 ”日録”に誰だかが、〈「反安倍は左 翼」と決めつけて来た水島氏」が安倍さんの惡口を言ふやうになつたのは、「政権の命脈が見えて来た段階」だから〉とか書いてゐて、少し期待し始めたのだが・・・」
池「おいおい、その話はしないことにしたぢやないか。どつちにしても、もう手遲れだよ」
F 「さうだが、僕の會社なども、安倍政權下の日本と同じだ。雪崩をうつて、崩壞・・・」
池「私が關係した ”かんぽ” なども終りだね。西尾先生が民營化に反對された
のは、その資金がアメリカに吸ひ上げられ、やがて支那大陸に消えるといふ理
由だつたが、今はそんな高尚な次元ではない。幹部たちは『報告を受けてゐな
かつた』と言ひ、それが言ひ譯になると思つてゐるのだ。以前は、どんなルート
を通じてでも、實態を「知る」ことは、幹部經營者の絶對的要件だつた。「知らなかつた」以上の恥辱はなかつた。僕の附合つた、プライド高き(高過ぎて、何でもかでも「乃公出でずんば」と自惚れるのが缺點)役人たちなら、口が裂けて
もさうは言はなかつた。本當は知らなくても、『承知してゐた。その上でやらせて、誤つた』と嘘をついただらう。そして、『一死もつて大罪を謝し奉る』と腹を切つただらう」
F 「本當に、日本人はどんどん駄目になつてきた。僕の親父は高等小學校しか
出てゐない。僕は曲りなりにも、大學を出してもらつたが、性根の据わり方も判
斷力も親父にはとても・・・」
池 「當り前だ。あなたよりダメなお父さんでは話にならない」
F 「明治以來、日本人は劣化の一途を辿つてゐるのだらうね」
池 「激しかつたね。この間の懇親會でも、その話が出たよ。日清戰爭の時の陸
奧外務大臣が如何にすごかつたか。陸奧は清を討ちたくて、久しく疼いてゐた。
あの戰爭は陸奧の企畫・演出と言つてもいいのではないか。その鮮かな、冴え切つた手際は今の日本人には全く期待できない。もしも、岸田外務大臣・安倍總理大臣だつたら、戰爭に負けるだけではすまない。確實に亡國だつたらう。我々は先人に感謝しなければならない。とにかく、同じ日本人とは思へない」
F 「日本人がダメになつて來たなどと、あまりしつこく言ふと、西尾先生から、それ は司馬史觀だと怒られるよ。大丈夫だつたかい?」
池「うん。今度は叱られなかつた」
F 「それはよかつた。あなたはよく過激なこと言つて、先生に心配をかけるぢやないか」
池 「面目ない。不徳の致すところだ。最近は愼んでゐる」
F 「先生の快氣祝ひの席でも、あなたは『(安倍シンパは)この中にもゐますよ』などと口走つて、シラケさせたぢやないか。あの時、本氣のシンパで、あなたに白い目を向けた面々を覺えてゐるよ。何人かは、最近は安倍神輿を擔がなくなつたみたいだね。そして、反日プロパガンダ對策のために、その實態調査など
を嬉々としてやつてゐる人も」
池「うん。”愛國 ”活動の材料は無數にある」
F 「ところで、日本はもう駄目だとして、我々はせめて、オリンピックあたりまで頑張るか」
池 「私は頑張れないが、せめてオリンピックまでは、酒が飮めたらと思つてゐ
る。あなたはしつかりと。でも、さう若くもないのだから、上司に ”テ メー!”
だの、”ドアホー ”などと暴言を吐いて無用なトラブルを起こさない方がいいよ」
F 「うん。それほど馬鹿ぢやないよ。5年前のフジテレビの ”新報道2001”を送る。西尾先生が出演されてゐる。日本はもうダメ でも、胸がすくよ」
すぐに、パソコンで送られてきた。Fさんの「先生のご主張に『そうだそうだ』とTVに向つて吠えていた自分を思い出しました。他の”薄らバカ”の面々には、もう笑うしかない」といふコメントつき。早速見ると、私にも記憶がある。
出席は次の6名。
磯崎 陽輔(總理祕書官)
齊藤 鐵夫(公明黨幹事長代理)
富坂 聰(ジャーナリスト)
朴 一(大阪市立大學大學院教授)
西尾 幹二(ドイツ文學者)
宮家 邦夫(ジャーナリスト)
Fさんの ”薄らバカ”の ”薄ら”は餘計だらう。まともなのは、西尾先生だけだ。
あとは、全部ゴミかボウフラ。
たしかに「胸がすく」思ひもするが、すぐに空しくなる。こんな連中を相手に・・・恐らく、先生もむなしかつたのではないか。日本中でまともなのは西尾先生だけか。
かういふ人々がやつてきたのだから、日本が潰れるのは當り前だ。地獄に墮
ちるのも當り前だ。先生に「ザマー見ろ」と言はれてもしかたがない。
池田様
(続く)と、おきながら、投稿せず、申し訳ありません。昨今の国際情勢の危うさを目の当たりにしながらこの国(国会)といえば「桜を見る会」。地上波、衛星の討論番組でも、香港、台湾、北の挑発、米中摩擦、すべて我が国の危機、問題であるにも関わらず 日本を中心においた議論がなされないことが不思議でなりません。おバカな評論家、MC、ダメですねぇ~。平和ボケと言えばそれまで、この国は着々と「破壊への道」を歩んでいるようにしか思えない。
「器」論、この番組での年配者批判(水島氏や藤井氏)は脇に置きます。 繰り返しになりますが若手の浜崎洋介氏と川端祐一郎氏には敬意を表したい。
もっと早い段階で西尾先生との討論が世に出ていればと、残念な思いもあります。1時間過ぎの、川端氏の発言のとおり、第二次安倍政権において「戦後レジームの完成」すなわち移民法、水道法、電力自由化、増税等がアッという間に成立してしまいます。空っぽの器ですから、ほとんど議論がなされないうちになんでも入ってしまうんですね。どれも重要政策なのですが、特に昨年12月8に成立した所謂移民法、国家破壊(日本が日本でなくなる)の第一歩です。
自分に関することと言えば電力自由化と発送電分離です。自由化で電気料金は下がることはないですし、発送電分離は命に係わる電力の安定供給(停電リスク)支障が出ることの懸念大となりますが、ここでは詳細省きます。
私は1979年、電力会社に入社し、原子力関係の仕事(軽水炉、核燃料サイクル、高速炉など)で40年、その禄で今日まで生きてきました。80年代の高度成長期に電力の安定供給に原子力が与していたことは間違いないですし、電気料金も化石燃料の調達が落ちて1984年~2006年に相当に下がったことも事実です。
資源のない技術立国日本がその存在を世界に示すものも「日本の原子力技術」と信じてやってきました。もちろん、あの3.11事故が国民に与えた恐怖と不信感、経済的損失をもたらしたことは事実です。そして安全対策が十分でなかったことも事実です。その教訓から必死になって安全対策に取り組み再稼働に向けて、電力会社、メーカー、企業が一体となって頑張っています。全国の原子力はみな懸命なのです。国家の存続がかかっていると信じています。
あの事故があってから暫くして、西尾先生から「あなたの人生はこれから30年あるのだから今の仕事を考え直しなさい」とアドバイスを頂きました。先生は、原子力に反対の立場であったからでもありますが、私のことを心配してくださる先生に感謝しながらも「技術立国日本、次世代を背負う若者のためにももう少し頑張ります」とお答えしました。
6年が経ちました。
エネルギー政策(原子力)は当時、原子力を推進した民主党政権でした。事故後、ゼロ政策に舵を切り、そして政権交代。自民党政権に交代するとエネルギー政策は見直され、平成30年の2030年の原子力比率20~22%となっています。
安全対策工事は遅々として進まず(規制側にも問題あるのですが)このままでは、10年後の20~22%など絵にかいた餅、日本の原子力事業は無くなってしまう可能性さえあります。そう、若者エンジニアの原子力離れが著しいのです。これでは技術・技能の継承などできるはずはありません。原子力技術はあらゆる工学系、理学系を合わせた総合技術です。
エネルギー問題は国家安全保障の最重要課題のはずです。規制対応も再稼働もすべて電力会社任せの自民党安倍政権の原子力に対する「冷酷さ」はどうなっているのかと言いたくなります。
世論の顔色ばかりみて何もやらない(与党議員)「薄らバカ」な政治家ばかり、
現場に一番近いものとして腸煮えくりかえるばかりです。
原子力に関わることとして「核武装」についても繋がりますが、なにもかにも民間任せの現状では「核議論」さえも出来るはずはありません。 西尾先生が仰るように「国家の強い意志」が見えない以上、原子力など諦めるしかない。そして、また一歩「破壊」への道へと進んでいくものと思っています。
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昨年先生から頂いた賀状に「日本の技術は世界に冠たるものだとよく耳にしますが、ならばなぜ日本製ではないパソコンやスマートフォンを用い~中略~産業競争力も低下している。~略~ 日本は急速に三流国に転落しつつあるように見えます。
そのように着々と進んでいるのです。
小池 樣
お忙しいところを恐縮です。
「(国会)といえば『桜を見る会』」。これは止むを得ないでせう。安倍さんにエネルギーの話をしても、通じるはずがありません。以前いただいたメールでは、田中角榮・中曾根康弘がエネルギーを重視したとうかがひましたが、やはり國の命運を左右する大切な要素と感じ取る能力があつたのでせう。基本は素質です。安倍さんにそれを望むのは酷です。
「電力自由化と発送電分離」が「戦後レジームの完成」に向ふ一要素なの
ですね。
自分の關はつた役所は戰前、電力・船舶・航空機を所管してゐました。私
が接した大物官僚OBたちの最も得意な話題は、電力國家管理・發送電統合でした。なにしろ、日本中に、谷ごとに電力會社があつた(全國で20
0數社?)。あのままでは、電力と國策は無縁だつた。それをまとめて國
家管理をやつたからこそ、戰爭もあそこまでやれたのだ。しかし、營々として築き上げた會社を、一枚の株券といふ紙切れだけで、取り上げられた
オーナーたちにすれば、たまつたものではなかつたらう。自分は毎晩、南
無阿彌陀佛を唱へてから床に這入つたといふやうな、熱つぽい思ひ出話をよく聞かされました。
今はその逆を行つてゐるのですね。状況がまるで違ふのですから、逆が
惡いとは必ずしも言へないでせう。次囘 お目にかかつた時にでもレクチ
ャーをよろしく。原發は、「国家の存続がかかっている」ことは間違ひありませんが、私には理解することは無理でせうね。
「現場に一番近いものとして腸煮えくりかえるばかり」、さもありませう。私には言葉もありません。御大事に。
まあ、すべては「そのように着々と進んでい」ますね。
ところで、「いわんかな」といふ座談會番組を見ました。
タイトルは少し變つたかもしれないが、たしか數年前、西尾先生も御出
になつたのを一度見たことがあります。先生が、安倍總理大臣批判を始めると即座に、司會の堤堯さんが、これを遮つたり話題を逸したりしたのが印象的でした。
にもかかはらず、先生はお怒りにもならず、その後、全集の月報に堤
さんを起用しました。先生は寛容です。つくる會に後足で砂をかけて出
て行つた中西輝政さんと對談本を出したり、泥水をかけて去つた田中
英道さんを月報に書かせたり、先生の安倍批判に對して「西尾先生、
氣が短過ぎます」と止めた花田紀凱さんと對談したり、戰後70年談話
を100點滿點と評した渡部昇一さんとの對談本を(渡部さんの死後)
出したり・・・
その理由をまとめてうかがつたことがあります。「裏切りは覺えてゐる。
でも、もう許してゐる」「それぞれ使ひ道がある」「そんなことを言つてゐては、對談の相手がなくなる」。渡部さんの生前、私は先生からプラス
の渡部評價を聞いたことがありませんでした。 それが、 「渡部さんにもいいところはあるよ」になりました。 先生は極めて柔軟だ。それでゐ
て、本筋は決してお曲げにならない。「(つくる會騷動の)○○をも許すかもしれない」ともおつしやいました。
舊怨に縛られることがないのです。宏量といつたありきたりの形容で
は片附けられないのかもしれない。御自身に自信があるからこその、餘
裕なのでせう。その點、些細なことに拘はり、自分をがんじがらめに縛
り上げて、身動きできなくしがちな自分とはなんたる違ひ!(畏れ多い
比較ですが)
今囘の「いわんかな」の出席者は、堤堯・馬渕睦夫・高山正之・日下公
人・志方俊之・塩見和子 。いづれも札附きといふか、筋金入りの、忠
實な安倍支持者。そして、なんと、あの阿比留瑠比記者がゲストらしく、
この人を中心に、座談は滑らかに進む。 「世界中の指導者たちを指導する立場にゐるのが我が安倍總理大臣、 ことごとに、 皆が安倍さんに相談に來る」「かかる總理を戴く日本國民のしあはせ!」といふことで、和氣藹々のうちに、めでたく一致(西尾先生が出てをられないので、司會の堤さんも、制止といふ役目がなく、樂さう)。
「自分には、 安倍政權を産んだ責任がある。 だから徹底的に批判す
る! 靖國參拜もできないとは、何事か!!!」と、(ついこの間までの
言ひ種を忘れて)咆哮する水島社長とは大變な違ひやう。 はてさて。