令和二年謹賀新年

賀正

 昨年末三十一日は米韓、米朝という各々の対立の決着の日だった。米は韓、朝どちらをももう許さない。戦争になる可能性もなしとしない。朝鮮半島は昨年日本人には不快と忍耐の原点だった。そして無力の原点でも。

 米中貿易戦争が両国の覇権争いだというのは真実の半面でしかない。経済の急拡大で表面化したのは清朝以来の中国人の伝統的な生き方の異常さの露出である。日米援助の輸出で稼ぎ、不動産に集中し、集めた金は中国国民に回らず、一兆円規模の富豪が乱立し、世界経済を撹乱し、我々の努力の結晶である技術を横取りし、国内の購買力が育たないので輸入する力も今や尽きた。

 加えてウイグルの宗教弾圧、臓器移植の国家犯罪。もう我慢できないのは日米同じはずである。なぜか日本のメディアのみが沈黙している。私が怖れるのは、ここで日中の区別を世界にきちんと示さないと、大変なことになりかねないのだ。米国大衆は日中韓の区別がつかない人々なのである。

令和二年 元旦       西尾幹二 

「令和二年謹賀新年」への8件のフィードバック

  1. 西尾先生が日中の区別を世界にきちんと示さないと、大変なことになりかねないのだ。米国大衆は日中韓の区別がつかない人々なのである。と最後に書かれています。

    これは本当にその通りだと思います。映画などを見ていると、中国人の話なのに舞妓さんがでてきたりして、映画を作るひとでさえ混同していると実感します。見た目が区別しにくいのでしょうが、国民性が全く違います。それは韓国ともそうです。昔から日本はちゃんと発信して主張しないから、誤解されてきました。ゴーン氏の件でも、政府がちゃんと外国に向けて発信しないと、日本は法治国家ではないというゴーン氏に負けてしまうと私はとても不安に思っています。

    1. >岡田様
      あきんどと申します。
      貴重な映像ご提供ありがとうございます。

      岩田氏とは直接お会いしたことはございませんが、ネット上で数回接触がございます。
      彼の早稲田時代の色々な活動から、まっすぐに生きているその人生論を、色んなところで彼の映像を見るたびに、再確認しております。
      私が一番彼を気に入っている処は、「はっきり言う」ところです。
      わかりずらい表現をしないところです。
      おそらく西尾先生は彼の才能と努力を十分認識されていると思います。
      そして本物になってほしいという希望があると思います。

      あくまでも私の身勝手な見地ですが、彼が共産党との愚弄に絶えなかった時代に染まっていない世代という位置づけは、純粋な保守だという印象がまずあります。
      しかしその分それが弱腰になる恐れもあるのかもしれません。

      私も含めて、戦後世代というのは、歴史の実感がすべてバーチャルですから、戦前生まれの方々との絶対的な違いはやっぱりあるんですよ。
      ましてや岩田氏のご両親などはすでに戦後生まれでしょうから、完璧なバーチャル世代ですね。
      ところが時代を経るとかえって当事者でないほうが実態に鋭く切り刻む言葉を発せるという、それが岩田氏の真骨頂ではないかと思っています。
      とにかく彼は大学時代から本当に、実直な考え方をされてきた方だという印象があります。懐が広いとか思わせながらも、かなり鋭く現実的に語れる印象がありました。
      当時「わだっち」という彼のサイトに何度かお邪魔させてもらったんですが、本当に懐が広い青年でした。
      先生はそれでも鋭く岩田氏の文章への歩み方をご指摘され、これは本当に的確なアドバイスだなと思いました。
      これはたぶん「更なる上を目指せる足掛かり」となるようなアドバイスではないかと思いました。
      ものすごく単純なことにこだわるその先生のご指摘は、岩田氏にとっては宝になるんじゃないかと思います。

      私が一番人生の中で大変だった時代、当時の「考える会」のもめごとが起き、その時の色々な出来事の際、西尾先生が直接電話をかけてきて、夜中にかけてFAXで文章を交わした記憶がよみがえりました。
      岩田氏ご指摘のように、本当に先生の瞬時の読解力の凄さには驚きます。
      これはもう私には神業に近いものとなって写ります。

      つまり、人間はどれだけ他人の意見を認識しえるか・・・が本当に大切なことなんだと認識しました。しかしそれだけではなく自分からのメッセージこそが一番大切なんだよ、ということも学ぶんです。

      今思うと、先生の本当の気持ちの真ん中は「純粋」ではないだろうかと思います。
      言葉の一つ一つを追求するその姿は、純粋でなければ望めない世界だと思うんです。
      実は今、そんなことに気づかされた瞬間、私の手は震えながらこのキーボードをたたいています。

  2. あきんど様

    弊書き込みをご覧いただきありがとうございます。
    ちょうど1年ほど前だったと思います。雑誌で西尾先生と岩田さんの対談記事がありました。
    一部お二人の意見がかみ合わないところがありました。あきんど様のコメントを拝読すると、
    それも岩田さんの実直さだったのかな、と納得できます。

  3. >岡田敦夫様

    レスありがとうございます。
    日録の初期の思い出はたくさんあります。
    岩田先生の思い出もあります。
    初期のころは、ブログではなく掲示板タイプでしたので、バトルが絶えませんでした。
    時には罵り合いもあり、それをまとめるために管理人さんたちは相当苦労したようです。
    一応投稿規則というのがあって、それを守らない投稿者は削除を余儀なくされました。
    ある日西尾先生とそのことで電話で話題になりました。
    西尾先生は、あまりにも規則が厳しすぎて、投稿者の気持ちを逆なでしているんじゃないかとおっしゃるんです。
    しかも、それを盾に一般投稿者までがそれを言い出す始末で、これを打開できる方法はないかという話になったんです。

    そこで私は先生に「一般人がどのような気持ちで日録を閲覧しているかを書き、それに反応したなら突っ込んでみます」と言ったんです。

    何年前になるのか記憶が定かではありませんが、おそらく2004年か2005年頃ではなかったかと思います。
    私がそこで語ったのは、ある青年に対してでした。
    「君はいつからここの管理人になったんですか?まるで管理人のような傲慢な態度で、投稿者に対し高圧的な態度をとる理由は何なのか。しかも君の書き込みを見ていると、自分の体調がどうのこうのと言い訳ばかりを書き込み、かんじんな事へのレスがこなかったこともあるのではないか。私も今特定疾患患者に認定され、日々病気と向き合いながら人生を送っている立場であり、そんな自分が先生が出された『国民の歴史』を読んで、病気と闘える気持ちになれた立場ですよ。私はこの本によって生きる光を見たんです」
    こんな感じでその青年に注意を促し、彼が抱えている病気にも向き合って語ったわけです。
    すると色んな方面からレスがありまして、その中に岩田先生からもコメントがありました。
    岩田先生は「こういう大人の意見が本当にうれしいです・・・」という感じで書き込んでくれました。

    当然先生からもレスがあって、その文章は日録本文で書かれていました。
    その内容は「実は私はこの日録を止めたい気持ちでいました。でもあきんどさんの投稿を読んで気持ちは変わりました。私の本を読んで人生に光を感じたと書かれては、書き手としてはそれに応えていかなきゃなりません。そのためには管理人諸君、どうか書き込みを削除することは絶対にやめていただきたい。
    投稿者は私にとってはお客様なんです。お客様は神様です。」

    こんな感じだったと思います。
    私のハンドルネーム(あきんど)にひっかけて、「お客様は神様です」と表現する先生も本当にうまいなぁと思いました。

    これがきっかけで、私は岩田先生の「轍」というサイトにお邪魔することになったというのが、おおざっぱな経緯です。

  4. つづき・・・

    西尾先生は、読者に理解しがたい表現で文章を書くことを、特に嫌う傾向があるようですね。岩田先生にはさらにきれいな文章を望んでいらっしゃるということで、かなりハードルの高い要求かと思います。

    私みたいにどこにでもありそうな語りを根っこにした書き方では、到底哲学的な事は書けません。せいぜい頑張っても自分人生を主題にした小説が限度でしょう。
    おそらく文章というものは、そのスタイルにもよるのでしょうが、哲学的な事を書こうと思ったら、よりわかりやすく書く意識は大切なのかもしれないと思います。
    かえって小説の方が、案外自分の気持ちを詳細に書き込むことがことが、許されている世界なのかもしれません。ただし私は、小説をあまり読んだことがないので、偉そうなことは言えないのですが、なんとなく思う事は、小説の場合は、文章の中から物語の「音」みたいなものが聞こえてくると、面白いと感じるのではないかと思います。
    その「音」というのは、風景から聞こえてくる場合もありますし、主人公の発する言葉自体が、自分のイメージする「言葉の音」にまで成長し、読みながら主人公と対話しているような気持ちになれたら、その小説は合格かなって思います。

    例えば、ヘミングウェイの「老人と海」を取り上げますと、マグロと戦う漁師の生き物語ですが、なぜか読者は必ず読み終えます。短い小説だからかもしれませんが、何故か読み終える小説です。内容と言ったら、読み終えてもよくわからないという印象で、若い頃に読んでも意味がない小説かなと思うんですが、何故か読んじゃうわけです。

    私は今年60歳になるんですが、最近ようやく「物語」的なものに、心が寄るようになったんです。以前はそういうものに全く関心がなく、38歳で「国民の歴史」に出会ってからは、ドラマや小説にはまったく気持ちが入らなくなったのです。

    私みたいなこういう読者も、世の中には結構いるんじゃないかと思うんですが、今思うとかなり癖のある読者の部類になってしまうのではないかと思うのです。
    しかし、やっぱり現代の小説は、読む気になれないのが本音で、どんどん自分は世間知らずな人種になっていってしまっています。会社の若い子たちと会話しても、話題はほとんどかみ合わないので、あきらめ状態です。

    そんな時、女房が録画していたあるテレビドラマをふと見たんです。
    案外面白くて、つい見いてしまった自分がいました。
    久々にドラマを見た私は、「そうか、こういう気持ちが自分には欠けていたな」と思ったんです。
    西尾先生は「平家物語」がお好きなようで、熱心に解読されているようなんですが、読書の基礎といいますか、小説や随筆などを読むことの意味は、案外馬鹿にできないなと思うようになったんです。
    たぶんそういう分野から得る文章の面白さや、人間の内面を感じとる事の重要性は、とても大切な要素なんじゃないかと思うのです。

    文章をきれいに書く意識の大切さというのが、もしかするとこういうところにヒントがあるのかなと思った次第です。

  5. WiLL 3月号に西尾先生と岩田温さんの対談記事が載っているそうです。

    https://www.youtube.com/watch?v=sTxX3ldQ6Z4&t=424s

    既に読まれた方もいらっしゃると思いますが、、、、
    小生は事情があってすぐには読めないのですが、楽しみは後に取っておきます。

    あきんど様
    小生の場合、「国民の歴史」ではないのですが、あきんど様と同様に
    今は小説を読まなくなりました。映画もドラマもあまり興味がありません。
    昨年はラグビーが盛り上がりましたが全く付いていけず野球と相撲ばかり
    観ています。(徳勝龍の優勝にはジーンときました)

    多分、仕事を含めた日常が忙しいからだと思いますが、一方で「これでは
    いけないな」と思うときもあります。小生はある音楽団体に所属しており
    活動してかなり長いのですが、いつの間にか演奏(練習)する曲ばかり
    聴き込んでおり、自分が聴きたくなった曲を聴きに行くという行動を
    取らなくなってきました。そうなると自分の音楽観というか、知識や感性が
    徐々に狭くなっていくのです。ある時にそのことに気づき、それからは
    ネットで色々な曲を聴いたり他団体の演奏を聴きに行くようにしています。

    ヘミングウェイの「老人と海」、小生も中学生のときに読みました。
    級友がとても感動したらしく強く勧められて読んだのですが、よくわかりませんでした。
    あきんど様のコメントを読んで、ちょっと安心しました。

  6. 岩田温さん、大學院時代、心ある先輩から「保守たることはひた隱しにせよ。お前がもつと偉くなつてから、『實は自分はもともと保守だつた』と言へばいいのだ」と諭された由。

    初めて知りました。坦々塾に出てゐた頃の岩田さんと話したことが2~3度あります。10年くらゐ前のことでせうか。既に岩田さんは大學院生ではなく、名前は忘れましたが、どこかの大學の”助教”でした。

    彼との話で、内容を覺えてゐるのは、一つだけです。
    池田「どうも最近の保守業の繁昌は凄いね。保守論壇には論客が溢れてゐ
    る。自分の若い頃は、左翼の方が賑やかで、『世界』といふ雜誌が殷賑を極
    めてゐた。保守は惡と同義語で、表通りでの商賣など許されなかつた」
    岩田「昔のことはよく知らないが、まあ、世の中が變つたのだらう。”保守”の需要が多く、供給が間に合はない」
    池田「さうかもしれない。保守と名乘れば商賣になるやうで」
    岩田「そのやうだ。 もつとも、自分のやつてゐる會の名にも保守といふ字が
    ついてゐるが」
    岩田さんがさう言つて笑つたのを覺えてゐます。たしか、その名刺には”保守主義研究會”主宰といふやうな肩書が刷り込まれてゐました。

    その少し後、當時の事務局長がやつてゐた「坦々塾のブログ」で、保守の水
    増しをからかつたことがあります。そこに、岩田さんとの話も少し入れました。これがオーナーの事務局長から注意を受けました。私は岩田さんを水増し部分と評したわけではありません。彼の科白を借りただけです。けれども、事務局長は「まぎらはしい」からとて許してくれず、岩田さんの名を削るやう指示されました。事務局長はよほど岩田贔屓だつたのでせう。大事な寶物に疵のつく可能性のあるものは斷乎排除の方針のやうで、私の方も、論旨が變るわけでもないので、それに從ひました。

    一昨年だつたでせうか。新聞の政界記事に、元自民黨副總裁の山崎拓さん
    が政治學者岩田温さんの結婚式に出席とあつて、あの岩田さんだと驚きま
    した。

    と書いてゐて、他にも思ひ出したことがありますが、ここらで打ち切ります。

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